1.憧れの冒険(者)の書
ダンジョン最奥遺跡の間――。
壁面には幾つもの巨大な閉じた目が描かれている。
その目が一つ開くごとに、溢れる光に襲われた。
光は長く素早い凶刃となり、ある者は足を切断され、ある者は右肩が身体から切り離された。
「いやああぁああぁ…」
悲鳴と絶叫が上がり、それが自分の口から出ているものだという事も理解できなかった。
――時塚京はごく平凡な(三十路前の)会社員だった。
風の強く吹いていたある日。出先から職場に戻る途中、強風にあおられて飛んできた、大きな看板に後頭部を直撃されて(見事にぽっくりと)他界。
なんという不運!なんて嘆いていたら目の前に翼を持った四本足の獣が現れた。
雲の中にいるような白く透明なふわふわとした空間。獣の隣には美しい女性の姿があった。
「え?女神様?」
驚いて声を上げたら、その美しい女性は思いっきり顔をしかめ、美人が台無しになっていた。
「僕は導きの獣。君を転生先へと案内するために待っていた」
獣はやけに事務的に淡々と説明を始めた。が、聞かされた内容は殆どさっぱり理解できなかった。
「…という訳なんだけど、分かったかな」
「…ちっとも」
自分の答えに美しい獣と女性は、なんとも言えないブサイクな顔を見せた。
どうやら転生したらしいその世界には、剣と魔法とスキルがあった。
一羽の鷲に似た大きな鳥が、ゆったりと上空を舞っている。空はよく晴れ渡り、眼下には雄大な渓谷と起伏に飛んだ大地が見渡せた。
滑空していた鳥が、近づいてくる小型飛行艇に気づき去って行った。
飛行艇は船型のキャビンに細長いバルーンが付いていて、飛空石で動く。
キャビンの中には、7人の男女が乗っていた。その内の3人は同じ紫のフード付きマントをまとい、色違いのマスカレードマスクを装着している。
後方に座るマスカレードマスク(グレー)を付けたベンテが、隣に座る(派手な赤色の)マスクを付けたフィーアに小声で語りかけた。
「お前が来るとは思わなかったよ」
「王命だからね、父上から直に頼まれたら断れないよ」
「王はなんと?」
――天井の高い謁見の間の玉座に王が座っている。
『フィーアよ、アダ遺跡のダンジョンに向かってくれ』
『アダ遺跡のダンジョンでございますか』
『ああ、先日その最奥で瘴気獣が確認された。捨ててはおけん。かと言って並の軍隊では兵を失うだけ。そこで腕のたつ冒険者とクーリアの聖女を派遣することにした』
王の前に跪いていた栗色の髪の貴公子フィーアが、驚いたように顔を上げた。
『これは王命である。聖女が本物かどうか、判断は全てお前に任せる。頼んだぞ』
『父上の仰せのままに』
普段は甘いマスクで微笑みを絶やさないフィーアだったが、この日はいつもと違い笑顔を見せることはなかった――。
「まあ、死んで来いと言っているようなものだしな」
グレーのマスクを付けたベンテは、艶やかな黒髪を持つ白皙の青年で、フィーアとは同年の24歳。
「そんなことはないさ。僕は聖女ミユリ様を信じているのでね」
そう言ったフィーアが前方に座る女性に目を向けた。
聖女ミユリ様と呼ばれた女性は、淡いベージュの髪をリボンで結び、足元まである可愛いドレスを着た17歳の少女である。二人掛けの座席に静かに座り、隣に座る(蝶の形をしたピンクの)マスカレードマスクを付けた女性、ギータから話しかけられてもずっとうつ向いたまま。
聖女ミユリは飛行艇に乗り込む前から顔面蒼白、キャビンに座ってからは冷や汗をダラダラと流していた。
「……ホントに大丈夫なの?彼女」
「……ノーコメントだ」
「召喚したのはお前だろ?」
フィーアの問いにベンテがマスクの奥で瞳を陰らせた。
「すまない、何があってもミユリとお前は必ず俺が転移魔法で逃がしてやるから」
「そりゃ心強いね」
と言ったフィーアの目は笑っていなかった。
綿雲の中にいるようなふわふわの異空間で――。
「転生先の世界では瘴気の濃さがこちらの想定を上回ってしまった」
翼を持つ4本足の獣が再び説明を繰り返す。
「瘴気って?」
「生ある全てのモノに害をなすモノ、かな。君の役目は瘴気を祓い世界を救うこと」
話を理解した私が、今度は思い切り顔をしかめた。
「いや無理だから」
「無理じゃない。君には転生特典として素晴らしいスキルが幾つも付いてくる」
「スキルって言われてもねえ、友達らがしてたゲームのあれでしょ。あいにくゲームとかしたことないんだよねぇ」
この答えに、隣に立つ女性が呆れたように首を振った。
「だけど君の役目は理解できたみたいだね」
「理解はしたけど無理だから。戦うなんて無理。人助けも無理。世界なんて救えない」
「君一人では無理でも強い仲間が転生先の世界にはいるから問題はない」
「仲間って、どんな人達?」
「それを見つけるのも君の仕事だから、どんな仲間が集められるかは君次第かな」
言われた意味を理解した私の顔が、さらに変顔になった。
「丸投げ?」
「とも言う」
と、初めて4本足の獣がくすりと笑った。
飛行艇はアダ遺跡のダンジョンを目指していた。
雄大な渓谷を抜けると、それほど高くはない岩山の連なりが見えてきた。その麓の一画にアダ遺跡のダンジョンはあった。
遺跡の入口は、大きな一枚岩にある青銅の両扉。見上げるほど高い扉の両端に、人型で獣の顔を持つ巨大な石造が、一部風化の欠けはあるものの、威風堂々の姿を見せていた。
ただし、ダンジョン入口にはロープが張られ、大勢の魔導士が結界を張り、兵士たちによって封鎖されている。
上空から見下ろすと、さらに山裾の低木の生える平坦地に、数千を超える兵士や魔導士が整列していた。
それを眺めていたフィーアが、
「今回の件、情報が洩れているようだね。秘密裏決行の手筈なのに、クーリア、ラパス両州以外の軍隊も混じっている。あれはフラゴラかな」
「殆どの州から密偵は来ているだろうさ。何と言っても待望の聖女様のご出陣だからな」
ベンテが珍しくお茶らけて見せたので、フィーアの顔は返って真剣になった。
「ところで、お前の弟はどうした」
ベンテの問いにフィーアは軽くお手上げのポーズを見せる。
「あのボンクラはまた家出中だよ」
「またか…、お前もホントに性質が悪いな」
「あれ、今回は僕は絡んでないからね。あのバカ、今度は一人でどっか行ったんだよ」
「それはそれで大丈夫なのか」
「あのボンクラを始末できる奴なんていないから、まず安心だろ」
「いや、そのボンクラが向かった先が心配だ」
「確かに」
フィーアがにやりと笑い、つられてベンテの口元にも笑みが浮かんだ。
魔方陣を敷いた飛行艇が遺跡近くの平坦地に降り立った。中から出て来た7名に、マスク姿の3名がいることに気づいた魔導士や兵士達からざわめきが起こる。
年配の軍人が前に進み出て敬礼をした。
「クーリア軍大隊長を勤めますブッカーと申します」
ブッカーがマスカレードマスクを付けた3名に現状を報告しようとすると、
「だから、私たちはこのダンジョンに入りたいのって何度言ったら分かるのよ!」
少し離れたロープの側で、揉めている一行がいた。
「だから、それは無理だと何度も言っているだろう」
応対している青年兵士が困っていた。
兵士の前にいるのは、男女二人と(メイド服姿で大きなリュックを背負った)女性型ゴーレムが一体。
「あれは何かな?」
フィーアの問いに、ブッカーが困ったように説明をした。
「彼らは新人の冒険者パーティ『ゴーレムの女王』と名乗っておりまして、何でも村のジジバ…じい様ばあ様達に言われてこのダンジョンで腕試しをしてくるよう言われた、の一点張りでかれこれ30分ほどああして言い合いをしております」
「それはまた困った新人さんだねえ」
青年兵士に喰ってかかっている女性は小柄で赤い髪のショートボブ。ゆったりとしたチュニックにモンペのようなパンツを履き、小ぶりのリュックを背負っていた。歳の頃は十代半ばぐらい。
「だから、今このダンジョンは封鎖中だと何度も言っているだろう」
「そうだぞ、そんな簡易装備じゃ話にもならん」
「瘴気のせいで魔物達も狂暴化している。新人なんてあっという間に喰われちまうぞ」
青年兵士の同僚たちも口々に一行を止めようと声をかけるが、赤髪の少女には聴こえないようだった。片腕にしているバングルを誇示し、
「これが見えない?今日冒険者ギルドで買わされたブレスレット。めっちゃ高かったのよ、(受付のお姉さんの笑顔が怖くて)値切れなかったし」
シリコン素材のバングルは細く、肌色をしていて目立たなかった。
「それは大切な冒険者の証明書だぞ、値切るなよ。とにかく、安物の証明書しか持っていない新人パーティならなおさら、ダンジョンに入るのは無理だ。帰れ」
「安物じゃないわよ、失礼ね。高かったんだから。それに、ダンジョンには自己責任で行くから大丈夫。なんてたって、私には強い味方のジル先生と生意気な弟と」
「誰が弟だ」
隣に立つ大柄な男が初めて口を開いた。少女と同じ赤い髪のベリーショート。服装も少女と同じくチュニックにモンペパンツとブーツを履き、荷物は腰に差した青銅の剣のみ。
「うっさいわね、おだまりラース。ご飯あげないわよ」
と、赤髪の少女が言うと、ラースと呼ばれた少年はそれ以上の反論はせず。少女は兵士達に向かって宣言をやり直した。
「私には強い味方のジル先生と生意気な弟と、ぴか一のスキルがあるんだから」
そう言うと、片手を空にかざし、
「スキル空気無効!」
と、叫んで見せた。
すると、ボンと音がして煙と共に一羽の鶏が現れた。鶏はそこら中をつつきながら歩きまわり、
「コッ…」
兵士や魔導士達が驚いて見守る中、
「コッ…」
思わずフィーアとベンテまでもが興味をひかれて目を向けると、
「コッ…コッケッコッケコッコー!」
と鳴いて満足した鶏の姿はボンとかき消えた。
「…………………」
兵士達から白けたムードの後に笑いが起こる。
「何だそりゃ」
「宴会芸か」
「いや最強は最強だけどよ、魔物には意味がねえ」
兵士達に笑われ、まあるいホッペを真っ赤にした少女が地団太を踏んだ。
「バカにしてんじゃないわよ、まだ別のバージョンがあるんですからね。スキル空気無効!」
再び叫ぶと、今度は二羽のペンギンが手を取り合い飛び出してきて、兵士達の前でまるでフィギュアスケートのように華麗な舞いを披露してかき消えた。
「…………………………」
兵士達からは白けたムードの後に、パラパラと拍手が起こった。
それに気を良くした少女がさらに叫んだ。
「空気無効!」
どこからともなく聴こえてくるマンボのリズムに合わせ、出てきたのはダチョウが3羽と鶏1羽とペンギン2羽。全員がお尻を振りながらマンボを踊り、踊りながら消えて行った。後には再び白けたムード。
「帰れ」
目を吊り上げたベンテが、少女の目の前に来て告げた。
ベンテの迫力に怯んだ少女が涙目になっていると、今まで一言も口を開かなかった聖女ミユリがフィーアに耳打ちをした。
「本気?」
フィーアの問いに聖女は青い顔で頷く。
「分かったよ、おいベンテ。聖女様の許可が下りた。彼らの同行を認めるそうだ」
「は?」
振り返ったベンテが驚き、意味を理解した赤髪の少女の顔がパッと喜びにほころんだ。
「やった!」
少女の名は(全くの新人)冒険者パーティ『ゴーレムの女王』リーダー、トロワ・キルア。転生前の名は時塚京である。
ダンジョンの中は思ったより明るかった。岩山をくりぬいたような洞窟ではあるものの、随所に小ぶりの石造が飾られ、通路は天井が高く道幅も広い。
しかし、入ってすぐスケルトンに出くわし、真っ青になった聖女と共に、トロワも絶叫していた。
「ギャアァァァ、マモノ出た、マモノ!空気無効!」
鶏が鳴いて消えて行った後で、ベンテから再び殺気を含んだ瞳で睨まれ、他の同行者からも冷めた目で見られた。青い顔をして震えていた聖女ミユリだけは、トロワに共感の瞳を送っていたのだが。
倒したスケルトンは砂になって消え、消えた後には小さな魔石が残った。
「ダンジョンにいるのはだいたいが魔物で、倒すと魔石が手に入るよ。ギルドに持って行くと買い取ってくれるの」
「へえ」
教えてくれたのはマスクをしていないツインテールの少女だった。ノイア・サンテルマ、16歳。Sランクパーティ「ブルローネ」の魔導士であり、学生でもあるという。
今回同行している「ブルローネ」のメンバーは彼女を含めて3人。先頭を行くエリオ・ゼルマは33歳。大柄な坊主頭で武器である槍を持ったランサーで、パーティのリーダーでもある。
「よろしくな」
気さくな人柄で親切だったので、トロワはすぐに好感を持った。
もう一人のメンバーはコラードというクルセイダーで32歳。横幅のある体格で顔も四角く、顎が割れていた。トロワのスキルを豪快に笑い飛ばし、場を和ませてくれたので、トロワはやっぱり好感を持った。
「ねえねえ、何であの人達はマスクしてるの」
トロワの問いに、呆れたように答えてくれたのはコラードだった。
「彼らが伝説の冒険者SSランクパーティ『スターリーナイト』のメンバーだからさ」
「へえ…」
「本当に何も知らないんだな、トロワちゃんは。いいか、『スターリーナイト』はこの国の王侯貴族の血筋を持つ方々が作ったパーティでな、めちゃくちゃ強え」
この世界には長命種族と短命種族がいるらしい。長命種は古来龍人族の末裔。短命種は猿人から進化した普通種。
「王侯貴族様にはこの長命種、所謂龍人の末裔が多くてその血が濃いほど力が強い。俺たち普通種が生まれた時のギフト(スキル)は一つだが、末裔たちは大抵二つのギフト(スキル)を生まれた時から持っている」
「へえ~」
ダンジョン1層目、それまでの通路から開けた場所に出た。途端にシャドウウルフの大群に襲われた。
『スターリーナイト』のフィーアとギータが、何もない空間から武器を取り出すのを見て、トロワの目が大きく開いた。
フィーアは亜空間からバスターソードを、ギータは美しい装飾の銀の弓矢を取り出し矢を構えた。だが、それより先にベンテが腕をかざし、
「ヘイルアサルト」
かざした手から無数の雹が魔物達に降り注いだ。雹はこぶし大の鋭利な断面を持つ塊。それらが次々とシャドウウルフに突き刺さり、魔物達は瞬時に魔石へと形を変え一掃された。
「魔力は温存したらどうなの」
フィーアの言葉に、
「この程度の魔物に時間を食いたくない。あれがうるさいしな」
と、後方にいるトロワを指さした。
トロワはノイアやコラードの話を聞きながら、せっせと落ちている魔石を回収している。
「何で皆拾わないの。売れるんでしょ、この石」
「売れるけど、高くは売れないよ。シャドウウルフはDランクの魔物だから魔石もDランク。落ちてるのは茶色や灰色ばっかりでしょ」
「まあトロワ達『ゴーレムの女王』みたいなEランクパーティには十分な稼ぎにはなるけどな」
「あらそうなの?貰っていいの?この石全部?やだぼろ儲けじゃん」
と、嬉しそうに石を拾うトロワに、ノイアとコラードは微妙な笑みを見せた。
「行くぞ、Eランク」
ベンテがそう声をかけた時にはだいぶ先に進んでいた。
「置いて行くよ、Eランク」
ベンテの横を行くフィーアも声をかけ、聖女ミユリに寄り添うギータも、
「早くしないと迷子になりますよ、Eランクパーティさん」
「Eランク、Eランクって連呼するんじゃないわよ、ムカつくわね。あいつら何様?」
「SSランクパーティ様です」
「この国の王侯貴族のご子息様だ」
「ぐっ……でも何か腹立つから空気無効!」
マンボのリズムに乗ってダチョウ達が踊って去っていった。
ダンジョン2層目に進み、魔物達もランクアップした。ホーンラビットにジャイアントセンチピート、グリーンスライム。DからCランクの魔物達が次々に襲ってきたが、全て先を行く『スターリーナイト』のメンバーによって、瞬く間に片付けられた。
一度だけ、トロワの弟のラースがジャイアントセンチピートと対峙したが、振りかざした青銅の剣がぽっきりと折れて、トロワから頭を小突かれていた。
「弱っ。全然弱いじゃないのさ」
「俺は強い」
「どこが?このヘタレ」
「誰がヘタレだ。だいたいこの身体は邪魔だ。上手く動かせない」
「は?何言ってんの。そんな頑強な身体になってるくせに、武器が折れたなら素手で戦…え」
と、言った途端にトロワが顔面から倒れた。向き合っていたラースに受け止められはしたが、これには同行者全員が驚いていた。
「すまない、主の体力が尽きた。休憩を入れてくれないか。ランチを取りたい」
そう言ったのは、『ゴーレムの女王』サブメンバー、メイド服を着たゴーレムのジル先生だった。
「え?ゴーレムって喋れたっけ?」
「聞いたことがないな」
フィーアとベンテが疑問を口にしていた。
それには答えず、ジル先生は背負っていた大きなリュックを降ろし、中から竹の皮に包まれたモノと水筒を取り出した。
「俺も腹が減った」
と言ったラースにはキツイ眼差しを見せ、
「お前は食事分の働きをしていないだろう」
「俺が出るまでもないからな。それより腹が減った」
「トロワの許可を取れ」
ジル先生の言葉に、ラースは抱きかかえていたトロワの頬をぺちぺちと叩く。
「飯だ。起きろ」
「ご飯?やったお腹ペコペコ」
ジル先生の手にした竹の皮を認めて飛び起きたトロワに、
「温めるか?」
「お願いしやす」
トロワのリクエストに応え、ジル先生は手にした竹の皮に向かって
「ヒート」
と、唱えた。見る間に竹の皮から美味しそうな湯気が立ち昇る。
「これぐらいでいいか、トロワ」
「うん、ありがとうジル先生」
トロワが手渡された竹の皮を開くと、そこにはぬくぬくのおむすびが3個と卵焼きが入っていた。トロワはおむすびを一つ取ると、竹の皮をラースに手渡した。受け取ったラースは当然のようにおむすびをつまむ。
それを見ていた聖女ミユリがヨダレを垂らしていた。
「おむすび!卵焼き!あるの?この世界に」
思わず叫んだミユリの声は、少女の声にしては低かった。
「聖女様も食べる?」
「い、いいんですか…」
ベンテの視線を気にしたミユリが、声のトーンを高くして尋ねた。
「いいよ、たくさん持ってきたから。ジル先生、次々に温めお願いします」
2層目の少し開けたコーナーで、一行はランチを取ることになった。ベンテは嫌そうな顔をしていたので、魔導士のノイアが周囲に結界を張る。
次々に手渡されたおむすびを見て、戸惑っているのは上位パーティのメンバー達。ミユリとトロワとラースはガツガツと米のおむすびを貪り食っていた。
「食べないの?冷めるわよ。ジル先生も一緒に食べてよ。あ、忘れてた」
トロワの胸元がゴソゴソと動き出し、小さなゴーレムが飛び出した。
「ごめんごめん、レム君も食べるよね」
「とーぜん」
トロワから半分にしたおむすびをもらい、一瞬で吸い込みもぐもぐと口らしき部分を動かしていた。
「おいしいですよ?」
一行の雰囲気に首を傾げた聖女ミユリの言葉に、恐々とスターリーナイトのメンバーがおむすびを口に運び、瞳の色を変えた。二口目は大きな口を開けて頬張ったのを見て、ブルローネのメンバー3人もおむすびを食べ始めた。
「旨い!」
「美味しい!」
誰からか分からない賞賛の声が飛び出していた。
「じゃあ村ではいつもこんなご飯食べてるの」
「まあ大抵は。お米大好きだし」
「何ていう村?」
トロワは首を傾げ、
「何だったかな~、シー、ダー、ヘーだったか、ごめんなさい、忘れたみたい。でも元気なジジババ達がたくさんいてね、ご飯はとても美味しいの」
色々と質問をしてきたのはスターリーナイトの紅一点。ピンクマスクのギータだった。薄紫の髪をシニヨンに纏め、マスクをしていても綺麗な女性であると窺える。年齢はトロワと同年代ぐらいに見えた。
「ギータ様」
ノイアとは仲が良さそうで、
「同じ学校の先輩です」
と、教えてもらった。
「村のおばあちゃんの一人が「料理上手」っていうスキルを持っててね、だからおばあちゃんの作るご飯は本当に美味しいの。おばあちゃんが言うにはスキルが進化して今じゃ「料理研究家」になったんですって」
「スキルが進化?」
全員の耳が二人の会話に聞き入っていた。
「そうなの。スキルって進化するんですってね。知ってた?」
「聞いたことはあるけど、本当に進化した人はまだ見たことがないわ」
ギータの答えに、トロワはちょっと肩を落とした。
「そうなんだ。でも」
持ち前のお気楽主義で言い放つ。
「私のスキルもいつか進化するかもしれないじゃない?「空気無効」が…」
鶏が鳴いて消え、ベンテの視線を避けるように顔を背け、
「空気…、そう空気清浄とかになったらいいと思わない」
場は白けても、トロワの言葉に不思議と心地よい空気感が流れていった。
「ところで、その小さいゴーレムもパーティ仲間なの?」
「そう。ミニゴーレムのレム君。物知りなの、こう見えて。だからアドバイザーに来てもらったのよ、私ら新人でしょ。初めてだから、魔物見るのも」
「それでよくこのダンジョンに来る気になったわね。以前ならともかく」
「?」
トロワの顔に浮かぶ?マークに、改めてギータが解説をしてくれた。
瘴気が深まり始めたのが今から20年ほど前。魔物の脅威度は増す一方だった。ダンジョンではさらにその脅威度が増し始め、冒険者の多くが命を落とした。
全てのダンジョンは封鎖され、国の管理下に置かれた。しかし、当時のスターリーナイトによってラスボスを攻略し、魔導士の結界で瘴気を抑え、再び解放されたダンジョンも幾つかあった。
「ここは解放されたダンジョンではなかったの」
クインティア王国12州。大貴族が治める領地である。どの州も州内にあるダンジョンの解放を願い、今も多くの嘆願が出されている。けれど瘴気は濃さを増し続け、スターリーナイトだけでは手に負えず。
15年前に国はダンジョン攻略禁止令を出す。代わりに瘴気を抑え込むための研究(聖女召喚)に、力を入れ始めた。
「そんな中、12年前にここアダ遺跡のダンジョンは解放されたの。当時5歳だったラウノ様が一人でラスボスを倒してしまってね。以来この遺跡はちょっと前までとても人気の高いダンジョンだったの」
本来なら一度倒されたラスボスの復活は、数十年の時を要すると言われている。その間、マナの薄まったダンジョンはレベルの低い魔物のみを排出する、冒険者のオアシスとなる。
「ラウノ様?」
「この国の王太子様だ」
と、コラードが耳打ちしてくれたが、興味はなかったので聞き流したトロワだった。
「だけど近年魔導士の結界だけでは瘴気を抑えられなくなっていて」
解放されていた各地のダンジョンでは早くもラスボスが復活。ここアダ遺跡のダンジョンでも昨年ラスボスが復活し、先日には瘴気獣までもが確認されている。
「確認したのは俺たちだ。学業で参加できなかったノイアに代わり、腕のいい魔導士を臨時に雇ってこの遺跡の調査を請け負った。結局瘴気獣の存在は突き止めたが、そのせいで仲間を一人失い、一人は今も治療院にいる」
ブルローネのリーダー、エリオの言葉に場の雰囲気がしんみりとした。
「はい、空気無効!」
ペンギン二羽がダンジョン内をくるくる滑りまわって、消えて行き。
「今度その言葉を口にしたら首を絞めるぞ」
と、ベンテに脅された。
ダンジョン3層目。
2層目と同じ種類の魔物の数が倍になり、相変わらずトロワは悲鳴を上げるかスキルを叫び続け、戦闘の邪魔にしかならなかった。
ベンテに襟ぐりを掴まれた時は本当に恐怖を覚えたが、フィーアが取りなしてくれたおかげで助かった。
トロワと同じように役に立たない聖女ミユリ様の顔がさらに青ざめ、嘔吐した。
どうやらおむすびを食べ過ぎたのが原因のようで、ベンテが渋い顔をさらに渋め、フィーアがここで一泊することを提案した。
「慣れない初心者のEランクパーティもいることだし、この層で一旦野営しよう」
ダンジョンに潜ってから数時間が経過し、外では夜になっていた。
3層目には小さな湖があり、その畔の開けた空間で一行は野営に入った。
フィーアが亜空間魔法でベッドを取り出すと、ベンテもまた簡易ベッドを3台取り出した。
「何あれ?」
トロワが目を丸くしていると、
「亜空間魔法だよ。Sランク冒険者なら大抵亜空間収納を持ってる、便利だからね」
「それでさっきも武器を取り出した?」
「うん、そう。ベンテ様はこの国でも一番の魔導士だから、亜空間の規模が違うの。どれぐらい大きいかは知らないけど…、でも凄いなあベッドまで出し入れしてるの初めて見たよ」
嬉しそうなノイアの解説に、
「へえ」
と答えるしかないトロワだった。
湖畔一帯にベンテが魔物封じの強力な結界を張り、トロワ達も中に入れてはもらえたが、ベッドにはありつけなかった。
ブルローネのエリオとコラードが、亜空間から取り出したらしい調理器具と食材で簡易な食事を作り、皆に振舞ってくれた。
スープとパンを食べながら、トロワはまたギータと会話していた。
「本当の姉弟じゃないの?」
「そう、私もラースもキルア爺さんに拾われてね。だからキルア姓をもらったの。ラースは私より後に来たから弟」
「だれが弟だ。お前の方が妹だろうが」
「ご飯…」
「分かった、弟でいい」
「仲は良さそうね」
「え?良くないけど。でもラースは強いらしいから私の用心棒なのよ。ジル先生とどっちが強いかは知らないんだけどね」
「私の方が強い」
「俺の方が強いに決まってる」
「私だ」
「俺だ」
ジル先生とラースが小声で際限のない言い争いをする中、トロワが会話をつなぐ。
「でも聖女ミユリ様?が同行許可してくれて助かったわ。ありがとうね」
「いえ」
聖女ミユリが小さく答える。
「聖女様って同い年ぐらい?」
「さあ…」
「ミユリ様は私と同じ17歳」
答えにくそうなミユリに代わり、ギータが答えた。
「異世界から召喚されたって、本当なの?」
トロワの質問にベンテの口がピクリとする。
「まあまあ」
フィーアになだめられ、無言だったにもかかわらず、苛立っていることは誰の目にも見て取れた。
「トロワさんは千数百年前にいた聖女様の話は知ってる?」
「ああ、知ってる知ってる。あれでしょ、ト…ト」
「トニア・ティアレン。稀代の聖女様として今も大人気のトニア様が身罷られて千年。新たな聖女様は現れず、瘴気は深さを増すばかり。そのトニア様が異世界人だったというのは有名な話なんだけど」
ギータの言葉にトロワの顔は曇る。
「それで異世界から聖女様を召喚?普通に考えたらちょっと迷惑な話よね。違う世界の聖女様を呼び寄せるんでしょ」
「それはこの世界の現状をあなたがよく理解していないからよ、トロワさん。聖女召喚は大勢の高位魔導士が命がけで行う大魔導なのよ。命を落とした魔導士も片手では足りないほど」
「ふーん」
納得のいかない顔のまま、トロワはミユリを見つめ、
「何か大変そうね。頑張って」
「軽いわ」
ツッコミを入れたのはノイアだった。
翌日、ダンジョンの4層目から7層目までを一気に駆け下りた。
魔物のランクはCからBになり、倒して得る魔石のランクも上がった。
Eランクパーティ『ゴーレムの女王』は一体の魔物も倒せず、収穫はゼロ。魔石は倒した者の取り分である。
魔物への恐怖よりも魔石が手に入らないことに、トロワはむくれていた。
「何で倒して来ないわけ」
「剣がない」
ラースが折れた剣を見せた。
「素手で戦いなさいよ。素手で」
「嫌だ。手が汚れる」
ラースの答えに青筋を浮かべたトロワが怒る。
「ご飯なしだからね」
「ご飯なら本当にないぞ」
「「え?」」
ジル先生の言葉にトロワとラースが同時に驚いていた。あれほど大きかったジル先生のリュックはぺちゃんこになり、逆さまにしても拾い集めたE、Dランクの魔石しか出て来なかった。
「「「そんな」」」
トロワとラースとレム君が同時に背後を振り返った。
一行は7層目でまた野営をすることになり、スターリーナイトとブルローネのメンバーは、亜空間から取り出した自分達の食料で各々ご飯を食べていた。
トロワとラースとレム君の視線を感じ、一同が一斉に目を逸らす。と、トロワのお腹が盛大な音を立てた。
「そっちがその気ならいいわよ、じゃあ連発します。空気…」
トロワの口を押えたベンテが、苛立ちながら食料を差し出した。
「叫ぶな、食え」
差し出されたのはチーズと肉を挟んだ黒パンだった。
「神様?」
涙目のトロワに感激されても、ベンテは嬉しくなさそうだったが、頬は赤みを帯びていた。それを認めてフィーアがニヤリと笑う。
「パンも肉も硬いけど、美味し~。お腹が空いてる時って本当に何でも食べられるよね」
「文句を言いながら食うな」
と、言いながらも、ベンテはチビゴーレムのレム君やジル先生の分まで食料を分け与えてくれたので、ちょっとだけ好感度をアップさせたトロワだった。
「リカバリー」
見かねたノイアが、魔法でラースの剣を直してくれた。
「ありがとう。凄いね、魔法。さすがSランク」
「いや、これぐらいは…」
トロワにべた褒めされ、ノイアが頬を染める。
「トロワさんでも覚えれば簡単に出来るよ。第3位階の魔法だし、魔力消費も100ぐらいだし」
「魔力消費?第3位階?」
トロワが盛大に首を傾げたので、何故かノイアが焦っていた。
「魔法を使うと魔力を消費するでしょ?」
「魔法使ったことないし」
「え?」
ノイアが驚いて一瞬変な顔になりかけたが、すぐに元にもどした。そして、自身が付けているプラチナのバングルをトロワに見せて、説明をした。
「冒険者の腕輪はその人のステイタスを見ることが出来る魔道具なの。ギルドの受付で教えてもらわなかった?魔力を当てるとね、自分の冒険者の書が浮き上がるんだよ」
「ああ、そう言えば何か喋ってたけど…。薬草採取とかそんなのばっかり進めてくるからよく聞いてなかったわ」
「トロワさん」
笑顔を引きつらせたノイアが、自分の腕輪に魔力を当て、ステイタスの表示方法を教えてくれた。
「魔力を当てると空中に冒険者の書が出てくるから」
空中に浮かんだ本は見開きでステイタス画面になっていた。
『ノイア・サンテルマ 16歳 女性 パーティ名ブルローネ 魔導士 出身クインティア王国王都クインテール Sランク冒険者 HP900 MP5100 INT720……』
「へえ~上手く出来てるのねえ。あらちょっと凄いじゃない。MP5100ですって。っていうかMPって何?」
トロワのボケた発言に何人かがズッコケていた。
ノイアを真似て、トロワも自身の腕輪(シリコン素材のバングル)に手をかざしてみるが。
「……ふんっ」
「…………」
「フンっ」
鼻息荒く何度か力を入れたが、トロワの冒険者の書は浮き上がらず。
「いやいやいやいや、あり得ないから。冗談は止めてくださいよ、トロワさん」
と言ってノイアがトロワの腕輪に魔力を注いだ。宙に浮かんだ冒険者の書を見て、トロワが顔を輝かせた。
「やった、出た」
『トロワ・キルア 17歳 女性 パーティ名ゴーレムの女王 無職 出身北の方の村 Eランク冒険者 HP150 MP0 INT150 ATK0 DEF0…』
「MP0!嘘」
叫んだのはノイアで、
「HP150?小さいガキでも300はあるぞ。すげえなトロワちゃん」
呆れたのはコラードだった。
「僕も初めて見たよ、攻撃と防御が0の奴なんてまず冒険者は無理だろう」
フィーアの言葉に、上級パーティーの全員が大きく頷いていた。
「えへへ」
照れて笑うトロワに、
「褒めてないから」
と、ツッコミを入れたのはやっぱりノイアだった。
7層目の野営地は、大きな台座のある広場だった。台座の上には数十の石造が壊れたまま放置されていた。
明け方近く。うっすらと光る台座の上を数匹の羽虫が飛び交っていたが、何かが飛んできて羽虫たちは姿を消した。
この日もベッドに潜り込めなかったトロワは、ジル先生にもたれて眠りに就き、すぐ隣にはラースが健やかな寝息を立てていた。寝ぼけてむにゃむにゃ、
「空気むこー……」
と、寝言を言い、一番鳥の鶏に叩き起こされた全員から、顰蹙をかった。
8層目に入ると、ダンジョンの雰囲気もメンバー一行の顔つきもガラリと変わった。
土壁の洞穴のようだった通路が石畳の通路に変わり、すぐに開けた廃墟へとつながっていた。ダンジョンは各層ごとに広大な面積を持つ。
攻略され尽くしていたアダ遺跡のダンジョンは、街の道具屋で地図まで売りに出されている。そこには各層でどんな魔物に出くわすかの情報まで網羅されていた。
「この層は通称コカトリスの廃墟って呼ばれているんだが、今はアーミーアントの巣になっている。来るぞ。気をつけろ」
「斥候」のスキルを持つエリオの言葉に、全員が一斉に迎撃態勢を取った。
アーミーアントは人の背丈よりも高く、狂暴である。一体一体の攻撃力も高く、Aランクパーティでも苦戦する魔物。
それでも、硬い合金で覆われたアーミーアントに、ギータは次々と矢を命中させ、ベンテは上位魔法「ブリザードランス」を繰り出し、あらかた討伐。
残りはフィーアが軽やかにバスターソードを振るって屠っていった。
魔物の消えた後には美しい輝きを放つ、ピンクの魔石があちこちに落ちていた。が、魔石は全てベンテが魔法で回収。
トロワはうらやまし気に指を咥えているしか出来なかった。トロワの横に立つラースは我関せず。呑気に大きな欠伸をしていたが、ふとフィーアの視線に気づくと、ついと目を逸らせた。
「良かったら、これ。初日に貰ったおむすびの礼に受け取ってくれ」
と言ってブルローネのエリオが差し出したのは、オレンジ色に輝く魔石だった。
「え?いいの?マジで」
喜色満面のトロワが受け取ろとして、途中で手を止めた。
「でもおむすびぐらいじゃ貰えないわよ。この魔石、ランク高いんでしょ。うちら何も倒してないし」
「オレンジ色の魔石だと銀貨一枚にはなりますよ。良かったですねトロワさん」
と、ギータに言われ、
「いや、ありがたいけどやっぱり貰う訳には…」
「いいんだ。やるよ。あんたのスキルで結構和ませてもらった」
エリオが無理矢理トロワの手に魔石を握らせていた。
「本当に?返せと言われても返さないわよ」
エリオが破顔し、
「そんなケチな事は言わないから安心してくれ。それに、今日この先を生き延びられるかどうか誰にも分らないからな。何か善行をしたい気分なんだ」
エリオの背後にいたコラードが下を向いた。
「でも私、村のジジババ達にサクっとこのダンジョン片付けてこいって言われてるのよ。生きて帰るに決まってるじゃない」
「あのステイタスでか?Eランク」
と呆れたように言ったのはベンテだった。
「全くだよね攻撃力防御力共にゼロ」
とフィーアも同意し、
「無職の冒険者って初めて見ましたよ」
「MP0も」
と、ギータとノイアにも言われ、
「こいつ多分はったりだけで生きてるぞ」
と、言ったのはラースだった。
ラースにだけは、トロワが蹴りを入れていた。
そんなラースを、フィーアが少し首を傾げ眺めていた。
「どうした?」
それに気づいたベンテに問われ、
「いや、あの弟君。姿形は全くの別人なのに、我がボンクラの弟にそっくりなんだよね」
「そうか?お前の弟、仮にも王太子はあんな動きの鈍い奴じゃないだろ」
「いや、そうだんだけど…」
と、首を捻り続けるフィーアに、ギータが話しかけた。
「確かに雰囲気はラウノ様に良く似ていらっしゃいますが、あのラース君記憶がないらしいですよ」
「記憶喪失?」
「トロワさんがそう言ってました。山の中で拾ったって」
「ふーん」
釈然としない思いが、フィーアの答えに現れていた。
9層目は薄暗いジャングルになっていた。この層ではブラックスライムやアラクネといったAランクの魔物に遭遇したが、一行は戦闘を避けることを選択。コラードのスキル「ステルス」で姿を透明にし、魔物の横を密かに通過した。
「最初からこれで来れば良かったんじゃないの?すっごい楽じゃん」
トロワの疑問に、当人のコラードが答えた。
「いや、俺のスキルは万能じゃないんだ。長時間は使えないし、一日に使用できる回数制限もある」
「へえ、そういうもんなの?私は一日に何回でも叫んでるけど、空気無効って」
マンボのリズムが聴こえてきてダチョウ達が現れると、魔物達がこちらに目を向けた。全員から姿は見えなくても殺気を感じ、トロワが慌てて謝った。
「ごめんなさい」
「役に立つかどうかの差だな」
暫くして、ポツリと言ったジル先生の言葉に、トロワがショックを受けていた。
「役に立たないって言われてんの?私」
「役に立つと思える方が不思議だ」
言ったのはベンテである。
「まあ、でも今回はトロワちゃんのおかげで楽しいダンジョンだったよ。前より身体もなんか軽いしな」
コラードの言葉に頷き、
「前は魔法で防御してても身体に瘴気が纏わりついてくるような感じだったんだよ。やっぱりSSランクパーティと一緒だと、こうも違うもんなんだな」
エリオはスターリーナイトを褒め称えた。
10層目で本来のダンジョンのラスボスであるヘルハウンドを、上位パーティ総出で倒すと、いよいよ最終決戦に向かった。
「このダンジョンは10層で終わりだったんだよ。だけどいつの間にか11層目に降りる階段が出来ていた」
エリオの言葉通り、10層目の突き当りの壁に、下に降りる大きな階段があった。
「瘴気獣がそこにいたんだ。俺たちは雇った魔導士のおかげで辛うじて逃げられた」
コラードの言葉とは違い、下に降りると目の前には巨大な両開きの扉があった。
「瘴気獣がいるのは扉の向こうだ」
言い直したコラードに、
「君たちは扉の中に入ったんだろ」
フィーアが問うた。
「いや…」
「入ったよ。入ったから瘴気獣を確認した」
エリオの言葉を遮り、コラードが話を続けた。
「扉を開けてもいいかな」
確認したのもコラードだった。
スターリーナイトの面々と聖女ミユリが頷き、トロワを除いたゴーレムの女王の面々も同じように頷いた。トロワは頷く事さえできず、冷や汗を流すのみ。
コラードとエリオが大きな観音開きの扉を開き――。
そして惨劇が始まった。
そこはだだっ広い大聖堂のようでもあり、それよりも巨大な闘技場のようでもあった。
侵入者を確認したからか、壁面にあるランプが一斉に灯り、場は明るさを増したが、広すぎてまだ薄暗い。
明かりに浮かび上がったのは、天井にまで届きそうな数々の彫刻。壁面には悪魔像のような彫刻が施され、像には頭部がなかった。代わりにあるのが、天井や壁面の至る所に描かれた閉じた瞳のような紋様。
一行は周囲に目を向けながら、密集隊形で中に入っていった。しんがりはラースの腕にすがりつくトロワと、その背後をガードするジル先生。
数メートル進んだ所で扉が自動的に閉まり、全員が後ろを振り返った。
「ひっ」
と、悲鳴を上げたのは聖女ミユリ。彼女もギータにしがみついて、足がブルブルと震えていたので、こんな時だがトロワは親近感を持った。
「閉じ込められた?」
「みたいだな」
フィーアとベンテの言葉に被せ、
「エリオとコラードがいない…」
気づいたノイアが辺りをキョロキョロ見回すと、扉の向こうから声がかかった。
『すまない、ノイア…』
『ほら、行くぞエリオ…』
全員が裏切り行為を認め、さらなる緊張が高まった時。
扉とは正反対の最奥にあった昏い塊が蠢き始めた。
室内最奥の壁の前は瘴気の濃さが増し、昏い影になっていた。そこに、歪な生き物が存在し、それがゆっくりと頭をもたげた。
歪な生き物が立ち上がる気配と同時に、これまでにないほどの瘴気が場を満たした。ベンテの魔法で全員がガードされていても、まだ瘴気が重く身体に纏わりつく。
「あれが瘴気獣…」
ギータが呆然と呟いた時、最初の瞳が開き、閃光が彼女を襲った。室内を走った光に何が起きたのか誰も気づかなかった。気づいた時にはギータの右足がスパンと切られていた。
訳が分からず呆然とするギータだったが、
「くっ…あぁぁっ」
痛みに呻き、その場に頽れていた。
「ギータさん!」
「ギータ!」
ミユリとベンテが叫んだ時には二つ目の瞳が開き、ノイアの片腕を切断。ノイアの悲鳴が場内に響き渡った。
「ノイアちゃん!」
叫んだのはトロワだった。フィーアとベンテは二人に駆け寄ろうとしたが、歪な生き物が暗がりから踊り出してきたため、瘴気獣に向き直った。
足が6本の化け物は巨大で、カバのような頭部には4本の角。目はなく、象のような鼻に口が4つ。前の足2本を持ち上げると天井が低く見えた。
角の周囲から無数に伸びる触手のようなモノが何本も飛び出し、先端は鋭利なドリル状になっていて、開墾でもしそうな勢いで床石を破壊していく。
ベンテが特大魔法「メテオウォール」を繰り出し、特大火球が次々と直撃してもビクともせず。
フィーアは剣を振るい、向かってくる触手状のモノを叩き切ろうとしても弾くのが精一杯。それを見たベンテの判断は早かった。
「フィーア!お前たちだけでも逃がす。ミユリを…」
3つ目の瞳が開き、ベンテが左肩辺りからスパンと切断され、ミユリが絶叫していた。
「うわあぁぁぁ、ベンテさんっ」
ベンテが苦し気に倒れ込み、フィーアは襲いくる触手に防戦一方。
4つ目の瞳が開いた閃光に、ミユリを庇ったジル先生の頭部が胴と切り離され、ミユリと一緒にトロワも悲鳴を上げた。
「ジル先生!きゃぁぁぁ」
同時に何本もの触手が伸びてきてラースが応戦するが、すぐに青銅の剣はポキンと折れて飛んでいき、
「あ」
「ラース!」
トロワを庇ったラースが、背から触手に腹部を貫かれていた。
「いやあぁぁぁぁぁっ、ラース!」
腹を貫かれたままトロワと向き合い、ニヤリとするラース。
「喚くな、大した傷じゃねえ」
トロワは大粒の涙を流し絶叫するしかなかった。
ダンジョン最奥遺跡の間に、何人もの絶叫が木霊していた。
しかし、ラースの腹部を貫いている瘴気獣の触手は、向き合っているトロワには届いていなかった。胸元から飛び出したレム君の白く輝くシールドが、トロワを守っている。
「頃あいだね、封印を解除する」
「いやあぁぁぁぁぁ」
「トロワ、封印を解除する」
天井近くの新たな目の紋様が開きかけ、
「トロワ、空気無効を叫べ」
「空気無効!」
レムに言われてトロワが叫ぶと、開きかけていた瞳が半目のままで止まった。
「トロワ、次はリザレクション」
「うん、り、リザレクション!」
近くで倒れていたベンテが、苦痛に顔を歪めながら呟く、
「バカな、リザレクションだと?それは第8位階の…」
トロワはただただ夢中で叫んだ。
「空気無効、リザレクション。空気無効、リザレクション。空気無効、リザレクション。空気無効、リザレクション」
空気無効のマンボ軍団が何度も場内を駆け回ってはいたが、切断された足や身体に優しい光が纏い、次々と元に戻って行くのを信じられない思いでベンテ、ギータ、ノイアが見つめていた。
「空気無効、リザレクション。空気無効、リザレクション」
まだ叫び続けるトロワに、ラースが声をかけた。
「もういい、もう皆元に戻った」
「トロワ、一旦退くよ。ノゾミの扉を開いて」
レムの言葉に大きく頷き、トロワが叫んだ。
「スキル「ノゾミの扉」オープン」
何もない空間にボンと一枚扉が現れ、扉が開く。
「ジルフィリア、皆を回収して。全員扉に急いで。一旦逃げるよ」
腰が抜けたミユリとノイアをジル先生が回収し、同じく腰が抜けて動けないトロワはラースが小脇に抱えて撤収。ベンテがギータに肩を貸して逃げ、最後にフィーアが触手を弾きながら扉の中に飛び込んだ。
「マーキングはした。トロワ閉めて」
「ノゾミの扉クローズ!」
迫る触手のドリルの先端が、閉じた扉に粉砕され転がった。が、すぐに黒い煙となってかき消えていった。
「ここは…」
スターリーナイトの面々とミユリ、ノイアが呆然と佇む中。
床にどさりと降ろされたトロワが大声で泣き始めた。
「うわあぁぁぁん。こ、怖かったよぉ。あんた、ラース生きてんの?お腹刺されてんじゃないわよ、バカね」
と、ラースの腕を引っ張りお腹の辺りをさする。
「生きてる。お前のおかげでな。トロワ」
ラースが珍しく笑みを見せ、それを見たトロワがまた大声で泣きだした。
「無理、あんなの無理に決まってんじゃない。バカなの。わうあぁぁぁん。もう嫌。無理だもん~」
そこは大きな山小屋のような室内で、リビングにはゆったりとしたソファセットがあり、大きな窓からはのどかな花畑が見えていた。
「トロワ、大丈夫。大丈夫だから」
レムが必死になだめようとしているが、トロワは泣き止まず。
「何か、腹立ってきた。ジジババ達に文句言ってくる」
と言うと、よろけながら立ち上がり、扉に向かって突進していった。
「ノゾミの扉村の集会所」
と叫んだ後に扉を開くと、そこはまたどこか別の場所に通じていた。
扉は開け放たれたまま。トロワの声が聞こえてくる。
『ちょっとおじいちゃん、全然言ってることと違うじゃん。あんなの無理だから。ジル先生もラースも全然弱いんだから。あんなのに勝てっこないわよ。無理だから』
『すまなかったな、トロワ。怖い思いをさせた』
『ごめんねえ、怖かったわねぇ』
『おばあちゃん…えーん、本当に怖かったよぉ』
『よしよし、お腹空いたでしょ。ご飯の用意してあるから』
山小屋に残されたフィーアが、扉に浮き上がった文字を見て声を上げた。
「サーヘルの村。嘘だろう」
開きっぱなしの扉を通り、山小屋に入って来たのは白髪の老人達だった。
「よお、お疲れさん」
フィーア達に声をかけたのは恰幅のいい老人で、名をエンリケと言う。エンリケを認めたフィーアとベンテとギータが慌ててマスクを取り跪く。それを見たノイアも慌ててギータ達に倣った。ミユリだけは腰が抜けていて、訳も分からず座り込んだまま。
「お久しぶりでございます、先王エンリケ様」
「止めてくれフィーア。ここはサーヘル。ただの隠居村だ。ここに住まう者は誰も家名も国名も持たないのがルール。今はただのジジイだよ」
「しかし、これは…」
「ふふ、驚いただろう。わし等もさ」