第17話 ダンジョン発生~~2週間
日本時間 2022年4月2日午前6時
ISS国際宇宙ステーションからは、その約10分間、地球全体が輝いて見えたと言います。
ISSはもちろん、世界中の全衛星が、ダンジョン発生を克明に記録しています。地上においても、世界中の至る所で観測し記録されました。
それらは全て、詳細な分析と研究の対象となりました。そして、人類が地球圏を越えてその文明の進出を検討仕始めた頃、学者達はついに、匙を投げるのでした。
「分からん物は分からん」
世界で最初に歓声が上がったのは、日本でした。川田総理が『私は福島第1に注目しています』と、表明していたからです。
6時になった瞬間、日本中が歓喜に包まれました。そして、更なる歓声が上がりました。廃炉措置中の原発の全てが輝いていたからです。そして、一部で悲鳴が上がりました。建設中の六ヶ所村再処理工場も輝いていたからです。
川田総理は倒れました。『1兆2千億円が…。1兆2千億円が…』と、うわごとのようにつぶやいていたそうです。悲鳴を上げ、膝から崩れ落ち、地に額を打ち、『日本の真の独立は去った』と呻いたと言う先々代総理大臣とは、理由が違うようですね。
日本はこの日、核兵器開発能力を事実上喪失しました。使用済み核燃料他、貯蔵されていた全ての低濃度処理核物質及び核廃棄物を失ったのです。
最初の惨劇は、ロシア連邦チェチェン共和国だったと言います。
ロシアの大統領に情報遮断を受けた、悲しき独裁者、チェチェンの狂犬でした。
ダンジョン発生時刻までに、ロシア・ウクライナ両軍共におおむね戦闘を停止しましたが、独自指揮権を持ち、なおかつ情報統制を受けたチェチェンの狂犬は止まりません。マリウポリの製鉄所を飲み込んで出現したダンジョンに対し、破壊を命令しました。そしてそれは、実行に移されたのです。
その瞬間、彼の部隊は極小ダンジョンにまみれ、ダンジョンから現れたピコピコ動く小さな銀色の人形に襲われました。目・口・鼻・耳・肛門などから侵入する人形は、どうやら人間の全てを吸収するようで、そこには服や装備品以外何も残りませんでした。人形達は整然とダンジョンに帰還しました。そして極小ダンジョンは消え去りました。
ロシアの国営放送が克明に記録しています。
惨劇はそれに止まりませんでした。彼の親衛隊の他、彼の政府職員や傘下企業経営者に、労働者の『家族』にまで及んでいたのです。この日チェチェン共和国は、全人口の実に1/5を失ったのです。
なお、製鉄所の地下核シェルターにいた人達は、気付けば、ダンジョンの6階層にある安全地帯にいたそうです。
ダンジョン発生初日の事です。
更なる惨劇は北朝鮮でした。
始まりは、全ての核兵器の喪失と言う混乱の最中に行われた、アメリカ合衆国大統領の短い会見でした。
ダンジョン発生から約3時間後、シャンパングラスを片手に会見場に現れた彼は、
「万歳!
地球に住まう全ての皆さん、地球人類は核の恐怖から解放されました!
アメリカ合衆国に、そして地球に!
乾杯!」
と、シャンパンを飲み干し、誰の問い掛けにも答えず、誰とも目を合わせる事なく、足早に会見場を後にしたのです。
この会見は、全世界に大混乱をもたらしました。この瞬間まで、核兵器とダンジョンを結び付けた意見は、一つとしてなかったのですから。
人類は気付きました。
神々に一杯食わされたと。
そして、そこまでヤバかったのだと。
「そんな事はない。ロシアの核兵器は全て万全である!」
激怒した表情のまま会見を開いたロシアの大統領以外には、核兵器喪失を否定する核保有国は出現しませんでした。
彼が真に冷静さを失ったのは、この時だけだったかもしれません。彼はついにダンジョンに喰われる事はありませんでしたが、この発言が彼の政治家としての生命を奪う事になります。
声明を出さなかった核保有国は3ヶ国。
イスラエルは、ダンジョンの独占を企図してパレスチナ人を排除し、ついには射殺します。ダンジョンは溢れ、全軍と治安部隊・首相・入れ知恵した前首相などを失い、この日の内に内戦に落ち入りました。
中国共産党政権は、混乱と情報の遮断により判然としませんが、イスラエルのような事が起こっていると、諸外国は考えています。
そして北朝鮮です。
事の発覚は、北朝鮮出稼ぎ労働者がダンジョンに喰われた事によります。韓国では、脱北者の一部・政権一部幹部・国会議員・民間活動家などがダンジョンに喰われました。
これを受け韓国は行動を開始します。
何度かの軍事行動の後、北朝鮮の併合を発表しました。建国以来の権利であると。
中国共産党政権は声明が出せる状態にはありません。人民解放軍が領空侵犯を繰り返しましたが、低調化し、やがてなくなりました。
恐ろしいのは、矯正施設や孤児などを合わせ、わずか数万人しか残されてはいなかったのです。
北朝鮮は、文字通り、国ごと消えたのです。
韓国は4日後、旧北朝鮮の保有した核兵器はダンジョンにより失われた、と発表します。しかし、ついに、何があったのかは判明しませんでした。
イランは、宗教指導者がダンジョンを異端と認定。大統領は宗教施設ではないと声明を発表。そのため一触即発の事態に落ち入ります。
事態を動かしたのはダンジョンでした。
革命防衛隊の乱暴な取締により死者を出すと、宗教指導者とその側近、そして革命防衛隊の全隊員がダンジョンに喰われ、内戦は回避されました。イスラム教法学者の権威が失墜し、大統領は憲法の暫定的部分停止を宣言。どうやら、イスラム色のもう少し薄い国へと変わるようです。
ダンジョン発生から5日後の事でした。
ウクライナでの戦闘は続いています。
ロシア軍はミサイルによる攻撃を停止しました。ミサイルの攻撃にダンジョンが巻き込まれると、司令官と実行部隊がダンジョンに喰われました。何度か再開されますが、その度にダンジョンに喰われ、完全停止に至るのです。
なぜなら、ダンジョンが攻撃に巻き込まれる度に、ダンジョンは増えます。攻撃の度に1万程度の極小ダンジョンが新たに発生します。極小ダンジョンの数はもはや10億近くに達すると思われ、事実上、有視界戦闘以外できなくなりました。
ダンジョン発生から7日目の事です。
こうなると、士気の強度が勝敗を決します。この日以降、ウクライナ軍の進撃が加速します。
ロシア高官は核兵器をちらつかせますが虚しいばかり。逆にウクライナ大統領に、
「撃て! キーウを吹き飛ばせ!」
と挑発される始末。もはや、ロシアを軍事大国と見なす国はありません。
ダンジョン発生9日目、EUはロシアからの全てのエネルギー輸入の停止を発表。ロシアは激しく反発するも、打つ手がありません。ハンガリーですら、かろうじてではあるものの、ジョージアからの迂回輸入と合わせてエネルギー自給が可能となったのです。
日本政府による技術協力の結果です。日本は、ダンジョンで取れるほぼ精製状態のなんちゃって石油・天然ガス資源の資源化について、全ての特許を獲得し、そのロイヤリティーを放棄したのです。更に、産業化における基礎的特許も獲得し、それもロイヤリティーを放棄したのです。全ては、一斉ダンジョン発生以前に完了していました。
川田総理の外交的勝利ですね、本人は病院のベッドでうなされていますが。
気が付くとエライことになっていたのがインドです。
インドはカースト毎に潰し相い、気が付いた時には、インド連邦政府がその活動を停止していました。残っているのは、カースト外にいる人々と、排除された低位カーストと女子供ばかりと言う有様です。
いつ始まり、いつ収束したのかも分からない混乱ぶりです。人口は、とても半減などではすまないでしょう。
同様の混乱を隣国が生じていなければ、亡国間違いなしの情勢です。
その隣国の一つパキスタンは、核兵器喪失を発表すると、イスラム原理主義勢力がダンジョンの異端を歌い、ダンジョンを攻撃して同調勢力と共に消滅しました。
この同調勢力に軍が多く、結果、カシミール獲得の機会を失いました。政府は、記録的な熱波の中、ダンジョンを福音として取り上げ、官民一体の開発を呼びかけました。
インドの混乱は収束の見込みがなく、カシミールについては急ぐ必要はない。と、国民に呼びかけて混乱を少しずつ収め、軍機構の再建を果たしたのが、ダンジョン発生から11日目でした。
ブラジルは、アマゾン先住民を排除しようとして森林開発をする農業生産業者が対立、業者側のことごとくがダンジョンに喰われて行く事となりました。
これを座視しない大統領は、非常事態を宣言。先住民をダンジョンから引きずり出して射殺。大統領他全軍の家族までがダンジョンに喰われました。ダンジョン発生から5日目のことです。
非常事態宣言に反対していた元老院議長は健在であり、彼を中心に少しずつ混乱を収めて行く事になります。
しかし、富裕層によるダンジョン囲い込みがアウト判定。多くの資本家や企業経営者を失い、ダンジョン開発のテコを欠き、マフィア抗争を勝利した一派が乱立して内戦状態に陥りました。
混乱の中、元老院議長が暗殺されたのが、ダンジョン発生から14日目のことです。
分かり安く混乱し、回復しつつあるのがベネズエラです。
ダンジョン発生当日、大統領は民衆を集めて演説、ダンジョンの国有化と管理を宣言します。そして、その場でダンジョンに喰われました。ダンジョンで取れた物は、全て、国で管理する。これはアウトでした。
大混乱の始まりですが、『前』暫定大統領が名乗りを上げ、民主派を取りまとめて空軍を掌握すると、流れが変わりました。少しずつ政庁を切り崩して混乱を治め、大統領選挙と議会選挙の日程を発表したのが、ダンジョン発生から14日目でした。
ダンジョン発生から14日ほどして、ようやく内情が分かってきたのが中国です。
共産党総書記が消えたのは、ダンジョン発生直後だったようです。しかし、共産党はダンジョンについて不関知としていました。
結果から見ると、ゼロコロナ政策がダンジョンとしては赦せるものではなかったようで、ダンジョン発生当初、保健関係者や都市封鎖要員の失踪が相次いでいます。ゼロコロナ政策の推進者は総書記でした。そして朝になって見れば、いなかった。朝、起きて来ない。失踪です。
国家元首失踪です。
捜索活動と政権闘争が相前後します。
ダンジョン政策は、全て後手に回ることになりました。
軍や党の少数民族に対する政策の転換ができませんでした。
共産党政権は、古い命令に縛られたまま、ダンジョンの蹂躙を受けたようです。そして、核兵器を飲み込んだダンジョンに、命令権限者不在のまま攻撃を開始した時、ダンジョンは溢れ、管轄も権限も関係なく人民解放軍はダンジョンに喰われて行きました。また、少数民族の排除しようとして、ダンジョンに喰われて行きました。
少数民族の同化排除とは、共産党政権全体の意思です。とは言え、同化施策は簡単ではない。軋轢が軋轢を生む。結果、ダンジョンの制裁は実に多方面に渡り、共産党員の全てに、国営企業の経営者に全従業員などもダンジョンに喰われました。テレビはブラックアウトしたまま戻らず、人々はSNS以外の情報源を失ったのです。
ここからが強かなのが中国でした。
人々は小さなコミュニティを維持して、情報収集を徹底します。やがて人々は、共産党政権も、人民解放軍も、もはや存在しないことを共有します。国有企業の経営陣も多くは存在しない。
いるのは誰だ。
民営企業のトップ達です。中国は企業連合国として合議で運営され始めました。トップである議長には、共産党に排除された中国最大の通販会社の元オーナー社長が据えられました。
彼らは決断を下します。
「もう費用対効果の合わない辺境は切り捨てよう。現時点で北京語が通じない地域は切り捨てよう」
基本エリアは、大連・上海・重慶・西安。このスクエアだ。いや、本当は、重慶辺りですら重荷だ。
ウイグル・内モンゴル・チベットの他、黒竜江省なども捨てられました。分かり安く、黄河文明圏と長江文明圏と香港周辺を合わせた範囲以外は切り捨てたのです。成都すら切り捨てました。物流が完結しえない地域は要らない。
企業連合国中国が外国に承認された時、ウイグルも女真にモンゴルもチベットも、チワン族もイ族も苗族も、独立していました。
この場合、中国が捨てた、と言うべきでしょう。
治安が良いとされた国は、おおむね混乱なく、ダンジョン社会に適応しています。
その中でも格段に混乱が少なかったのは、日本・韓国・台湾・キューバ・ラオス・ブータン・イタリア・スペイン・ルーマニア・ハンガリー・ポーランド・デンマークの他、太平洋諸島国家などの小国でした。
移民難民が多く、左右などの対立が多い国は、大なり小なり混乱と無縁ではいられませんでした。イギリス・フランス・ドイツ・カナダ・オーストラリア・ニュージーランドなどです。アメリカは内戦一歩手前にまでに至りましたが、前大統領が演説中にダンジョンに喰われた時、一気に沈静化に振れました。まあ、軍は結構な割合で消滅していますが。
とにかく、ダンジョンは管理しない。
資源区間は国有化の後、入札。
これでひとまずダンジョンは鎮まる。
後は人を治めれば良い。
今までと何も変わらないのだ。
情報統制などしていなければ
ロシアの統制は崩れ始めていました。
ロシアの大統領はダンジョンを放置しました。一部の部隊が核兵器を飲み込んだダンジョンを攻撃しましたが、大統領はダンジョンについて放置命令を出していたためか、部隊が喰われただけでした。
ウクライナ戦争は続いています。
ミサイルを使えば、数発にひとつはダンジョンを巻き込んで部隊が喰われました。戦車で都市攻撃をすれば、家々には極小ダンジョンがあって戦車兵は喰われました。その度に極小ダンジョンが発生します。もう、有視界で小銃を撃ち合うくらいしかできません。
ただでさえ低い士気は、地に落ちました。ストレスの捌け口を求めて、戦場の暴力は加速度的に悪化する。もう後送などしない。疑わしきは殺せ!
良識を捨てられない兵士達は、降伏するかダンジョンに逃げ込みました。引きずり出すような事をすれば、その兵士と命令者がダンジョンに喰われました。
ダンジョンに逃げ込んだ兵士達は気付きました。ダンジョンスマホはダンジョンの外でも使える。通信通話と物資トレード機能など以外の全てが機能しました。当然カメラも使えます。兵士達は発信を始めました。こっそりと撮影して、ダンジョンから発信する。後送されたウクライナ人の家には、必ず極小ダンジョンがあって、彼らはそこから経験談を語りました。
大統領の戦争の支持者は減って行きました。減って行かざるを得ませんでした。やっているのはただの強盗殺人ですから。
ジョージアにある南オセチア共和国の駐留軍が、ロシア国内へと引き上げました。南オセチアにてロシア人を名乗った者達が後に続きました。大統領は司令官を解任する以上の事が、できませんでした。
ダンジョン発生から14日目の事です。
この後、未だ核脅迫を続ける大統領は、外国からの核実験場の提供の申し出を捌けず、ついに、誰にも相手にされなくなります。
もう、誰も命令を聞きません。独裁者は地位を失う事なく、実権を失って行く事になります。
生かされているのは、国際法廷に掛けるスケープゴートがいるのです。政権幹部が生き残るために。
ダンジョン発生2週間、国際情勢は、おおよそ、このようになりました。