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伝説のテレビ番組、「シャボン玉ホリデー」と「夢であいましょう」が現在進行形だったころの私の夢想は果てもなし。

作者: 舜風人

伝説のテレビ番組、「シャボン玉ホリデー」と「夢であいましょう」

に対して楽曲を多く提供していた

中村八大と、永六輔がバリバリに活躍していたころ

わたしはすごい田舎に住んでいて家業は農家で、そして私は14才だったっけ


ラジオしかなかった我が村にも、、お大尽家(お金持ち)にはやっと、

テレビというものが

こんな草深い田舎にもやっと普及してきて、、、、、、、、、、


ついに、


貧乏農家の我が家にも、秋の収穫期の出荷の農協からの振込金が

結構多くて?それを頭金にして10か月月賦で、

街の電気商会から白黒テレビを買ったのです、

たしかまだカラーテレビはなかった?とおもいますよ。


そして、、、三球スーパーの真空管ラジオしかなかった

我が家の「すべてを」

テレビは劇的に変えてしまいました


忘れもしない、昭和36年。1961年、

我が家にテレビがやってきた、

草深い田舎の我が家にもやっとテレビが来たのだ。

その日からすべてが変わった。ビー玉メンコ少年はテレビ少年に大変身。


テレビワンダーランドに深く深くのめりこんでいってしまったのだ。


それまでは3球スーパーのラジオを囲んで音だけの世界。


「ニンボートンボーヤンボー」「新諸国物語・笛吹き童子」「オテナの塔」「紅孔雀」などを音だけで聞いて想像を膨らますというエンターティメントしかなかったわけだ。


ま、映画はあったが、そんなの町の映画館にいくなんて、、2ヶ月に1回も見られない。

そもそもビデオもDVDも、ましてやネットもケータイもない時代ですよ。


それが突如として、毎日好きなだけ映像がテレビで自由にしかも我が家でじかに見られるのだ。

こんな、大事件は無いのだ。


まずのめりこんだのが「隠密剣士」だ。これには完全にはまってしまった。


そして、「独眼流参上」極め付きは2大少年テレビドラマ、「少年ジェット」と「怪傑ハリマオ」だ。

ウーヤーターと超音波?で敵を倒す少年ジェットは私の王子様?だった。

あの、首のマフラーを翻して突っ走るスクーターもかっこよかったですよね。


そしてハリマオ、南海を舞台に大活躍するターバンとサングラスにしびれてしまいました。

この二つのテレビ連続ドラマの主題歌、自慢じゃないけど、今でもそらで全部歌えます。


ハリマオの主題歌は三橋美智也の渋い声が良かったですよね

わたしは毎日歌っていました。


そして、カルチャーショックは外国からも来たのです。

こんな土田舎の野生少年のもとにも「ララミー、、、ララミー、、、」の歌声に乗って。


それが始まると、、画面は馬が小川を渡るシーンです。そうです。「ララミー牧場」です。

これはもう次週が来るのが待ちきれずに一日千秋の思いで、首を長くして待ってみたものです。


ロバート・フラー良かったですよね、


そして「またお会いしましたね」「サヨナラサヨナラ」そうです淀川先生の迷解説?付きでした、


これは面白かったですね、これはある意味衝撃的な出会いでした。

これで私が映画少年になったとも言える出会いでした。


スクリーンやキネマ旬報を買い出したのも淀川先生のおかげです。


さらに、「ボナンザ」です。これはあの兄弟愛にしびれました。白髪のお父さん(ローン・グリーン)、良い味出してましたよね。

三人兄弟の

末っ子のジョー役の、あのヒョロヒョロの若い人、マイケル・ランドン


それがなんと、後日、、、「大草原の小さな家」のお父さんになるとはびっくりですよね。


マー、語りだせばいくらでも、1ケ月ぐらい語れそうな勢いですが、



本日の主題はタイトルの


伝説のテレビ番組、「シャボン玉ホリデー」と「夢であいましょう」なのです。、


まずはウイキペディアから引用して番組紹介しますね


『シャボン玉ホリデー』(シャボンだまホリデー)は、1961年6月4日から1972年10月1日、および1976年10月9日から1977年3月26日まで日本テレビで2期にわたって放送されていた音楽バラエティ番組である。



『夢であいましょう』(ゆめであいましょう)は、日本放送協会(NHK)のバラエティ番組。1961年4月8日から1966年4月2日まで毎週土曜日22時台に日比谷会館、日比谷第1スタジオ(H-1)から生放送されていた。「上を向いて歩こう」など数々のヒット曲を世に送り出した。



さてこの二つの番組って、、実は少年向け?ではありませんね?

まあどっちかといえば、若者(18歳くらい~)向けでしょうか?


でも姉たちが之を見て居たので必然的に私も見た、、ということになります、




この二つの番組ですけど今の言葉で言えば


いわゆる歌番組系のバラエティーですね


コントやトークがあってその間にオリジナル曲がはさまれて展開してゆくという

パターンです、

そのコントも当時としてはイケていて面白いんですよ、










☆「シャボン玉ホリデー」


では、、コント担当はもっぱら「クレイジーキャッツ」の面々でした、

当時こういうコントってなくって画期的だったと思いますよ、

いちいちそのコントを紹介はできませんが

今では倫理基準?で放送できないようなコントもいっぱいありましたよね

コントの詳しい内容はウイキをご参照くださいませ。



出演者は、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、


ザ・ピーナッツ

ハナ肇とクレージーキャッツ( - 1972年)

ハナ肇

植木等

谷啓

犬塚弘

桜井センリ

安田伸

石橋エータロー

白木秀雄 - 番組内でハナ肇とドラム合戦をしたこともある。

なべおさみ

松崎真

小島正雄

前田武彦

小松政夫

青島幸男

伊東ゆかり

中尾ミエ

園まり

布施明

玉川良一

藤村有弘

ダークダックス

スリーファンキーズ

ジャニーズ

ザ・タイガース[3]

ジャッキー吉川とブルーコメッツ - 最末期にレギュラーとなる。

井上順(1972年)


などなど、当時のもはや伝説化したようなタレントや歌手たちでしたね


オープニングは。シャボン玉が舞ってる背景でザ・ピーナッツが歌うシャボン玉ホリデーの歌


エンディングは街灯がほのかに照らす下でピーナッツが「スター・ダスト」を

切なくうたっています


そのほかはもちろんピーナッツのヒット曲が中心ですが

アメリカンポップスもいっぱい日本語バージョンで歌っていましたね



1.シャボン玉ホリデー/ザ・ピーナッツ※

2.林檎の木の下で/奥村 チヨ

3.ビギン・ザ・ビギン/梓 みちよ

4.テネシー・ワルツ/園 まり

5.ボタンとリボン/木の実 ナナ

6.二人でお茶を/梓 みちよ&田辺 靖雄

7.ケセラ・セラ/辺見 マリ

8.モナリザ/伊東 ゆかり

9.誰かが誰かを愛してる/平尾 昌晃

10.ダイアナ/平尾 昌晃

11.砂に書いたラブレター/田辺 靖雄

12.恋の片道切符/平尾 昌晃

13.シェリー/梓 みちよ


などなどでした、
























☆「夢であいましょう」


ではコントと言うよりは

トークが主体でその間にオリジナル曲がはさまれていましたね


出演者は、、、、、、、、、、、、、、、、


中嶋弘子

黒柳徹子

谷幹一

渥美清

E・H・エリック

岡田眞澄

坂本九

三木のり平

坂本スミ子

田辺靖雄

九重佑三子

西城慶子

ジャニーズ

デューク・エイセス  などでした、


その歌曲が印象的でして、、いまでもいくつか覚えていますね


上を向いて歩こう    坂本九

遠くへ行きたい     ジェリー藤尾

こんにちは赤ちゃん 梓みちよ

ウエディング・ドレス 九重佑三子

娘よ         益田喜頓


などなど、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、


そしてもちろん

番組のテーマ曲

「夢であいましょう」


この曲

ものがなしいような?

郷愁を誘うような

泣けてくるような、、、


ああ、、今、こんな音楽バラエティーってないよなあ














☆おわりに、、、、、、、、、、、、、




「やがて死ぬ気色も見えず蝉の声」  芭蕉



でも、、、、、、、、、、、、、、、、

これらの番組をその当時、ライブで

現在進行形で見てた人って

どれくらいいるんだろうか?

その当時10歳以上で、この番組が好きで?

わかってみてた人って全人口の何パーセント???

その人も

今は、もう、70才ですよね。

ということはかなりの少数派です、

かくいう私もその一人ですが、、、


ああ、、

おもいだすことみな、なつかしくって、でも?


もうそれらは現実にはどこにもなくって

死んじゃってる人ばっかりで??


ああ切ないよね?

アノ頃きみは

あんなに輝いて

きれいで

美声で

うたっていたというのに、


もう何処にいない

だって死んじゃってるから、




「過ぎ去りし日々の思い出霊祭」自詠




気が付けば


あれから、もう60年もの年月がたっていたんだね。


人の世の


哀れさよ、


アノ時、美声を響かせていた麗しの歌人も、

もう、どこにもいないのですね


そう、、、、、、、、、、、



とっくの昔に

亡くなってるんですね。



そう

もう誰もいない


どこにもいない




そうして


わたしだけが?


持病をかかえながらも


薬を毎日浴びるほど呑みながらも


かろうじて生きていて


こうして

つきせぬ

やるせないような


埒のないような


思い出を


徒に



紡いでいるというわけなのですね?














☆なお、番組自体の詳しい内容はウイキペディアなどをご参照下さいませ


































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