始まり 5
すぐに職員室についたものの、書類が散乱していたり、棚が倒れてたりと当時の状況を想像すると嫌なものしか思い浮かばない。
「これデス。」
ケヴィン先生がベランダに出ると、すでに使えるように階段の鎖が外されていて、何人か通った足跡が残っていた。
「ケヴィン先生!!」
階段の下から声がするので見てみれば、藍里とは別の学年の男性の先生が、手を振ってくれている。
「ゆっくり降りてください!」
梯子ではなく急な角度の階段なので相当慌てなければ転ぶことはない。私が先頭で階段を降りると、続けて藍里に一歩ずつゆっくり降りなさい、と伝えた。
怖がりながらもなんとか降りた藍里を抱きしめると、次に優芽ちゃんにおいでと声をかける。
「怖い。」
身体の震えが止まらないようで、一歩も足を前に出せずにいる。
「優芽!!!」
私の背後から優芽ちゃんのママが両手を差し出して階段に近づいてきた。
「お母さん!!」
自分の母親を見つけてようやく震えが止まったのか、慎重に1歩ずつ降りる。優芽ちゃんのママが中段まで駆け上って抱きあげ、すぐさま降りてくれた。
「良かった。」
「ありがとうございます!ありがとうございます!」
優芽ちゃんのママが娘を抱きしめたまま、顔を涙でぐしゃぐしゃにしながら私にお礼を言う。
「いえ、私よりも娘を。藍里が優芽ちゃんのことを話してくれなかったら、隠れているのすら気づいていませんでしたから。」
「藍里ちゃん!本当にありがとうね!」
ようやくホッとした笑みで藍里の頭をなでる優芽ちゃんのママ。それを横で見ていて内心ホッとした。
「化け物デス!!」
ケヴィン先生の声が聞こえ、全員が震え上がった。私はまだ降りてないケヴィン先生と紫苑に気づいて、バッと階段を見上げる。
「紫苑!」
階段の上り口にはケヴィン先生しか見えず、まだ職員室内にいるはずの紫苑の姿が見えない。慌てて階段を登ろうとすると、
「ダメです!お母さん!」
男性の先生に呼び止められるが、私は無視して階段を登ろうと足を踏み出した。
「大丈夫。」
紫苑の声が聞こえたかと思うと、パン!と破裂する音が聞こえて動きを止める。何事かともう一度階段を見上げると、紫苑とケヴィン先生が降りてくる。
「待たせた。」
紫苑は私に小さく笑うと、藍里を抱き上げた。
「今のでまた化け物が寄ってくる前に逃げるぞ。」
それだけ言って、先生方に会釈だけして早足で歩き出す紫苑。訳がわからなくて戸惑ったが、さっさと行ってしまう紫苑達に追いつくために、先生に会釈して歩き出した。
どうやら校舎にはもう以外はいないらしく、先生達も全員校庭へ移動を始める。担任の先生が戻ってきた私達に気づくと、藍里と優芽ちゃんの名前を呼ぶ。
「五十嵐先生!!」
「ごめんね!ごめんね!」
二人を抱きしめて涙を流す五十嵐先生。置いていったことを後悔しての涙なんだろう。藍里も優芽ちゃんも涙を浮かべつつも五十嵐先生を抱き返していた。
五十嵐先生の後ろから、他の先生が私達にランドセルを差し出した。今更藍里達が何も持っていなかったことに気づき、改めて先生達にお礼を言った。
「逃げるのに必死だったため、ランドセルを背負わせるのが間に合わなくて。本来ならランドセルよりも、藍里ちゃんと優芽ちゃんを守るべきだったのに。」
と先生達は何度も頭を下げて謝る。
「ありがとうございます。私達はこれで家に戻ります。どうか、先生もお気をつけて。」
私が声をかけるとまたね、と藍里を見送ってくれた五十嵐先生。まだお迎えが来ていない生徒と共に、他の先生たちも気を付けてと声をかけられる。
今度こそ離れないように藍里の手をしっかりと握ると、私達は有料駐車場へ向かうために校庭を後にした。
途中、藍里の同級生の親御さんたちとすれ違うも、普段のように挨拶などをしている余裕は互いになく、ひたすら早足で来た道を戻る。
「ママ。」
藍里が不安そうに横で話しかける。
「何?」
「おうち帰れるの?」
その言葉はとても重たく響いて聞こえて私は一瞬黙ってしまう。そのあと紫苑を見るも、彼は背中しか見せずに喋ろうともしない。
こういう時どんな言葉をかけていいか、悩んでいるうちに車に戻ってきた。
「帰ろう。おばあちゃんやハクが待ってるよ。」
もうそういうしかなく、何とか無理やり笑ったもののぎこちなさすぎたのか、藍里は不安げな顔で頷くだけだった。
車に乗り込んでから駐車場を出るタイミングで、小学校の校庭からまた激しい爆発音が聞こえて、そちらに視線を向けるも、動き出した車の角度から校庭が見えなくなってしまった。
「先生達、大丈夫かな。」
「藍里、座ってろ。」
藍里はなんとか背後を見ようとしたが、紫苑に注意されて渋々座りなおした。今にも泣きそうな顔になりかけた藍里を見て、私はとっさに、
「そこのバッグにお菓子あるから、ちょっとだけ食べていいからね。」
と伝えると、藍里はチラッとバッグを見た後、大好物でもあるグミの袋を見つけて、さっと手に取った。袋を開けて中を食べるのをバックミラー越しに確認して、私もウーロン茶を口にする。
「紫苑は?」
「藍里、俺にもくれ。」
「あ、ママも欲しいから貸して。」
と運転しながら紫苑が言うと、藍里ははいっと袋ごと私に手渡した。受け取った私は紫苑に一つ手渡しすると、自分も一つ口に入れた。
車内は何とかそれで空気が緩和された気がした。
小学校から車なら数分で着く我が家の周りには不気味な雰囲気に満ちていた。
近くには私のお気に入りのコンビニやスーパーがあるので平日でも人通りはあるのにも関わらず、道路にヒビが入っていたり、歩道に乗り捨てられた自転車があったり、と異様すぎた。
何より、小学校を出てから誰にも会っていないのが却って怖さを深める。
ようやく我が家に近くに行くと、異様な光景は目で見てわかる状態になっていた。
「な、な?」
我が家の周辺だけ、何故か森に変わっていた。
木が密集して敷地の境界に生えていて、しかも整列している。まるで壁のようだった。木の背丈は3m近くもあり、生い茂っている葉が日光を遮ってしまっていて、そのすごさで語彙力が失われていた。
駐車場もその木に阻まれていて、停めることもできずにとりあえず車を道路の端に停める。
「何でここだけ?」
「―――なるほど。」
紫苑がそれだけ呟くと、スマホを取り出して操作を始めた。すると私のスマホもチャット通知の振動が来たので、スマホの画面に目を向ける。
『紫苑:お袋、着いた。外の木、どかせるだろ?』
『玲子:やっと帰ってきた!もう!心配が先でしょ!(怒)』
『紫苑:どかせるだろ?』
『玲子:もう!そういう所は死んだ父さんに似て!』
『紫苑:はよ。』
と親子のやり取りよりも、紫苑のチャットの内容に疑問で頭がいっぱいになっていく。
「ママ!見てみて!」
藍里の声でハッとスマホから指差された方に視線を向けると、先程まで壁となっていた木がいつの間にやら消えていて、私の車とお義母さんの車が停まってる我が家の駐車場が見えたのだ。
「え?え??」
「木がね!カーテンみたいに移動してすごかったよ!」
「え?は?ごめん、何を言っているのか―――。」
問いかけるも紫苑が車を操作し始めた為に、エンジン音で続きが言えなくなり、私は口をつぐんだ。車をいつもの場所に駐車すると、先程藍里が言った通りに木がカーテンのように移動し、道路から車を覆い隠してしまった。
「ね!ね?」
「―――何なの、ホントに。」
私が頭を抱えつつも助手席から降りると、きゃん!と愛らしく吠える声が聞こえた。
「ハクぅ!」
藍里が声をかけると嬉しそうに駆け寄ってきたのは、白い毛並みの愛犬ハクだった。藍里が抱き着くと顔をペロペロ舐めて喜んでいた。
「無事だったのね!藍里ちゃん!」
「おばあちゃん!!!」
玄関からお義母さんが出てくると、藍里はハクを離してそちらに抱きついた。目に涙をためた表情でお義母さんは藍里を抱きしめる姿を見てようやくホッとした。
「お義母さんも無事で良かったです。」
「ゆかりちゃんも。さ、家に入りましょう。」
手招きして家の中に誘導されると、つい2時間も前に出たばかりの家の玄関を見て、数年ぶりに帰ってきたような気持で胸が詰まった。