夏は胎動する
今年は暖冬だった。そのせいか、春一番の風とそれに便乗した花粉も早くやって来た。
「ほら、また動いたよ」
私の言葉に、彼がまともに答えることはない。
ふうん、そうなんだ。へえ、すごいね。
彼は私の目を見ることもせず、決まって何かの片手間で、上の空だった。
もっと前の彼なら、浮かれていたかもしれない。初めて分かったその日に名前を決めていたくらいだ。
「夏」
彼が言うことには、きっと夏に生まれてくるだろうからちょうど合っているということだった。安直でひねりがない思い付きが、実に彼らしかった。
もし日がずれて春になったらどうするの、と聞くと、最近は温暖化で春も夏みたいだから大丈夫と答えていた。以前の彼は、そんな人だった。
ほどなくして、彼は変わってしまった。赤の他人から見れば、些細な違いだったかもしれない。少しずつ、日がたつにつれ、彼は彼ではなくなった。
実感を噛み締めているところなんだ。
彼はそういう言い訳じみた言葉をよく口にした。果たして、本当にそうなのだろうか。
季節が移り変わる度に、私の苦しさは増していった。暑いね、今日はしんどいね。答えてくれない彼の代わりに、私は夏に語りかけるようになった。
ある時、彼は私に、最近は冷たくなったねと言ってきた。目線を合わせず、小さなため息が混ざった。
私が?それはあなたのほうでしょ?もう少し、私の気持ちも分かってよ。思わず、声が出た。
ほら。君は変わってしまった。そう呟いた彼はやはり、目線を合わせてくれなかった。
夏が、彼を変えてしまった。彼は夏を迎えるのが怖いんだ。本当は。めっきり暑くなった産院の片隅で、私はひどく傷つく気持ちになった。でも、頑張らないと。そうだよね。一緒に頑張ろうね。そう呟くと、夏は胎動した。