第8話 本物と偽物
翌日、アザリア学園にて、昼休み。今日はザカリーが体調不良で休んでいるのでルーカスは放課後、姉に一緒に帰るよう頼もうとして、その姿を探していた。
「……今日は外出てないのかな……」
見回した校庭には、姉の姿は見当たらない。いつもはいるのにな、と彼は校庭を歩く。
ルーカスはクラスで人気者ではあるが、親友と呼べる存在は少ない。いるとしたら、ザカリーだ。
「あら、ルーカス君」
「!」
聞き覚えのある声がして振り向くと、いつもソニアと一緒にいる、ルーシーとライリーが立っていた。
「……こんにちは」
「今日はあの子は?」
「えっと……ザックは休みで」
「そう。ソニアを探してるの?」
「はい……どこにいるか知りませんか?」
歳上なので、一応敬語である。
「ソニアなら教室でリノと勉強してたわ、熱心だったから放っておいたの」
「あー……」
ルーカスには理解出来ないくらい、ソニアは勉強熱心である。学ぶ事が好きらしい。勿論成績も良い。
「何か用なら私が伝えておくわ」
「あ、お願いします」
生徒は自分の校舎以外には入れない規則だ。会うには共用スペースである校庭に来るしかない。伝言を頼めるのなら、それでいいかと思った。
「放課後、いっしょに帰ってって……伝えて下さい」
「分かったわ」
少し気恥ずかしさがあったが、ルーシーが普通にそう頷いてくれたのでホッとした。
ふと、彼女達を見て思う。とてもそっくりだな、と。
そのまじまじとした視線に気付いて、ライリーが言う。
「どうしたの?」
「え、あ……えっと、そっくりだなぁって」
「僕達?」
「双子だもの、当然よ」
「二卵性だけどね……」
得意げなルーシーに、ライリーがそうツッコんだ。
「兄妹は似てるものよ」
「ルーシー」
「あっ」
「?」
ルーカスは二人の会話に首を傾げる。何だろう。と、そう思いつつ、自分達の事を考えた。
姉はサラサラとした栗色の髪と、澄んだ青い瞳をしている。一方で自分は癖のある黒髪と、紫の瞳。左目の下には母と似た泣き黒子がある。
昔から似てないとは思っていたが、そういうものなのかと思っていた。
「………じゃあ、伝言お願いします」
「あ、うん」
ルーカスは二人の元を離れた。モヤモヤとしたものが胸を渦巻く。まさか、いや、だって。
「……ルーカス君大丈夫かしら」
「…………ルーシーの馬鹿」
「何よぉ……」
ルーシーとライリーはその小さな背中を見送る。ルーシーは罪悪感でいっぱいの顔をしていた。
「彼、多分知らないよ。ソニアと本当の姉弟じゃない事」
「えっ」
「知ってても傷付いたかもしれないけどね、あれは」
「ライリー……」
はぁ、とライリーはため息を吐いた。
「まぁ……僕らが口を出せるような問題じゃないけどね」
「ソニアまで傷付けちゃったらどうしよう」
「ルーシーは本当に後先考えないな」
「…………ゴメン」
「僕に謝ってどうするのさ」
「……」
黙ったルーシーの頭にライリーはポン、と手を置いた。
「……まぁ、謝れるだけルーシーは成長したよね」
「何よもぉ……歳上みたいに……」
「僕の方が少しだけお兄ちゃんだし」
チャイムが鳴る。始業10分前だ。そろそろ教室へ戻らなければならない。
「……急ぎましょ、今の間に伝言伝えなきゃ」
「そうだね」
そう言って、二人は校舎の方へと早足で歩き出した。
*****
その日の夜、ルーカスはいつものように父と風呂に入っていた。そう大きいわけでもない湯船に向かい合わせになっている。
「……どうした、何か元気ないな」
ローエンがそう言う。うん、とルーカスは頷いた。声は浴室に反響して、湯気の中にボヤけた。
見慣れた父の体は自分の子供の体とは比べ物にならないくらいたくましく、傷だらけだった。何の傷かは分からない。肌に馴染んだ古傷ばかりだ。今の父の仕事の全容も、それ以前に何をしていたのかもルーカスは知らない。父の事も母の事も、そして姉の事すら自分はよく知らないことに気付いた。
まだこの世に生を受けて8年と少し、当たり前と言えば当たり前なのだろうが。
鏡に映る自分の顔を見、そして眼前の父の顔と見比べた。
今まであまり気にはしていなかったのだが、髪色と質は父のものだと分かった。母には泣き黒子があるし、瞳の色も紫色だから、長い睫毛とそれは母のものだと分かる。似ている。……これが、家族なのだとルーカスは感じた。だが。
「……姉ちゃんてさ、だれともにてないよね」
「!」
「かみの毛も、目も、色がちがうし顔も……」
そこまで言って、ルーカスは父の顔を伺った。彼は何とも言えない顔をしていた。それはどこか悲しそうで、怒っているようにも見えた。
「……父さん?」
父は一つ呼吸を置いて、慎重な様子で言葉を並べた。
「ソニアは間違いなく俺達の娘だ」
「!」
「それは間違いない」
堅い、真剣な声だった。ルーカスはどきりとする。いけない事を聞いてしまっただろうか、父は果たして、怒っているのだろうか?
「……改めて口に出すと不思議な気持ちになるな」
「…………え?」
「まぁ、いつかは話そうと思ってた事だ。お前が知りたいなら話してやる」
と、少し声の調子が柔らかくなる。だが、それでも表情が少し堅い。
「……うん」
ルーカスは頷いた。すると、ローエンは重々しく口を開いた。
「俺とヴェローナの間に生まれたのは、お前が初めてだ」
「……えっ」
「ソニアは孤児でな、お前が生まれる一年程前に俺の元へ来た。…………あいつの本当の親はもういないんだ」
ローエンの言葉は、浴室で反響して湯気の中へ溶けてしまった。ルーカスは呆けた顔をして、開いた口を何とか動かした。
「じゃ、じゃあ、姉ちゃんは」
「血が繋がってなけりゃ姉弟じゃないってか?」
「!」
「……俺は、ソニアの事もお前の事も同じくらい大切だ。良いかルーカス、元々家族なんてのは赤の他人から始まるんだよ。俺とヴェローナだって、そうだ」
父の言うことは、ルーカスには少し難しかった。まず、そもそも思考が追いついて来ない。
「ソニアはお前が生まれた時からお前を見て来たし、あいつだってお前の事は弟だと思ってる。血の繋がりなんて些細な事だろ、愛情さえあればどうにでもなる」
そうか、似てないと思ったらそういう事か、とルーカスは思った。確かに彼女は自分にとって姉だった。まだ短い人生の中、ずっと姉だと思ってソニアと接し、育って来た。
しかしそれ故か、騙されていた、という考えが湧いた。
「……姉ちゃんは本当の姉ちゃんじゃなかったんだ」
「ルーカス……」
「ずっとウソついてたんだ」
俯くルーカスに、ローエンが言う。
「……お前が大きくなってから言うつもりだった」
「いっしょだよそんなの!」
わん、と声が響いた。勢いで上がった視線が、父とぶつかった。その時ハッとした。父が、あまりにも悲しそうな目をしているものだから。
「…………おれ」
「無理にすぐ受け入れろとは言わない、そりゃ驚くよな。……でも、ソニアを傷付ける様な事だけはするな」
「!」
「頼む」
「…………うん」
姉の事は、好きじゃない。時々意地悪するし、偉そうなところもあるし。だが、心の底から憎くはない。だからこそだろうか、こんな気持ちになるのは。
「……のぼせるぞ、上がろう」
「うん」
ざば、とローエンが立ち上がったのについて、ルーカスも上がる。その時少し、立ちくらみがした。
*****
翌日。早くも復帰して来たザカリーと、ルーカスは校庭の芝生の上に座っていた。いつも通りの昼休み。だが、いつもよりルーカスの元気が無いのに気が付いて、ザカリーが言う。
「……どうかした?」
「うん……」
「昨日ぼくがいなかったから?」
「ちがうよ……まぁ、さみしかったけどさ」
三角座りの腕に、顎を乗せた。ザカリーは首を傾げる。
「君が落ちこんでるのはめずらしい」
「そうかな……」
「君はいつも元気だから」
「お前はいつも元気なさそう」
「……そうかな?」
「そうだよ」
ふう、とルーカスはため息を吐いた。
「……おれの姉ちゃん、本当の姉ちゃんじゃないんだってさ」
「え?」
「全然にてないだろ、おれたち。何でかなって思ったら、父さんが」
ザカリーはうーん、と右上を向いた後、ふいとどこか遠くを見た。ルーカスは気にせず続ける。
「変だよな……他人じゃん、ずーっと姉ちゃんだと思ってすごしてきたんだぜ……」
「……変じゃないよ」
ザカリーが、ルーカスの方を見ないままいう。
「ルーのお姉さんはルーのお姉さんだよ」
「…………なんだよそれ」
「なんにも変じゃない」
そして、ザカリーはルーカスの方を見た。
「ぼくの家族の方が、おかしいよ」
「!」
「ぼくには、いるはずの父さんがいないんだもの」
「……」
「母さんとぼくだけ。弟や妹も、出来ないんだ」
「ザック……」
ルーカスは、折り畳んでいた膝を解いて、俯いた。
「……ごめん」
「どうしてあやまるの」
「…………おれさ、自分のことばっかりで」
「ううん」
ザカリーは首を振る。気にしてないよ、と言う様に。
「ぼくは、父さんのことを母さんに聞いても、教えてもらえないんだ。多分、何かあるんだと思う。……君のお父さんなら教えてくれるかな?」
「……知りたいの?」
「……ううん、やっぱり今はまだいいや」
そういえば、父の事も気になる。どうしてあんなに、傷だらけの体をしているのか……とか。
「……おれたち、知らないことばかりだな」
「そうだね」
「…………早く大人になりたい」
風が吹く。今日も姉の姿は校庭に見当たらない。
今日帰ったら、彼女に伝えようと思った。自分の、素直な気持ちを。
*****
「姉ちゃん」
夕食後、ルーカスは部屋の前で、自室に入ろうとするソニアを引き止めた。
「……なぁに?」
ソニアが振り向いて弟を見下ろすと、ルーカスは一瞬やっぱりやめようか、と思った。だが、意を決して口を開く。
「おれさ、父さんに聞いたんだ」
「……何を?」
「姉ちゃんの本当のこと」
それを聞いてソニアは驚き、そして不安そうな顔をした。ルーカスは慌てて続ける。
「おれは姉ちゃんの弟だから!」
「!」
「…………姉ちゃんは、おれの姉ちゃんだから」
声が最後、小さくなった。何故だか目頭が熱くなった。じわ、と視界がぼやけた時、ソニアが軽くルーカスの額を小突いた。
「何泣いてんのよ」
「な、泣いてない!」
目の周りをごしごしと拭う。と、ソニアがしゃがんで視線を合わせて来た。
「……ありがとう、ルー。……私ね、正直不安だったの」
「!」
「隠しててごめんね」
ソニアは申し訳無さそうに笑った。ルーカスがぶんぶんと首を横に振ると、ソニアがその頭に手を優しく置いた。
「でもさ、知ったところで何も変わらないじゃない?」
「…………うん」
「あのね、私がお父さんとお母さんに、弟か妹が欲しいって言ったの」
「!」
「だからルーは、私の弟なんだよ」
「……なんだよそれ……」
「えへへ」
「…………姉ちゃんはつらくないの」
「どうして?」
「……ほんとうの家族がいなくて」
ルーカスが言うと、ソニアはきょとんとした。そして、ふっという笑みを漏らした。
「な、何」
「今の家族が本当の家族だもん」
「!」
「今はね」
と、ソニアは立ち上がると、自分の部屋へ引っ込んで行った。ルーカスはしばらくその、姉の消えたドアの方を見ていたが、自分も自室へと入った。
いつものようにベッドの上にダイブした。
(……変な家族)
ルーカスはそう思った。父はソニアが来たのはルーカスが生まれる一年前だと言っていた。自分とソニアは、両親の下にいる時間はそんなに大差ないのだ。
(姉ちゃんは、それまでどうしてたんだろう)
孤児だったと、父は言っていた。孤児、という言葉は学校で聞いた覚えがある。親がいない子供の事だ。それは知っている。……でも。
(おれ、ほんとに何も知らないな……)
親の事だけじゃない、姉の事すらロクに知らない。一番近い存在であるはずなのに、どうして知らない事がいっぱいあるのだろうとルーカスは不安に思った。
(大きくなったら、教えてくれるのかな)
父が何をしていた人なのか、何をしているのか、母とどうやって出会ったのか、そして、姉が今の自分と同じ歳頃までどこでどうやって過ごしていたのか。
知りたい、と強く思った。だが、まだ聞くべきではないとどこかで思っていた。
まだ、全てを理解するには幼すぎる。
今はただ、この家族の中にいる事を嬉しく思おう。良い父と母と、姉の下に生まれて来た事を。
考えるのに疲れて、ルーカスは目を瞑った。布団が心地よく、そのまま寝てしまいそうだった。やがて父が風呂に呼びに来るだろう。それまで、寝てしまおう。
そう思った途端、意識が沈んで行く。心配事が一つ消えて、心の緊張がほぐれたようだった。
#8 END




