第7話 縁
「あのね、AFTに教会を使わせて欲しいの」
その日の夜のうちに、ソニアはローエンに相談した。今ヴェローナは風呂に入り、ルーカスは自分の部屋で何かしている。
ソファで携帯をいじっていたローエンは、隣に座るソニアの言葉に首を傾げる。
「……教会?」
「今誰も使ってないでしょ?」
「そうだけど……俺に言われてもな。ニコラス神父に管理任せてるし」
「学長さんにも相談には行くつもりだけど、お父さんにも言っといた方がいいかなぁって」
「……まぁ確かに、勝手に拠点になってても困ったかも……」
時々ローエンはあの教会の前を通る。礼拝堂の鍵は閉まっているし、鍵はローエンは持っていない。
「綺麗に使うんだよな?」
「当たり前じゃん」
「まぁ、使う奴がいた方が管理も楽になるけど」
「学長さんってどうやって教会と学校行き来してるの?」
「定期的に俺が護衛しつつ掃除に行ってる」
「そうだったんだ」
「月2くらいかな」
中に入るのはその時くらいだ。油断するとすぐに蜘蛛の巣が張る。ステンドグラスの清掃は、おおよそローエンがやっている。ニコラスの老体に高い所は登らせられない。
……アクバールがいた頃は、時々グラナートがやっていたような記憶がある。
(…………懐かしいな)
ずき、と心が痛んだ。もう10年も経つのに。
「……お父さん、大丈夫?」
「ん?あぁ」
「そっか。……じゃあ、教会使ってもいい?」
「いいんじゃねェかな、多分。その方があいつも喜ぶだろうし…………」
「あいつ?」
「……アクバール」
「あぁ」
時々、教会を訪れると彼が壇上に立っているような気がする。もしかすると、本当に幽霊が住み着いているのかもしれない。……もしローエンが会ったら、何をされるか分かったものではないが。
「あと……」
「なあに?」
「教会使うなら、俺を雇えってアントニオに言っとけ」
「え、トニーに?」
「……俺もボランティアでいてやる。護衛で」
これを好機と踏んだ。リアンに言われた通り、彼らの中に潜り込む為に。
「でもお父さん仕事は」
「毎日やる訳でもねェんだろ。仕事の一環だと思えば大した事ない。探偵もそこまで忙しくねェし」
というか、街の依頼は全てリアンに任せてしまっているのだ。自分はボランティア団体の調査をしていればいい。それが本来の目的だ。
「……分かった。その方が心強いもんね!」
スラムに慣れた父がいてくれるのなら、これほど心強い事はない。きっとアントニオも許してくれるだろうとそう思った。
「お風呂上がったわよー」
「あ、はーい、次私ー」
ヴェローナの声に、ソニアは反応して風呂場へ駆けて行った。ふう、とため息を吐いて、ローエンはソファへ体を沈めた。今日も疲れた。
と、目を瞑ると瞼越しに照明の灯りが遮られるのを感じた。
「……肩揉みでもしましょうか、旦那様?」
茶化したヴェローナの声だ。乾き切っていない髪から水がポタポタと落ちて来る。
「…………冷たい……」
「あら、折角言ってるのに」
「じゃなくて、ちゃんと髪乾かせよ」
と、目を開けるとヴェローナと目があった。垂れて来る前髪が邪魔だ。
「……ボタン掛け違えてる」
「えっ、嘘」
「嘘」
「馬鹿」
ヴェローナがローエンの髪を摘んで引っ張ったので、彼はイテテと呻いた。
体を起こしたヴェローナは、肩にかけたままだったタオルで髪を拭く。
「……面倒だから髪切ろうかしら」
「好きにしたらいいよ」
「あら、『長い方が良い』とか言うのかと思ってた」
「髪型で人格が変わるわけでもなし」
「……そんなこと言っちゃって」
「俺はお前の見た目も好きだけど、それだけじゃないって事」
「…………あんたって馬鹿」
「まぁそりゃ、髪長い方が俺は好きだけど」
と、ローエンは見上げるようにして背後のヴェローナを見た。
「……夏にちょっと短くしようかしら」
「仕事先に怒られないか?」
「相談はしてみるわ」
「あ、でも毛の矯正はするなよ」
「……私にストレートは似合わないって事?」
ヴェローナの髪はウェーブのかかった癖毛である。
「絶対癖毛のままがいい」
「はいはい」
まぁ元々直す気は無いが。ローエンが言うのならこれからもそうするつもりは無い。
ヴェローナはソファを回って来て、ローエンの隣に座った。
「今日は何してたの?」
「調査」
「何の?」
「それは言えない」
「ケチ」
「仕事のルールだから。事がややこしくならないように、依頼内容は第三者には教えない」
「…………真面目ねェ」
「当たり前だ」
「……たまには肩の力抜きなさいよ」
「この前そうした所だ」
「……あんたこの前はよくも」
「久し振りだったから勢いがノッちまって」
しれっとした様子で彼が言うので、ヴェローナは頰を膨らませる。その様子に気付いたローエンは、ちょいと人差し指で膨らんだ頰を突いて言う。
「何だよ」
「あんたのそういうとこムカつく……」
「それでも嫌われない自信はある」
「ナルシスト」
「気持ちいいのは好きだろ、お前」
「痛いのは何だって嫌ですう」
「……勢いがノッたんだって、お前が攻めるから」
「あんたが珍しく大人しかったから好きにしてやろうと思ったのに、結局アレだから仕返しよ仕返し」
「じゃあ自業自得か」
「違うし!」
というか、とヴェローナはムキになって言う。
「ソニアが聞こえてたって言ってた!」
正確にはそう直接言ってはいないのだが。
「……知ってた」
「知ってた⁈」
「夜中あいつ起きて下降りてってたし……」
「きっ、気付いてて」
「いや、俺も正気なら『やべ』って思ったろうけど」
「あぁんた……」
「お前のせいだし……」
ふい、と顔を逸らすローエン。ヴェローナは大きなため息を吐く。
「……ソニアも思春期なんだから」
「……そうだな」
思春期と言えば。ソニアの近くには男子が何人かいるが、どうなのだろう。
付き合いの長いライリーとか、あとはアントニオとか。
(ライリーは少なくとも友人だろなぁ……)
彼はソニアの好きなタイプではないだろうと、時折見た様子からそう推測した。
(……アントニオは?)
再会したかつての友達。あの日遊んだ時間は短かったけれど、随分と仲良くなったようだ。……再会して今は?
「……てかソニア、思春期って言っても反抗期感は無いな」
「そう言えばそうね」
至って素直な娘である。父親であるローエンの事も相変わらず好いている。
「……俺の事、友達みたいに思ってる訳じゃ無いよなぁ」
「それは無いんじゃない?」
「まぁ、昔から変わった子ではあるけど……」
その時風呂場の方からペタペタと足音が近づいて来たので、二人はそちらの方を向いた。すると、ひょっこりと頭にタオルを被った寝間着姿のソニアが顔を出した。
「上がったよー、次」
「へいよ」
ローエンはソファから立ち上がる。
「ルーカスの奴寝てねェかな?」
「さぁ」
ソニアの横を通り過ぎて、ローエンはルーカスの部屋へと階段を上って行った。まだ小さいルーカスとローエンはいつも風呂は一緒である。
「……何か話してた?」
リビングに残る女二人。ソニアは首を傾げてそう言う。
「あなたの事」
「えー」
笑って言うヴェローナに、ソニアはそう返して少し引いた。
「ソニアはまだ彼氏とかいないの?」
「彼氏?…………いや……」
「ライリー君とかは?」
「ライリーは違うよー、そもそもあまり男の子として見てないと言うか」
「アハハ……何か分かるわそれ」
「だからと言って女の子として見てる訳でも無いけど……」
うーん、とソニアは口を尖らせる。まぁ、少なくとも恋愛対象としては見ていないという事だ。
「私お父さんみたいなのが好きだし」
「あらあら」
「カッコよくて強くて。……あ、でも女たらしな所とかはいらないかな」
「それはそうね」
「…………お母さん、よく付き合ってたね……」
「まぁ、出会いがそんな所だったからねえ」
懐かしい。初対面のあの日。第一印象はあまり良くはなかったというのを覚えている。生意気そうな顔をして、気障で、やっぱり性格も生意気で。恥じらいは欠片もなく、二十歳少し過ぎにも関わらず慣れ過ぎていてつまらない、と初めは感じていた。
だが、それはやがて刺激に変わって行った。彼も彼女も、お互いに特に惹かれていた。数多の異性との付き合いがある中で。
「……繋げてくれたのはあなたよ」
「え」
「じゃなきゃきっと、今も彼は誰のものでもなかったはず」
「…………」
「今この家族でいれて、私は幸せだわ」
笑うヴェローナ。ソニアは気恥ずかしさに俯いた。
「……わ、私今日はもう寝るね!おやすみ」
「あら、おやすみなさい」
去って行くソニア。階段でローエンとルーカスと鉢合わせたらしく、何やら声がしていた。
(……私も今日はさっさと寝ようかしら)
ふあ、と欠伸をする。今日は特に何をしていた訳でも無いが、なんだか眠い。
伸びをして、ヴェローナは立ち上がった。そして彼女もまた、寝室へと階段を上って行った。
*****
「教会をボランティアに使わせて欲しい?」
「はい」
翌日、放課後の学長室。ソニアは一人で来ていた。
ニコラスは80歳を越え、ますます白髪としわが増えているが、まだ元気そうである。
執務机越しに彼は、戸惑った様な顔をして言う。
「……私は構わないが、ローエン君は」
「父からも了承を得ています」
「…………そうかね。なら良いよ、折角の立派な教会だ、使ってくれる人がいる方が良いだろう」
「本当ですか!」
「あぁ、正直私も管理には骨を折っていてね。友人の遺したものだから、守ってやりたい気持ちはあるのだがどうも体が追いつかん」
「……スラムも危ないですし…………」
「あぁ。だからローエン君に護衛を頼んでいるのだが、いやはや、彼がいるだけでなかなか虫は寄り付かぬものだね」
「あはは……」
「時折絡まれる事もあるが、大事には至らんよ」
父の名は未だ健在か、とソニアは思った。近頃スラムには近付いていない。今はどんな感じなんだろうと、気になった。
「君達も……ボランティアだったかね。良い活動だが、自分達の事も十分に気にかけなさい」
「はい」
ソニアが答えると、ニコラスは柔らかな笑みを浮かべる。
「私も力になれる事があれば協力しよう、こんな老体だが、出来る事が無いわけでもない。教会について困った事があれば、いつでも相談に乗る」
「……はい!」
「あぁそうだ、これを」
と、ニコラスは離れていたソニアを手で呼び寄せ、手を出させてその上に何かを置いた。見れば、それは鍵だった。
「教会の鍵だ、私が預かっていた。君に渡しておこう。失くさない様に気をつけなさい」
「ありがとうございます……」
「礼など構わんよ。私も大いに助かる」
と、そう言ってニコラスは嬉しそうな顔をして、机の上で手を組んだ。
「……アクバール君は、確かに奇妙な人物であったが、そのスラムの人々への愛は本物だったと私は思う。だから、彼らを助けてやる人達があの教会を使うのならきっと、彼も喜ぶだろう」
「…………はい!」
「君達に神の御加護のあらん事を」
ソニアはニコラスに頭を下げ、踵を返す。手には教会の鍵を握りしめ、ウキウキした気持ちで学長室を後にした。
*****
二時間後、教会。開放された礼拝堂の中にはAFTメンバー全員と、そしてローエンがいた。
「……何であいつがいんの?」
「……それは……」
首を傾げて言うアントニオに困り、ソニアはローエンを見た。
「……随分と見違えたな」
「あんたは気持ち悪いくらい変わらないな……」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
ふう、とローエンはため息を吐いて、それから言った。
「さて。一つ提案だアントニオ、俺を護衛として使え」
「は?」
唐突な言葉に怪訝な顔をするアントニオ。ローエンは彼を指差した。
「いくらか危険な目に遭ったことは?」
「そりゃたくさん……」
「なら護衛がいた方が安心だろ」
と、そう言って自分を指差す。
「ソニアも今はいくらか腕が立つが、まぁそんな甘っちょろい奴らばかりじゃない。ここ最近スラムもますます荒れてんだ。下手すりゃ死ぬぞ」
「…………俺らだってそんな馬鹿じゃねェし」
「少しは強くなったのか、騎士様」
「んなっ!」
「……あれ、違ったか、王子だっけ」
「てめっ……ばっ!」
「んー、俺ならここで手ェ出すとこだけど、まぁそこまで短気じゃ無いよなぁ」
「お前……馬鹿にしてんのか」
「別に」
ローエンは肩を竦める。少しからかったつもりだった。
「……て言うか……この人誰?」
そう言うのはローレルだった。ヴァージルがその隣で首を傾げていた。
「……えーっと、俺とデイビッドの……何てェか、恩人……なんだけど」
あ、お前もあの時の奴か、とローエンはデイビッドを見て言った。対して彼は少し頷いただけだった。
「私のお父さんだよ」
と、そう言うのはソニアだ。
「どうも。俺はローエン。ここの教会の持ち主だった奴と……知り合いだった」
「…………ローエン・ローエン?」
「違う」
コゼットの言葉に、ローエンはそう言う。ソニアのフルネームからそう思ったらしい。
「じゃあお名前は?」
「…………どうでもいいだろそれは。ローエンでいい」
「ふぅん」
コゼットは大きく首を傾げ、それ以上は聞かなかった。
「俺は今探偵やってんだけどさ、その仕事の一環で……無償で護衛兼ボランティアとして働いてやる。この辺りの事はそれなりに詳しい」
「何で上からなんだよ」
「俺の方が歳上だから?」
「…………」
「お父さん」
アントニオが不服そうなのを見て、ソニアがローエンに言った。ローエンは一つ咳払いし、続ける。
「……心配しなくても誰も殺しやしないし。ただ俺がいるだけで役に立つ事もある」
「そりゃ……」
「どうだ?悪い話じゃないだろ」
ふん、とローエンは勝ち誇ったような顔をする。
「……分かったよ。ただし約束だ。……誰も殺すな」
「俺は探偵だからね。殺し屋じゃない」
小声での会話。周りにはボソボソとしか聞こえない。
「さてと」
と、ローエンが声を大きくした。
「それじゃあよろしく頼む。おいおい皆んなの名前は聞いて行くよ。今日はどうする」
「とりあえず……荷物を片付ける」
「オーケー、じゃあ奥の部屋に運ぼう」
アクバールの自室だった方とは別の部屋。そこへアントニオ達が持って来た荷物、主に衣料品類や非常食の類を運び入れる事にした。
潜入成功、とローエンは内心そうほくそ笑んでいた。
#7 END