第46話 メフィスト
その日のAFTの活動を終え、日がすっかり沈んだ頃。リアンはスラムの入り口にやって来た。そこには二つの長身の人影が。
「おう、お疲れさん」
そう言って片手を挙げたのはダミヤだ。隣でフィンリーが静かに立っている。
「悪いね、こんな夜に」
「あいつらに気取られんようにするには、早朝か夜しかないやろ。お前は探偵の仕事もあるし。俺らは俺らで昼間仕事があるし────ほんで。何か掴めたんか」
ダミヤの言葉に、リアンは頷く。
「ここ数日で色々調べたよ。あんたらが示してくれたエリアを中心に、聞き込みをしたりね」
ダミヤたちがリアンにローエンらしき手掛かりを持って来てから四日。リアンはスラムの住民や、うろついているゴロつきに話を聞いて回った。途中で件の死体もいくらか見つけた。ダミヤの言う通り、リアンもあれはローエンの仕業だと思った。
「本人に出会うことは出来なかったけど……スラムの住民やゴロつきの中で流れてる噂を聞いた」
「へえ」
ダミヤは腕を組む。リアンは続けた。
「双方から聞いた話をまとめるとこうだ。闇夜に紛れ現れる、黒衣の怪物……音もなく現れ、スラムへの侵入者を悉く喰らい尽くし、音もなく去って行く。住人には悪さをしない、守り神みたいなものだって」
「…………随分と大層な話やな」
「昔からこういう、御伽話みたいな噂が流行りやすくてね。……それから、その“黒衣の怪物”は銃弾も刃物も効かないとか……なんだとか、そんな話も聞いたけど」
「当たらんだけやろ」
「暗闇の中で見るものは、一層恐ろしく見えるからね」
夜空を見上げる。辺りは真っ暗で、ポツポツと置かれた街灯が道を照らすばかりだ。スラムに入れば月明かりのみが光源だ。静かでひと気のない夜のスラムは、訪れるもの全てを呑み込むような、そんな不安を感じさせる。
「住人や、ゴロつきどもはその怪物を“メフィスト”と、そう呼んでるらしい。そう名乗ったのか、勝手に誰が言い出したのか知らないけど」
「メフィスト……悪魔か。フン。捻りのない」
フィンリーはそう鼻で笑う。リアンは肩を竦めた。
「まぁ、そんなところだ。つまるところ、俺らの今夜の目的はその“メフィスト”を探し出すこと。闇夜に紛れ現れる、その怪物の正体を見破ることさ」
「幽霊の、正体見たり枯れ尾花……てところや。尻尾掴んで引き剥がしたろうやないかい。あんなんウチらの敵やない」
「……ほぼローエンだって断定してるみたいだけど……まだ違うって可能性もあるからな、全然」
「どーだかね。行くで」
ずかずかと、恐れることなくゲートを潜るフィンリー。後をダミヤがついて行き、リアンは一つ息を吐いてその後に続いた。
* * *
何事もなく南部エリアに入った。三人は辺りを警戒しながら慎重に進む。生き物の気配がしない。時折風で鉄骨が軋む。それが何かの声のようで、なんとも不気味だった。
「……この中探すんはほんま骨折りやで」
「手分けしたいところやけど、そうも行かんわな」
「この手のホラーじゃ死亡フラグだぜ、単独行動は……」
リアンの手にした懐中電灯が道を照らしている。その灯りで出来た影が一段とまた不気味だ。
「…………先に気付かれてたら隠れられるかな……」
そう呟いた時、遠くから何か声が聞こえた。
「……悲鳴?」
「向こうからや。行くで」
フィンリーが先に駆け出す。
「あ、おい!」
慌てて二人も後を追った。ダミヤはともかくリアンはフィンリーの足について行くので精一杯だった。走りにくさに電灯を消す。月明かりで何とか辺りの様子は薄っすら見える。
路地で立ち止まる。感じたのは血の匂いだった。
「ひ、ヒィィ〜! た、助けて、お願いだ、すぐ出てくからぁ!」
男のひっくり返った悲鳴が聞こえる。リアンは懐中電灯をつけて真っ暗な路地を照らした。そこに、黒衣の影が浮かび上がる。長い外套と、フードを被っていて姿形はよく分からない。その手前にいくつか、頭を踏み割られたり、鉄パイプを突き刺された死体が転がっていた。悲鳴の主は、人影の足下で胸ぐらを掴まれているようだった。
「!」
灯りに反応した黒衣の影が振り返った。フードの下の顔は、左半分が布か何かで覆われていて見えなかった。口元もハイネックコートのせいで見えない。だが、覗く右目には見覚えがあった。
「……ローエン!」
「…………っ」
黒衣の影は、捉えていた男を放すと地面を蹴った。あっという間に暗がりに消えて行く。
「何で逃げんねん! くそ、追うで!」
フィンリーはそう叫んで同じようなスピードで暗がりに消えて行った。
「あっ、ちょっと待てよ!」
「…………しゃあない、あぁなったらフィンは止まらへん。俺らも急ぐで」
ダミヤはそう言うと、途中涙と冷や汗でべしょべしょになっている男に声を掛けた。
「すまん、話と手当ては後でや。どこか隠れとき!」
「……け、警察? な、なんで」
呆気に取られた男を置いて、二人はフィンリーの後を追った。
* * *
フィンリーは人影を追った。黒衣のせいで姿が見え辛い。でも、一度戦ったフィンリーには分かる。あの身のこなしは、間違いない。
「コラ! 止まれや! 捕まえに来たとちゃうねん!」
フィンリーは叫ぶ。ここまでして、相手がこちらを認知していないわけがなかった。本当にローエンなら、逃げる理由はないはずだ。でも、何とか向こうはこちらを撒こうとしているようだった。
「…………止まれて、言うとるやろがい!」
銃を取り出した。足元を撃つ。手ごたえがある。この状況で当てられたことはだいぶ奇跡だったが、そんな喜ぶ暇はない。対象はバランスを崩し、足を止めた。
フィンリーも息を吐きながら足を止める。彼は右足を引きずりながら、こちらを振り向いた。
フィンリーはサングラスを外す。フードの下の隻眼を睨め付ける。見覚えのある闇色の瞳が、こちらを見ていた。そこにあるのは、困惑の色だった。
「……随分探したんやで、なぁ」
「…………」
「なんとか言ったらどうなんや」
彼は言葉を発さなかった。少し迷った様子で身じろぐと、やがてその四肢は戦闘の構えを取る。闇色の瞳にも明確な敵意が宿っていた。フィンリーはそれを見て、片頬で笑う。
「なんや、やるってンか。ウチに勝てる思うとるんか、アホくさ」
「…………」
「なんか返せやいい加減。煽りがいがないやろが。……ほんまに……」
フィンリーも構えを取った。水色の瞳を鋭く細める。
「……今度は手ェ抜かへんのやろな。ウチも殺す気で行くで」
だん、とフィンリーは強く地面を蹴った。一瞬にして間合いを詰める。顔目掛けて振り抜いた右拳。彼の左腕に止められた。代わりに突き出された彼の右拳をフィンリーは身を捩って避けると、右手で襟元を掴んで引き寄せ、腹へ膝蹴りをかます。
「……ええの入っ……ん?」
感触が甘い。左腕がガードしている。右手が伸びて来る。強い力で引っ張られて、壁にぶつかった。受け身を取って、頭を打つことは避けたが衝撃でよろける。その隙に顔を殴られた。
「!……っちくしょ……がはっ」
腹に左拳。歯を食いしばって耐える。重い。左腕を横薙ぎに振った。避けた彼が距離を取る。フィンリーは咳き込みながら息を吐く。
「……何や……前より随分と……」
詰められた距離。右の突きを咄嗟にガードした。続けて繰り出された蹴りを身を屈めて避ける。
(……そういや足。何で)
身を立て直し、次々に繰り出される攻撃をいなす。強い踏み込み。鋭い蹴り。先ほど、確かに彼は足を庇っていた。
(体幹も揺らいどらへん。いくら痛みに強い言うても……)
攻撃を受けた腕が痺れてくる。前回戦った時よりも、確実に強い。気が引き締まる。致命的なダメージこそ受けないが、こちらも入れられない。それは本当に、右足を負傷しているとは思えない動きだった。
「……どないなっとんのや」
黒衣の影は上へ跳んだ。壁を蹴って、空中からの踵落とし。フィンリーは後ろに下がる。彼はそのまま跳ね上がるようにして立ち上がると、上段の蹴りを繰り出してくる。それを首を捻って避けた────その先で、蛇のように左手が襲って来た。
「!」
強引に軸をずらされる。頭を掴まれ、そのまま壁に打ち付けられた。
ぐわん、と視界が揺れる。跳ね返った体に膝蹴りと、そして背中に肘打ちが入って地面に叩きつけられた。
「……げはっ……ぐっ……」
体が思うように動かない。耳鳴りがする。……こういう手はあの時は使ってこなかった。でも、記録にあった“悪魔”の手口を思い出した。
(…………その辺にあるものを利用して……めちゃくちゃや、なんつーか、めちゃくちゃ、乱暴で、暴力的な……)
黒いブーツが目の前にある。彼はこちらを見下ろしているようだった。殺気は感じられなかった。あくまで戦闘不能による足止めが目的のようだ。
フィンリーが動けないのを確かめて、彼が踵を返す。それを見て、フィンリーは力を振り絞ってその足首を手で捉えた。
「……待ちいや……話は、終わってへん…………」
「…………これ以上アンタを傷つけたくない」
ようやく、彼が言葉を発した。聞き馴染みがありながら、どこか冷たい声だった。
「……ようやっと声聞けたわ……ほんまに、生きてたんや。……どこで何しとってん……忽然と消えおって」
「答えられない。……大人しく寝てろ。さもないとその手へし折るぞ」
「はん。あんたの脅しなんか、怖ないわ。……手足なんか、いくらでも持って行きや。死んでも離さへん……」
「…………俺は本気だぞ」
「ウチかて本気やわ。殺すつもりで……行く言うたやろ。……ほら、ウチはまだ……元気やで」
ニィ、と片頬で笑う。本当はそんな余裕はない。まだ頭はグラグラするし、血が流れているのも感じる。頭蓋が割れているだろう。動くべきじゃない。本当に死ぬ。彼は、自分のタフさを信じてここまでやった。殺す気はきっとない。口では言っていても────きっと、彼は。
足を掴む手に力を込める。意識が遠のく。ピリッとした気配が降って来た。それが全身に刺さる。彼の左足が動く。
(……アカン、蹴られる)
痛みを覚悟した。直後、足音と風を切る音がして、金鳴りが耳に届いた。生温かい鮮血が降りかかってきた。
「…………ダ」
え、と思考が停止する。ボタボタと血が目の前に垂れて来る。
「……何、してんのや、お前……」
低い唸り声。視線を移動すると、血に濡れた刀の鋒が目に入った。
「…………」
「何してんやって聞いてんのや!」
ローエンは声すら上げなかった。ただ────彼は倒れることなく、そこに立っている。胸に当てた右手が血に染まる。と、そこへ遅れてバタバタと足音が近付いてきた。
「いや! アンタが何してんだよ!」
リアンが息を切らしながら目の前の惨状を見て叫ぶ。ハッ、としてダミヤは振り向く。
「フィンがやられるん黙って見てろ言うんか!」
「だからって斬ることないだろ! ローエンだぞそれ!」
「いや……気付いたら体が勝手に…………いやほんまに何してんや俺も、おい、大丈……」
パニックのままダミヤは目の前のローエンに問いかける。思い切り袈裟懸けに斬ってしまった。余裕で致命傷だが、なぜか倒れないでいるローエンにダミヤは固まった。
「…………なん……」
「……アンタらまで……ほんとに……面倒くさい……」
ローエンは顔を上げる。フードが取れた。左目に黒い眼帯をした彼の顔が露わになった。
「…………お前それ」
「探すなよ。死んだと思うだろ、普通。…………実際、俺は一度死んだようなモンなんだから。……二度と探すな。ローエンは死んだ」
シュウシュウと、異様な音がした。ボタボタと垂れていた血が止まっている。ローエンは僅かに苦痛に歪んだ顔をした。軽く足を振って、フィンリーの手を振り払い、彼女の体を跨いで向こうへ歩いて行く。
「……どこへ行くんや」
「────どこへも。俺のことは忘れろ。いいな」
彼は上へ跳んで、屋根の向こうへ消えて行った。唖然として、ダミヤもリアンも追うのを忘れた。いっぺんに色んなことが起こりすぎた。ダミヤは目を泳がせながら状況を整理し────倒れたフィンリーの元へと駆け寄った。
「フィン! 大丈夫……やないな」
「…………ダミヤくん……あいつのこと斬ったんか……」
「斬ったけど……よう分からん。そんなことより、お前、早よ手当てせな」
「大したことないわ、寝たら治る……」
「強がってる場合か! ……あぁくそ、辛抱せえや」
慎重にダミヤはフィンリーを背に担いだ。リアンはオロオロする。
「……マジか」
「狼狽えてる場合ちゃう。急いで戻るで。フィンが死んでまう」
「ダミヤくんの背中やったら死んでもええな……」
「何言うてんねんアホンダラ! まったく……」
出来るだけ揺らさないようにしながらも、急いで歩くダミヤ。その後をリアンはついて行く。振り向いて、暗い路地を懐中電灯で照らした。残る血痕。……確かに、ダミヤは斬ったはずなのに。
(……あんなにタフだったか?)
不気味だ。聞いた噂が蘇る。“銃弾も刃物も効かない”────。
ゾクリとした。あれは、本当にローエンだったのか。同じ顔をした、全くの別物だったんじゃないか。そんな気さえして来た。
(いやいや────)
フィンリーを殺さないでいてくれたのは、紛れもなくあれがローエンだからだ。でなければ……というか、そもそも。
(…………あの地下水路の時は手ェ抜いてたってこと…?)
あの時のローエンは楽しそうだった。本気で戦っているように見えたが。それでも、“殺さない”という無意識の枷をかけていたのか。今回のフィンリーのやられ様は、そうとしか説明がつかない。
────だとしたら。
(……枷を外したローエンが、アランに負ける訳ねェんじゃ)
そういう目だった。だとしたら、だとしたらだ。
「……ふざけんじゃねェよ」
ぎり、と歯が軋む。彼は二度と探すなと言ったが、その情報屋はその言葉を聞き入れるつもりはなかった。
#46 END




