第45話 スラムの子たち
終業のチャイムが鳴る。ガタガタと席を立つクラスメイトたち。ソニアは授業のノートを書き終えて、閉じる。
勉強は好きだ。先生が話す数々のこと全てが、ソニアにはとても興味深いことだった。この学校に入ったその日から、授業や課題を苦に思ったことはない。ノートだってびっしり書く。聞いたこと、考えたこと、感じたこと、疑問に思ったこと。知ること、思考することは楽しい。知識が増えれば、世界の中で見えるものが増える。見え方も変わる。だから好きだ。
(……あの人たちも、世界を知ればきっと……)
ノートや教科書を鞄にしまいながら、ソニアはアランたちのことを思う。新たに出会った、同郷の少年少女。同郷だからこそ分かり合えると思った。だが、未だ溝は埋まりきらない。
アランは大人しくAFTの活動について来てくれているし、何かあれば守ってくれる。彼は強いと思う。姿を消した父と同じくらい。それは頼もしくもあるが、寂しくもあった。
(お父さんはいないままだし、アラン君たちは少し怖いし)
言葉を交わす時、アランから感じるのは“見下し”だ。あれはそうだと、ソニアは思う。
ソニアやアントニオたちは、幼い頃にスラムから抜け出した。それなのに、スラムを知ったような顔をするなと────彼はどこか言いたげだった。
(スラムを守りたい気持ちは同じなのに、そんなの関係ないって何で分かんないのかな……)
鞄を肩に掛け、ふと顔を上げると横にリノが立っていた。
「あ、ごめん、気が付かなかった……」
「ううん、ソニアちゃん、怖い顔で何か考えごとしてたから声掛けなかったの」
「……そんな怖い顔してた?」
「うん。周りの男子がびびるくらいね」
「え……やだな……」
ソニアは顔に手を当てる。リノはクスクスと笑う。
「行こ。ルーシーたちも待ってるよ」
「うん」
教室を出ると、通過する他のクラスの生徒たちの向こうで、ルーシーとライリーが話しながら立っていた。彼女たちはこちらに気がつくと、人を避けながら近付いて来た。
「……ソニア、最近元気ないわね」
唐突に、ルーシーがそんなことを言う。
「…………そうかな? そんなことないよ」
「無理してんじゃないわよ。お父さんいなくて元気なんて、そんなわけないじゃない。あんたお父さんと仲良いんだから」
「…………」
父のことは心配だ。毎日のお弁当だって無いし。
リアンからあらかたのことは聞いた。父はどこかで生きているはずだということ。それから、アランにはその話をするなと。
「お父さんは……何か理由があって戻って来れないだけだよ。それが解決したらきっと帰ってくる。そう信じてるから、大丈夫」
理由ならなんとなく分かる。アランだ。彼と何か、確執があって。詳細な経緯は分からないが、そして父は姿を消した。……リアンが経緯を話さなかったことに、嫌なものを感じる。彼はただ、行方不明になったということしか言わなかった。
(このままじゃダメだ……)
この三ヶ月間の空気はなんとも息苦しかった。父が初めからそこにいなかったような、そんな雰囲気がAFTの活動中にはあった。言い知れぬ重い空気が、皆の口に蓋をした─────。
「……勇気を出さなきゃ」
「ソニア?」
ルーシーが顔を覗き込んでくる。
「……ソニアちゃん、また怖い顔してる…………」
リノはそう言って苦笑した。
* * *
カランカランというドアベルの音に、レジで確認をしていたアントニオが顔を上げる。
「お、ソニア」
「お疲れ、トニー」
夕暮れ時で客はいないようだった。店の隅でアランたちが談笑しているのが目に入った。最近、彼らは活動前にここに入り浸るようになった。よく食べる。レノやラビにアランはたくさん食べたさせたがる。彼らの食べ方はどこか野良犬のようだった。最初痩せていた彼らの体は、普通の体型になっていた。
「なんか食う? 腹減ってるだろ」
「うん」
ソニアは適当な席に荷物を下ろす。リノたちが座る一方で、ソニアはアランたちの方へ歩み寄る。ソニアに気付いたアランは、ニヤついた顔をこちらへ向けた。
「こんにちは。学校終わったのか。お疲れサマ。これ美味いよ? お前も食べる?」
「……話があるの。……上に来てくれる?」
「……顔怖いよ?」
「来て」
すごみのある声に、アランは笑みを引っ込めると、くっついていたアマリアを引き剥がして立ち上がる。背の高い彼をソニアは見上げる。
「…………言っとくけど……俺優しくしないよ?」
「何を。いいから一人で来て」
ソニアは踵を返してつかつかと階段を上がる。アランは肩を竦め、気だるそうにその後をついて行く。
「……どうしたんだあいつ」
アントニオはその様子を見てリノたちへ視線を投げる。彼女たちも顔を見合わせて首を傾げるしかない。
「なんか今日怖い顔してるんだよね」
「ついに我慢できなくなったか……」
「まぁ……あれからずっとピリピリしてる感じはあったよね」
三人は口々にそう言う。そして残されたジェイたちの方を見た。
「あんたたちさ……なんか微妙に馴染まないわよね、こっちに」
ルーシーの言葉に、ジェイは飲んでいたジュースのストローを離す。
「そう? めちゃくちゃ馴染んでるだろ」
「そうじゃなくて……」
実際、スラムでの活動の時には話したりはする。店にも来てくれているし、仕事をサボったりもしない。それでも、溝は感じる。
理由はなんとなく、ルーシーたちも感じてはいるのだが。
「ねぇ、リアンさんは?」
「依頼があって終わってから来るってよ。ブルーノたちは買い出しだし、皆んなが帰ってきたら今日は活動開始だ」
アントニオはそう言いながら、二人が消えた階段の方を見る。
(……二階に二人きりか……)
そう思うと、アントニオは胸がそわそわした。
* * *
窓際のカウンター席にソニアは座る。アランは座らなかった。立ったまま、ポケットに手を突っ込んでソニアを見ている。
「……お前、スラム生まれなんだっけ?」
「そうだよ。あなた達と同じスラムで生まれたの。……8歳の時に、街に来たけど」
「そう。じゃあ街にいる方が長いんだ。へえ。親は? 死んだの?」
ずけずけと聞いて来る。無遠慮さに眉をひそめながらもソニアは答える。
「私を産んだお母さんはね。でも、今のお母さんだって好きだよ」
「アントニオたちも、そうやって他人に引き取られて暮らしてるのか。ふーん。……羨ましいね」
皮肉だと、すぐ分かる。
「街の人間が嫌いなの?」
「……ねえ。俺は波風立てないようにしてたのに、それ突っ込むの?」
「波風は立たないけど、いつまでも平行線でしょ」
「それ、重要? 俺たち別に友達じゃないんだからさ。いいじゃん、歪み合いさえしなければ……」
「十分に歪み合ってるよ、今でも。友達じゃなくても仲間じゃないの? それに……」
一つ深呼吸した。これを聞いたら、後には引けない。
「お父さんのこと、聞いてもいい?」
「……お父さん? 誰の?」
「私の。……私のフルネーム知らなかった?」
「興味ない。呼ぶのと区別するのに不便しなければ。……何?」
スラムの人間は家名を重要としない。子どもだけで生きていたアランたちにとっては余計にだろう。
「……ソニア・ローエン。それが私の名前。知ってるんじゃないの」
アランの目が変わった。刺さるような冷たい目だった。その目をソニアは知っている。人を殺して来た人の目だ。
「─────あいつの娘?」
「お父さんに、会ったんでしょ」
「さっきの言い分だと、本当の父親は生きてるんだろ。……どう見ても似てないけど…………養子?」
「質問に答えて」
語気を強めて言うと、アランは肩を竦める。
「会ったよ。というか昔から知ってる。……へえ、ふーん、娘がいたのか。……というかお前はリアンの娘なんだと思ってたぜ。似てるし、仲良いから」
「!」
「…………え、何、そうなの? 何それ、笑えるな」
本当に、ずけずけと。ソニアは頭に血が上るのを感じた。父がいなくなってから、無意識にリアンに頼ってしまっていたのかもしれない。無意識に、彼を本当の父として頼ってしまっていたのかもしれない。バイアスの掛かっていない者から見れば親子に見えるほどに。そんな自分にも腹が立った。リアンを父としないと決めたのは自分だし、彼ともそういう約束をした。なのに────。
「じゃあいいじゃん。忘れればいいだろ偽物の父親なんて。本当の父親がいるならなおさら────」
気付いたら手が出ていた。鈍い音がする。指が痛い。アランの体は揺らぎもしない。右を向いた首を戻しながら……彼はため息を吐いた。
「…………グーで殴ってくる女は初めて見た」
「お父さんをどこへやったの」
「え。今の話で俺が犯人になるわけ」
「どこへやったの‼︎」
叫ぶ。滅多に出さない大声に、喉が痛んだ。アランは辟易とした顔をして、片耳を塞ぐように頭を掻く。
「リアンが言うなって言うから、言わないようにしてたのに。上手く説明したんじゃなかったのかよ。……俺も今の生活やめたくないから言いたくないんだけど」
「あなたがやったの」
「…………初めから破綻してるって言ったらそうだよな」
観念したように、アランはハァ、とため息を吐いた。
「……そうだ。俺が殺した。スラムを蝕む“悪魔”を俺が排除した。……これで満足か?」
「う、うぅあぁ!」
頭が真っ白になって、殴りかかった。今度はアランはひょいと避けて、ソニアの右手首を掴むと引っ張り、柱へと押さえつけた。
「……悪魔の娘らしい。可愛い女だと思ってたら案外血の気が多いな」
「…………!」
悔しさと怒りで涙が溢れる。食いしばった口から荒い息が漏れる。
「……お父さんは……死んでない」
「首を掻き切られて生きてる奴がいるかよ。あそこはスラムの奥地だぜ。助けてくれる医者もいない」
「どうして……どうして!」
「どうしても何も。奴が何をしたのか知らないのか? スラム生まれであいつの近くにいたら知ってるだろ、教会の神父さんのことは」
「…………? アクバールさんが、何」
「ガチで知らない? あいつが神父さんを殺したって」
────何を言われたのか分からなかった。血の気が引いて行く。動揺で目が泳ぐ。
「スラムの治安が悪化したのは何でだと思う? あの神父さんがいなくなったからだ。奴が神父さんを殺したからだ。全ての元凶なんだよ、あいつが」
「……そんな……だって、お父さんは」
父が殺し屋なのは昔から、知っている。それでも彼は、ソニアにとってはヒーローだった。ソニアにとっては怖い人間ではなかった。幼い頃からずっとそうだった。家では美味しい料理を作ってくれる優しい父だった。────あれから殺しは働いていないし、血生臭い一面を出来る限り見せないように配慮してくれる優しい父だった。
ソニアにとってアクバールは恩人の一人だった。幼い頃、彼のことはなぜか好きになれなくて怖いとさえ思っていたが、今思えば確かな恩人の一人だ。
父がアクバールを殺す理由がソニアには思い至らなかった。ソニアの記憶の中では、二人はそんな最悪の事態に至るような険悪な仲ではなかった。どうして、という疑問が巡る。
何を信じればいいのか、分からなくなった。
ぽろぽろと涙が落ちる。父の顔が浮かぶ。崩れて行く。ぼろぼろと崩れて行く。
「……はーあ。ほら見ろ。波風立てたくないから言わなかったんだ。これで俺たち仲良くなれるの? 無理だろ。俺は別に仲良くしてもいいけど」
「…………」
アランはソニアの手首を離す。ソニアは膝から崩れ落ちた。全身を震えが襲う。深い、絶望が身を包んだ。
その時、ドンドンと足音がして、頭上のアランが階段の方を向いた。足音は近付いて来て、アランを思い切り殴った。ガタンとアランがカウンター席の椅子の間に転ける。
「何やってんだこのクソ野郎!」
アントニオの怒鳴り声がして、ソニアは顔を上げる。彼が屈んで顔を覗き込んでくる。
「大丈夫か、何かされたのか」
「……トニー……」
「アイテテ……すぐ殴るじゃんお前ら…………」
アランが頭を抑えながら起き上がった。アントニオは立ち上がって怒りの形相を彼に向ける。
「ずっといけすかなかったけど、ここまでクソ野郎だとはな」
「何が。俺は彼女の問いに答えただけだよ。仲良くなりたいって言うから。……まぁ、その答えが彼女にはお気に召さなかったみたいだけど」
「この……」
「待ってトニー」
今にも殴りかかりそうなアントニオを、ソニアは腕を掴んで引き留めた。涙を拭いて、立ち上がる。
「…………ソニア」
「知らなかったら良かったって、思ったのはそうだけど。……知らないまま、嘘で塗り固めた関係も、私は嫌だよ」
言葉を紡ぐ。アントニオが現れたことで、真っ白だった頭が落ち着いて、思いが整頓されて行く。
「知らないまま見てるものなんて、そんなの嘘だよ。アラン君たちのことも……お父さんのことも」
「嘘で何が悪いわけ?」
「アラン君は……人の気持ちがよく分からないみたいだけど。そんなのじゃ、本当の平和なんて訪れない。こうやって簡単に崩れるんだから」
震えた呼吸を、大きく吸って抑える。
「……お父さんのことも、あなたは一部しか知らない。それが、事実だったとしても────それは、一部にしか過ぎないから」
「…………」
「あと、一つだけ知ってて欲しいんだけど。あなたが、美味しいって言ってたさっきの料理……あれ、お父さんが作ったレシピだから」
「……あん?」
眉をひそめ、口元に手を当てるアラン。
「…………マジ?」
「お父さんを、恨む人がいるのは仕方ないけど。お父さんだって、私たちと一緒にスラムを良くしたかったんだよ。……それを、どの口がってあなたは言うのかもしれないけど。過去に拘ってばかりじゃ、新しいものは何も出来ないよ」
そう言うソニアに、アランは口元を歪める。
「……へぇ。じゃあ、俺があいつを殺してても、お前は許すわけ」
「は?」
アントニオが聞き返す。ソニアはその腕を掴んだ。
「許さないよ。許さないけど。……お父さんのために、私はあなたたちと和解を望むの」
アランは毒気を抜かれたような顔をして、大きく息を吐いた。
「……コーショーだね。ふん。面白くない」
「それに、死んだりしてないから。どこかで生きてるって、私は信じてる。あなたみたいな人にやられるような人じゃない」
「はいはい。信じてれば。……でももうあいつの話は俺にするなよ。虫唾が走るんだ」
うぇ、という顔をして彼は、うんざりしたように続ける。
「もういい? 俺も別に喧嘩がしたいわけじゃないんだ。平和が一番なのはそれはそう。ねぇ、仲良く出来そう?」
「ここで諦めてたら、スラムの復興なんて出来ないよ」
「…………ほんとに面白くない」
アランは二人の横を通り過ぎて、階段を降りて行った。その後をしばらく睨んでいたアントニオは、眉をハの字にしてソニアの方を見る。
「……大丈夫?」
「うん。ありがとうトニー」
「上がって来たらめちゃくちゃ泣いてるから焦った……」
はぁ、と詰まっていた息を彼は吐き出す。そして真剣な顔をする。
「……ローエンのこと、あいつが関わってるのか」
「…………皆んなには言わないでくれる? そのうち、話さなきゃいけないかもしれないけど」
「隠し事はイヤだけど……皆んなが知ったらリスクはありそうだよな」
うーん、とアントニオは悩む。彼のそういうところを見て、ソニアは何だか安心する。
「……ローエンが死んだって?」
「アランが言ってるだけだよ。リアンさんも、行方不明だって言ってたでしょ?」
「でも……殺したって」
「お父さんがあんなクソガキにやられるわけないじゃん」
「クソガキってお前……」
怒ってるな、とアントニオは思ったが言わなかった。
「そんな気がするの。根拠はないけどさ。どれだけ殴られたって、お父さんは最後には私を助けてくれるんだから」
「……けど、生きてるなら何で帰って来ないんだ?」
「あんなのがいるのに、帰って来れると思う?」
少し考えて、アントニオは首を横に振った。
「…………来れないな。確実にあいつらが離反する」
「でしょ。だから、私たちはお父さんがいない間にアラン君たちとちゃんと和解しないといけないの」
「……出来るかなぁ」
「出来るかどうかじゃなくて、やるの。スラムを復興させるんでしょ? それだったら、まずはスラムの住民である彼らと和解できなくてどうするの」
「しっかり考えてるんだな、ソニアは」
「他人事みたいに。トニーが中心なんだからしっかりしてよ。……まずは街の人嫌いをなんとかしないと」
鼻息荒めのソニアに、アントニオはくすりと笑う。
「……お前は強いよ、ソニア」
「そうかな? 普通だよ」
ソニアはそう言って笑った。と、その時下でブルーノたちが帰って来る音がした。
「みんな帰って来たな。よし、活動前の腹拵えするか」
「うん、そうだね。お腹空いちゃった」
父の弁当がないせいで、昼は学校の購買だが、量が少なくて腹は満たされていない。ここに来れば、いつでも父の料理が食べられる。……やはり、本人が作っていない分味は劣るが。
(お父さんが帰って来る場所……私がちゃんと、作るから)
胸の前で拳を握りしめ、ソニアはそう決意した。
#45 END




