第43話 消失
ひとまずアランたちには、市街の寝食の場を提供することと、傭兵団としての契約、そしてスラムに立ち入るボランティア団体への危害を止めるよう約束を取り付けた。
皆が一度街へ戻ったあと、リアンはローエンと別れた場所を一人訪れていた。割れたガラス。廃工場の中には血痕が残っている。多量出血の痕と見て取れる量だったが────。
リアンは、戻って来たダミヤたちの話を思い出す。
「現場見て来たけど────死体はなかった。確かに争った形跡と、血痕はあったけど」
「血の量からして、死んでてもおかしくない感じでしたけどね。……アランは首を掻き切ったと言っていたでしょう?」
アナスタシアがそう言いながら、自身の首を指で横切る動作をした。ローエンの首から血が噴き出す様を、リアンは想像してすぐに消した。……考えたくない。
「あんなガキに殺される奴やと思うか」
「……アランの力量をはっきりとは知らないけど…………」
アランはアランで、そこそこの重症だった。自分で歩いて帰って来たのが不思議なくらいだ。彼についてはロジーとフィンリーが警察病院へ送って行った。ジェイもだ。
「アランがローエンにどうにか勝ったのは事実だ。彼は多分嘘を言ってない。血痕はあった訳だろ? ……俺も後で見に行ってみるけど……死体が無かったっていうのは」
「もうほんまに。そこに倒れてたんやろうていうのは分かったけど、忽然と……どこかに引き摺られた形跡もあらへんし……」
「…………」
実際、見に来てリアンが思ったのは、本当に忽然と消えている、ということだ。
彼が倒れていたであろう血溜まりの前で屈む。まだ乾き切っていない血痕。この量の出血で、自力で立って動けるとは思えない。動けても、這いずる程度だろう。
「……誰かが持ち去ったのか……」
身長186cm。大概の人間は、複数人でもなければ意識を失った彼を持ち運ぶのは困難だろう。ならば引き摺った形跡か、何かしら荒らされた形跡が残っているはずだ。だがそれもない。
「…………どこ行ったんだよローエン……」
リアンは項垂れる。消えてしまった、とそう思わざるを得ない。
「────とにかく、ローエンのことは行方不明ってことにしておこう。……死んだやなんて、死体も無しに信じられへんし。奴の家族にもそう伝えよう。ええな」
ダミヤは、リアンにそう言った。
「……アンタは、ローエンが生きてるって信じてるのか」
「まぁな。……お前もそんな気するやろ?」
あとのことは頼んだと、そう言ったローエンの顔が忘れられない。あれが最後だったなんて信じたくない。何より────ローエンは、その時全てこうなることを分かっていたような……。
「あぁ。……多分、どこかで生きてる────」
なら、なぜ帰って来なかったのか。それは引っかかるが。
事務所の扉を開ければ、何食わぬ顔でそこに座っているんじゃないかと、そんな気がして扉を開けた。だが、それも叶わなかった。しんとした事務所の扉をそのまま閉めて、今この場にいる。
孤独感が襲って来る。なぜ、なぜという気持ちが渦巻く。
「……置いてくなよ…………」
ソニアたちにどう伝えればいいのか。これから希望へと歩もうという子どもたちに、こんなニュースを伝えるのは気が引ける。でも、隠し通せはしない。ローエンはあの家には帰らないのだから。
*
リタが消えたことを、ヴェローナはリアンから伝え聞いた。
話には聞いていたが、彼の変わりようには驚いたものだった。学校帰りで丁度家の前で鉢合わせたらしいソニアたちと共にやって来た。
飄々としたいけすかない────旦那とはまた違った風潮の女たらしだった彼は、今や随分と落ち着いていた。リタとは相容れない関係だったはずだが、今の彼を見ると共に仕事をしているのも何となく想像がついた。きっとただならぬ事情があっての事だろうが、そこに踏み込もうとは思わない。リタのことだ。自分とはかけ離れた世界のことだろうし、彼がそのことや十年前のことを詳しく話そうとしないのは、ヴェローナ自身の心身を守るためだということは察しがつく。
それはそれで少々腹は立つが────彼なりの優しさと配慮をわざわざ踏み荒らすほど、ヴェローナは無粋な性格ではなかった。
そうしてリアンを家に招き入れたあと、聞かされた事態に心底後悔した。どうして無理矢理にでも止めなかったのだろうと。彼の隠された奥底へ踏み込んで、全てを曝け出させれば良かったと。
自分が彼と共に生きることを決めた時から、リタだけを別の世界に置いておくなんて、そんなことをすべきではなかったと後悔した。
リアンは「必ず彼を連れ戻す」と、そう約束して去って行った。ソニアやルーカスも協力すると約束した。自分だけが何も言えなかった。ただ、先日交わしたリタとの約束が、ぐるぐると頭を巡って────リアンの約束すら受け入れられない程に、深く、その心には絶望感が立ち込めていた。
「…………嘘つき……」
いつか、いつかこういうことになるんじゃないかと思っていた。そしてその“いつか”は心構えする間もなく突然、予兆もなくやって来る。
現実になった、いつもどこかで抱いていた微かな予感を、ヴェローナは深く、深く受け入れながら、納得し、そして────。
────ひとり、横たわるベッドは広かった。隣には何一つ残っていなかった。静かな部屋に、自分の啜り泣く声だけが聞こえる。
リアンは彼が死んだとは言わなかった。ヴェローナも彼が死んだとは思っていない。それでも、彼が何も言わずいなくなったその事実は変わらない。裏切られた、とそんな思いが胸を覆い尽くす。
大嫌い、とそう心の中で呟く。本当に嫌いになれたらどんなに良かっただろうと、そう思った。
*
「本気で思ってんの? あんなこと……」
「……あんなこと?」
「これまでのことは水に流すとか……ローエンのことは切るとか……」
「あぁ。……ンな訳ないやろ」
自宅のソファで一人晩酌しながら、フィンリーはあの廃倉庫でのリアンとの会話を思い出していた。
アランの提案に、フィンリーはあっさり乗って見せた。一通り話をつけたあと、ダミヤたちを待つ間にリアンにそんなことを言われた。
「嘘も方便やろ。……でもまぁ、あいつのことは一旦置いておくってのはそうや。アランとの交渉が決裂したら、ローエンも浮かばれへんやろ」
「……そんなほんとにローエンが死んだみたいに……」
「あぁ……いや、まぁそれは分からんけど。アンタも折角頑張ったのに水の泡ってのはないやろ、そりゃ。とにかく今出来る最善のことをしただけや」
「ならいいけど……」
リアンは複雑そうだった。フィンリーが見る限り、あの二人はそう仲の良い関係ではなかったと思ったが。リアンは心配そうにしている、というよりかは不安そうに見えた。落ち着かない、というかそわそわしている。
リアンのことについてはフィンリーはよく知らない。腕のいい情報屋だということだけは知っているが。飄々としていけすかない男だ。女は殴れないと言うし、まぁ、それは考えてみれば良いことなのかもしれないが状況次第ではナメてるのかとブン殴りたくなる。もし決闘相手がジェイでなくアマリアやシェリルだったらどうしていたのか。……アマリアは戦えそうな感じではなかったが。
────それはさて置き。ともかく、リアンはローエンのことが心配というわけではなさそうだった。自分に対する不安、それは……フィンリーがかつて感じていた感情と似たものを感じ取った。
(……焦り、か。置いてかれるいう……)
彼が交渉の礎にでもなっていなければ、すぐにでもその場を放棄してローエンを捜しに行って、帰って来なさそうな危うさがあった。そう、彼をその場に留めていたのは責任感だ。他でもないローエンに任された、重い責任感によって。
「初めから、そういうつもりやったんか」
そう呟いた。気に食わない。自分がかつて言い放った言葉を、彼はあっさりと受け入れた。思えば、彼は一度もそれを否定はしなかった。悪魔だと、そう呼ばれる己を否定しなかった。それでも、それでも手を取り合った。取り合うことが出来た。彼の有り様をフィンリーは受け入れていた。自分の孤独に、彼は寄り添ってくれたし────。
(て。ちゃう。そういうんじゃ……くそ、分からん。モヤモヤする)
ソファの背もたれに体を預け、天井を見上げる。
「……死んでても殴るし、生きてても殴るからな………」
手元で缶を振る。中身がもうない。頭を上げて机の上を見ると、もう5缶ほど空いている。
「…………呑みすぎやな……」
*
二日後。AFTの面々とダミヤたち、そしてアランたち自警団の皆が教会に集まった。教壇から見下ろすリアンはなんだかそわそわした。こういう時は大体ローエンが取りまとめていてくれて、自分は横でへらりと笑っていれば良かった。左手側にはAFTとダミヤたち、右手側にはアランたちがいる。併せて22人の視線を受けてリアンは縮んだ。随分と大所帯になったものだと思う。
「……えーと。というわけで、これから協力してもらうスラム自警団のみなさんです……」
「なぁ。自己紹介した方がいい?」
アランは右腕を広げて言う。左腕はギプスが巻かれていて、他にも頭や手足に包帯が巻かれていて痛々しかった。
「……出来れば」
「はいはい」
スックと彼は立ち上がる。痛そうな素振りは見せないで、リアンの横まで上がってくる。
「どーも。俺はアラン。スラムを守る自警団のリーダーって訳。とりあえず協力するってことにしたけど、お前らが気に食わなくなったらいつでも切るからよろしく」
「ちょ、話が違う」
「何で。とりあえずお試し期間だよ。俺は外の人間が嫌いなんだ。いきなり仲良しこよしするつもりはないよ」
「……にしたってもう少し態度ってもんがあるでしょ……」
「外の人間、ね」
「!」
不意にした声に、リアンとアランは振り向いた。アントニオが立ち上がって、こちらに歩いて来ていた。
「はじめまして、俺はアントニオ・レイモンド。ボランティア団体AFTのリーダーをしてる」
右手を出すアントニオ。アランは首を傾げて笑う。
「へえ。俺と同い年くらいか? えらいね、街の坊ちゃんが」
「そう見えるか? 今は街で暮らしてるけど、お前と同郷だよ」
アントニオの言葉を受けて、アランの笑みが引っ込む。
「……同郷、同郷ねぇ。それで俺たちの仲間だって言いたいわけ」
「何も知らずにやってる訳じゃないってことだよ」
「ふぅん。────まぁいいや」
と、アランはアントニオの手を取った。ぎゅう、とアランに強く握られ、アントニオは顔をしかめる。
「よろしく」
「…………よろしく」
手を離したアントニオは右手を隠すように左手で覆い、身を引いた。困ったような顔でリアンを見、そして彼に向かって口を開く。
「……そういや……ローエンは……」
「…………あー、えーと、その」
「何だ、全員に話通してないのか」
アランはやれやれと首を振った。リアンはパッとアントニオの手を取ると、部屋の端へと引き寄せた。
「何だよ」
「……ローエンのことには今突っ込むな。ややこしくなる……後でちゃんと話すから」
「何で」
「それから。何を言われてもアランを殴ったりするなよ」
「俺そんなに喧嘩っ早くねェよ……確かにあいつムカつくけどさ」
「……お前最悪死ぬからな、喧嘩したら……」
「え?」
目を上げたアントニオ。その時背後から声がかかる。
「何だよ、内緒話? あいつのことなら……」
「待て待て!」
リアンは急いでアランの方へ戻る。アランは笑って小声で話す。
「…………隠すの? “悪魔”のこと」
「俺の口から……ちゃんと話す。俺たちと違って皆んなが皆んな聞き分けがいい訳じゃない…………お前だって、折角の衣食住を得られるチャンスを失いたくないだろ」
「まぁ……確かに。用意してもらったものは悪くないし」
アランたちにはスラムに程近い新市街の住居を提供した。生まれて初めてのちゃんとした住居に彼らはそれなりに満足しているようだった。衣服もちゃんとしたものを買い与えたし、そのまま街をぶらついていてもなんらおかしくない格好だ。
「でも分かってんだろうな」
「分かってるよ。……分かってるからこうしてるんだろ」
リアンは手を広げて見せる。アランは目を眇めた。
「アンタはさ。多分アイツの相棒かなんかなんだろ?」
「そんなんじゃない……」
「誤魔化すなよ。だってアンタ……いや、待て、どこかで見たことあるな」
そしてアランは、じっとリアンの顔を見るとあっというような顔をした。
「思い出した。アンタも神父さんと酒場に来てたな。……アイツが憎くないのか?」
「……別に。俺はあの人のことそんなに良く思ってなかったし」
それは本音だった。そもそも叛逆を初めに試みたのは自分だ。
「…………そうなんだ。ふぅん」
アランはリアンが神父を殺したとは思っていないようだった。そこになんだか不整合性を感じて、リアンは訊いた。
「なぁ。何でお前はローエンがあの人を殺したって……思ってるんだ」
「思ってるんじゃない、事実だ」
「何でそれを知るに至ったかって訊いてるんだよ」
ふむ、とアランは口を曲げる。
「……アイツが神父さんの死を告げに来たからだ」
「ローエンが?」
しかし、ローエンは誰にもことの詳細を話してはいないはずだ。それは懇意にしていた酒場の店主にしても。
「それだけ?」
「それだけって、十分だろ。あの時のアイツの目は……忘れられない」
リアンは思い出す。あれからしばらくのローエンはおかしかった。深い暗闇の中にいるようだった。自分も随分と強く当たられた。
「それで確信した。アイツが神父さんを殺ったんだって。……それからうちの経営がどんどん傾いてって……」
神父との会合場所は、徐々にゴロツキたちの溜まり場になって行ったということだ。その様子を見て、この青年はローエンを恨むに至ったというわけだ。
「何より、アイツは認めただろ。……アンタは違うって言いたいわけ」
「いや。……事実だ、それは……紛れもない、ね」
でも自分だって共犯者だ。わざわざそれを言って、自らの首を絞めるほどリアンは愚かではないが。
「……過去のことはどうだっていい。これからの話をしよう、アラン」
リアンがそう言うと、アランは眉を上げ、笑った。
「そうだな、それがいい」
と、アランは仲間たちの元へ歩いて行って、振り向く。
「それで、俺たちは何をすればいい?」
リアンの横にアントニオが歩いて来る。リアンはアントニオに視線を送って、壇上の真ん中を譲った。
「…………お前が代表なの?」
「皆んな、俺たちAFTの活動に乗っかって来てくれてる形だからな」
「ふうん。……お前弱そうだけどまぁいいや」
その言葉にアントニオはピキリと来たようだが、先ほどのリアンの言葉を思い出してその感情を噛み潰した。
「俺たちの計画は、まだ実行段階には全然……入ってないけど。まずはこの辺りの治安だけでも整えたい。その為にまとまった戦力が欲しかったんだ」
「ふぅん。つまり……俺たちはこの辺りのゴミ掃除をすればいいわけだ」
聞き覚えのあるフレーズだとリアンは思った。……なるほど、あの酒場で育てばそうもなるか、と諦めのような納得をした。
「……出来れば、俺たちの護衛にも何人かついて欲しいかな。俺たちも、全くダメってわけじゃないけど」
アントニオはそう言う。アランは品定めするように壇上の彼を見た。
「ボランティア活動の手伝いってこと?」
「傭兵としての賃金は出すよ」
「それなら」
頷くアラン。リアンは見ていてハラハラする。本当にやって行けるのかと────そして、ローエンがいないまま、事が回り始めようとしていることに微かな焦燥を覚えるのだった。
#43 END




