第41話 悪魔の原罪
己を“悪魔”と呼称し始めたのは誰だったか。それは分からない。あの神父と出会う以前から、巷ではその通り名が流行っていた。
闇色の髪と瞳と、その言動の荒々しさと、そしてゴロつきらの娯楽を横から奪っていくある種の残酷さと、それらを併せてついた名だろう。
“悪魔のローエン”と、そう呼ばれることに嬉しさはなかったが、神父に拾われ、“死神”に育てられてスラムで暗躍する殺し屋へとなったとき、その通り名は自分に相応しいものだったとそんなことを感じてはいた。
自分は善人なんかじゃない。人を愛し、子を慈しみ育てても、そこは変わらないと思っている。自分を善だと呼称するつもりはない。あの神父とは違って。
それでも、あの偽善者が慈しみ、護ってきたこのスラムを、代わりに護らなければと思っていた。別の方法で、もっと良い方法が、正しい方法があると、それを自分が、自分だけでなくとも成せると思っていた。
若く健やかな者たちと手を結んで、過去の確執も溶かし、人の輪を新しく結ぶ中で────あまりにも明るく眩しい光の中で、忘れていたのかもしれない。
己は、どこまで行っても罪を背負った悪魔なのだと。
あの地下水路で、敵意を向けて来たフィンリーが言ったことは間違っていなかった。本来、自分はダミヤたちと、正義の者たちと交わってはいけなかった。結果、招かれた事態がこれだ。ダミヤの血を引いた娘は、自分を正当に恨んだ青年の腕に捕らわれている。青年が手にした刃は、いつでもその首を掻き切ろうとしている。
「……その人を離してくれ。俺を殺したいんだろう」
やっと出た言葉がそれだった。ダミヤがハッとする。
「お前……馬鹿なこと考えて」
「この身を差し出すような真似はしない。しっかり戦ってやる」
「ちょっと待ちいや」
声を上げたのはフィンリーだった。少年をダミヤに預け、彼女はずいと前に出る。
「アランいうたな。レノはどこや」
「……何でレノを……そうか、お前か。レノを唆したのは」
「唆した……? レノを無理矢理仲間に引き入れたのはあんたやろ」
「何を言ってるんだ。レノは自分の意思で、その足で俺のところに来たんだ」
「いや、ちゃう。そうせざるを得なかったんや。あんたが、そうさせたんや」
フィンリーがそう言うと、アランはナイフを持った左手を僅かに緩め────斜め上を見て少し考えたあと、あぁ、と口を開いた。
「……レノの親父を殺したこと? なんだそんなことか。俺は解放してやっただけだ。レノを、あのクソ野郎からさ」
「…………自白するんやな」
「だってあんたらには隠す必要がない。スラムじゃ殺人なんて裁かれないだろ? 大体、あんなゴミクズ生きてる必要ない。市街のクズどもの養分にしかならない奴なんてさ」
大きなため息を吐き、アランは再びロジーへしっかり刃先を突きつけると、言う。
「レノはアジトに残ってるかな。俺の仲間と一緒に……それでどうすんの?」
「レノを取り戻す」
「取り戻す? 何を言ってるんだよ。レノはスラムの子で、俺たちの仲間だよ、元々……。奪いに来たの間違いじゃない?」
「なんやと……!」
「動かないで。この人殺すよ? あんたには興味ないんだ。お前だよ。とりあえずお前を殺せればそれでいいや。この人のことも解放してあげる」
アランは顎でローエンを指す。ローエンは目を細める。
「それは構わないって言ってるだろ。────大人しく殺られる気はないけどな」
「逃げないならそれで良い。……戦うのに人質は邪魔だしな。ほら」
アランはナイフを離すとロジーの背中を押した。一歩二歩とよろめいたロジーは、後ろを一瞬振り向いて、ダミヤたちの方へ走って戻った。
「……悪いけど手は出さないでくれるか。俺の問題だ」
ローエンはフィンリーに言う。彼女はため息を吐くと答えた。
「しゃあないな」
「アンタらはリアンと一緒にアジトへ向かってくれ」
「構へんけど。ウチの分までブン殴っといてや」
「分かってる」
そしてローエンは、リアンにも言う。
「……あとのことは頼んだ」
「……その言い方なんかヤだなぁ。まぁ、承ったとだけ……」
肩を竦めたリアンは、後方で困った様子で立っているシェリルへ視線を向けた。
「ねぇ嬢ちゃん、悪いようにはしないからさ。弟君のことも送り届けたいし、一緒にアジトまで行かない?」
「は? 何で……」
「どのみち多勢に無勢でしょ? ……ここでかかって来ても良いことないと思うよ。俺はアジトの場所を知ってるし」
「────」
シェリルはアランの方を見る。アランは肩を竦めると言った。
「いいよ、邪魔だから。そっちのことはそうだな……ジェイに任せる」
ナイフを手で弄び、アランは目を細める。
「ただ、こいつらの言う事を信用するなよ」
「……分かってる……」
シェリルはキッ、とリアンを睨むと、先に歩くように促した。
「ま、それが妥当だよね。はいはい」
両手を上げて、リアンは歩き出す。それに続いて少年を抱えたダミヤが歩き、ロジーと、そしてアナスタシア、エリオットがついて行く。
最後にフィンリーがハイデマリーの背に手を置いて促した。心配そうな目を残して、ハイデマリーも去って行った。その後ろをシェリルがついて行ったのを見届けて、アランは一人残ったローエンに笑う。
「……お前、何で警察なんかと一緒にいるんだ?」
「────さぁ。何でだろうな。不思議だろ」
ニヒルな笑みを浮かべたローエンに、思わずアランはぞわりとする。雰囲気が、変わった。目の前にいるのは、紛れもなく父の人生を陥れ、スラムに混沌を招いた悪魔だとアランはそう感じた。
ローエンは片手を前へ伸ばすと、クイクイと指で挑発する。
「来いよ。全力で相手してやる」
「……討伐される気満々に見えるけど」
「そんなことない。クソガキに負けてやるほど俺は優しくないよ」
「言うじゃねェかよ!」
ダッ、とアランはナイフ片手に飛び出した。心臓目掛けて突き出されたその左手を、ローエンは右手で受け止める。
「────いきなりは気が早いんじゃないか?」
「早く仕留めるに越したこたねぇだろ!」
ぐるん、と体を回転させて右脚が頭へ飛んで来る。左手でガードしたローエンは、脚を弾き返すと膝を顎に入れ、そして腹をそのまま蹴り飛ばした。
「ぐぅっ」
咄嗟に右腕でガードされた。倒れるにはダメージが足りない。そう判断したローエンはさらに拳で顔面へ追撃するがまた防がれる。
「……反応いいな」
「お返しだっ!」
そのままアランの右拳が飛んで来るが、首を軽く曲げて避けた。そしてその右腕を捕まえると、片手で青年の体を投げ飛ばした。
「ぐあっ!」
廃工場の窓ガラスに突っ込むアラン。派手な音と共に中へ消えた彼を、ローエンは追った。
割れた窓ガラスを超えて入った先では、額や手足を切ったアランがゆっくりと起き上がっていた。
「アイテテ……」
「なかなか頑丈なもんだ。すぐ畳んでやるつもりだったが少し骨が折れそうだな」
「……折ってやるよ、何本でも……」
そんな言葉を吐きながら立ち上がるアランを、ローエンは嗤う。
「この状況でよくイキがれるな」
「全然効いてねェってんだよ」
「────調教が必要みたいだな、クソガキ」
今、ローエンが考えていることに、当初の目的は含まれていなかった。和解できるなんて、そんな甘っちょろいことを自分が思いついたことさえ不思議なくらいだった。この青年が持つ恨みの念を真正面から受け止め、そして、完膚なきまでにその心を折ってやろうと────あるいはその先で、一つの命が奪われることもローエンは許容した。
……それが、例え自分のものであっても。
*
リアンたちは、やがて大きな廃倉庫に辿り着いた。屋根すらまともにない朽ちた倉庫だったが、中に人の気配がする。基地らしく色んなものが置かれたその空間に、彼らは足を踏み入れる。入り口にはどこからか運ばれてきたタイヤやトタンの壁が置かれて、奥の様子は見て取れない。木の棒とボロボロの布で簡単な入り口が作られていた。
「……秘密基地って感じですね」
エリオットがぼそりと呟いた。全員が倉庫内に入ったのを見計らって、殿にいたシェリルは一行の前へ出て、ダミヤへと鉄パイプを突きつけた。
「……弟を降ろせ」
「ええんか。もう少しマシな寝かせられるとことか……」
「いいから降ろせ!」
「はいはい……」
そっと、ダミヤは屈んで少年を地面に寝かせる。フィンリーの攻撃がしっかり入ったようで、まだ目覚める様子はなかった。ダミヤが両手を上げながら後ろに下がると、シェリルは少年へと駆け寄った。
「メア……メア! 起きて」
強く弟の体を揺さぶり、その頬をぺちぺちと叩く彼女。やがて、少年の瞼が震えて目が開いた。
「……姉さん……?」
ホッとした様子のシェリル。メアと呼ばれた少年は体を起こし、いててと呻く。そして、リアンやダミヤたちの姿に気がついてハッと姉に体を寄せた。
「…………お前ら……!」
「何もしないよ。襲って来たのはそっちでしょ。……頼むからその……ジェイだっけ? に会わせてくれない? 話がしたいだけなんだよ」
穏やかにリアンはそう言った。困ったようにメアはシェリルの顔を見る。シェリルは立ち上がると、くい、と顎で奥を差した。
「……着いて来い」
「姉さん!」
「……アランはジェイに任せるって。行くよメア」
「だけど……」
「いいから!」
弟の手を引いて、シェリルは奥へと入って行った。リアンは振り向いてダミヤたちに目配せすると、彼女たちの後を追った。
広がった空間の奥に、タイヤのタワーがある。その麓に、男女が合わせて四人。その中に見知った姿を見つけ、思わずフィンリーは叫んだ。
「レノ!」
「!」
その小さな姿は声に反応して、こちらを向く。驚いた大きな瞳が見開かれる。
「……フィン……ちゃん? 何で……」
「良かった……!」
飛び出そうとしたフィンリーを、ダミヤが片手で止める。無言で首を振るダミヤに、フィンリーは唇を噛んで踏み止まる。
「シェリル! メア! アランと一緒に襲撃者の対処に行ったんじゃなかったのか?」
奥からコートを着た少年が叫ぶ。そのファーつきコートは少年の体にはそぐわない大きさで、随分とボロボロだった。恐らく襲った街の人間から奪ったものだろうということが見て取れた。
「アランは“悪魔”と戦ってる────こいつらは、話がしたいって言って……アランはジェイに任せるって」
シェリルが言うと、ジェイらしき少年はこちらへ歩いて来た。彼はアランよりもいくらか歳下そうだった。
「君がジェイか。俺はリアン。……敵意はないよ。俺たちはスラムを建て直したくて、君たちの力を借りたくてここに来た」
リアンは慎重に言葉を選ぶ。彼らは自分たちを無条件に敵視している。それはアランの言動からして明らかだった。彼はここの絶対的なリーダーのようだし、その思想の元、幼い少年少女たちは行動しているように見えた。
ジェイはシェリル越しに、こちらを品定めするように目を細めて見ていた。そして彼女の肩を押し退けると前へ出て来る。
「……話がしたいって言う大人は今までもたくさんいた……でも、力を借りたいってのは初めてだ。皆んな保護するとか何だとかしか言わないからな。…………保護したいって言ったらぶっ殺すぞ」
「君たちの自立性は理解してるよ。君たちがこのスラムの自警団を名乗っていることも」
獣のような目だと、リアンはそう思った。警戒心剥き出しで、手を伸ばすタイミングを間違えようものならすぐに噛みつかれる。簡単には信用してくれないだろう。アランはシェリルに『信用するな』と言ったし、それを突き崩すのには苦労するだろうが────。
「端的に言うと、俺たちはこのスラムを……とりあえず一部からでも、立て直したい。このズタズタな治安とか……機能してないインフラとか……」
「へえ。そんなこと言う奴がいるなんて。具体的には?」
ジェイは面白がった様子で話を聞いて来る。リアンは続ける。
「まずは……スラムの中心辺りに教会があるだろ? あの辺りを拠点に、建物の修繕と、働ける場所を作ったり……水道の整備とか、警察署の配置がしたい」
気づくと、ジェイの後ろにシェリルたち姉弟の他に、奥にいた少女一人と、レノと、ローエンを襲ったあの少年が近付いて来ていた。リアンは緊張を覚えながらも、言葉を紡ぐ。
「その時に多分、それをさせたくない奴らが邪魔しに来たりすると思うんだ。そういうのの対処を、君たちに手伝って貰ったりとかして欲しい。勿論報酬も出すし、寝食には困らないようにする。……どうかな」
「……つまり、俺たちに傭兵みたいなことをさせたいってこと?」
「そうなるね」
「ふぅん。あんた、俺たちの扱いをよく分かってる方だな。……でも一つだけ気に食わない」
「…………というと?」
「このスラムは俺たちのものだ。それを……外から来たあんたらが、勝手に開拓しようだって? 俺は知ってるぜ、今のスラムがあるのは、あんたら街の人間が見捨てたからだ。……それだってのに、戻って来て“立て直したい”なんて言って、挙句に俺たちを“雇いたい”たぁ……虫が良すぎるんじゃねェの」
警戒が、敵意に変わったのをリアンは感じた。だが、まだ決裂には早い。
「……それは確かにそうだね。ずっとこの環境で必死に暮らして来た君たちには、納得の行かない話だと思うよ。俺たちは豊かに暮らせる街の人間だし……だからこそ、交渉してるんだ。お互いが納得出来るように」
「交渉って言うのなら、俺たちの要求も飲んでくれるわけだよな」
「それは勿論、出来ることならね」
ふうん、とジェイは首を傾げて笑った。
「……あんた、スラムに慣れてるな。そんな感じがする。じゃあ簡単な問題だ。俺たちがアランに従ってるのは何でだと思う? 俺が二番目な理由は?」
「…………」
厚いブーツを鳴らしながら、ジェイはさらに前へ出て来た。
「答えは単純、アランが一番強いからだ。そんで俺はその次に強い。金も何にもないこの世界じゃ力だけが頼りだ。だから、強い奴には従うよ、俺たちは。……言いたいこと、分かるよな」
「…………雇用関係は上下関係、つまり俺が君より強くなきゃ嫌ってこと?」
「話が早くて助かるよ」
密接した距離。ジェイはリアンを見上げて笑う。
「……交渉者はあんただろ? あんたが俺と決闘しろよ。それでいい」
少し考えたあと、リアンは彼を見下ろし、応える。
「……いいよ」
「ちょい待ちぃや」
案の定、ダミヤが口を出して来るがリアンは手で制した。
「…………俺じゃなきゃダメだろ?」
「よく分かってんじゃん。いいね、あんた」
正直、リアンは代理を立てていいかと訊こうと思った。自分はそこまで戦闘を得意としないからだ。後ろにいるダミヤやフィンリーの方が遥かに強い。だが、そんな都合の良いことを言えば、彼は納得しないだろうということを感じた。弁が立つからと、自分が交渉に立ったからにはその責任を負うのは自分でなくてはならない。それに、ローエンに「あとのことは頼んだ」と言われた以上、ここで逃げるわけにはいかなかった。
コートの袖口で、何かが閃いた。反射でリアンは身を翻し、突き出された刃を躱した。包丁のようなサイズ感のその大ぶりの刃に、リアンは思わず乾いた笑みが出る。
「……それ剣鉈? 怖……」
「スラムに入り込んだ害獣を狩るには丁度いいんだよ」
リアンはポケットから折り畳みナイフを取り出して展開させる。それを見たジェイは鼻で笑った。
「そんな小さなモンで対抗する気か?」
「俺にとっちゃ心強いお守りなんだよ、これは」
そのナイフをかつて送った人に、力を貸してくれと祈り、リアンはそれを強く握りしめた。
#41 END




