第34話 それぞれの落日
デスクで依頼の確認をしていたリアンは、外の階段を登って来る気配に顔を上げた。やがて扉が開いて、ローエンが入って来た。
「おかえり。どうだった?」
「まぁ、なかなか複雑だ。………色々面倒だが、やるしかない」
「そう。あ、マリーさん、またよろしくだって。報酬金も振り込まれてたよ」
「無事に帰れたみたいだな、良かった」
大人の女性だ。普通はそんなに心配することはないのだが、彼女の小柄さからしてなんだか心配になってしまう。例えるならば、小さな子供をお使いに出したような気分だ。
なんて、本人に言ったら失礼になるだろうが。少なくとも、リアンが駅まで送ったことは親切と受け取ってくれたようだ。
さて、とローエンはリアンのデスクの前に立った。
「仕事だ。また情報収集を頼みたい」
「えー。また俺だけ働かせる気?」
「利用しろって言ったのはお前だよ」
「そうだけどさ……」
口を尖らせる。ローエンはため息を吐きながら肩を竦めた。
「……まぁ、俺も気になるから手伝うけど。AFTの手伝いもしながらになるが。………途中で出会うかもしれないし」
「? 何が」
ローエンはソファに腰掛ける。リアンも向かいのソファへ移動する。彼が座ったのを見計らって、ローエンは話し始める。
「簡潔に言う。あの少年の父親を殺した犯人がいる。その調査と……スラムで集団で暮らしてるらしい子供たち。その実態を調べる」
「へぇ。そう」
「驚かないんだな」
「そりゃ。こちとら何年もプロの殺し屋やってたんだから。ありゃどう見たって自殺に偽装された他殺死体だったよ。でも、犯人は偽装に慣れてないね。詰めが甘い」
あっけらかんと言うリアン。彼は遠目にしか見ていないはずだが。彼が言うならそうなのだろう。その言葉には妙な信頼感があった。
「犯人像は絞れるか?」
「そうだな……まず、左利きの可能性が高いってことかな。傷口は……俺からはよく見えなかったけど」
「鋭利なものでざっくりだ。刺されたというよりかは切られた感じだった」
「なるほど。じゃあ左利きだね。ガラス片を握って切りつけた。そんで、その時左手を切ってるはず。だから死体の手にも傷をつけた。ほとんどの人間が右利きだって思ってたか……自分が左利きだから、右手に持たせたのかは分からないけど、そうした」
まるで名探偵のようだな、とローエンは思った。だが、そこで一つ疑問が浮かぶ。
「………何故、偽装する必要があったんだ?」
「さぁ。でも殺人においては常套手段だろ。自分が犯人だとバレないために。俺たちもよくやったよ」
「でも、無法地帯のスラムでそんなことする必要はない」
「そりゃそうだ。だって誰も裁かないんだもんね」
リアンは皮肉げに笑った。ローエンは笑えない。顎に手を当て、首を捻る。
「………犯人には、自分が殺したとバレてはいけない理由があった…」
「もしくは、自殺に見せかけて殺す必要があったか、だね」
「? 同じだろ」
「全然違うよ。目的と手段が逆だ」
人差し指を立てた両手を、交差させて振るリアン。そして、前屈みになるとニヤリと笑う。
「後者だとしたら、犯人は少年に自殺した父親を見せたかったんだよ」
「………何のために」
怪訝な顔をするローエンに、リアンは片眉を上げた。
「さてね。それは本人を探し出して聞いてみないと」
「……左利きっていう情報だけじゃ探せない」
「偽装に不慣れ。まぁ、プロじゃないってことだ。スラムの住人か、新市街のチンピラなのかは分からないけど。それから多分、男だ。背丈は大人とそう変わらない。どう?」
「大差ない」
「そっか。……凶器から指紋が出ても、前科がなきゃ分からないしね。あとは……動機だ。そうする必要があった人間だ」
「………」
考えたって分からない。今あるカードでは答えは出ない。当たり前だ。これで答えが出るなら調査なんかいらない。……カードといえば。
「………レノ……あの少年が言ってた、アランって奴が気になる」
「へぇ。どういう奴なの?」
「分からない。だが、スラムで集団で暮らしてる子供の一人だろう。レノはそいつに『壁の向こうの大人は信じるな』って言われてたらしい」
「……へえ、それは。なんとも香ばしいね」
笑みを浮かべ、顎髭を撫でるリアン。その顔はとても楽しそうに見えた。
「名前さえ分かれば、何とかなるよ。三日で調べよう。十分だろ?」
「十分すぎる」
「よし来た。報酬はお前の飯三食三日分でいいよ」
「そんなんで良いのかよ」
「金は食えないもんね。でもお前の飯は美味くて腹も膨れる」
「金で買えばいいだろ飯くらい」
「馬鹿だね。お前の飯はスーパーには売ってないでしょーが」
カフェでは出ているが。いや、正確にはローエンのレシピで違う人が作ったものだが。そんなに俺の飯が食いたいのか、と思うと同時に、なんだかんだリアンの世話をしている自分に気付く。くそ。そんなつもりじゃなかったのに。でも、なぜかそんなに悪い気はしなかった。思えば、ここしばらく色んな人のために飯ばかり作っている気がする。料理人になれば、とかつて言われたのを思い出した。なる気は毛頭ないが。
「よーし、美味い飯食えると思ったら元気出て来た。もうカップ麺じゃ暮らせねェよ。あ、俺はしばらくAFTには顔出さないから、よろしく」
「ハイハイ」
情報屋として動くリアンが、一番活き活きとして見える。やはり向いているのか。自分が一番輝ける役割だと、リアン自身が理解しているのか。その腕を買われてかつて拾われたことを誇りに思っているのか。何がともあれ、情報屋としてのリアンの働きは十二分だ。心配しなくて良い。
ローエンは自分のデスクへ移動した。パソコンを開くと、ハイデマリーからのメールが届いていた。
*
夕陽が街の向こうへ沈んで行く。スラムと街を隔てる壁が、茜色に染まっていた。フィンリーは小さな手を握りながら、新市街の南の端を歩いていた。彼女の重い足取りとは裏腹に、少年は元気そうだった。
「……そういや歳……聞いてへんかった。いくつなん」
レノはフィンリーを見上げた。大きな茶色の瞳に、茜色が映る。少し悩むように考えて、レノは答えた。
「6才。……たぶん」
「そうか……」
幼い。本来なら、まだまだ親にたくさん甘えるべき歳だ。でも、この子には母親も父親もいない。守ってくれる大人がいない。子供たちだけで、生きていけると言い張る。だからこうして、迷いなく彼はスラムに向かっている。
「フィンちゃんは、何才なの?」
「ウチ? ウチは49やで。もうじき50やな……」
答えながら、しみじみとする。人生の折り返しを過ぎた。知らない間に随分歳を食ったものだと、そう思った。
「フィンちゃんは、家族はいないの?」
「……おるよ。故郷に、親がおる」
「お父さんもお母さんもいる?」
「おるよ」
一人娘だった。兄弟はいない。両親を置いて、町を出て来た。先に町を出たダミヤを追って出て来た。仕送りはしているが、70を過ぎた老年の父と母に、もう何年も会っていない。
「いいなぁ」
「レノ君の、お母さんはどしたん」
聞いてはいけないと思って聞かないでいたのに、思わずそう言ってしまった。少年は首を傾げた。
「うーん。わかんない。いたってお父さんは言ってたけど、おれは会ったことないよ」
「そおか」
「……でも、フィンちゃんみたいな人だったら、いいなぁ」
「………」
ぎゅっと、胸が締め付けられるようだった。息が詰まる。フィンリーは足を止めた。そこは、スラムの入り口だった。
「あ、着いたよ」
「………レノ君」
フィンリーは屈んだ。サングラスを外して、レノと目線を合わせた。
「なぁに」
「これ、あげるから。しっかり持っとき」
ポケットから、飴玉の包みをいくつか出して、少年の手に握らせた。にこりと優しく微笑んで、言う。
「お腹空いたら、食べるんやで。お友達にあげてもええよ」
「……これ、おいしかったやつ」
「そうやろ。甘いものは、食べると幸せになれるんや」
手の中の飴玉を見つめ、レノはぽつりと呟く。
「お父さんにも、あげたかったな……」
「……そうやね」
フィンリーは立ち上がった。小さな少年の頭は、遠い。
「またいつでも会いに来てや。いくらでも飴ちゃん用意しとくから。お友達によろしゅうな」
「うん。フィンちゃん、ありがとう」
「スラムは危ないから、気ィつけてや」
「大丈夫だよ。なれてるもん」
少年はフィンリーの元を離れて、スラムのゲートを潜った。振り返って、大きく手を振る。フィンリーも手を振り返した。茜色の廃墟に少年の影が消えて行く。目が痛くなって、フィンリーはサングラスを掛け直した。
「……あかんで、フィンリー」
目頭を抑えた。どうにも出来ない。この気持ちも、少年の生きる現実も。あの時、会議室でダミヤに止められて、続きを言えなかった自分の弱さに腹が立った。
(………エゴなんか。これが。あの子は、あんな顔して、母親を恋しがるのに)
自分に子はいない。伴侶もいない。いても、もう子を作れる歳じゃない。
(……なりたかったんかな、ウチは。でも、ダミヤくんが結婚した時、諦めたはずや)
独りだ。ずっと、そうどこかで思っている。満たされない自分がいる。その穴の代わりを、自分はあの子に求めてしまっていたのかもしれない。だとしたら、それはエゴだ。自分勝手だ。ダミヤが止めたのは正当だ。……他でもない、ダミヤに止められた。それが悔しかった。
(ウチの気も知らんで。呑気なモンやなダミヤくん。アンタは昔からそうや。やからそういうフリをした。ウチも合わせて、それで、側におれれば良い思てたんや)
顔を上げる。サングラス越しでも夕陽が眩しい。昔から目が光に弱かった。だから、いつもサングラスをしている。自分の本音を隠すように。視線を気取られないように。どんな目をして、自分が彼を見ているのか、知られないように。
(……ずるい男やで。ウチのこと、ほんまにただの相棒としか思うてへんのやろ。ずるいわ)
踵を返す。少年が、無事に明日の朝を迎えられるように祈った。心は穏やかじゃない。腹が立つ。何もかもに。少年をこの手に引き留められなかった自分にも、自分を知ったように諭すダミヤにも、不条理なこの世界にも。
拳を強く握りしめた。壁をガンと殴りつける。分厚いコンクリートの壁はビクともしなかった。指が痛かった。痛みから逃げるように、フィンリーは夕陽の中を走り出した。
*
東の空が群青に染まり始めた頃。レノはとある廃墟にたどり着いた。窓にはガラスがひとつもなく、屋根も抜けて天には星空が覗いている。薄明かりの中、奥に五人の少年少女がいるのを見つけた。
「アラン!」
レノはそう呼び掛けて、駆け寄った。奥で古びたタイヤの塔の上に座っていた、一回りほど歳上の、日に焼けた青年がレノに気付く。
「レノ。レノじゃないか。どうしたこんな夜に」
「……おねがい。今日から、おれもいっしょにいさせて」
青年、アランはタイヤから降りると、擦り切れたズボンのポケットに手を突っ込んで近付いて来た。
「お父さんは、もういいのか。一緒にいてやるんじゃなかったのか」
「………お父さん、死んじゃったから」
「……そうか。悲しいな。一生懸命守って来たのにな」
レノは俯く。俯いた頭を、アランの手が撫でる。
「よしよし。可哀想に。もっと早くに迎えに行ってやれば良かったな」
「……ううん。お父さんといっしょにいるって言ったのは、おれだもん」
顔を上げたレノ。アランと目が合った。青い瞳は笑っていた。
「勿論、歓迎するよ、レノ。お前は元々俺たちの仲間だからな。弱いお前は俺たちが守ってやる。街の悪い大人たちは、皆んな俺たちがやっつけるからな」
「………うん」
レノは、ポケットを握りしめた。その時、ふと自分の頭を撫でていたアランの左手に目が行った。
「……それ、どうしたの」
「ん? あぁ。大したことない」
アランは汚い布を巻いたその手を翻して見せた。掌には薄っすら、赤色が滲んでいる。
「ちょっと、転んで切ったんだ。すぐ治るよ」
そう言って、アランは笑った。レノも笑い返す。
「……そうなんだ。早く、良くなるといいね」
#34 END




