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Strain:After tales  作者: Ak!La
30/53

第30話 その街はかつて

 自分が抜ける代わりに、店番はローレルたちに頼んだ。昼の三時頃。小腹の空いた客が、軽食を求めて入っている頃だろう。

 アントニオとソニアは、スラムの入り口前で壁に寄り掛かっていた。ダミヤたちはまだ来ない。そう言えば、二人きりになるのは初めてかも、とアントニオは思った。急にドキドキし始めた。

 アントニオは、十年前にソニアと遊んで別れたあの時から、彼女を意識している。人の感情に敏感なブルーノにはすぐバレたが、彼女にはまだバレていないと思う。隣で空を眺めているソニアは、綺麗だし、可愛いかった。昔はそれほど変わらなかった背丈も、今はかなり差があって、ソニアの頭はだいぶ下にある。小さい、というほど彼女の背は低くないが、自分よりも小さい彼女を、守りたいと思った。……実際のところは、アントニオは今怪我をしていて戦えないし、何ならソニアの方が強かった。我ながら情けない。

「ねえ、トニー」

「えっ、なに」

 突然、ソニアが話しかけて来た。思わずびっくりしてアントニオは声がひっくり返る。空と同じような色をした青い瞳が見上げて来る。

「どうしてスラムは、スラムになっちゃったんだと思う?」

「え……さぁ……分かんないな……新市街が出来たから?」

「理由にならないよ。だって、街が出来たから一つ街がなくなるなんて、おかしいでしょ?」

 それはそうだ。もしそうなら、廃墟になった街はもっとたくさんある。

「昔は、普通に大きな街だったんだって。大きな工場だってあったし、たくさん人が住んでた。でも、捨てられちゃった」

「………何でなんだろうな……」

 自分はこの廃墟で生まれた。そのはずだ。街に住んでいた記憶はない。少なくとも、物心ついた頃にはそこが自分の世界で、そういうものだった。ソニアだってそのはずだ。

 どうしてか、だなんて、その理由を考えようとは思わなかった。考えたって無駄だと思った。そういうものだから。

「……理由なんて、考えたって仕方ないよ。昔の人たちのことなんて、分からないし」

「………そうだね」

 ソニアはそう応えて、俯いた。憂いを帯びたその表情は、どこか心ここに在らずという感じだった。

「……ソニア」

「何?」

 顔を上げたソニアの目が、アントニオを捉える。特に何も考えていなかった。彼女の意識をここに呼び戻したくて呼んだ。だから、アントニオは彼女の目を見たまま、口をぱくぱくさせた。

「あっ……あの……えっと……」

「もう、どうしたの。いつもそんな感じじゃないじゃん」

「……いや、何でもない。呼んだだけ……」

「何それ」

 クスッとソニアは笑う。それから、彼の目を見ながら、少し困ったような笑みを浮かべた。

「…………トニーはさ、スラムが怖くない?」

「え? うーん……」

「私は怖いよ。トラウマが無いわけじゃない。でも、お父さんがいたら平気。みんなと一緒だったら、大丈夫」

 ソニアは空を見上げる。壁の向こうにも、空は繋がっていた。雲が壁の向こうへ流れて行く。

「……俺も怖いよ、正直。運良くスラムから抜け出して、運良く街で暮らせるようになって。もう戻りたくないって思ってたこともある。でも、それじゃダメだって。……孤児院でブルーノたちと出会って、そう思ったんだ」

「えらいね。……私は、トニーに会わなかったら、今みたいにスラムのために頑張ろうって、思わなかったかも」

「ソニア……」

「だから、嬉しいんだ。トニーにまた会えてさ。故郷がまた、人に愛されるようになったら嬉しい。そうなったら良いなって、今は希望を持って思えるから」

 ソニアは笑う。その表情に、アントニオは胸を握り潰されるような思いだった。思わず、彼女の方へ体ごと向いて、身振り手振りが加わって口を開く。

「……ソニア、あの、あのさ、俺………!」

「何?」

「おうすまん、待たせたか」

「!」

 足音と共に、声がした。アントニオはしゅーと熱が冷める。警察の制服姿になったダミヤたちが現れる。

「いや、そんなに待ってないけど……」

「そうか、良かったわ。ほな行こか」

 率先して、入り口をくぐるダミヤ。後ろにアナスタシアがついて行く。それを見送って、フィンリーはこそっとアントニオに耳打ちした。

「ゴメンなぁ。ダミヤくん空気読めへんから」

「よっ……いや、何のですか。い、行きましょう」

 ややカクついた動きをして、アントニオはダミヤ達を追う。フィンリーはニヤニヤした笑みを浮かべ、ソニアは首を傾げる。

「青春や。ええなぁ」

「えっと……フィンリーさん、でしたっけ」

「ん。名前お父さんとかから聞いた? そうやで。フィンちゃんて呼んでな」

 にこ、と笑うフィンリー。大きくてカッコいい人だな、とソニアは思った。と、フィンリーはソニアの肩を組むとコソッと耳打ちした。

「トニー君、いい子やんか。どう思てるん?」

「えっ……その、トニーは小さい頃に会って……久しぶりに再会した友人で…………スラムを助けようと思って頑張ってて、すごいなぁって」

「ほんでほんで?」

「えっ……ええと……私も、助けになりたい、です」

 ソニアは訳が分からないままそう答えた。フィンリーは余計にやにやする。

「ふ〜〜〜ん。そうなんや。ソニアちゃんもええ子やね。お父さんとはえらい違いやわぁ」

「えっ」

「ふふ。ほな行こか〜、置いてかれんで。大丈夫、ソニアちゃんはウチが守ったるさかい」

「フィンさん、強いんですか?」

「そらもう。ソニアちゃんのお父さんも捻れるで〜」

「えぇ……」

 フィンリーに背中を押されるようにして、スラムの入り口をくぐる。さっきも見た、見慣れた光景が目に映る。隣に父はいない。でも。

「何してんねん。早よ行くで」

「ゴメンゴメン〜」

 ダミヤたちが待っている。フィンリーはソニアの手を引いて駆け寄った。五人の警察官。その姿がスラムにあるのを見て、ソニアは胸が高鳴った。

「ほな、探検にしゅっぱ〜つ!」

「勝手に仕切るなや。班長は俺や。てか元気やな」

「元気やないとやってかれへんで」

「お前の元気、逆に疲れるわ」

 太陽のような声に、辺りに潜む悪意が遠ざかって行くように感じた。

 ────これなら、怖くない。

 ソニアはフィンリーの手を握り返した。彼女がこちらを向く。

「案内します、フィンさん。私の故郷。…………どうか、よろしくお願いします」

「おう、任しとき」

 頼もしく、彼女は笑う。ダミヤを先頭に歩き始める。警察の制服は、それだけで存在感があった。



 いつもの教会。ソニアにとっては、随分と見慣れた教会だ。ここで父の帰りを神父と待った。

「なるほど、これが例の教会か」

「例のって何だ、嫌な言い方するなよ」

「あぁすまん」

 アントニオは鍵を開ける。キィ、と軋んだ音を立てて扉が開く。そこには誰もいない。しんとして、ただステンドグラスから色とりどりの光が差し込んでいた。

 足を踏み入れると、ミシ、と床板が軋む。手入れは皆がしているので埃っぽくはないが、古さはどうしても隠しきれない。

「………なるほどな」

「えぇ教会やな。長いこと守られて来た感じするわ」

 フィンリーは辺りを見回しながら言った。

「元は神父がおったんやっけ。なんか見たわ」

「はい。………でも十年誰もいなくて。学長さんとお父さんで管理してたんです。スラムの人たちの、心の支えでもあったからって……」

「そうなんか。で、今はトニー君とソニアちゃんらが使ってる言うわけやな」

「俺たちも、この教会には思い入れがあるので。使われないまま廃れて行くのも勿体なかったし。アザリア学園の学長さんの厚意で使わせて貰えることになったんだ」

「………なーるほどね。……ふーん。学長先生も一枚噛んでるんか。手広いな例の神父は……」

「なぁ、何でここの神父さんのこと悪く言うんだ?」

 アントニオは思わずフィンリーにそう訊いた。少し、怒った様子だった。

「んえ」

「あの人は俺の恩人だよ。何か悪いことをした訳でも……」

「何でも何も、殺人犯の共犯者……というか首謀者やろ。……てか、まぁ、そうか。うーん、難しい」

 フィンリーは首を捻る。アントニオは眉をひそめる。

「あの人はスラムの人間の味方だった。……何で死んだのか俺は知らないけど、あの人が遺したこの教会は俺たちがここで活動するのにも、心の支えになってるんだ」

「………ふーん、知らんの」

「フィン」

 ダミヤはフィンリーを制止する。ダミヤは勿論、フィンリーもダミヤがかつて担当した事件の記録は見ている。分かっとる、とフィンリーは眉を上げ目を瞑った。

「よう分かった。ここが中心にになる訳や。ウチらの屯所を作るなら、この近辺がええな。そうやろダミヤくん」

「せやな。……付近を見るか」

 教会を出る。再び鍵を閉め、周囲を見回した。教会の前は、少し拓けている。昔は広場として使われていたのか。辺りの建物はすっかり廃墟だ。窓ガラスは一つもないし、壁や屋根は崩れている。この教会だけがかつての姿を残しているようだった。

「……こりゃ一から建て直しやな」

「いつ崩れるか分からんなこんなん。ほんま……」

 フィンリーは辺りに微かに人の気配を感じた。教会近くに隠れ住んでいる人は多い。ソニアたちもまず、活動はこの辺りから始める。崩れそうな家にも、雨風を凌ぐ場所として人が隠れている。再建を始めるならやはりここからだ。

「………住人の許可とかあった方がええんかな」

 フィンリーはソニアを見る。ソニアは首を捻る。

「どうですかね。……このままで良いだなんて思ってる人は、いないと思いますけど……」

「思ってるのは悪党くらいだろ。な」

 アントニオの言葉に、ソニアは頷いた。ダミヤは顎をなでる。

「ほなら、妨害を警戒するなら新市街の悪党共から……いうことや。住人たちからは協力も得られるんちゃう。働き口として募集するのはアリや。せやろ」

「そう…だな」

 アントニオは考える。実際、事業に手をつけることになった時のことは、やっぱり今から考えておくべきだ。人を雇うなら、賃金を支払うための収入もいる。カフェだけで事足りるのか。それとも。

「他のところも見たいわ。ぐるっと一周しよか」

「あぁ、分かった」

 昔は大通りだったらしい、広い道を進む。スラムでも比較的安全な道だ。薄暗い路地とここでは雲泥の差だ。

 通りを囲む建物は、それなりに大きい。過去に人々が普通に暮らしていた形跡があちこちに残っている。店の跡はシャッターが降りているが、下が少し開いていたりする。割れたショーウィンドウの中は何もない。商品を並べていたであろう棚が乱雑に放置されている。看板を外した痕が壁に四角く残っている。何かの文字のような痕も時折見えるが、薄汚れてはっきりとは分からない。

「こうやって見ると寂しいものですね、昔はちゃんと人がいたのにって思うと……」

 エリオットがしみじみとそう言った。彼も何度もスラムには来ているが、街並みに注目したことはなかった。

「北の方はまだ、少しだけど営業してる店があるんだ。……悪い溜まり場になってたりするけど、新市街から訪れるそういう奴に頼って、暮らしてる奴らもいる」

 アントニオはそう言う。ロジーは眉をひそめた。

「それは……複雑ですね。害を為す者が恩恵ももたらしてるなんて」

「でも、それじゃいけませんよね。治安が良くなれば、普通のお客さんだって来るはずです」

 エリオットは廃れた商店跡を見ながらそう言った。いずれは、この辺りも活気を取り戻して欲しい。そう思った。

「それにしても……ただ街が過疎化して廃れることはありますけど、問題はそこに人らしい暮らしが出来ない人が集まってるってことですよね」

 アナスタシアが言う。ロジーは頷く。

「私の故郷も、段々人が減ってて。寂しい町になりつつありますけど……いつかこうなってしまうんですかね」

「……そうか、俺らの故郷か……しばらく帰ってないな。地方の田舎やし」

「風習もなんや古いからね。ダミヤくんのその刀みたいに」

「いずれはなくなるんやろな」

 ダミヤとフィンリーは淡々とそんなことを言う。他にも廃れようとしている所があるんだと、ソニアは思った。

「ダミヤさんたちの故郷は、どんな所なんですか?」

「うーん。山の方。町いうより村に近い」

「その昔、はるか東方から、“サムライ”ゆう刀一本で恐ろしく強い人らが移り住んできて作った村やいう話や。ウチらはその七人のサムライと三人の刀鍛冶の子孫やって散々聞かされたな。ダミヤくんの元奥さんは刀鍛冶の家やね」

「ま、その伝説はホンマか知らんけど。数字がなんか仰々しいやろ。いかにもって感じや。ま、そんな大した町じゃない」

 ダミヤとフィンリーのフィジカルを知っているアナスタシアとエリオットは、あながち嘘じゃなさそうだなと思った。ダミヤの娘のロジーも、そういうポテンシャルを秘めているのかもしれない。

「そんな小さな町やなくて……ここまで大きい街がここまで廃墟になると、何というか、すごいなぁ」

「せやな。よう今まで倒壊せんと残ってんなどれも」

「南に行くと倒壊した建物も増えますよ。自然なのか、壊されたのかは分からないですけど」

「あぁ、なんか見た覚えあるわ。なるほどな。分かりやすいわ」

 ダミヤは頷く。と、その時遠くで何か声がした。

「………聞こえたか」

「うん」

 フィンリーに続いて、アナスタシアたちも頷いた。ソニアは男の叫び声だったような気がした。アントニオも身構える。

 声のした方に駆け出した。そこは普通の民家だったらしい廃墟だった。二階の開いた窓からボロボロのカーテンだったものがはためいている。中から男の声が聞こえて来る。

「………普通に出くわすもんやな」

「今朝もありました……」

「そうなん。ほんま物騒やね」

 ソニアの言葉にフィンリーはそう返すと、伸びをした。

「待っとり。ちょっと見て来るわ。ダミヤくん頼むで」

「気ィつけてや」

「誰に言ってんの」

 ドアのない玄関から、フィンリーは一人入って行く。電気がつかない部屋の中は暗かった。入ってすぐの所で、部屋を見回している男を見つけた。

「あいつっ……どこ行きやが……なっ⁈ 誰だ!」

「こんな所で何してんの。話聞こか」

「けっ、警察⁈ やべぇ、ど、どうしてこんな所に」

「ウチらは正義の味方やで。後ろめたいことがなかったら仲良うできるわな」

「にっ、いや…でも……くそ……あのガキを見付けないと……」

 男は狼狽えている。フィンリーから逃げるか、ここに留まるかを迷っているようだった。

「探し物なら手伝うけど?」

「うっ、うるさい!」

 男はハッと、落ちている古びた金属バットに気が付いて手に取った。前の家主が置いて行ったのか、それともその辺のチンピラの忘れ物か。

「……都合の良い」

 フィンリーは一つため息を吐いた。男がバットを振りかぶってかかって来る。それを彼女は素手で受け止める。手でしっかりと掴まれ、男は困惑する。

「……うえっ⁈」

「バットは人を殴るモンちゃうで、なぁ。ボールを打つモンや。知らんのか? 人を殴る時は、こうせな」

 右拳を握りしめたフィンリーは、男の腹へ突きを繰り出した。バットと一緒に吹っ飛んで、壁にぶつかって男はぐったりとする。カラン、と床でバットが転がる。

「よわ。……まーそんなもんか」

 さて、とフィンリーは男の懐を探る。身元を示すものを探してみるが、見つからない。携帯はあったがロックが掛かっている。ロック画面にはこの男と他に女と少女が一緒に写っていた。

「……こんなんでも家庭持ちか。世も末やな」

 ため息を吐きながら、フィンリーは携帯を男に戻した。辺りを見回す。人の気配はない。家財道具はほとんどなかった。壁際に大きな戸棚が放置されているが、中身は空だし、戸も外れて朽ちている。何もないシンクは黒カビが沸いている。全体的に空気が淀んでいて、人が住んでいた形跡はしばらくない。

 他に人の気配がないのを確認し、フィンリーは二階に上がる。あの男は誰かを追っていた。『あのガキ』と言っていたから、子供だろう。この家に逃げ込んだのか。

 階段が軋む。床が抜けそうだと思いながら進む。二階はもっと何もない。一室だけ扉が閉まっていた。近付いて、ドアを開けようとノブに手を置いた時、扉の向こうで息を呑む気配がした。キィ、と音を立てて開いた先に、小さな目と目が合った。少年が部屋の隅で縮こまって固まっている。何かを握りしめていた。


#30 END

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