第3話 AFT
二日後。今日は休日である。ソニアはリノと街に出て来ていた。目的は特になく、二人で気になった店に入って服やアクセサリーを見ているだけである。
二人の両手には既にたくさんの紙袋があった。だが、二人はまだまだ店に行き足りない。
「そろそろどこかでお昼にしよっか」
リノがそう言った。時刻は昼の1時。朝から出て来ていたのだが、いつの間にやらこんな時間である。
「そうだね」
お腹空いた、とソニアは呟いた。昼時は外れているので、どの店も大体は空いているだろう。
「あ、あれ何だろう」
通りに何やら人垣が出来ている。気になった二人は、後ろから背伸びして覗いてみた。どうやら大道芸らしい。ジャグリングのピンが宙を円を描いて飛んでいるのが見える。
「わぁ、すごい」
ソニアは思わずそう声を上げた。
ジャグリングを披露しているのは短い赤毛の青年だった。なんとその目は閉じられている。……そして、手の様子が何かおかしい。
「……あれ、義手?」
「本当だ」
青年の両手は明らかに作り物だった。しかし、それを感じさせないくらい、その手は器用に動いている。
彼は完全に目を閉じている様だった。しかし、視界を遮ってなお、その手はピンを捉え、美しく回していた。
彼は一際大きくピンを投げると、全てを受け取って手を広げ、そして優雅にお辞儀した。人垣から拍手が起こる。そしてその中から青年と同い歳くらいの少女が二人現れ、袋を持って観客達の前を回る。その袋には、次々と金が投げ込まれる。
「……私達も入れて行こう」
感動したソニアはリノにそう言った。そうだね、とリノも頷く。人垣を割って、離れて行く人達と入れ違いに前へ行こうと思った時。
「ソニア……?」
「!」
突然、男の声に呼び止められてソニアは振り向いた。そこには、見知らぬ青年が立っていた。覚えがない。誰だろう。
「……あの?」
「やっぱり!ソニアだよな!」
「え、えっと、どなたですか⁈」
誰だ、この男は。見た所年齢は自分達とそう変わらない。今目の前で大道芸を披露し、そのお捻りを集めていた人達も。
「……あー、そうか、声も変わってるし分かんないか……」
青年はしょぼん、として言った。その様子に、ソニアはあれ、となる。記憶のどこかがチクリと刺激された。黒髪で、翡翠色の瞳をした少年。
「俺だよ俺、ほら、10年前……ちょっとだけだけど、教会で遊んだだろ」
「………………トニー!」
「そう!」
うわぁ、とソニアは思わず抱きついた。後ろでリノが訳が分からず戸惑っているが、そんな事は眼中にない様でソニアは興奮した様子で言う。
「トニーだ!うわぁ、凄い変わってるから分からなかった!」
アントニオ。彼は10年前、人攫いからローエンに助けられ、教会に預けられていた少しの間、ソニアと仲良くなった少年だ。そんな彼が成長して、目の前の青年に。
「……君も変わったなぁ、いや、本当」
アントニオは照れ臭そうに頭を掻いた。青年になった彼は随分と背が伸びていた。ローエンとそう変わらない。
「あ、あの、ゴメン、誰なの?」
「あ」
リノがコソッとソニアに耳打ちして来たので、ソニアは申し訳ない気持ちになって説明する。
「えっとー……アントニオ。友達」
「よろしく」
「……リノです。よ、よろしく……」
学校以外にも友達いたんだね、とリノはソニアの袖を引っ張った。ソニアは笑って誤魔化す。
「こんな所で何してるの?」
ソニアはアントニオにそう訊いた。
「えーっと、募金だよ。でもそれじゃあなかなか集まらないからこうして大道芸を」
「あの人達は仲間?」
「そうだよ。今ジャグリングしてたのはブルーノ」
「トニー、誰と話してるの?」
「!」
気付けば辺りの人々は解散していた。近寄って来たのはブルーノだ。彼が歩くと、カシャンカシャンと音がした。
「あ、ブルーノ。紹介するよ、ソニアと……リノだ」
「君の友達?」
「あぁ、まぁ」
そう、と言ってブルーノはソニアに近付くと、突然その義手をソニアの頰に当てて来た。
「……な、何ですか」
「あぁ、ゴメン、どんな人なのかなあと思って」
彼はまだ目を瞑ったままだった。何故だろう、とソニアは心の中で首を傾げた。
「……そうか、君がトニーがずっと言ってたソニアちゃんか」
「……トニー、ずっと私の事忘れてなかったんだ」
ソニアがそう言うと、当たり前だろ、とアントニオは言う。
「えーっと、リノちゃんはどこ?」
「えっ」
「あぁ、そこか、ゴメンゴメン」
彼は声に反応して、リノの方を向いた。そして、また彼女の顔に手を伸ばした。その様子を見て、ソニアは気付く。
「ブルーノさん、もしかして」
「ん?……あぁ、ゴメンね。僕、目が見えないんだ」
「!」
「でもまぁ、17年このままだし、慣れたよ」
「じゅ…………⁈」
「僕のは生まれつきだから。……この四肢もね」
と、ブルーノは義手でズボンの裾を捲った。その下から出て来たのは、義手と同じ質をした義足だった。
「……!」
思わずリノは手で顔を覆った。その気配を感じてか、ブルーノは困った様な顔をした。
「……ゴメン、驚かせちゃったかな」
「あ……私こそごめんなさい……」
そんな体で、さっきの芸をしていたのか。それを思うとますます凄い。ソニアは感心しつつ、アントニオに言う。
「それで……どうして募金を?」
「あぁ、俺達はボランティア活動をしてるんだ。スラムでね」
「えっ」
「俺達と同じ様な境遇の子供達を助けたくてさ。ブルーノも、他の仲間もみんな孤児院で知り合ったんだ」
「孤児院……」
「そ。教会を出た後、俺達は孤児院に入ったんだ。その後は里親に引き取られてさ。今、俺はアントニオ・レイモンドって言うんだ」
「そうなんだ。あ、私はね、ソニア・ローエンだよ」
「……あの殺し屋の名前ローエンじゃなかったんだ」
「あっ、ダメ」
「?」
ソニアはどきりとするが、リノはブルーノと話していてこちらの話は聞いていなかった様だ。ほっ、と彼女は胸を撫で下ろす。
「あ……殺し屋って言っちゃダメだった?」
アントニオは気付いて口を抑える。ソニアはこくりと頷く。
「うん。……それに、今は違うの。探偵やってる」
「探偵……へぇ。あの神父さんは?」
「あ……それは」
「何?」
スラムで活動していても知らないのか、とソニアは思った。
「教会……行ってない?」
「え、うん。あの辺りはあまり活動してなくて」
「……そっか」
「どうかした?」
アントニオは不思議そうに訊いてくる。ソニアはぐっと唇を噛み、それから意を決して言った。
「アクバールさんは……10年前に亡くなったの」
「えっ」
「今は、知り合いの神父さんがあの教会の管理をしてて」
勿論、ソニアはその“知り合いの神父”がニコラスである事は知っているが、事情を深く知らないアントニオにはあえてそう言った。
「……何で」
「色々あって。私もあまり詳しくは知らないけど」
「…………」
「……ごめん」
「何でソニアが謝るんだよ」
「何か……傷つけちゃったかなって」
「大丈夫。確かにちょっとショックではあったけど。お礼もしたかったしな」
そうか、彼にとっては恩人なんだな、とソニアは思った。彼女には彼の記憶は少し薄れて来ているが、あまり好きになれなかった事は覚えている。
「なぁ、そうだ。ソニアも良かったら俺達の活動に参加しないか」
「えっ」
「他に友達誘って来てもいいぜ。今ちょっと人手が足りてないんだ。…………出来れば、信用出来る人がいいんだけど」
「いいの?」
「勿論。お前は同じ出身な訳だし。……俺がリーダーやってるんだ。名前は“AFT”」
「アフト?」
「そう。…………まぁ、由来はいいや」
ボランティアかぁ、とソニアは心を躍らせた。面白そうだ。人の役に立つ。かつての自分の様に、苦しむ人々を助ける。なんと素晴らしい事か。
「やりたい……気持ちはあるけど」
「お」
「ちょっとお父さんと相談してからでいい?」
「あ、あぁ」
「でも前向きに考えとくね!あ、連絡先交換しよ」
と、笑顔で携帯を出すソニア。アントニオも応じ、二人は肩を寄せ合って番号を交換した。
「えへへ、これでまた連絡出来るね」
「あぁ、ありがとう……あの、ソニア」
「何?」
ソニアが首を傾げると、アントニオは口を開き、しかし何かを躊躇って首を振った。
「……何でもない。またな」
「?……うん、またね!」
と、ソニアはリノと共に去って行く。携帯を握りしめ、ぼうっとそれを見送るアントニオの腕を、ちょんちょんとブルーノは突いた。
「な、何だよ」
「ふふ。僕は君の顔は見えないけど、分かる事もあるんだよ」
「な」
「さては君、彼女に気があるね?」
う、とアントニオは赤面し、そしてパッと顔を逸らした。
「わ、悪いかよ……」
「いいや?まぁ、そんな所かなと思っていたんだ。君がソニアちゃんの事を話す時、その声が余りにも輝いていたものだから」
「……うぅ……」
「でも、彼女は少なくとも君をそんな目では見ていないよ?」
「……だよな。お前が言うなら違いない」
ブルーノは人より、他人の感情に敏感だ。目は見えなくても、その人の放つオーラや気配が見えている様だ。
「…………でもさ、成長したソニアを見てやっぱり俺は、あの子が好きだ。可愛いし。いい子だし。……何か惹かれるんだ」
「うん、まぁ、惹かれるというのは分からなくもない。彼女、僕の手脚を見ても何も驚かなかったし」
「そこかよ」
「僕にとっては重要な事だよ。何せ実の親にさえ気持ち悪いと捨てられたんだから」
やれやれ、とブルーノは肩を竦める。
「……お前もソニアに惚れてんの?」
「まさか。友達としては素敵だと思うけどね。彼女が入団してくれたら、僕も嬉しい」
と、彼は頷いた。出会ってすぐだが、ブルーノはソニアの事を気に入ったらしい。
「さて、いつまでもこんな所にいては邪魔になる。早く撤収しよう、トニー」
「そうだな」
この場に来ているのは四人。アントニオとブルーノと、同年代の女子二人。彼女達はずっと、通りの端で二人を待っていた。
「誰と話してたんだ」
その片方、ヘアバンドで前髪を上げている少女がアントニオに言った。その仕草や言葉遣いは、どこか男らしい。
「あぁ、俺の昔の友達」
「もしかして、いつも話していた人?」
と、そう言うのはもう一人の少女である。彼女はもう一人とは対照的に、女の子らしいお淑やかな雰囲気だった。
「……勘がいいなお前」
「あら、図星だったの」
「彼女もAFTに誘おうかと思って」
「……リーダーが言うならオレは反対しねえけどさ」
「……何か不満そうだなローレル」
「当たり前だ。だって、素性の知れない奴だぜ。なぁ、ジル」
「そうね、私達は皆んな兄弟みたいなものだし」
「…………ヴァージル……」
アントニオは困り顔になる。と、ヘアバンドの少女ローレルが腰に手を当てて言う。
「でも、あんたの観察眼は信じてるからな。言ったろ、反対はしないって」
「そうね。姉さんが言うなら私もそうするわ」
と、もう一人の少女、ヴァージルがそう答えた。彼女はローレルの妹である。
「……他の奴らにも話さねェと。ほら、とりあえず帰ろう。ここにいたら邪魔になる」
「分ーかってるよ」
「はい」
そして四人は、街行く人々の流れに沿って歩き出した。
*****
「あのねお父さん、聞いて」
家に帰るなり、リビングに面したキッチンで夕食の支度をしていたローエンにソニアは言った。
「何だ、今日の夕食はハンバーグだぞ」
「わーい、って、そうじゃなくて。あのね、私今日アントニオに会ったの」
その言葉に、ミンチをこねていたローエンはピクリと反応した。
「……アントニオ?」
「そう。覚えてない?」
覚えているも何も。つい先日ダミヤに調査を依頼されたボランティア団体の一つのリーダーではないか。いや、名前が同じだけかもしれない。
「……アントニオ・レイモンド?」
「そう。トニーよ」
「…………あぁ」
見覚えがあると思ったら。かつての日のあの少年だったか。ローエンは内心納得し、綺麗に形の纏まったハンバーグをトレイの上に並べた。
「……それで?」
「彼ね、ボランティア団体立ち上げたんだって」
知っている。何故ならその調査を依頼されたのだから。だが、依頼内容は娘にでも教えられない。
「へぇ、そうなのか」
「うん。で、私も入らないかって」
「…………」
そう来たか。そう来てしまったか。ローエンは内心眉間を抑えて首を振る。面倒な事になりそうだ。
「私ね、参加したいの。それに」
「そうか」
「でもね、やっぱりスラムって危険じゃない」
「……そうだな」
「でも、お父さんに護身術教えて貰ったし」
「うん……」
そう、教えた。ソニアが教えを請うものだから。殺人に至るようなものではない。身を守る為の最低限の技だ。
「……やってもいい?」
まずい。いや、むしろこれは好都合だろうか。ソニアが調査対象になるのは心外だが、内情は分かりやすくなる。そう悪いものでもないだろうし。第一、せっかくのソニアの「やりたい」という意志を否定したくない。
「いいんじゃねェか」
「本当⁈」
「あぁ、お前がやりたいってんなら」
ローエンはハンバーグをこね続ける。ソニアの方を何故だか見れない。それは、どこか後ろめたさがあるからだろうか。しかし、ソニアはそれを父が料理に集中しているだけと見て、特に気にはしなかった。
「やったぁ!じゃあトニーに早速連絡しよ!」
「えっ、お前、あいつと連絡先交換したのか」
そこで思わずローエンはソニアの顔を見た。ソニアはきょとんとして、その顔を見返す。
「え、うん。だってもう一回会おうと思ったらさ」
「…………」
早い。まず思ったのはそれだった。だが、確かに必要な事ではある。……何もおかしい事はない。
ソニアはるんるんとした様子で、携帯をいじりながら自分の部屋へと去って行った。もうすぐ夕飯だと言うのに。
「……ハァ」
なんという事だろう。運命の悪戯だ。でなければこんな事になるものか。
「……ソニアの行動監視するみたいじゃんかよ……」
まぁ、だが万が一そのグループが悪質なものだったら困る。大切な娘を、そんな所には置いておけない。
その時、ガチャ、と玄関のドアが開いて、「ただいまー」というヴェローナの声がした。キッチンからそのままローエンは「おかえり」と返した。リビングにひょっこり顔を出したヴェローナは、コートを着たままローエンの後ろへやって来た。
「ハンバーグ?」
「ん」
「あら、頑張って来た甲斐があったわ」
そう言う彼女に、ローエンは振り向いた。
「今日、仕事大変だったのか」
「……まぁ。ちょっとね。色んな服着てたくさん写真撮ってただけだけど」
「見られるだけでも人って結構ストレス溜まるんだぞ」
「…………そうね、確かに」
もうそこそこになるが、未だ慣れないようだ。時々どっと疲れる。ヴェローナはうーん、と考えそして悪戯っ子の様な顔をして言った。
「じゃあ、あんたが癒してくれる?」
「…………分かった。後でな」
ちゅ、と軽くローエンはヴェローナの額にキスをした。笑顔になったヴェローナは食器棚から皿を出し、料理以外の夕食の準備を始める。それとほとんど同時にローエンはフライパンに火を付けた。
#3 END