第24話 日常の狭間、交錯する糸
翌朝。ヴェローナが起きて来ると、リビングでローエンが新聞を読んでいた。
「……おはよう」
「おはよう」
ローエンは新聞を閉じると、キッチンに向かった。
「…………あれ、まだなの?」
「ソニアとルーカスには作って送り出したよ。俺は……これから」
チチチチと音を立てて、コンロに火が点く。横に用意してあった卵を二つ、手際良くフライパンに割り入れる。
「出来たての方が良いだろ」
「………まぁ。……アンタまで待ってることないじゃない」
「何だよ。昨日お前が言ったんじゃねェか」
昨夜の会話を思い出し、ヴェローナは目を逸らす。
「あれは、その……そういうことじゃないわよ」
「……違ったのか。まぁいいや」
ローエンなりに考えたのだが。不正解だったらしい。うーんと頭を捻りながら卵をかき混ぜ、あらかじめ切ってあったハムを投入しているとクスッとヴェローナが笑った。
「でも、ありがと」
「…………分からん……」
言ってる間にスクランブルエッグが出来る。それを二皿に分け、買ってあったパンを出して乗せ、最後にレタスとミニトマトを添える。
簡単だが見映えのいい朝食の完成だ。
「あら」
「どうぞ召し上がれ。……今日は休みか?」
「午後からよ。……あなたも?」
「まぁな。大きな仕事が一段落したから、今日はゆっくりするよ。夕方ソニア達の学校が終わったら出る」
「そう」
ふと、ヴェローナはローエンがさっき読んでいた新聞のことが気になった。
「……何か載ってた?」
「ん?」
「新聞。さっき読んでたでしょ」
あぁ、とローエンはパンを食べながら隣の椅子に置いてあった新聞に目を向けた。
「…………昨日の件がどう報じられてるのか気になって……」
「昨日の?」
ローエンは新聞を手に取ると、ページをめくってヴェローナに渡した。
「『捨てられた街で検挙、人攫い組織とスラムの子どもたちの実状』……へぇ」
「協力してる警察官に記者の友人がいてさ。頼んでもらったんだ」
「そう。…………この記事の内容にアンタが関わってるわけね」
「まぁ。さすがに名前は出ない……というか、俺たちのことより人攫いとスラムの住人たちのことに重点を置いてもらってる」
と、ヴェローナは顔を上げ、ジトッとした目でローエンを見る。
「……やってること、昔と変わらなくない?」
「か、変わるよ」
殺してないし、とは口に出しては言えなかった。そのワードはあまり彼女の前では言いたくなかった。だが彼女は記事の内容から察してくれたらしい。
「そう……。捕まえたのね。ちゃんと公的機関が動いてくれるようになって良かったじゃない」
「前からチマチマやってはくれてたんだけどな。こういう大きいのはようやくって感じだ。………もう少し人手があるとやりやすいんだが」
「そんなに少数なの?」
「警察の方は四人……あぁいや一人増えたけど」
「少なすぎない?」
「二人鬼のように強いからまぁ、何とかなってるんだが」
あのまま殺されていたら、今ここにはいないのだなとそんな事を思う。死を感じたのは久し振りだ。
「いずれは……俺が手を離してもいいくらいになればいいんだが」
「そうね」
ヴェローナはもぐもぐとしながら、手元に視線を落とした。
「………あなたが戦わなくて良くなったら、いいわ」
小さな声でそんなことを言うヴェローナ。その頭を、ローエンはぐしゃぐしゃと撫でる。
「ちょ」
「心配するなよ。俺はそう簡単にくたばったりしない」
「そういうことじゃないってば」
ヴェローナはローエンの手を払い除ける。テーブルの上で両手を握り締め、後の言葉を紡ごうとして、口元を震わせる。
「………不安なの」
ようやく絞り出されたその声に、ローエンは昨夜の彼女を思い出した。逡巡した彼女が、本当に言おうとしていたことは、これだ。
「あなたが戦ってる限り、いつか、私の前からいなくなるんじゃないかって」
「………」
「朝、起きたらいない時も、夜、帰って来るのが遅い時も、たまらなく不安になる」
ヴェローナの声は泣きそうなのに、ローエンを向いた目は怒っているようだった。
「……ヴェローナ」
「あんたが誰かを殴って帰って来るのも、誰かに殴られて帰って来るのも嫌」
「…………」
「私に触れる指の甲が赤いのも、嫌」
昨日フィンリーと殴り合ったローエンの手は傷ついているし、体は青あざだらけだし、顔にもあざが残っている。
その手が作った朝食の皿は、二人とももう空だった。
「お願いだから、やめて」
ローエンはしばらく答えられないでいた。目は逸らさない。逸らしてはいけない。彼女には、真摯に向き合わなくてはならない。目を瞑って聞き流したりしない。
「……分かったよ」
ローエンは穏やかに、そう答えた。
「出来るだけ早く、そう出来るようにするから」
今はまだ、投げ出すわけにはいかない。家族とどちらが大切かと言われれば、それは家族だ。でも無責任に、どちらも切り捨てられやしない。彼女が言うことはわがままだと思うし、でも、叶えてやりたいとも思う。
「それまでは絶対、ここに帰って来ると誓うよ。毎朝、毎晩、お前たちのために飯を作るよ。………それで今は、許してくれ」
ローエンの心からの本音だった。少し優しい口調だったが、ヴェローナは汲み取ってくれた。
「────分かった。待ってるから」
拗ねた子供のような声を出して、ヴェローナは頷いた。
彼女にとって、ローエンの日常は非日常だ。それを、ローエンは改めて知った。出来るだけ早く、彼女の日常に足並みを合わせられるようにと、ローエンは願わざるを得なかった。
*
16時頃。黒いコートと伊達眼鏡を身につけたローエンが校門前で待っていると、ソニアとリノ、ルーシーとライリー、それからルーカスとザカリーが揃って現れた。
「あ、お父さん」
「何だ。みんな揃って」
「ルーたちも途中で出会ったから」
ソニアは弟へ目を向ける。ルーカスは姉と父の間で視線を往き来させる。
「……姉ちゃんたち、これからどっか行くの?」
「うん、トニーのとこにね」
「あ、そうか……」
ローエンは丁度良かった、とルーカスに言う。
「今日仕事で母さん家にいないんだ。一緒に来るか?」
「ううん、おれはザックん家遊びに行くよ」
と、ルーカスがザカリーの方を見る。だが、ザカリーは首を横に振る。
「僕、行きたい……かも」
「ん」
「ダメ……ですか」
今日行くのはカフェだ。ルーカスが良くて彼がダメな道理はない。ローエンは穏やかに笑って、答えた。
「いいよ。じゃあ一緒に行こう。ジークには俺が連絡しとくよ」
「ありがとうございます」
ポケットから携帯を出して、素早く文字を打つローエン。再びポケットにそれをしまうと、皆を促した。
「さ、行こうか」
*
開店前のカフェ。準備は着々と進んでいる。もう数日後にはオープンだ。
「お、ソニア………いっぺんに来たな」
ガラゴロとドアベルの音を立てると、店の奥で座っていたアントニオが顔を上げる。その横に珍しい顔がある。
「……うぇっ、お……」
「あぁ、お邪魔しているよ」
「…………フィ、リアス、さん」
ローエンはたじろぐ。父の顔があるとは思っていなかった。にこにこと柔らかな笑みを浮かべている彼の前では、食べかけのケーキと、紅茶が湯気を立てている。
「どうしてここに……」
「レイモンド君たちがカフェを開くと聞いて、応援したくなってね。折角だからメニューの試食をさせて貰っていた所だよ」
と、アントニオがルーカスの姿に気付く。
「あ、ソニアの弟……お前も来たのか」
「こんにちは」
ルーカスはそう挨拶する。ローエンはその頭に手を置いて、続ける。
「ルーカスだよ。前紹介しただろ」
「あぁそうだった」
二人は教会で何度か会っているが、あまり話したことはない。
「で……そっちのは誰?」
「ザカリーだ。ルーカスの友達。一緒に来たいって言うから」
ローエンが答えると、アントニオはふーんと立ち上がった。
「まぁ座れよ、適当に」
「他の皆んなは?」
リノが店内を見回して言う。二階にも人の気配はない。
「買い出しと、あと先にリアンさんが来て、ブルーノたちはスラムの方に行ってる」
俺は留守番、とアントニオは言う。
「………あぁ、じゃあもしかして話もう聞いたか」
アルベールと同じテーブルに座りながら、ローエンは訊いた。アントニオはあ、と怪我した手で無事な手をポンと叩く。
「それ! 今朝の新聞で見たけどアレだよな!」
「そっちで見たのか……」
「アレ?」
ソニアはリノたちと共にアントニオの側のテーブルに座って、彼に訊いた。ローエンはソニアの方へ視線を向ける。
「この前、お前がスラムで男たちをぶっ飛ばしただろ」
「だからぶっ飛ばしてないってば!」
ソニアが慌てて抗議する。リノがアハハと苦笑する。
「………そいつらの大元を叩いて来たんだよ。だからもうぶつかることはない」
「ほんと?」
「父さん悪者やっつけたの?」
ルーカスがローエンの隣に座りながら言う。ザカリーもその隣に座る。回り回ってアルベールの隣になった。
「警察に協力する形で……。今頃取り調べかね」
気怠そうに取調室に座るダミヤの図が浮かぶ。
「父さん、おれにも教えてくれよあれ、姉ちゃんとあの兄ちゃんがやってたやつ」
「お前はもう少し大きくなったらな」
ぽんぽん、とローエンは息子の頭を軽く叩く。ルーカスはむすりとした。何の話だっけ、と思ったところへアントニオが水を人数分持って来る。ソニアたち四人の方にも既に置かれていた。
「………俺たちには水か」
「文句あるならなんか作ってくれよ、俺この腕じゃ作り置きのしか出せなくてさ」
「ケーキは?」
「もう無いよ。残ってたの食べて貰っただけだし」
アルベールの皿は綺麗になっている。コゼットが作った試作品の一つだろう。ソニア達の方を見る。学校終わりの彼女たちも小腹が空いている頃か。もう一度アントニオの方を見て、ローエンはため息混じりに言う。
「余ってる材料は」
「あるある。試作品作ろうとして余ったやつが」
「そうか……」
ローエンはよいしょと腰を上げる。その背中を追い、ふとルーカスは父を穏やかに眺めているアルベールを見、口を開いた。そう、それは深く考えたものではなく、思わずこぼれただけだった。
「────おじさんと父さんって、何かフンイキ似てるよね」
その瞬間、父はキッチンの冷蔵庫に手を掛けたまま固まり、アルベールの表情は凍りついた。
「え、どうしたんだ」
アントニオがローエンを小突く。マネキンのように固まったローエンに、さらなる追い討ちがかかる。
「あ、それ私も思ってた」
ソニアが言うと、ルーシーは首を傾げる。
「そうかしら? ……というか失礼じゃない?」
「何で」
「だって、社長さんよ。大企業の」
「でも何と言うか…………うーん、上手く言えないけど」
ゴホン、とローエンは大きな咳払いをした。振り向いて、無理矢理笑みを作る。それは誰がどう見ても変な作り笑いだったが、誰もがそこに異様さを感じて口を閉ざした。
「……あー、その。なんだ、そういうこともあるだろ。他人の空似だよ。あはは、光栄だな」
「そ、そうだな。彼は私の若い頃によく……あぁいや、忘れてくれ」
途中でアルベールはローエンに睨まれて、言葉を中断する。余計なことを言うなと目で釘を刺されて、手元に視線を落とした。
「…………おれなんかまずい事言った?」
ルーカスが心配そうにアルベールを見る。そんなことはないよ、とアルベールは困った笑みを浮かべた。ここにいるメンバーの中で、ローエンとアルベール以外には誰も事情を知らないし、ローエンは知らせるつもりもない。アルベールもそれに合わせるつもりだった。それでも、目の前の孫に全てを黙っているのは心苦しくはあった。
ローエンは何事もなかったかの様に、冷蔵庫を開いて食材を確認している。しかしその手に冷や汗が滲んでいるのを、近くのアントニオは見逃さなかった。ぜってーなんかあるぞ、とアントニオはソニアに目配せする。そりゃそうだよ、とソニアは小さく頷き返した。
────というか、ソニアとアントニオの中にはおおよそ答えが出ていた。
でも、それを口にするのはローエンの為にならない様な気がして、とりあえず黙っておくことにした。
その時、ガラゴロとドアベルが鳴った。
「ただいまーっ……と、うぉ、増えてる。あ、ローエン」
「腹減ったー、何か食わせろぉ」
リアンを先頭に、スラムに行っていたメンバーと、買い出しメンバーが揃って一緒に入って来た。途中で出会ったのだろうか、荷物も分担している。
「おかえり」
少しホッとしたようにローエンはキッチンからそう応えた。その様子を見たリアンは、お、と目を輝かせる。
「何か作んの?」
「………仕方ない。全員分用意するか」
はぁ、とため息を吐くローエン。リアンは喜び、テーブルのソニアに会釈したあと、テーブルにアルベールがいるのに驚いて、それから────それから、ザカリーを見てフリーズした。
「?」
「……………」
それまでその顔に浮かんでいた全ての感情が消え失せ、チリ、とその目の奥で忘れかけていたものが火花を散らしかけたその瞬間。
「リアン」
ローエンの声に、リアンの意識は引き戻される。一瞬芽生えかけた、鋭く、ささくれた“何か”を見失ったその目はどこか虚ろで、顔を上げると共に徐々に光が戻って来る。
「……あー……、えーと、何か手伝おうか?」
「皿、出してくれ。人数分。トニーはこの手だから手伝えねェんだ。ほら、どいたどいた」
「あー、はいはい、すみませんでしたね」
ぼやくアントニオと入れ替わりで、リアンがキッチンに入る。
「………八歳の子供に向けていいモンじゃねェぞ、それは」
背後で食器棚に向かうリアンに、ローエンは低く小声で言った。
「……………分かってるよ。つい。ちょっとビックリしただけだ」
小声で答えるリアン。白い髪と、紫の瞳。少年は、あまりにもその面影を残している。
「イヤだね。もうとっくに終わったってのに」
ローエンが小麦粉と卵を混ぜている音が、耳に届いた。
#24 END




