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Strain:After tales  作者: Ak!La
13/53

第13話 呪い

 すっかり日は落ちて、教会の中は薄暗かった。

「……いるか?」

「…………ううん、今は見えない……あっ」

 暗がりの中から、ぼんやりと幽霊が姿を現した。昼間見るよりも少しだけ、気味悪く見えた。

『おや、どうしたんだい?』

「……父さんが」

「……何だって?」

 幽霊の声が聞こえないローエンは、ルーカスに訊いた。しかしルーカスは答えないまま、幽霊へ向かって言う。

「父さんがゆうれいさんのこと知ってるかもしれないって!」

『…………』

「おい、あっちは何て言ってるんだ」

『……やっぱりそうなのかい』

「……え……やっぱり……?」

 ルーカスが驚いて訊き返した時、ローエンが彼の前に出た。

「アクバール!」

「え」

『!』

 幽霊の不確かな体がびくりと震えた、ように見えた。ローエンは見えない何かに向かって叫ぶ。

「何か気配を感じると思ったらお前か!ずっといやがったな!あの日からずっと!」

 はぁ、はぁ、と息を吐くローエン。ルーカスは戸惑いを隠せない。

「父さん気付いてたの?」

「……ずっと前から…………ここに来ると誰かに見られてるような気がしてたんだよ」

 まさか本当にいたとは思ってなかったけどな、と彼は舌打ちした。一方で幽霊は、呆然とした顔をして、その透けた手を頭にやっていた。

 ローエンは何となくその気配を察したのか、片頬で笑った。

「何にも覚えてねェのか、本当に。自分の名前も、この街の事も、お前がやってた事も、お前を殺した相手の名前も」

「!」

 え、と思ってルーカスは幽霊を見た。頭を抑える手の下から、紅い血がどろりと流れた。

「……やめて父さん!ゆうれいさんが苦しそうだよ!」

 ルーカスが必死に縋り付いて言うが、ローエンは息子の方も見ないまま鼻で笑った。びくりとして、ルーカスはその手を離した。

「…………お前の事だ。霊になって化けて出てもおかしくねェと思ってたよ。……それに会ったら、俺はてっきり呪い殺されるモンかと思ってたんだ。でも────何だそりゃ。しっかりしろよ。何で覚えてないんだ。お前を殺した男の顔を」

 ルーカスは父の目を見て、固まった。それは今までに見た事も無い、身の竦むような目だった。自分とは違う闇色の目が、明るさを失って何もかもを吸い込んでしまいそうに見えた。

「……父さん……?」

 ルーカスの声はローエンには届いていないようだった。いくら揺さぶってもビクともしない。岩のようにそこに立ち、何もない宙を見据えていた。

「お前は俺が殺したんだ」

 はっきりと、父はそう言った。ルーカスはすぐにその言葉の意味が飲み込めなかった。

「叶うはずのない終わり無き復讐劇の夢を、俺が絶ってやったんだ」

『……ロー……エン…………‼︎』

 幽霊は唸りを上げた。離した掌にはべっとりと紅い血がつき、額には穴が空いていた。

「……怒るなよ。俺はお前を苦しみから救ってやったんだ」

『あぁ……分かったぞ……何故ワタシがここへ縛られていたのか……分かったぞローエン』

「怒るなら、怒る相手が違うんじゃないか。俺じゃない、街を荒らしている奴らだ」

『違う!ワタシは君に怒っているのだ!』

「……ここにいるのは多分、アクバールの心の中にあった“私怨”だ」

 ローエンは誰にともなくそう言った。その時、幽霊は物凄い速さでローエンへと迫った。その手が、ローエンの胸をすり抜ける。

「アンタの夢は俺が引き継いでやる」

『!』

「スラムをこのままにはさせない」

 その言葉を聞いた途端に、幽霊の姿はスッと消えた。息を吹きかけられた蝋燭の火の様に、呆気なく消えて行った。

「……いなくなっちゃった」

 呆然として、ルーカスは言った。

「折角友達になったのに…………」

「…………友達か」

 ローエンはフッと笑った。

「なら、少しは気が晴れたんじゃねェか」

 そんな父に、ルーカスは何も聞く気にはなれなかった。


*****


 月の昇る夜空の下、手を繋いで二人は歩いていた。暗い建物の隙間から今にも何かが飛び出て来そうで、ルーカスはしっかりと父の大きな手を握っていた。

 さっきから父は何も喋らない。ルーカスも同じように口を噤んでいた。暗がりに潜む化け物から隠れるように、彼は自分でも気付かない内に息を潜め、身を縮めていた。

「……この街も少しはマシになったんだ」

「え?」

 唐突に父が言ったので、ルーカスは顔を上げた。

「昔はこんな時間に、子供を連れて歩くなんて有り得なかった」

「…………」

「今でもそりゃあ一人で歩いてりゃ襲われるだろうが」

 それを聞いて、ルーカスは父の手をもっと強く握った。それを感じてか、ローエンはくすりと笑う。

「まぁ俺といりゃ大丈夫だ、誰も手なんか出して来ない。馬鹿じゃあなきゃな」

「………どうして?」

「そりゃ、俺が────」

 言おうとして、ローエンは唐突に口を閉ざした。ルーカスはその顔を見上げて続きを待つ。困ったような父の顔が、青白い月明かりに照らされて見えた。

「…………あの幽霊……アクバールってんだけど」

「……父さんの友達だったの?」

「…………友達……いや、知り合い……ってか、仕事仲間だった」

「?」

「あいつは雇い主で、俺はこき使われる方」

 ローエンは遠く、星空の中に浮かぶ月へと目を向けた。

「……変な神父でさ。あの教会にずーっと一人で住んでて、このスラムの人達を守るんだ、いつかこの世界から苦しむ人を無くすんだって、真面目な顔で言うんだ」

「…………そうなるといいね」

「……無理だよ。出来るはずがない。でも、本気でやろうとしてたんだ、あいつは」

 動機が何だって。きっと彼の夢は大真面目で、いつか叶う事を本気で信じていたんだろう。ローエンは、そう思った。

「自分自身は非力で、何も出来ないのに。俺達を雇って、己の手足として、この街の人達を守ろうとしてた」

「父さんもこの街を守ろうとしてた?」

「………あぁ」

 でも、自分の意思では無かった。可哀想だとは思っても、それに手を差し伸べようだなんて、自分ではちっとも思わなかった。自分の動機は金の為、生活の為。頼まれて、人を殴って蹴って殺して、それで金が貰えるのなら何だって良かった。

「父さんはヒーローだったんだ」

「…………」

 ルーカスの言葉に、ローエンの胸がちくりと痛んだ。

「……そんな良いモンじゃない」

「そうなの?」

「所詮はアンチヒーローだ」

「?」

「後悔はしてない……けどな」

 少なくとも今は。ただ、この実の息子に胸を張って言えない事だけが胸につっかえていた。ソニアも、ヴェローナも知っているけれど。ルーカスにだけは……今はまだ、絶対に自分の汚れた過去を知られたくはなかった。……ずっと隠し通せるなどとはハナから思っていない。

「父さんはもう助けないの?」

「ん?……そうだな……助けるよ。あいつの為にも、俺が責任を取らなきゃならない」

「せきにん……」

「あぁ。到底投げ捨てられない責任さ」

 ルーカスはふと、教会での父の言葉を思い出した。


──『お前は俺が殺したんだ』────────


「……」

 到底訊けるはずもなかった。それを訊いてしまうと全てが消えてしまうような気がした。さっき消えてしまった幽霊のように、呆気なく、あっという間に………………。

「……ゆうれいさん、天に行っちゃったのかな」

「…………あいつは地獄行きだ」

「どうして?良い人なのに」

 不思議そうに訊いて来るルーカスの顔を見下ろし、ローエンは眉をハの字に顰めた。

「そう見えたのか」

「うん、だって街を守ろうとしてたんでしょ?それに、教会の中も案内してくれたし、おれと友達にもなったもん」

「友達、ねぇ。記憶を失くしてた間は随分と気が良くなってたものだな」

 ローエンはそう言って苦笑した。

「……どうしてゆうれいさん、父さんと話し始めたらおかしくなっちゃったの?」

「あー別におかしくなった訳じゃないさ、あれがあいつの本当の性格なんだから。……まぁ、あの幽霊自体はアクバール全部じゃなくて、あいつの中にあった“怨念”が残ったものだったんだろうが……」

 その口振りを聞いて、ルーカスは不思議なことに気付いた。

「……あれ?」

「ん?」

「…………父さん、ゆうれいさん見えてたの?」

 それに対してローエンは、少し笑っただけだった。


*****


 それからも、ルーカスはローエンについて教会へ通った。だが、もうあの幽霊の姿はどこにもなかった。

(……本当に消えちゃったのかな)

 あまりにも別れが呆気なさ過ぎて、ルーカスはまだ彼がどこかにいるような気がした。

 だが、きょろきょろと礼拝堂の中を見渡しても、彼が案内してくれた部屋の中や屋上へ行ってみても、どこにも彼はいなかった。

 次第に、段々と不安になって来た。あれは本当にいた幽霊なのだろうか、自分のただの妄想なのではないか。それともあれは全部夢だったのだろうか?

 ルーカスはチラ、といつもの様に訓練をしている父とアントニアの方へ目を向けた。アントニアの方はだいぶ構えがしっかりして来て、ある程度はまともにローエンの相手が出来るようになっていた。……が、調子に乗り始めるとすぐひっくり返される。起き上がりローエンに文句を言うアントニア、それを面白がっているような父の顔。

(…………夢だったんだ)

 ルーカスは自分にそう、言い聞かせた。

(だって、父さんが人を殺すわけ……)

 あれはきっと悪夢だったんだ。ある訳がない、そんな事。父は優しい人だ。自分が大好きな人だ。そんな父が、悪い人であるはずがない。あんな優しい神父さんを、殺したりするような人じゃない。

 あの暗闇の様な目も、あの言葉も、全てが夢だったんだ……。

 ルーカスは、そう思おうとした。

 何も知らない少年は、そう思おうとした。

(…………どうして何も教えてくれないの)

 不安がその小さな胸に渦巻いた。知らない父を見た。それはきっと、自分がずっと聞きたくて、訊けないでいる父の姿だ。でも、聞いてしまったら父はきっとその“知らない人”になってしまうんだろう。そんな不安があった。

(……母さんは?母さんは知ってるの?)

 そんな疑問が湧き上がる。いつも父と仲が良い母は、父のあの顔を知っているのだろうか。

(…………姉ちゃんは?)

 どきりとした。もしかして、何も知らないのは自分だけなんじゃないか───────。

 それはとても恐ろしいことのように思えた。姉の事も自分は何も知らなかった。まだまだあるかもしれない。あの家族は、自分の家族は、嘘ばかりなのかもしれない。

(おれ……分かんないよ)

 何も信じられない。何を信じていいのか分からない。自分こそが、疎外者なのではないか。

 …………ぎゅう、と胸が締め付けられるようだった。

(……ひとり…………)

『あの男は悪魔だ』

「!」

 振り向いた。しかし、そこには誰の姿もない。透けた姿もない。視線の先にはただ、赤子を抱いて天使に囲まれた聖母が描かれたステンドグラスがあった。

「────ゆうれいさん?」

 聖母の顔が少しだけ、意地悪げに笑ったような気がした。


*****


 ──────そこは暗闇の中だった。彼はその空間を見回した。自分という意識はあるが、どこを見ても自分の体は見えない。ただの真っ暗闇。それは、目を瞑ったまま辺りを見ているような……。


────あぁそうか、夢の中なのか。


 彼はそう認識した。

『あぁそうだよ、夢の中だ』


────!


 応える声があった。それは、耳に馴染んだよく知る声だった。やがて、暗闇の中にぼんやりと神父の姿が浮かんだ。

『君は今、夢を見ている』


────お前は何なんだ?


『何なんだ、だと。君はワタシの事をよく知っているじゃないか』

 声はクツクツと笑った。


────何で今さら俺の夢に現れた。


『君は後悔しているのだろう?ワタシを殺した事を』


────あぁ思い出した。俺はお前の幽霊に会ったんだ。


『ワタシが君を恨んでいると思うかね?』

 言われ、彼は笑った。


────そんなまさか。お前は俺に怒っていても、恨んだりはしちゃいないだろう。


『……そうだね、その通りだ』


────なんて。お前に言われたって信憑性が無いな。


『何故だね?』

 神父は笑ったまま首を傾げた。


────俺の夢に出て来たお前は、俺の無意識だからだ。


『ほう。本当にそうかね?………ワタシは確かにここに存在するワタシかもしれない』


────ハッ。お前と一緒くたになるなんてゴメンだ。


『嫌われたものだね。まぁ仕方ない』

 それはさて置き、と神父は笑う。

『ワタシは君を恨んだりしていない。だがワタシは君に呪いを掛けた』


────呪い?


『あぁ。しかしそれは仕方なかったとも言える』


────待て、一体どういうことだ?


『君は君自身で、ワタシによる呪いをかけてしまったのだ』


────おい。


『……いずれ分かる。君にかけられた呪いの正体が。君は幸福には暮らせまい』

 すう、と神父の姿が揺らいで薄くなる。神父は微笑を浮かべて暗闇に溶けた。



「────……」

 ローエンは目を覚ました。パチパチと瞬きしてから、体を起こした。隣ではヴェローナが安らかな寝顔で寝ている。……彼はため息を吐いた。

(……お前は俺に訊いたよな、幸せなのかって)

 ヴェローナへの気持ちに嘘はない。彼女のことが愛おしくて仕方ない。命に代えても守り通せる。何よりも大切で、傷つけられたくないもの。それはソニアも、ルーカスも勿論同じだった。

(幸せなんだ、俺は。幸せ過ぎるくらい)

 昔の不幸を塗り潰すくらい、有り余る幸せがこの身にはある。失くしたくないものがたくさんある。

 眠るヴェローナの頰を優しく撫でる。すると、彼女の瞼が震えて、澄んだ紫色の瞳が開いた。

「……どうしたの?」

 眠そうな顔をして、寝転んだままヴェローナが訊く。ローエンはそれを見下ろして、笑う。

「おはよ」

「……おはよ」

 ────自分は偽っている。歪んだ部分を。この笑顔の下に隠している。ヴェローナは気付いているのかもしれない。でも、まだ核心には触れないでいてくれる。

「……リタ?」

 体を起こしたヴェローナが、不思議そうに顔を覗いてきた。

「…………嫌な夢を見た」

「あら」

 ヴェローナは続きを待っていたようだが、ローエンはそれ以上は何も言わなかった。

「さ、朝飯にするか」

 彼はそう言ってベッドから降りると、部屋を出て階段を降りて行った。

「…………」

 ヴェローナはその背中を見送ってぼうっとしていた。寝起きの頭に、漠然とした不安があった。

(……私怖いわ)

 彼女は、彼の残して行ったシーツのしわを見て思う。

(いつか、朝、目が覚めたらアンタがいなくなってるんじゃないかって)

 今、扉の向こうに足音と共に消えて行った彼は幻だったのではないか?そんな不安が胸を過ぎり、ヴェローナは彼の後を追ってベッドから降りて行った。


#13 END

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