4-1:国王の死
四話目は長いので二つに分けます。
サクセスが初めて鷹を王城へと連れ帰った日から一週間。彼は魔の森へと赴くことができない状況に陥っていた。彼の父である現国王の病状が悪化し、明日をも知れないという状況になったのだ。
その日、現国王サジェイスは身内の者と重臣を自らの枕元へと呼びつけた。彼の最後の言葉を伝えるために。
その場に集まったのは王妃と王子二人に、将軍ユーサーを含めた重臣5人、そして国王の主治医。その中で、国王は一番初めにサクセスの名を呼んだ。
「……サクセス」
力のこもらない、細い声であった。
「はい、父上」
短く答え、国王の一番近くにいた王妃と位置を入れ替わる。すると、反対側の枕元にいた将軍が王の視線に促されて、一振りの剣を取り出し、サクセスのもとへと運んでくる。
「それは!」
その場にいた誰もがそう呟き、国王と王子二人、そしてそれを手にしている将軍以外のすべての者が苦渋の色をその表情に浮かべる。
「サクセス……そなたに国王の証たるその剣を与える。……この国を頼む」
国王の言葉とともに、将軍ユーサーがその場で膝をつき、サクセスへと剣を両手で掲げる。
「……わかりました、父上」
ゆっくりと立ち上がり、代々セジアスの国王に受け継がれてきた、白銀の鞘に納められた剣を受け取り、彼は力強くうなずいた。強い意志を宿らせ、自らに残る幼さをその表情からすべて消し去ったわが子の顔をみやり、満足げに頷いた国王は、ほかの者たちの顔に視線を巡らせる。
「みな、サクセスに力を貸してやってくれ」
震える唇から零れ落ちたその言葉が、彼の最後の言葉となった。
主治医が国王の脈をとり、小さく首を横に振る。
「父上っ!」
弟王子であるサライムが、ついに声を上げて国王の寝台へとしがみつく。サクセスはそんな弟に視線を落としてから、そのままゆっくりと国王を見やった。国一つ分の責任から解放されたその顔を。
「父上、ゆっくり……」
ゆっくりお眠りください。
そう言いかけたが、その言葉を遮るように、傍らの王妃がうめき声にも似た声をもらす。はじめは泣いているのかと思った。だが違う。その声は次第に大きくなり、やがて、高らかな笑い声へと変化した。
「義母上?」
驚きとともに彼女を振り返ると、彼女はその場に立ち上がり、裂けそうなほどに吊り上った唇で言い放つ。
「おだまり。お前などに母と呼ばれるいわれはない」
と。
元々好かれてはいなかったが、そこまではっきりと言われたのは初めての事であった。
「王妃様!」
将軍が諌めようと声を出したが、そんな彼に、控えていた数人の兵士が剣を向けて取り囲む。
「さすがの将軍も、そう囲まれてしまえば動くとはできませんでしょう?」
再び王妃が口を開き、重臣たちに視線を送れば、それに応えて重臣たちが将軍へと縄をかける。もちろん彼は抵抗して見せたが、王妃がサクセスの喉元へと短剣を突きつけたために、動けなくなってしまう。
「さあ、貴方はこの部屋の中央へと進みなさい。剣は……まあいいでしょう、後から回収します」
短剣の切っ先をサクセスに向け、そう言う。
「父上がお亡くなりになったところだというのに、貴女はっ」
「お亡くなりになった時だからこそ、です。国王の寝室に突然魔物が現れ、貴方は魔物との戦闘後、魔物とともに死ぬのですよ」
冷たい声が響く。視線だけを動かして、弟王子の所在を探せば、彼はすでに重臣の一人の腕の中で倒れている。眠り薬でもかがされたのだろう。
「義母上、そこまでして私を殺したいのですか?」
「当たり前でしょう。お前が死ななければ、私の王子が王位につくことができないのですから」
そこまで言った王妃は、言葉の最後で一度大きく手をたたいた。そのために寝台の陰から一人の初老の魔導士が姿を現す。
「魔導士長……」
将軍ユーサーの口からそんな言葉が零れ落ちるが、それよりも早くに魔導士長と呼ばれ初老の人物は、かすれた声で呪文の詠唱を始める。
「王子っ!」
部屋の中央へと一人で歩み出たサクセスに対して、縛られ、剣を向けられた将軍が叫ぶ。彼が自分が傷つくのもいとわず、その場からサクセスのもとへと駈け出そうとする。
「動くな、ユーサー。攻撃の魔法しゃない。召喚の魔法だ。もうすぐこの場に魔物が現れる」
サクセスの言葉の通り、彼の足もとの豪奢な絨毯の下から、丸い光の模様が浮かび上がってくる。故に、彼はその光から逃れるように移動しようとするが、光が描いた一番外側の円より外へは、どうしても足が踏み出すことができなかった。まるでそこに、見えない壁があるかのように。
「貴様っ、王子を魔物の贄にしようというのか!」
将軍がそう叫ぶのと同時に、光の中央から漆黒の獣の頭が現れてくる。
「……サーベルタイガー……」
その魔物の名をサクセスがつぶやいた頃には、全身真っ黒なごわごわとした毛に覆われ、その口には槍の先のような二本の鋭く長い牙が伸びている、猫に似た魔物がその場に完全な姿を現していた、猫と呼ぶにはずいぶんと巨大すぎてはいたが。
魔物としては一般的で数も多いが、普通の人間の手に余るほどには恐れられ、凶暴なであるのは変わりなく、十五歳の少年一人で相手にできるような存在ではない。
……と、魔導士長も重臣たちも思っていた。
「皆で私が邪魔だというのか」
昔、自分が強くなることで国が変わると、皆に認められると思っていた子供は、すでにそんなことでは国など変わらないとこがわかるほどには成長していた。
だが、ここまであからさまに命を狙われては、その心が傷つかないはずがない。まして、父王死去の直後、その目の前である。王妃たちのその蛮行はサクセスの胸にできた傷を無理やりこじ開け、直接かき回すような行為であった。
「王子!」
将軍が牙を剥く魔物と対峙した彼にそう呼びかける。その声で、感情も思考も、身体の動きさえもマヒしていたサクセスは、はっと我に返り、光の円……魔法陣の外側で、縛り付けられているにもかかわらず無理やりにでも彼のもとへと駆け寄ろうとする将軍に向けて言い放つ。
「さがれ、ユーサー。お前がここに飛び込み、わざわざ贄になる必要はない」
いつも温厚な王子の初めて耳にする強く鋭い声に、将軍はその表情を変えた。
将軍の目の前には、青銅色の瞳をじっと魔物とその背後の王妃たちに向けながら、国王の証である剣を白銀の鞘から抜き放とうとするサクセス王子の姿があった。彼は、恐れる様子もなく、魔物と対峙しているのだ。
「王子、むりですっ」
思わず、そういってしまうが、サクセスは身じろぎひとつせずに言う。
「贄がいなくなるまで、こいつは消えない。それに、縛られたお前に内側に来られても足手まといなだけだ。そこから動くな」
と。
「ですが、王子の身がっ」
「くどい! どれだけ私があの森に通ったと思っている」
その言葉を聞いて、将軍はようやく口をつぐんだ。彼はいつも鴨の李の入り口までは王子の共をし、再び森から戻ってくるまで森の前で待っていたのだ。もちろん、まだ幼い王子が何のために森に立ち入るのかも、きちんと知っていた。だからこそ、彼の持ちうるすべての技術も教えたつもりでいる。
彼はようやく落ち着きを取り戻した。
「申し訳ありません、国王陛下」
その言葉を口にして、その場で膝をおり、恭しく頭を垂れた。だが、彼のその言葉に王妃が過剰な反応を示す。
「誰が、国王などと認めるものか。魔導士長、早く命令を下しなさい!」
広い部屋に響きわたる声で、王妃が叫びをあげ、魔導士長が魔法陣の中の魔物に命令を与える。
「さあ、目の前のものを屠るがいい!」
と。かすれた声であったが、支配下にある魔物に命令を下すには十分に力のこもった声であった。魔物はその命令を受けて、一度大きな咆哮をあげると、サクセスに向けて頭を低くして身構えた。サクセスの方は、冷ややかな表情で魔物をにらみつけ、抜きかけていた剣を完全に抜き放ち、鞘を自分の足場に邪魔にならない場所へと放り投げる。
セジアス王国の国王の証の剣。その昔、建国まもないこの国を救った青銅勇者が手にしていた剣。勇者は国を救ったのちに国王となり、国を支えた。
この剣は持ち主を選ぶ。勇者の血を引くものだけが鞘から抜き放つことができるのだ。故に、代々の国王の証となった。
それを、サクセスはゆっくりと抜き放って構えたのだ、鋭利な刀身はまるで氷で作られているかのように透明であった。
ぐるるるるっっっ。
ひくく、のどを震わせているような声で魔物がうなる。長い牙を伝って涎がたれ、豪奢な絨毯に染みを作る。サクセスの血肉を欲しているのだろう。
「私は、ここで倒れるつもりなど、微塵もない」
そうつぶやき、ぎゅっと剣の柄を握りしめ、深く息を吸う。
ほんの少しの沈黙ののち、先に動きを見せたのは、しびれを切らしたようなうなり声をあげた魔物の方であった。
<青銅の王 4-1>
続きます。