1:少年と鷹
初投稿作品となります。
そんなに長くはないのですが、小刻みになってしまいますが5章(全6話)予定です。
よろしくお願いいたします。
剣と魔法のファンタジーではありますが、ちょっとシリアスです。
左の太腿に、木の根が刺さっていた。顔には擦り傷がある。利き手の左手には十四、五歳の少年には不釣り合いな、立派な紋章の彫刻が施された剣が握られてはいるが、それを今にも落としてしまいそうなほど、手に力が入っていない。
元々は良い質であるはずの衣装は泥だらけになり、ところどころが切り裂かれ、赤く血の滲んだ肌を外気にさらしている。
なぜ、これほどの怪我を負い、これほどまでにボロボロになっているのか。
今のこの少年の姿を見れば、だれもがそう思うだろう。中には、どのようなものを相手にすればこのような場所でこのような怪我を負うのだとような怪我まで存在するのだから。
しかし、彼が今存在するのは「魔の森」と呼ばれ、人々に恐れられる森であった。ずっと昔から恐ろしい魔物が住まうといわれ続けている森なのだ。
そんな森の中にいるのだから、今の彼の姿も納得のいくもので、かえって生きていることの方が不思議だと思われてもおかしくはなかった。少年は今その森の中で、人々の間に流れる噂を体現しているのだから。
はじめは樹木の根が急にせり上がり、鋭い鞭のように襲いかかってきた。二番目は、迷路のようにどこまでも同じ光景が続く道があった。三番目には二つ頭の蛇と対峙した。
普通では気が狂うほどの、いや、気が狂う前に殺されていてもおかしくないほどの、災厄とも思える困難がいくつもいくつも続き、今、彼の目の前には一羽の鷹がいた。鋭いくちばしは刃物のように銀色に輝き、その爪は少年の頭など、軽くつまみ上げてしまえそうなほどに大きいものであった。
黄金色の瞳で、鷹がじっと少年を見据えていた。
だが、少年も厳しい顔つきのまま、その場を動くことなく、じっと鷹をみやる。
左手にあった剣は、いつの間にか右手に持ち替えている。自分の左手が使い物にならないことをきちんと理解しているのだ。
太腿に突き刺さった木の根っこもまだ抜いていない。抜けば血が沢山流れることがわかっているからだ。血が少なくなれば、それだけ体の動きに影響が出てくることも、もう何度も何度もこの森を行き来しているうちに覚えた。
今はまだ、痛みをなくし、治療をしやすくするよりも、動きをなくさず、長く意識を保っていられることの方が大切な時なのだ。
少年はそう思っていた。
彼が今この森にいるのは、この目の前の鷹を捕まえるためであった。
彼が魔法を教わっている師に、森の中で自分の好きな物を一匹釣れてくるようにと、言われているのだ。
もちろん、ここは魔の森故に、普通の動物よりも、普通でない動物、つまりは魔物の方が多い。彼の目の前の鷹もまた普通に見えるが、普通ではない。
彼はその鷹に翼が四枚あることをしっているし、口からすべてを凍りつかれるブレスを吐くことも、翼で冷たい風を起こすことができることも知っている。
少年には少々荷の重い存在であったかもしれないが、彼はどうしてもその鷹がほしかったのだ。
何よりも、雄々しく大空を舞う姿が好きだった。
故に。
彼は鷹の前に居座り続けた。じっと、鷹の瞳を見つめ、一時も視線をそらすこともせず。枝の上にとまる鷹を見上げることになるために首が痛くなる事もいとわずに。
じっと、じっと、その場で鷹を見つめていた。
鷹もまた、彼の視線を挑戦と思ったのか、じっと彼を見下ろしていた。
周辺で強く風が吹いても、近くを獰猛な肉食獣が通り過ぎても、少年の細い胴ほどの太さのある大蛇が少年に絡みついても。
それでも彼は鷹を見つめ続けた。
やがて。
少年と鷹が動かないまま、三度ほど日が昇り、沈んでいったころ。すでに二人とも憔悴の色が隠せない状況であった。特に少年のほうは元々負っていた怪我がかなりひどい状態になってしまっている。治癒の魔法は師に教わっているけれど、それほど得なわけでもなければ、彼の傷を完全に癒せるほどの高度な治癒の魔法が使えるわけでもない。さらに。魔法を使うには体力や精神力がいる。ボロボロな状態の彼は、そんなに何度も魔法が使えるような状態ではなかった。
少年はそろそろ自らの限界を感じ始めていた。このままでは自分の命が危ないこともわかっている。
こんなところで死ぬわけにはいかないとも思う。故に彼は、持っていた剣を置き、最後の力を振り絞って、右手を鷹に向けて差し出した。
これが最後だと心に決めて。
「来い」
力のこもらない声であったが、強い意志だけは瞳で伝わったはずだ。
彼はそう信じていた。
その次の瞬間。
枝の上の鷹がその美しいまでに立派な翼を広げ、大きく枝を揺らしてその場から舞い上がった。そして、少年の頭上で大きく円を描き、一声もりに響かせると、そのまま少年の差し出した右腕の上へと舞い降りた。
「お前……!」
驚きと喜びの声が少年からこぼれるが、いかんせん少年の大きさに比べて、鷹が大きすぎた。彼の肩の上にとまるのならまだしも、その腕ではさすがに支えきれずに、彼の肩だは大きく傾いた。
そして、彼はそのまま鷹の重みで地面に転がり、さらには喜びで心が緩んだのか、その場で気を失ってしまっていた。
うっすらと、その唇に笑みを浮かべたまま。
「……自分の体力の限界を、もう少し早く感じ取らねばな」
すでに気を失っている少年に、そんな言葉をかけるものがいた。彼の魔法の師であり、この森の主といって良い魔導士であった。
彼は先ほどの鷹の声を聞きつけたのか、それとももともと教え子の様子を何らかの方法で見守っていたのか、とにかく一瞬にして彼のもとへと魔法によって移動したのである。
そんな魔導士に促されて、少年を主と認めた鷹が、静かに魔導士の肩に舞い降り。それを確認してから魔導士がゆっくりと気を失っている少年を抱き上げ、彼の剣も拾い上げる。
その瞬間、少年の身体は彼の髪の色と同じ青銅色の光に包まれ、彼の身体のそこかしこに存在していた傷があっという間に塞がり、消えていく。
魔導士が癒したのだ。
「こいつを三日で屈しさせたのならば、良くやったというところか」
ゆっくりとした動きで、自らの肩の上に存在する鷹に視線を送った後に、腕の中で寝息を立てている少年に視線を落として、魔導士はそうつぶやいた。
そんな魔導士にこたえるように、そして少年を心配するように、肩の上の鷹が澄んだ笛の音のような声を一度だけあげた。
<青銅の王 1 >
2へと続きます。