第0話(後編)
あの日、俺は両親に連れられて何かの武術大会を見に来ていた。
広い会場の中で、男が二人、向き合う。
その顔は、双方とも真剣そのものだった。
二人はステップを踏むように、じっくりとお互いに近寄っていく。
どうなるのか分からない緊張感で、俺の心臓が高鳴っていた。
しかし隣にいた観客が「あいつの負けにきまってる」と言い、その選手を可哀想だと評した。
「まだ始まってもないのに」
そう言って、せっかくの気分が台無しだと思った俺を見て、父はなんと察したのか、
「あの人の相手は全国で一位になった人なんだ」と教えてくれた。
全国一位と無名の試合。
それでは勝てる見込みがない。
もちろん、無名の選手が弱いだなどと言うつもりはない。
皆、最初は誰もが無名の選手なのだから、一概に弱いとは決して言えないのだ。
無名が歩を進み、鍛錬を続け、少しずつ強くなり、名は知られていき、更に歩み続けて、無名が有名になり、更に強くなった。
その結果、全国一位に輝いた。
そんな先を行く人と、まだまだ歩き足りない彼では、勝負にならない。
俺の緊張感はアッサリと解け、他の観客と同じような気分になった。
それでも、真ん中にいる二人の間にある緊張感は張り詰められたままだった。
二人はじりじりと近寄っていった。
そして、
「動いた!」
心の中でそう叫ぶ。
全国一位の選手が動き、相手の胸倉をつかみ、半歩踏み込んで軸足をはらい、身体を軽くずらし、そして。
「うぉおっ!」
ーーー背負い投げだ!
その動作は綺麗で、流れるような、完成された動き。
動きに力が無駄なく込められていた。
その動作がいかに洗練されているのかがよくわかった。
なぜ、彼が全国一位足らしめるのかを物語っていた。
・・・はずだった。
流れていたその動作は投げる直前のポーズで止まった。
そして、その身体がグラつく。
観客からどよめきがあがる前に…
ーーダン!!
と背中から落ちる、鈍い音がした。全国一位の選手の背中の音だった。
本人を含め、会場の人と全てが、間の抜けたような、困惑するような、そんな表情をしていた。
対戦相手の彼を除いて。
無名の男は真剣な表情のまま、彼の胸倉を掴んで離さなかった。
その会場は直ぐに大きな歓声に包まれた。
――俺はその日以来、武術にどハマりして。
十数年間。あの人に憧れ続けた。
両親に頼んで道場にいって、そこで色々あった。
頑張って、褒められて、また頑張って、褒められて。
、んで...破門になりまくった。
・・・うーん、いい夢だったけどなんかまた暗い気分になってきた。
温かく、ふかふかのベットで寝ているのに、やけに硬く、そして冷たく感じた。
悔しさと、涙のせいだろうか。そうか。俺は寝てる間に泣いていたのか…
ーーいやまて、ホントに硬いぞ。
布団の中でゴモゴモと、仰向けになるよう、寝返ってみる。涙で濡れたにしては背中も足の部分も冷たい。
外もなにかザワザワしている。
十人程だろうか。話してる様な気がする。
いや俺の部屋でザワザワ!?泥棒かなにかか!?団体で!?
もしやダブルブッキングならぬマルチブッキングか!?泥棒が!?
たまらず布団を蹴り飛ばし、その上に上げた足を振り下ろし、その反動で跳び起き、身構える。
銃を持ってなければ勝てる。そんな自信があった。
するとそこには白装束の男女が複数人と、他にも普段着を着ている人や、鎧を着ている人、いろいろな格好をしている人がいた。
皆ポカンとしたような、驚いたような顔でこちらを見ている。
…まぁ、少なくとも泥棒じゃあなさそうだ。
と言うか、そんな見つめられても、困る、と言うか…
「ど、こだここ?」
そこは、大理石の様な石で出来た部屋だった。
かなり広い。足元にあるどこぞの錬金術を思い浮かばさせる幾何学的な模様が青く輝き、部屋全体を照らしていた。
この光はいったい…?いやそれはともかく。
どうやら俺はここで寝ていたらしい。
…そりゃ硬いわな。
硬直している俺に、白装束が一人、近づいてきた。
「いきなりの事で混乱していると思いますが、まずは落ち着いて下さい。」
中性的で、優しげな声。
思わず聞き返す。
「ここは、どこで、あなた達は、誰…ですか?」
「ここは大国クォーツ。そしてその中心に建つドール城の研究室です。私達はこの城の所有者であり、この国の王であるアルカ・カイナ様に遣える宮廷魔術師です。」
俺が問うと、すぐに淀みなく答える。
嘘をついてる様には見えないが、そんな国も、城も、聞いたことがない。流石に俺が勉強してなくて知らないなんて事ではないだろう。……多分。
それになんて言った?マジュツシ?魔法でも使えるのだろうか。目の前にいる奴は、身長からして、男だったらまあ分からんでもないお年頃だろう。
俺も格ゲーの技を真似しようと頑張ってた時期があったしな。
ただ小さいだけで年それなりだったら心の中で謝っておこう。
だが、少なくとも危険はなさそうだ。
そもそも俺をどうにかするのなら、寝てる間に好きにしてるか。
そう思うと、少し落ち着いた。
すると、白装束が
「落ち着いて下さりありがとうございます。そんな所で申し訳ないのですが…恐らく、いえ、その、国の名前を聞いた事はありませんよね?」
と聞いてきた。
何故そんな事を聞くのか。不思議に思いながらも肯定した。
「理解できないかもしれませんが…ここは、異世界です。」
…、ん?なんか封印されし魔物とかが覚醒しちゃったか?
「…なにか?」
「え、あ、いや、い、異世界ってどう言う…?」
顔に出てたのろうか、
ジト目でこちらを見てくるので、早急に話題を逸らす。
「言葉通り、あなたが住んでいた世界とは別の世界。と言う事です。この様な硬貨を見たことは?」
そう言って、三種類の銅の硬貨を見せてきたが、全く見たことがない。
「見た事ない…です」
「コレは、この世界で使われている通貨です。この国では、真ん中の、ドロ通貨が使われてます」
そう言って、剣を二本交えたような紋章の付いた硬貨を見せる。
他の国の硬貨を見たことないが、どの国の硬貨も偽造防止の為にもうちょっと精密なデザインに造られてる筈だ。
本当に違う世界、つまりは異世界なのだろう。
「…なんで俺はここにいる、のですか?」
「そうですね…まず、私達の世界は絶滅の危機に陥っています。魔王、ヨハネスが世界中に放った魔物達の攻撃により、我々の土地、『人地』の三分の一を失ってしまいました。」
魔物?右手に住んでる訳ではなさそうだが。
しかし、ここは異世界。何があってもおかしくはないが…
少し困惑ぎみの俺をよそに、白装束は話し続ける。
「そこで私達はこの状況を打開すべく、勇者召喚の義を行ったのです。そして現れたのがあなた方と言うわけです。」
ほほう。なんとなく分かってきたぞ。
とりあえず悪くて強い奴を倒す戦力が欲しいから強い奴召喚した訳だ。魔物ドバァ、人間うわぁ、助けて勇者さま!って事か。
……って事は
「お、俺が勇者…?」
「いえ、実はそう言う訳ではないのです」
キッパリと言われたな。
「この勇者召喚の義、実は難点がありまして…」
ん?難点?
「まず一つ目は、召喚したら…その人達は、魔王が倒れるまで帰れない。と言うこと」
なに!?俺まだあの選手のサイン貰ってないのに!!
その魔王退治って何時までかかるんだ!?
しかし白装束はそんな俺をどこ吹く風か、話しを続ける。
「二つ目は、魔王を倒せる可能性のある者、勇者候補と、そうでない、一般市民を、双方望まずとも複数人、異世界から召喚してしまう事なんです」
…じゃあ、俺は巻き込まれただけって言う可能性があるのか。なんか嫌だな。
「それはどうやって分かるん…ですか?」
「無理に敬語を使わなくて大丈夫です。これから皆さんでそれを区別しにいく所だったのです」
周りを見ると、色々な服装の人が沢山いたが、その隣には必ず白装束がいた。
恐らく皆、俺と同じ説明を受けていたのだろう。
「そこで召喚の義に突如として大きな布が召喚され、困惑していたところ、あなたが中から飛び出してきた。と言うわけです…ご理解頂けたでしょうか?」
「あ、あぁ、なんとなくだが分かった」
そしてなんとなく恥ずかしかったが。
「では、その構えを解いて下さいますか?」
「あ」
言われて気づいた。
俺はずっと起き上がった時と同じポーズで何時でも対応出来るように身構えたままだった。
構えを解いて、落ち着く。
「ありがとうございます。では、皆さん、判別の玉のある場所に行きましょう」
そうして、俺等は皆白装束に連れられ、やけに長い廊下を歩く。
コツコツと、歩く音だけが聞こえ
ーーーガシャンガシャンガシャン
…そう言えば何やらゴッツい鎧を着てた奴がいたな。
そんな事を思っているとその鎧が近づいてくる。
ガシャンガシャンと音を立てているが、普通に歩いてるつもりの俺に追いつく。鎧着てるのに早いな。
そしてそのまま隣に来て、
「緊張してますか?」
と声をかけてきた。
驚いた事に、鎧の中から聞こえて来たのは女性の声だった。
「まあ、それなりには」
と、出来るだけ驚きを隠して言う。
「私もです。異世界だとか、なんだとか。良くわかっていなくて不安ばかりで」
「しかも俺は寝起きだしな」
ふざけて言うとそうですね、と顔は見えないが、フフッと笑う彼女。
「先程の構え。揺らぎがなく、素晴らしかったですよ」
さっき説明を受けていた時の事を言っているのだろう。
「ありがとう。でも驚きすぎて硬直してただけだよ」
「いいえ、それなら関節も固まってた筈ですよ。あなたの肩はしっかりと力が抜けていました。あなたの国の武術ですか?」
「そう。って言っても、いつも師範には追い出されて、どれも中途半端なんだけどね」
「あんなに綺麗な型ができるのに…?」
「基本的な部分は良く練習してきたからね。土台が無いと上が立たないし。まあ、上は無いんだけど」
「へえー…ってあれ?どれもって事は武術を複数習っていたのですか?」
「俺も本当は一つを極めたかったんだけどね。でも、おかげて色々経験が積めたよ」
「そうですか。私は、武術を習えなかったので…羨ましいです」
「じゃあ、俺は自慢するとするかな」
「ふふっあんまりイジワルしないで下さいね」
そうふざけて話していると白装束が、
「到着しました」
と言う。
ドアを開けて、白装束はそのまま入っていく。
そこは、青っぽいガラス玉以外には何も無い場所だった。しかも狭い。
「それでは、これから一人ずつこの部屋に入って頂きます」
どう言う事かと思っていると
「これは判別の玉と言い、あなたが勇者か、そうでないかを判別してくれます。」
ほほう、便利な物がある物だ。
「白く、明るく輝けば勇者。そして、淡く、青く輝くと、勇者ではない。となります」
では、あなた。次はあなたと、一人ずつ、その部屋に入って、玉に手をかざしている。
やはり殆どが青い光だ。暫くして、判別の玉が、白く大きく輝いた。先程の鎧の人だった。
白装束が喜びの声をあげている。
その後、結構な確率で白い光があがっていく。
そしてついに、
「あなたで、最後ですね。ではどうぞ、手を」
緊張する。すっ、と判別の玉に手をかざすと…白!!
「「…えっ」」
俺も驚いていたが、白装束も驚いている。
光は、白い。
のだが、凄く淡い。
豆電球の方が明るいんじゃないかと思う程、淡い。
これはどう言う事かと白装束達は集まって話している。
「どうしたの?何色だった?」
と、先程の鎧が声をかけてきた。
「色は白かったんだけど…」
鎧は一瞬喜んだような声をあげかけたが
「なんか、もぉの凄く淡い白なんだ」
というと「へっ?」と間の抜けた声がでた。
「んー…でも白いなら、勇者じゃないかな?」
どうかな、と話していると白装束が来た。
「一応、白い光なので、勇者、である筈なので…」
と、鎧と同じ答えを出していた。
「やった!じゃあこれからよろしくね!」
と握手を求める鎧に、
「ん!よろしく」
と俺はそれに答えた。