第95話 明かされた両親の名
地獄のような天国を味わった。
気絶から目を覚ました俺が抱いた感想はそれだった。
「「「ごめんなさい」」」
「いや。別に良いさ」
申し訳なさそうに揃って言う彼女たちに、俺は気にするなと手を振る。どうして彼女たちがあれほど必死になっていたのかは分からないが、悪意があってやったわけじゃないことは分かっているので、俺としてはこれ以上責めるつもりはない。
俺の左側に座る三人の頭を撫でて宥めていると、もう一つ併設されているベンチに腰を掛けているティターニア女王はそれを見て「ふむ」と興味深そうな声を上げた。
「パーティの仲間のわりに、随分と仲が良いのですね」
「そうですか? こんなものだと思いますけど」
「多くの冒険者パーティを見てきましたが、キミたちのように仲睦まじいパーティは物凄く稀ですよ」
「アルフヘイムには冒険者ギルドはないはずでは?」
このアルフヘイムは『シルワ大森林』の中にあるという立地のせいで冒険者ギルドの支部がない。
ここに来るだけでも相当に強くないといけないし、幻術で隠されたアルフヘイムに入るための街道である『妖精の脇道』も、認可を受けている者でなければ開けないから出入りも難しいからだ。
その代わりに『妖精兵団』と呼ばれる、腕っぷしに自信のある者たちが魔物の討伐や狩りを行っている。これはいわゆる騎士や兵士みたいなものだ。
話は逸れるが、精霊祭で開催される武闘大会では【精霊の巫女姫】の護衛兼世話役である近衛侍女の選抜も兼ねているのだが、同時に妖精兵団への勧誘も兼ねており、男性や女性の希望者は妖精兵団へ入団することもできる。
まぁ、女性は近衛侍女になることに憧れがあるらしいから、女性が妖精兵団の道に進むのは、近衛侍女の選抜に落ちた者か、余程の物好きということになるが。
なので、男性も女性も参加者は多いらしいのだが、どちらもただ力があれば良いというわけではなく、人格や素行に問題がある者は例え武闘大会で優勝できたとしても、近衛侍女にも妖精兵団にも入れない。
そういうわけなので、アルフヘイムには冒険者ギルドはないはずなのだが、ティターニア女王は一体どこで冒険者パーティを見たのだろうか?
「アルフヘイムは別に鎖国しているわけではありませんからね。商人はもちろん、その護衛として冒険者も訪れます」
「そうでしょうけど、だからと言ってティターニア女王陛下ともあろうお方とただの冒険者がそう対面することなんてないと思いますが」
「そこはそれ、この義体を使えば問題なく他国の者と会話できますから」
ティターニア女王は『生きる伝説』と称されるほどの最重要人物だ。そんな立場の人物が外を出歩くことを、他の配下の人たちが簡単に了承するとは思えない。ましてやそこいらの冒険者と関わりを持つなど言語道断だろう。
ということは、つまりこの人は『生きる伝説』という立場であるというのに、義体が使えるのを良いことに王城を度々抜け出しているってことか?
何となくティターニア女王を挟んだ向こう側に座っているアザレアさんに視線を向けると、彼女は頭痛を堪えるように頭へ手を当てていた。俺の予想は当たっているようだ。その後処理をアザレアさんがしている、というところかな。
あの反応を見るに、苦労しているようだ。
「他国の王族と顔を合わせて会議をすることもありますからね。そんな時はこうやって義体を作って他国へ出向いているのですよ」
「聖戦時代の生き証人としては、御自ら他国へ出向くことはできないからですか?」
「それもありますが、実は昔、他国の王と初めて会議を行った際、まともに会議にならなかったことがあったのです」
はて? それはどういうことなのだろうか。
そう疑問に思っていると、隣のセツナが俺に耳打ちをしてきた。
「(有名な話なんですが、ティターニア女王のそのあまりの美貌に魅了されて、王という立場であるにもかかわらず言いなりになってしまったという事例があるんです)」
危険な『美』だと謁見の時に感じたから、その話を聞いても納得できた。
相手が言いなりになるとは確かに穏やかじゃない。短い目で見れば、相手が言いなりという状態は交渉事を優位に進めるのに都合が良い。けれどそんなものは長続きしない。いずれは周囲にその危険性が広まり、誰も交渉のテーブルに着こうとはしなくなるだろう。
おそらくティターニア女王はそのことを理解していたから、他者とまともに会話できるまでに抑えた義体を用意したんだろう。
「あと、これも理由の一つですね」
そう言いつつ、ティターニア女王は空を指差す。そこには何の変哲もない大空が広がっているが、よく目を凝らせば薄い膜のようなものが見える。アルフヘイムは周辺の魔物による被害を回避するために国ごと結界で覆っているという。
アレはその結界の壁なのだろう。
「術の名前は【妖精郷】。精霊魔術で生み出した大結界です」
アヴァロン。たしか……アーサー王伝説だと、アーサー王がモードレッドとの戦いで負った深い傷を癒すために船で渡り、そのまま最期を迎えたとされる伝説の島のことだな。
「聖戦の時に、戦いに巻き込まれないように安全な場所を確保するために作ったものですが、いつしか人が集まり、国土も広がって、妖精王国アルフヘイムとなったのです。この結界があるので、わらわは国外に出ることができないのですよ」
円卓の勇者とも関係があるわけではないのか。それで、この結界が関係してティターニア女王はアルフヘイムから外へ出ることができない、と。まぁ、一国を覆うほどの結界だからな。代償もそれなりに大きいのかもしれない。
ふとセツナに視線を向けてみたが、彼女は首を横に振った。どうやら彼女をもってしても、この【妖精郷】の術式は読み解けなかったらしい。それほど複雑で難解な術式ということか。
「懐かしいですね。聖戦より前の神代の頃は神族も共に生きていたのですが、聖戦を期に神界へと引っ込んでしまいましたから」
「神がこちら側で生活をしていたんですか?」
「そうですよ。そもそも、地球でも遥か太古の昔、神と人は共に存在していましたよ。神の時代が終わり、精霊の時代が終わり、魔術の時代が終わり、そして人の時代が訪れ、ありとあらゆる神秘は科学によって地球から消え去りました。そうして消えた神秘の受け皿となった世界が、このアストラルなのです」
ティターニア女王のあまりにもあっさりとした言葉に、俺は一瞬理解できなかったが、徐々に脳が正常に作動し、驚いた。
何でそんな重要な話をこんな雑談で言うんだよ! 今話したことって、アストラルという世界の成り立ちどころか、地球から神秘が消えた理由っていうかなりディープな内容じゃないか!
「アストラルの創世神話はわたくしも聞いたことがありますわ。けれど地球でも、昔は神と人は共に生活をしていたのでございますか?」
聞いたのはクレハだった。
アストラルの創世神話? 創世ということは、創造神のアレクシアが関係しているのか? ともすれば、女神教の聖書にでも世界創世の神話が書かれているのかもしれない。セツナ、クレハ、ミオの三人が別段驚いていないところから察するに、ティターニア女王が語ったアストラルの成り立ちはその創世神話と同じ内容なのだろう。
「そうですよ。バビロニアの王ギルガメッシュ、十二の功業を成し遂げたヘラクレス、トロイア戦争最強の戦士アキレウスなど、神と人との間に生まれた半神半人が多くいたことがその証拠です」
「……でも、今では神秘は消えてしまった?」
ミオの問いかけに、ティターニア女王は頷く。
「地球はその道を神秘ではなく科学――もっと言えば物理法則に則した成り立ちを選択したのです。その影響で地球という世界からは神秘が消え去り、地球の神秘の受け皿としてアストラルが生まれたのです」
驚きのショックからまだちょっと立ち直れない俺を置いて進められる会話を聞いていると、ふとティターニア女王の言葉に違和感を覚えた。
地球から神秘が消え、その受け皿としてアストラルが生まれた?
ということは、地球から大半の神秘が無くなってからアストラルが生まれたことになる。これは俺の予想でしかないが、おそらく神秘が完全に消えたのは地球で大きな技術革新が起こった産業革命の時期――十八世紀半ばから十九世紀ごろだと考えられる。
つまり現代から二百五十年ほど前だ。なのに、アストラルが生まれたのは五千年前にあった聖戦よりも前。一体この時間の差は何だ? あまりに誤差が大き過ぎる。
こっちに転移した時にも思ったが、随分と時間の誤差が大きい。
浮かび上がった疑問をティターニア女王に提示してみると、彼女は「ふむ」と一度考える素振りを見せてから口にする。
「わらわもその辺りは詳しくありません。ただ、今まで何人もの異世界人と会いましたが、誰もが似た時代から来ているようでした」
「似た時代、ですか?」
「えぇ、彼らは似たような服装をしていました。それに常識もそれほどかけ離れたものではありませんでした。同じ時代、もしくはそう離れていない時代から来たと推察できます」
ティターニア女王にその会った異世界人について詳しく聞いてみると、確かに全員同じ時代から来ているようだった。誤差はあるだろうけど、それも二十年や三十年くらいだろう。そして、驚くことにターゲットとなっている時代は俺が地球で過ごした時代だった。
「つまり、五千年前からずっと二十一世紀からアストラルへ転移や転生をしていると?」
「わらわたち妖精王国側はそう考えています。そしておそらく、両世界の暦や一日の時間の流れは同じなのに誤差が出ている原因は、聖戦終結の際に二人の救世主が地球へ渡ったことだと思います」
あぁ、やっぱりティターニア女王は二十六人いる救世主のうち二人が地球へ渡ったことは知っていたか。聖戦時代を知る人物だから当然と言えば当然か。
にしても、俺の両親が地球へ渡ったせいで誤差が出たのか?
「聖戦は神々も参戦した戦いでしたからね。そんな時に異世界に渡ろうとすれば、何かしら不測の事態が起こっても不思議ではありません」
「それほど凄まじかったんですか?」
「それはもう。いつ世界が滅んでもおかしくはありませんでした」
そんな戦争中の時に異世界へ渡ろうものなら、異常が起こっても当然ということなのか。
「雨霧阿頼耶くん。キミは、その異世界へ渡った二人の救世主の息子ですね?」
ティターニア女王の問いかけに、驚きの反応を示したのは俺以外の全員だ。全く驚かなかったわけではない。けれど、ティターニア女王が地球へ渡った二人の救世主を知っているということは、その息子が聖書の神とアレクシアとの契約でアストラルへ渡ると知っていたとしても不思議ではない。
驚いたのは、俺がその二人の救世主と関係があることを一言も言っていないにもかかわらず、彼女がそれを俺と結び付けたことだ。しかも話し振りからして、確信がある言い方だ。
「何故、そう思ったんですか?」
「キミはご両親によく似ているのですよ。人の良さそうな顔付きは父親に、頑固そうな瞳は母親に。だからわらわはキミを一目見た時に確信したのです。キミこそが、あの二人の息子だと」
そこまで言って、ティターニア女王は満を持すように、その名前を口にする。
「【大帝】アドルファスと【聖騎士】ミシェル・ローラン。それがキミの両親の本当の名前です」




