第75話 死人に口なし
◇◆◇
時間は少し巻き戻り、阿頼耶たちが支部長ラ・ピュセルに事情を説明していたのと同時刻。領主の館の地下二階。そこにある牢屋にシーザー・マレク・カーライルは捕らえられていた。
ここはかつてシーザーが自身の父と兄を閉じ込めていた場所だ。まさか自分が捕まってここへ閉じ込められるなど、シーザーからしたら考えもしなかったことだ。
彼が個人的に雇っていた冒険者たちはギルドが所有している牢屋に入れられているので、ここにいるのはシーザーと、見張りの騎士が二人だ。とはいえ、無用な会話をすることで同情心に駆られないようにシーザーからは見えない位置にいるが。
「……」
孤独なシーザーは意気消沈していた。領主の座を降ろされ、証拠を握られ、後は処罰を待つばかり。もうシーザーに出来ることは何もない。粛々と罰を受けるしかない。
救いなのは、ここに彼が雇った冒険者たちがいないことくらいか。もしいれば、彼は針のむしろ状態で四方八方から罵声を浴びせられていたことだろう。
「オイオイオイ。何てザマだよ。なっさけねぇ姿だなぁ、オイ。顔中、包帯だらけじゃねぇの」
ふと、ここでは絶対に聞くことのない軽薄な声が聞こえてきた。シーザーが力なく格子の方を見ると、短く切った茶髪に青を基調とした軽装鎧を纏った、憎たらしい笑みを浮かべている美丈夫が立っていた。
その姿を認めたシーザーの虚ろだった瞳から徐々に活力が戻り、それを怒りの色へと変えた。
「イゴール! 貴様、今までどこで何をしていた!!」
ガシャン! と格子を激しく鳴らしてシーザーは怒鳴り上げたが、すぐに口を噤んだ。騒げば近くにいるであろう見張りの騎士に気付かれると思ったのだ。しかし、潜入しているであろうイゴールは全く気にしている様子はなかった。
「安心しろよ。【静寂の囁き】で防音してっからよ」
初級の風属性魔術【静寂の囁き】は防音の魔術であり、これを発動していると周囲に自分たちの話し声が聞こえなくなる。
ならば安心だと安堵の息を吐いたシーザーは再びイゴールを睨み付ける。
「今まで何をしていた。貴様さえあの場にいれば、私はこんな目には合わなかったのだぞ」
「まぁそー言うなって、こっちもいろいろと仕事があったんだよ」
ははっ、とこんな状況であるにもかかわらず変わらない憎たらしい笑みを浮かべる。仕事というのが何なのかシーザーは気になったが、聞いても答えないのは長年の付き合いで知っているので聞かなかった。
「まぁ良い。さっさとここから出せ」
「……」
「今回はしくじったが、次は上手くやる」
「……」
「しばらくは身を潜まねばならんが、騒ぎが落ち着いたら反撃に出る。あの小僧め、言いたい放題言いよって。目に物を見せてやる」
「……そりゃ無理だな」
言ったイゴールの言葉にシーザーは眉をひそめる。
「無理、だと? それはどういう意味だ」
「あん? 分かんねぇのか? ま、お前みてぇな小者じゃ仕方ねぇか」
「こ、小者だと!? イゴール! いくら貴様といえどその発言は看過できん! 取り消せ!」
「ははっ! 小者は小者だろ。この程度の仕事を一年しか続けられねぇんだからよ」
凄まれてもまるで意に介していないイゴールの目はシーザーを見下していた。そこに、今まであった友好的な感情は一切なかった。
「お前はもう用済みなんだよ、シーザー」
パチン、とイゴールは指を鳴らす。一体何がしたいのか、分からなかったシーザーは怪訝な表情を浮かべるが、次の瞬間には体に異変が訪れた。
「ぐ……な、があぁぁ!!」
体が熱く、痛みが走る。呼吸をするのも困難だ。立っていることもできなくなって、シーザーは膝から崩れ落ちるように地面に横たわった。
(これは……毒?)
気付けば、体の至る所に紫色の斑点が浮かび上がっている。どんな毒なのかは、さすがにシーザーには分からないが、これが死に至らしめるほど強力なものだということは嫌でも理解した。
「何故、だ。イゴール……何故ぇ!」
「俺の目的は始めからコレだった」
苦しむシーザーを見下ろしながらイゴールが懐から取り出したのは、何の素材でできているのかも分からないひし形の物体だった。それは赤黒く、禍々しく、見る者に忌避の感情を抱かせる。
「嫉妬、怨嗟、憎悪、苦痛。そういった感情を集めること。違法奴隷売買はそれを集めるのに打ってつけだわな。ま、一番楽な収集方法は戦争だけど」
「負の、感情……だと? まさ、か……今まで売った奴隷、たちや……罪を着せた者たち、から? それを集めるために、俺を……?」
利用したのか、という言葉は出なかった。けれど、イゴールはいつもの憎たらしい笑みではなく、嗜虐的に歪んだ笑みを浮かべてシーザーの言葉を肯定した。
「お前が、俺の前に……現れたのも! 俺に、違法奴隷売買をやらせたのも! 俺を領主に……したのも! 全てこのためだった、のか!」
毒によって体が蝕まれているため、声を出すのも一苦労であるが、シーザーはそれでも叫んだ。そんなシーザーを見つつ、イゴールは膝を折って顔を近付けた。
「気付くのが遅ぇんだよ、三下。最初から最後まで俺の手のひらで躍らせられやがって。簡単すぎて歯ごたえがねぇぜ。……とはいえ、ここでの仕事はこれで終わり。後はお前の口を封じれば問題なしってわけだ」
「そん、な……」
結局自分は利用されただけ。手に入れたと思っていたものは全てが虚構で、あらかじめ決められたレールの上を走っていただけだった。何と愚かで滑稽なことだろうか。まるで道化だ。情けなくなってくる。
(俺は……何て、馬鹿なんだ)
体の痛みはなくなっていた。毒が消えたわけではない。毒による激痛のせいで感覚が麻痺し、痛覚が死んでしまったのだ。
絶望に打ちひしがれるシーザーは、イゴールの首元に何かがぶら下がっているのを見た。おそらく、あのひし形の物体を出した時に、一緒に表へ出たのだろう。ぶら下がっているのは、歪な形をした十字架であった。それは、女神教のでも、地母神教のでも、大海神教のでも、天空神教でのもない。
となれば、その十字架が一体どの教会のものかなんて一つしか考え浮かばない。
「まさか、貴様……邪神、きょう」
「じゃあな、シーザー。お前は駒としても、退屈なヤツだったぜ」
亡霊のように消えるイゴールを最後に、シーザーはその生に幕を閉じた。




