第62話 三者三様
「この馬鹿どもが!!」
フレネル辺境伯領の領主の館。その執務室で怒声と、執務机に打ち付けた拳の音が響いた。叫んだのは焦げ茶色の短髪に角張った顔をした、四十代くらいの男性。フレネル辺境伯領の現領主シーザー・マレク・カーライルだ。彼は打ち付けた拳を震わせながら向かい側にいる四人の男性に鋭い視線を向けている。
「この大事な時期に装備を失うとは。一体何を考えている!!」
男性四人は安物の平服を着ているが、本来はそれぞれ装備を着けていたのだろう。どことなく平服姿に違和感がある。
「し、しかしですね、シーザー様」
「黙れ! 言い訳など聞かん!」
弁明しようと口を開いた男性の言葉をシーザーは取り合わなかった。そのことに男性は思うところがないわけではないが、同時にそれも仕方ないかと思った。何せ装備を失った理由が、「自分たちよりも遥かに年下のガキに一方的に伸されて晒し者にされた」などという情けないことこの上ないものなのだから。
この四人は、阿頼耶に喧嘩を売って返り討ちにあうばかりか身ぐるみ剥がされて晒し者にされた、【グリフォンの爪】の面々だ。阿頼耶によって晒し刑にされた後、四人はギルド職員の手によって解放されたが、無論、処罰は免れなかった。
全員がBランクからCランクへと降格。一ヶ月間、カルダヌスでの冒険者活動の禁止を言い渡された。四人は絶句した。資格剥奪されないだけマシではあるが、Cランクへ降格のうえ、一ヶ月の冒険者活動の禁止など、生活に支障をきたす。
活動を禁止されたのはカルダヌスでだけなので、他の街へ行って冒険者活動を行えば良いのだが、装備を阿頼耶に奪われてしまったため、護衛もなく丸腰で他の街へ行こうものなら確実に魔物に襲われて死んでしまう。
つまり、四人にとってはほとんど死刑宣告に近いのだ。
ただそうならなかったのは、彼らがこの領主のお抱えの冒険者であるため、領主から装備を揃えてもらえるからだ。
「装備は後日渡してやる。さっさと行け」
「へ、へい」
パーティのリーダーであるバッカスを先頭に、メンバーたちは執務室から出ていく。そして廊下をしばらく歩き続けると、途端にバッカスは「クソが!!」と悪態を吐いた。
「あのクソ領主め! 言いたい放題言いやがって!」
「お、おいバッカス! 落ち着けって!」
「そうだって!」
「こんなところじゃマズいって!」
「うっせぇ! んなこたぁ分かってんだよ!」
だからこそバッカスは執務室から距離のあるこの場所で悪態を吐いたのだ。
「元はと言えば全部あのクソガキのせいだ! アイツが俺らの装備を奪いやがったから!」
ギリッとバッカスは歯軋りをして阿頼耶のことを思い出す。どこにでもいるような冴えない顔をしておきながら、まるでこちらのことを「取るに足らないその他大勢」とでも言いたげな目。
あんなヤツに負けたのかと、腸が煮えくり返る思いだ。
「気持ちは分かるけどよぉ」
仲間の一人が歯切れの悪い声を出す。見れば、他の二人も同じように諦観めいた表情をしていた。
「てめぇら……俺らは舐められたんだぞ! 分かってんのか!?」
「そりゃあ分かってるけどよ」
「あのガキ、異世界人だろ? あの時は分からなかったけど、髪も目も黒かったし」
「異世界人は全員、何かしら異常だって話だからな。あの強さも、まぁ納得だわな」
彼らの言いように、バッカスは苛立ちが募った。
荒くれ者たちが集う冒険者の間では、舐められたら終わりというヤクザのような気風が存在する。故にバッカスが、自分よりも遥かに年下の、気迫も風格も何もない凡庸な少年に打ち負かされたという事実を受け入れられないのも仕方がないと言えよう。
誰だって、年下にタコ殴りにされたなんて受け入れたくはない。たとえそれが事実だとしても。
「何にしても、しばらくは大人しくしておこうぜ。これ以上目立つことすると、それこそ資格を剥奪されちまう」
「それにまだ領主様からの“仕事”もあるんだろ?」
「チッ。そういえばそうだったな。仕方ねぇ。しばらくは森妖種や獣人の狩りか」
「そう不満そうに言うなって。実入りは良いだろ?」
「ったく。分かってるよ!」
苛立ちを隠そうともしないバッカスであったが、仲間たちの言うことはもっともだと思ったようで、ズカズカと廊下を進んでいく。それに苦笑した仲間たちも彼を追って行った。
一方、バッカスたちが出た後の執務室ではシーザーが疲れたように革張りの高級そうな椅子に背中を預けていた。
「まったく。この時期に装備を奪われるとは」
気を落ち着かせるために深く息を吐くが、苛立ちは収まらない。シーザーは執務机の引き出しを開け、中から酒瓶とコップを取り出す。使用人に行って持って来させれば良いのだが、さっさと飲みたい時はこうして引き出しに隠している酒を飲んでいる。
コップに注ぎ、一気に煽る。上物の葡萄酒が喉を潤す。
しばらくそうやって飲んでいると、扉の方から男の声が聞こえてきた。
「ヤケ酒たぁ感心しねぇな」
「……貴様か」
そこには憎たらしい笑顔を浮かべる青年がいた。短く切った茶髪に青を基調とした軽装鎧を纏っている美丈夫なのだが、浮かべている笑みのせいで台無しになっている。
「何の用だ、イゴール」
睨み付けて言うも、軽装鎧の青年――イゴールは「はっ」と笑い飛ばす。
「そんないきり立つなよ、領主サマ。欲求不満か?」
下品で挑発的な物言いに、シーザーは悩ましげに皺の寄った眉間を指で揉む。それを見たイゴールはまた笑う。
「気苦労が絶えねぇみてぇだな。あの四人を処分しちまった方が良かったんじゃねぇか?」
その話か、と彼がここへ来た理由に合点がいったシーザーは気を取り直して答える。
「ヤツらにはまだ利用価値があるからな。もうしばらくは働いてもらう」
性格と態度に難ありだが、何だかんだであの四人は(“元”が付くとはいえ)熟練レベルであるBランク冒険者なので戦力としては有用なのだ。簡単に切り捨ててしまうのは、少々もったいない。
「それにヤツらを処分したら代わりを用意する必要がある。今からそれをやるのは手間だ」
「ま、そりゃそーか。そんで? 首尾はどーなんだ?」
尋ねながらイゴールは扉から離れ、執務室の中央にあるソファーに腰を下ろした。
「“商品”に関しては上々、といったところだな。しかし、ここ最近は騎士団の連中が嗅ぎ回っている。出荷には細心の注意を払う必要があるな」
「へぇ、騎士団が。存外、アイツらも優秀じゃねーの」
「ふん。だがヤツらにできるのはそこまでだ。明確な証拠がないかぎり、俺を捕まえることなどできん」
「今回の“商品”の詳細はどんな感じだ?」
「獣人族が五十人。森妖種が十人。人間族が二十二人の計八十二人だ」
「そりゃまた多いな。しかもその獣人族の五十人ってのはアレだろ? ルーク村のヤツらだろ? えらく派手なことをしたな」
「構わんだろ。所詮は卑しい獣どもだ。村一つなくなったところで誰も困らん」
然して興味もないのか。シーザーの返答はあっさりとしたものだった。
「ははっ。そーかい。ま、やることをやってくれれば俺はそれで構いやしねーよ」
「分かっている。貴様には協力してもらった借りがあるからな。必ず返す」
シーザーは、この多種族国家であるフェアファクス皇国では珍しい人間至上主義、且つ貴族主義の考えを持っている人物で、人間族以外の種族は劣等種だと思っている。
それどころか同じ人間族だったとしても、「平民ならば貴族である自分に奉仕しろ」「黙って貴族に尽くしていればいい。それしか価値がないのだから」と、完全に見下している。
無論、フェアファクス皇国の貴族がこんな考え方を持っていてはやっていけるはずがない。爪弾きにされるのがオチだ。事実、幼い頃からこの考えを持っていたシーザーは周りに馴染めず、同調もできず、孤立してきた。いつしか父親からも期待されなくなり、周囲の貴族や使用人たちは兄のバジルが領主になると思っていた。
シーザーは憤ったが、領主である父の決定は絶対。たとえ息子でも、覆すことはできない。
そんな時に現れたのがイゴールだった。彼はある日突然シーザーの前に現れ、「領主にしてやるから、ちょっと協力しろ」と言ってきたのだ。
「始めは何の冗談かと思ったぞ」
「けどお前は俺の提案に乗った」
「領主になりたかったからな。後悔なぞしていない」
イゴールが出した条件は「内密に他国へ違法奴隷を売買すること」というものだった。何故そんなことを頼むのか分からなかったが、シーザーとしては大して価値もない者たちを他国へ売ることに躊躇はなかった。
寧ろ、多種族がいなくなってくれるから大歓迎だとすら思っていた。そこからは早かった。わずかに残った伝手で平民を捕まえて他国へ売り飛ばしていくと、イゴールが誰にも気付かれることなく父親と兄を地下牢へと閉じ込めたのだ。
歓喜した。これで邪魔者はいなくなった。俺が領主だ。文句は言わせない。
そう言わんばかりにやりたい放題やった。今まで通り平民を捕らえて他国へ売り、美しいと評判の領民はたとえ人妻であろうと自分の物にした。金も横領し、着服していった。
だがまだだ。まだ満足できない。これからなのだ。まだ一年しか経っていないのだから。今度は処女税を施行して女を食い散らかす。
そこまで思考を回すと、シーザーは自然と笑みを溢した。それを横目で見たイゴールも不敵に笑みを深める。
「良い顔で笑うじゃねーの」
「おっと」
指摘されたシーザーは笑みを引っ込める。貴族たるもの、腹芸に一つはできなければならない。すぐ顔に出るなど愚の骨頂だ。
「出荷はいつ頃になる?」
「しばらくは無理だな。人数が人数だ。それに騎士団の目もある。ヤツらの目を掻い潜るにはそれなりの準備が必要になるからな」
先ほどは騎士団を舐めたようなことを言っていたが、かといってシーザーは手を抜くことはしない。一分の隙もなくことに当たる。そうやってきたからシーザーは未だ騎士団に証拠を掴まれていないのだ。
「あいよ。んじゃ俺はそろそろ行くぜ。進展があったら連絡しな」
そう言って手をひらひらと振ったイゴールは執務室から出ていった。
執務室を出会た後、廊下を歩いていたイゴールは周囲に誰もいないことを確認してから懐から小さな水晶玉を取り出す。
「こっちは順調だぜ。そっちはどうだ、シュナイゼル?」
イゴールが水晶玉に向かって言うと、水晶玉の中がゆらりと揺れ、そこから一人の男性の姿が映し出された。黒い長髪に泥沼のような濁った眼をした、豪華なローブに身を包んだ男性だ。
『こちらも問題ありませんよ、イゴール』
「そっちはオクタンティス王国担当だったな。こっちに召喚された今代の異界勇者はどうなんだ?」
『概ね予定通りですよ。ただ、今回はイレギュラーが起きましたが』
「イレギュラー?」
『召喚に巻き込まれた四十一人目がいたんですよ。勇者ではありませんでしたけどね』
「そりゃまた珍しいな。そんで? そいつはどうしたんだ?」
『死んでもらいましたよ。勇者の一人に黒龍を封じた召喚用の魔水晶を渡して使わせました』
その言葉を聞いて納得した。つまりはその黒龍を使って四十一人目を殺したわけだ。
「よくその勇者は殺る気になったな」
『“彼”は元々四十一人目のことが憎かったみたいでしたからね。そこを煽ればいいだけだったので簡単でしたよ』
「自分の手は汚さずに引っ掻き回すとか。相変わらず、えげつねぇ手を使うのな」
イゴールの言葉に、シュナイゼルは寧ろ褒め言葉だと言わんばかりに「ふふふっ」と笑った。
『地球出身の勇者は平和ボケしていますから、総じて馬鹿なのですよ。ちょっと煽っただけで簡単に崩れてくれる。やり易くて助かりますよ』
「あくどいねぇ。さすがは邪神教の司教様だ。言うことが違うぜ」
『アナタも邪神教の司祭なんですから頑張ってくださいよ』
「分かっちゃいるけどよぉ。我らが主のためとはいえ、こう何年もコソコソすんのは性に合わねーな。一暴れしてぇぜ」
領主の館を出たイゴールはその場で跳躍。館の屋根へと着地する。外は夜の静けさに包まれており、夏らしい温かな風がイゴールへと当たる。
『我慢してくださいよ。私なんて今代の勇者に対応するために何年もオクタンティス王国に潜伏しているんですから』
それに関してイゴールは素直に感心する。
「よくやるぜ。何年も潜伏して、今じゃオクタンティス王国の宮廷魔導士なんだろ?」
そう。この水晶玉に映っている男は、オクタンティス王国所属の宮廷魔導士のシュナイゼル。今代の勇者たちに魔術を教えている人物で、地下牢に閉じ込められたリリア王女を煽っていた男だ。
彼はある目的のために、何年もかけてオクタンティス王国に忍び込み、宮廷魔導士という役職を手に入れたのだ。スムーズに事を運ぶために。
「我らが主の封印はどんな状況なんだ?」
『教皇の話では、もうしばらくはかかるだろうとのことです。まぁ強固な封印ですからね。時間がかかるのは仕方のないことです』
「五千年経っても未だに封印が解けねぇってんだから、おっかねぇわな。てことはまだまだ俺らの仕事は継続ってことか」
『我らが主のためです。文句を言うものじゃありませんよ』
「分かってる。文句なんざねぇさ」
そこまで言うと、二人は示し合わせたようにどこからともなく歪な形をした十字架を取り出し、それを胸元の位置まで上げて言う。
「『全ては、偉大なる我らが主のために』」
 




