第61話 胡桃(くるみ)の願い
◇◆◇
私――ミオはカルダヌスの街中を一人で歩いていた。朝日が昇ってからもう随分と経っていて、街中は人で賑わっている。昨日の夜、お師匠様から今回の事件のことを聞いて、朝日が昇る前に目が覚めた私は、お師匠様とセツナさんの二人に何も言わずに街に出た。
逃げよう、だなんて考えてない。奴隷相手にさえも対等に扱おうとするお師匠様のところは、他の奴隷たちのところよりも圧倒的に待遇が良いから、逃げるだなんて考えもしない。
それに、どのみち奴隷である私は主人であるお師匠様からそう離れることができない。街中なら大丈夫だけど、主人の許可も得ずに街を出てどこかに行こうとしたら、この【奴隷の首輪】が絞まって私を殺す。そういう風に出来ている。
私が街に出たのは、どうすればいいのか分からなかったから。
お師匠様から話を聞いて、色々な感情が沸き起こった。そのせいで、逆に自分がどうしたいのかが分からなくなった。お師匠様は「急がなくて良い」って言ってくれたけど、答えは出さないといけない。
こうやって街中を歩けば、少しは何かが変わるかもしれない。そう思ったけど、今はまだ、分からないでいる。
「あれ? ちょっと、そこのアンタ。昨日、あの異世界人の冒険者と一緒にいた子じゃないかい?」
とぼとぼと目的もなく歩いていると、どこからか声がした。辺りを見渡してみると、露店でパンを売っている男女がいた。男性の方は少し顔付きが怖いけど、女性の方は恰幅があって優しそうな人だ。夫婦かな?
「アンタだよ、アンタ」
目が合った途端に言われる。
もしかして、私のことを呼んでいたの?
首を傾げると、女性の人が首を縦に振ったので、そちらに足を向ける。
「こんなところに一人でいるなんてどうしたんだい。あの坊やとは一緒じゃないのかい?」
坊やって、お師匠様のことかな?
「……えっと、その」
どうしよう。勝手に出てきたなんて言えない。
「……今日は、一人」
「そうなのかい。奴隷を放し飼いにするなんて変わった坊やだねぇ。あ、そうだ。せっかくだから、これを持っていきな」
そう言って女性は私にパンが沢山入った紙袋を渡してきた。
「……え? でも」
遠慮していると、女性はパタパタと手を振った。
「良いんだよ。あの坊やには、【グリフォンの爪】の連中に痛い目にあわせてくれた恩があるからね。これはその礼さね」
「これだけで礼にはならんだろ」
「うっさいね、アンタは!! 何もしないよりはマシさね!!」
厳つい顔の男性が口を挟むと、女性が食って掛かる。
本当に良いのかな?
私、奴隷なのに。
そう思っていると、ぐぎゅるるるると腹の虫が鳴る音がした。
その音に引き寄せられるように、男性と女性が私の方を向く。うぅ、そういえば朝から何も食べてなかった。恥ずかしい。
「あははは! 何も食べてなかったのかい? だったらなおさら持って行きな」
「そうだな。遠慮はいらんぞ」
男性の人はぶっきらぼうな言い方だったけど、何でだろう。どこか優しさがあるように感じた。
「お? 何だ? 昨日の坊主と一緒にいた嬢ちゃんじゃねぇか」
「腹減ってんのか?」
「じゃあこれも食えよ」
「嬢ちゃんの主人には【グリフォンの爪】をぶちのめしてくれたからな」
「……え? えぇ??」
わらわらと、いつの間にか近くにいた人たちが集まってきた。主人であるお師匠様のおかげで【グリフォンの爪】の被害がなくなったからと、奴隷である私に食べ物を渡してきてくれる。主人のおかげだからといって、奴隷にまで優しくする理由なんてないのに。
しばらくしてやっと解放されたけど、渡されたものが多くて、私はお師匠様から貰った【虚空庫の指輪】に全部入れた。この【虚空庫の指輪】はお師匠様が持っていた物で、二つあるからと私にくれた。
そもそも【虚空庫の指輪】は空間系の魔術を組み込んだ魔道具だけど、今ではその使い手はいなくて、いればその人は間違いなく歴史に名を残すことになるレベル。じゃあどうやって【虚空庫の指輪】は製造されているかというと、聖戦時代の遺物として術式が発見され、それをそのまま刻み込んでいるだけという話を聞いたことがある。だから【虚空庫の指輪】以外の空間系魔術は確認されていない。
そういった事情もあって、今では誰にも使うことができない魔術を組み込んでいるから値段は四百万ユルズととても高額だけど、そのまま刻み込んでいるだけなのでこれでも安い方なのだとか。
それと、製造元である冒険者ギルド・アルカディアだとCランクになった時に配布されるけど、それもCランカー全員にではなくて、ギルド側が将来有望だと判断を下した冒険者にしか配布されない。
加えて、その後の活動如何によっては【虚空庫の指輪】を回収されることもある。
だから、余っているからって(そもそも余ること自体がおかしいけど)誰かに譲るような代物じゃない。
なのにそんなものをポンと渡してしまうなんて……お師匠様が異世界人だから?
学のない私には分からない。そう結論付けて、私は歩みを進めた。
◇◆◇
しばらく歩いていると、ミオは広場に辿り着いた。
そろそろ昼食時ということもあってか、お店への出入りが激しく、人も多い。金銭は阿頼耶から与えられているが、どこかの飲食店に入って食べるには出遅れた。
仕方がないので、ミオは広場の中央にある噴水近くに置かれたベンチに腰掛け、せっかくだからと先ほどいろんな人から貰った食べ物を食べる。まだ温かく、美味しかった。
昼食を食べながら、「自分は一体どうしたいんだろう」と頭を悩ませた。
(ルーク村の人たちを助けたいのかな?)
しかし、自分を見捨てた相手を助けるのは何だか癪だ。
(じゃあ見捨てる?)
それはそれで間違いな気もする。
結局はこの二択のどちらかを選べばいいだけなのだが、どちらを選んでもミオは納得できそうになかった。
だからこそ悩んでいるわけだが。
どうしようと悩んでいると、横合いから声を掛けられた。
「そこの双剣士さん。よければ昼食をご一緒しませんか?」
覚えのある声と匂い。顔を上げて声のした方を見ると、魔道具で黒く染めた長髪を靡かせて立つセツナがいた。
「……う、あ」
見付かってしまった。その事実を理解して、ミオの全身に緊張が走る。怒られる。ないしは罰を受ける。そう思って体を固くしたが、そんなミオの姿を見たセツナは彼女の頭を優しく撫でた。
怒りませんよ、とそう言われた気がした。一頻り撫でたセツナはそのままミオの隣に腰掛け、どこかで買ってきたらしいサンドイッチを食べ始めた。
(お師匠様もお師匠様で異質だったけど、この人もこの人で変わっている。普通は何かしら罰を与えるものなのに)
理解できないなと思いながらも、ミオは残りの昼食を頬張る。食べ終わるまで何も会話はなかったが、ミオ自身がその沈黙に耐え切れなかった。
「……あ、あの」
「はい?」
「……えっと、その」
けれど、いざ言おうとしても何を言えば良いのかが分からなくて、聞き返してくるセツナから顔を逸らして俯いてしまった。その状態でも、何か言わなければと考えるが、混乱してしまった頭では考えがまとまるはずもなかった。
それを見ていたセツナは、苦笑いを浮かべた。何を言ってやるべきかと少し考え、彼女は口を開く。
「ミオちゃんは、幸せって何だと思いますか?」
「……幸せ?」
脈絡のない話題に、ミオは意図が分からず首を傾げる。
「お金を稼ぐこと。美味しいものを食べること。恋をすること。遊ぶこと。いろいろあります。中には強い人と戦うことが幸せだと言う人もいるでしょう。けど私は、幸せは石に似ていると思うんです」
「……石に?」
「小さなものほど気付きにくく、大きなものほど背負いにくい」
そこまで言ったセツナは、ミオに視線を向けて目を合わせた。
「午前中、街を歩いてみてどうでした? ミオちゃんは、何を感じました?」
実を言うと、セツナはずっと前からミオを見付けていた。朝起きた時に姿がなくて動揺はしたが、そこから阿頼耶と手分けして探し、そしてすぐに見付け、今の今までずっと遠くから様子を窺っていたのだ。一人で考える時間が必要だろうと思ったから。
言われたミオは思い出す。
阿頼耶の奴隷、仲間だからと、誰も彼もが優しかった。奴隷だからと下に見ることもなく、かと言って阿頼耶に恩を売るために媚を売るわけでもなく、本当に感謝して優しくしてくれた。
おそらくこれだけ待遇が良く、周りの人たちも優しい場所なんて他にないだろう。
(……あ、そっか。これが“小さくて気付きにくい幸せ”なんだ)
ミオはセツナの言葉を改めて理解した。今まで最低な生活をしていたから、周りからの優しさが何気ない幸福であると分かったが、普通に生活しているとそれに気付ける人は果たしてどれだけいることか。
そして、なるほど確かに。誰にでも自覚できる幸せ――例えば結婚のようなものは相手の人生を背負うことになるので、大きなものほど幸せは背負いにくいものだ。
「どんな選択でも、私たちは手を貸してあげます。最後まで見捨てません。だから、少しでもマシだと思う決断をしてください」
「……マシだと思う、決断」
あぁ、やはりこの人たちは優しい。こうしろ、あーしろ、なんて言わず、決断を委ねてくれるのだから。じんわりと、胸の奥が温かくなる感覚がした。
(少しでもマシな選択。なら、私は……)
その時、ザリッとミオの耳が石畳の地面を踏み締める音を捕らえた。
顔を上げると、そこには自身の主人である阿頼耶が立っていた。セツナから念話で連絡を受けて今ここに辿り着いたのか。はたまたどこかから様子を窺っていたのか。それは分からないが、彼はミオのことをジッと見詰め……何やら満足そうな顔を浮かべた。
「どうやら、答えは出たみたいだな」
「……ん」
それで良いのかは分からない。その選択肢が正しいのか、自信はない。けれど彼女のおかげで、確かに“こうしたい”という答えは出せた。
「…………」
自然と、ミオはベンチから腰を上げた。覚束ない足取りで彼の目の前に立ったミオは阿頼耶に抱き着く。腰に回したその手はギュッと力強く握り締められ、顔は押し付けている。まるで、彼から勇気をもらおうとしているようだった。
「……この街の人たちは、みんな優しかった」
本当に、信じられないくらいに優しかった。未だに、アレは夢か幻だったのではないかと思ってしまうほどだ。
「……本当は、ルーク村のみんなのことがまだ憎い」
憎いに決まっている。
何度も憎んだ。何度も恨んだ。
何も悪いことなんてしていないのに、どうして自分がこんな目に合わないといけないんだと嘆いたこともあった。
見捨てたら、それはそれでせいせいするかもしれない。けれど……
「……でも、それでも! 私は! 私を見捨てたあの人たちみたいになんてなりたくない! この街の人たちに顔向けできるようなことをしたい!」
自分の身を守るために平気な顔で誰かを差し出すようなヤツにはなりたくなかった。それに、見捨ててしまったら自分に優しくしてくれたあの人たちに顔向けできなくなる。それは嫌だった。
「……だから! あの人たちを助けるために、私を助けて!」
その言葉を聞いて、阿頼耶は嬉しそうに笑みを浮かべた。
葛藤があったに違いない。悩んだに違いない。これで良いのかと不安になったに違いない。それでも、理由はどうであれその選択肢を選んだのだ。嬉しくないわけがない。
正直、ルーク村の者たちを助けてやる義理はない。けれど彼女は救ってほしいと願った。ならば是非もない。自分はその願いを叶えるために全力を尽くすだけだ。
顔を押し付けたままのミオの頭に手を置き、彼は言う。
「承った」
さぁ、始めよう。
憎くても助けるという選択肢を選ぶことができた、その少女の願いに応えるために。




