第60話 出せない答え
エストのところから戻った時には時刻は既に夜中の十時を回っていた。地球にいた頃ではまだ起きている時間帯だが、こっちの世界だとみんな寝静まっている時間だ。
「だっていうのにお前らはまだ起きていたのか」
宿に戻って部屋に入ると、セツナとミオが二人して机に向かって何かしていた。
「あ、お帰りなさい、先輩」
「……お帰り」
「ただいま。二人で何をしていたんだ?」
机を覗き込むと、そこには文字が羅列された紙が散乱していた。ミオは右手に羽ペンを持っているし、これはアレかな。
「文字の練習をしていたのか?」
「はい。ミオちゃん、文字の読み書きができないらしいので、いい機会だったので先輩が戻ってくるまで教えていたんです」
だからこんな時間まで起きていたのか。
「勤勉なのは良いことだけど、ほどほどにな」
そう言って、俺はセツナが椅子から立ち上がってベッドへ移動したのでそのまま彼女が座っていた椅子に腰かける。
「エストから情報を仕入れた」
そう切り出し、俺は二人にエストから得た情報を話した。話すにつれて、セツナは顔を驚愕に、ミオは暗くしていく。
「そうですか、ここの領主がそんなことを」
「確たる証拠はないが、エストは断定しているようだった。セツナはそのシーザーっていう人物について何か知っているか?」
「直接の面識はないので詳しくは。ただ、私がまだ皇城にいた頃から同じような噂は耳にしていました。けれど、まさかシーザー・マレク・カーライルが新しい領主になっているなんて」
口元に手を当てて思案気な顔で呟くセツナ。シーザーが領主を継いだというのが引っかかっているようだが、俺とミオにはそれのどこが疑問に思うことなのかが分からず首を傾げると、彼女は続きを口にした。
「前領主ブライアン・クリフ・カーライルには息子が二人いるんです。一人はシーザー・マレク・カーライル。そしてもう一人は、シーザーの兄であるバジル・マレク・カーライルです」
セツナの話によるとバジルはそうでもないようだが、ブライアンとシーザーの仲はすこぶる悪いらしく、そして領主としての能力も低い。だから次の領主は領主としての能力も高く、領民にも慕われているバジルがなるものだと思っていたのだとか。
「それに普通は長男に継がせるのが通例なんです。次男が継ぐなんて、長男に何かがない限りありえません」
たしかに、こういった封建制度の社会だと普通跡取りは長男がするものだ。けど実際には次男であるシーザーが継いでいる。
「そうなると、バジルという人物に何かがあったのか」
「エストさんからその情報は?」
「いや。聞いていない」
「となると、エストさんもそれについては知らないんでしょう。知っていたら教えていたはずですから」
何だか、調べれば調べるほどきな臭くなっていくな。
あらかたの話を終え、俺はミオに視線を向ける。
「……ミオ」
名を呼ぶと、ビクリと肩を震わせてから彼女はゆっくり俺の方を見る。
「お前は、どうしたい?」
「……え?」
「ヴァイオレット令嬢から今回の件の話を聞いた時、お前は明らかに動揺していた」
「……それ、は」
「たとえ昔、酷い目にあったとしても目を逸らすなんてことはできなかった。だからあの時、お前は動揺したんだろ?」
「…………」
キュッと、ミオは唇を引き締め、顔を俯かせる。
「助けるにしろ、放っておくにしろ、お前がどうしたいのかを聞きたい。俺は、お前の意見を尊重する」
彼女がどちらを選ぶのか、それは分からない。その人の気持ちなんて、結局はその人自身にしか分からないんだ。
けど俺は、どちらでも良いと思っている。酷い目にあっている誰かを助けたいという気持ちも、自分を蔑ろにしてきた誰かなんて助けたくないという気持ちも、どちらも分かるから。
それにこれはミオの事情が少なからず関わっている。なら、彼女自身が納得できる結果を迎えさせてやりたい。
「……分から、ない」
ポツリと、ミオは困惑気味に言った。
「……どうしたら良いかなんて。どうしたいかなんて。私には、分からない」
申し訳なさそうな、辛そうな声音だった。
……今すぐ答えを出せって方が、無茶な話か。
反省し、俺はミオの頭を撫で、できるだけ優しい声音で言う。
「悪い。結論を急ぎ過ぎたな。すぐに答えを出さなくて良い。時間的には余裕があるから、ゆっくり考えてみろ」
エストから得た情報によれば、ルーク村が襲われたのはおよそ一ヶ月前。他国に売るには様々な隠蔽工作を行わなければならないし、ここ最近は騎士団も目を光らせている。そういった事情から、ルーク村の住人はまだ売られていないだろうということと、おおよそのリミットは残り半月ほどだというのは聞いている。
だから時間的にはまだ若干の余裕がある。
「俺やセツナの意見が欲しいなら、いくらでも相談に乗ってやるから。だろ?」
セツナの方を向いて同意を求めると、彼女は「もちろんです」と笑顔で答え、ミオを後ろから抱きしめた。
「いくらでも相談に乗りますよ、ミオちゃん。遠慮なんかしないでくださいね? そんなことされたら私、悲しくなっちゃいますから」
言いながら、すりすりとミオの顔に頬擦りするセツナ。こうして見ると、仲の良い姉妹のようだ。ていうかセツナはよく抱き着くよな。ミオに対してもだし、俺に対しても外で堂々と俺の右腕に抱き着いてくるし。
抱き着き魔なのか? あ、もしかして呪いの反動で抱き着き魔になったとか?
ミオはミオで抱き着かれて戸惑っているな。ここまで好意的に対応されるなんて思ってなかったのかもしれない。ともあれ、今のミオにはちょうどいいだろう。人肌の温もりって、安心するからな。
「さて、小難しい話はここまでにして今日はもう寝るぞ」
「はい」
「……ん」
俺の言葉に二人は応じ、俺たちは床に就いた。二人部屋で取っているため、ベッドは二つあるのだが、今はそれをピッタリくっ付けてダブルベッド風にしている。配置は扉の方から順にセツナ、ミオ、俺だ。
何でこんな配置になったのかというと、ミオを仲間に入れたのは良いものの、今から部屋を変えるほどの金がなかったし、そもそも部屋が空いてなかったからだ。だから俺が床で寝ると言ったのだが、二人から抗議されてしまい、話し合いの結果、この形に落ち着いたのだ。
三人で川の字になっていると、真っ先に眠ったのはミオだった。
「(ミオちゃん、眠っちゃいましたね)」
ミオの寝顔を見ながら小声でセツナが言う。
「(あぁ、たぶん自分で思っていた以上にルーク村のことが気掛かりで精神的に疲れたんだろうな)」
「(ですね。……先輩って、優しいですけど厳しいですよね)」
彼女の言葉が何を指しているのか、すぐに分かった。ミオにどうするか選択を迫ったことについてだ。
「(他者から与えられた言葉や決められた選択に信念は宿らない。自分で選ぶことに意義があるんだ。たとえそれが苦しいことであったとしてもな)」
いや、苦しいことだからこそ、他人に委ねてはいけない。自分で選ばないといけないんだ。じゃなきゃ、後々で後悔することになるからな。
「(別に責めているわけじゃないですよ? 私もそれで良いと思います。むしろ先輩は選択肢を増やしてくれますからね。どうしようもなくなった側からすれば、それだけで随分と救われますから)」
「(そんなものか?)」
「(そんなものですよ)」
ふふっと笑うセツナ。
「(けど先輩、ミオちゃんに選択させることに意味はあるんですか? 本当はミオちゃんがどんな結論を出したとしても、どのみちルーク村の人たちを救いに行くつもりなんでしょ?)」
「(……それはちょっと違うかな)」
たしかに、ミオが救わないと選択したとしても、俺は今回の違法奴隷売買事件をどうにかするつもりではいる。けど、それはあくまで領主を締め上げることが目的だ。捕まったルーク村の住人を救うことが目的じゃない。
正直、ルーク村の住人に対しては少し頭に来ているのだ。特に、彼女を引き取ったはずの親戚に対しては。
だって、あまりにも理不尽じゃないか。親戚だといっても、引き取ったのなら庇ってやれよ。それができないなら、何で引き取ったんだよ。無責任過ぎるだろ。
彼女から自身の顛末を聞いた時、そう思って仕方がなかった。
「(ミオが助けたいなら、助けた後にゆっくり話ができる場を設ける。けど、ミオが助けたくないって言うなら、俺はルーク村のヤツらを違法奴隷から解放したとしても、ミオと会わせるつもりはない)」
「(望んでいないミオちゃんに、わざわざ会わせる道理はありませんか)」
前に進むために、いつの日か会って話をする必要はあるだろう。避けては通れないから。けど、今はその時じゃない。ミオに必要なのは前に進むことじゃなく、心の整理をつけることだ。
「(まぁなんにせよ、ミオが決めないと何も始まらない。彼女の選択を見守ってやろう)」
「(そうですね)」
セツナは微笑みを浮かべてミオの頭を撫で、俺たちはそのまま眠りに付いた。
……そして翌朝、ベッドの中からミオの姿が消えていた。
ちなみにシーザーの名前の由来はシーザーサラダからきてます。
 




