第36話 英雄、来たれり
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黒龍との戦いは激化の一途を辿っていた。騎士数名と騎士団長、岡崎、紗菜、そして私――椚優李で黒龍を足止めしようと戦っているけど、後方へと押し込まれ続けている。
マズイわね。このままだとみんなが逃げ切る前にコイツが追い付いちゃうわ。
聖剣アロンダイトを地面に突き刺し、肩で息をする私は黒龍を見上げる。
私たちを相手にする黒龍は、苛立つわけでもなくただ悠然と私たちを見下す。
完全に遊ばれていた。
こちらの刃はその硬い鱗の前に弾かれ、魔術も耐久値の前に焦げ跡すら付かず、むしろ軽くあしらわれ続けた。
もちろん、勇者にしか与えられないユニークスキルも使った。
私の持つスキル【勇者不懼】。これは、恐怖を乗り越えたら、その恐怖の大きさに応じて強化するというもの。魔力も体力も筋力も、何もかもが強化される反則めいたスキルだ。
けれど、それを使っても黒龍には届かなかった。
どうすればいいか考えていると、黒龍が腕を振りかざした。
「総員、散開!!」
ウィリアムさんが叫んだ直後、私は後方へと跳躍した。すると、ちょうど私がいた所に黒龍の腕が振り下ろされ、砕かれた地面から破片が四方へと飛んでくる。
慣れない空中でどうにか体勢を保ったまま、アロンダイトで破片を何とか弾いて着地した。
っ!? 頭上から何か来る!?
咄嗟にアロンダイトを頭上に掲げたのと、押し潰されるような衝撃に襲われたのはほぼ同時だった。
「う、ぐっ!」
これは、尻尾?
尻尾で叩き付けてきたってわけね!!
どうにか押し戻そうとしたり、横へ退けようとするけど、尻尾の押し潰してくる力が強くて身動きが取れない。
黒龍の意識を逸らして、その隙に後退するしかない。
魔術で意識を逸らそうと思い、魔力を練り始めると同時に横合いからウィリアムさんが躍り出てきた。
「ぬうぅん!!」
私と黒龍の間に割り込み、握り締めた大剣を黒龍の尻尾を目がけて裂帛の気合いと共に振り上げる。瞬間、尻尾がほんのわずかに浮き上がり、私はその隙を見て魔術を行使する。
「“闇を照らす光よ。一条の光となって敵を撃て”――【光線】!!」
私が行使したのは初級の光属性魔術【光線】。光の束を打ち出す魔術だけど、もちろんこんなもので黒龍を倒すことはできないし、そんなつもりで使ったわけじゃない。狙ったのは黒龍の目の近く。どんな生物でも目の近くに何かが接近すれば反射的に顔を逸らすもの。
案の定、黒龍は眼前を通った【光線】に対して思わず顔を逸らした。
それに伴い尻尾が完全に私から離れ、一気に真後ろへ跳躍して距離を取る。
手助けしてくれたウィリアムさんにお礼を言いたいけど、黒龍を相手にそれはできない。
「紗菜! アンタの聖剣を寄越しなさいっ!」
黒龍から目を離さずに背後にいる紗菜に要求すると、私の左隣りに【岩に刺さった剣】が地面に突き刺さる。それを逆手に持って引き抜き、クルリと反転させて持ち直した私は黒龍に向かって疾駆する。
「“我が脚は俊足。風の如く駆け抜けろ”――【速力強化】!」
速力を強化する術式をかけ、一気に黒龍へ肉薄する。それに反応した黒龍が腕を振り下ろして迎撃してくるが、私はそれを大胆に躱し、黒龍の腕を足場にして駆け上がった。そのまま肩を回って背中を取り、アロンダイトと岩に刺さった剣の神聖属性を解放する。
ゴゥ、と吹き出すように黄金色の魔力が剣身を覆った。
輝く黄金色の魔力光を掲げ、私は夜月神明流剣術中伝――【五月雨月】を行使する。
「はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
ガガガガガガガガガガッッ!!と間断なくアロンダイトと岩に刺さった剣の刃が黒龍の背中に降りかかるけど、神聖属性を纏わせているにもかかわらず浅く傷が付くくらいしか効果はなかった。
これだけの連撃でも、これっぽちしか傷付かないなんて!!
全く、どれだけ硬いのよ!!
「くっ!」
歯噛みした私は足に力を込めて上空へと跳躍して【勇者不懼】を発動。更にアロンダイトと岩に刺さった剣の神聖属性の力を高め、黄金色の魔力光がその輝きを増す。アロンダイトと岩に刺さった剣を平行に合わせて振り下ろすが、黒龍がこっちを向いた。
狙っていた背中から外れて、私の攻撃は黒龍の左首の辺りにヒットする。
「ガアァァ!」
その衝撃で黒龍の体勢が若干揺れる。
力を込めて、尚且つ重力プラス落下速度で威力を上げたからかしら。思った以上に効果があったようね。
ヒットした黒龍の左首の鱗には背中のよりも深い傷が刻まれていた。
チッ。惜しいわね。
狙っていた背中に当たっていればダメージを与えられたかもしれないのに。
けれど、これは本気でマズイわね。
いくら背中のよりも深い傷を刻めることができたとはいえ、私が今出せる全力で攻撃しても僅かにしか傷を付けることができていない。
こんなんじゃ、足止めなんて到底無理だわ。
後一手。せめて後一手あれば……。
攻撃後の落下の最中にそんなことを考えていたせいで隙ができてしまったようで、私は横から来る黒龍の爪の攻撃に反応が遅れた。
私は急いでアロンダイトと岩に刺さった剣を交差させて防御体勢を取る。すると、私の前に丸い光の楯が展開された。
これは、光属性の防御系魔術?
そうか、紗菜ね!
あの子が防御を張ってくれたんだわ!
でも、彼女が展開した防御系魔術は三枚だったにもかかわらず、まるで鏡を割るかのようにいとも容易く破壊されていく。
黒龍の爪は防御系魔術を全て破壊し、アロンダイトと岩に刺さった剣と衝突する。当然のことながら、空中じゃあ踏ん張りなんてできるわけもなく、あっさりと飛ばされてしまった。
「しまっ……!!」
しかもその衝撃でアロンダイトがクラスメイトたちが逃げた方角の通路へと弾かれた。
空中で身動きが取れない私はそのまま壁に激突し、地面へと落下する。受け身も取れず、強かに打たれた私の体はすぐには動かない。痛みに悶えていると遠くから声が響いてきた。
「避けろ、椚!」
気付けば、黒龍が口に火炎を溜め込んでいた。
マズイ!
龍族の固有技の【龍の咆哮】だわ!
急いで避けようと体を起こそうとするけど、予想以上にダメージが大きかったようで、体は激痛を訴えるだけで動かない。
「椚!!」
「優李ちゃん!!」
私の状態を察した岡崎君が聖弓アッキヌフォートで牽制して、紗菜がこちらに向かって来るけど、どう考えても間に合わない。
私は火炎に焼かれる。
相手があの龍族の攻撃だと考えると、恐らく灰すら残らないでしょうね。
その抗いようのない事実を前に、私は恐怖よりも後悔が先んじた。
――死ぬつもりはサラサラないわ。
アイツにはああ言ったのに、結局、約束を破ることになっちゃったわね。
ごめんなさい、阿頼耶。先に逝くわ。
そう心の中で謝罪して目を閉じる。
しかし直後、私は黒龍の悲鳴を聞いた。
「ギャオォォォォォォォォォォ!」
驚いて目を開くと、黒龍の左目に剣が深々と突き刺さっているのが見えた。
ちょっと待って。あの剣って……私のアロンダイトじゃない!?
一体どうして!?
突然起こった理解不能な事態に困惑していると、私は黒龍の首辺りに誰かが立っていることに気が付いた。
「えっ!?」
そしてそれが誰なのか分かって更に驚く。
服装は黒いコートに変わっているし、右手には見覚えのない真っ黒な刀を持っているけど間違いない。
私たちの幼馴染みで、恩人で、英雄。
雨霧阿頼耶だ。
一体いつの間にあんな所に?
まさかアロンダイトを黒龍の左目に刺したのも阿頼耶なの?
疑問に思っていると、阿頼耶は右手に持った漆黒の刀を天高く掲げる。
「――」
何を言ったのかは聞こえなかった。けれど彼が何事かを呟いた途端、神聖属性の魔力であることを示す黄金色の魔力光が漆黒の刀から解き放たれた。
な、何て光量よ!!
私がアロンダイトの神聖属性を全力で高めてもあそこまでの光量は出せないわよ?!
っていうかアイツ、いつの間に聖剣を手に入れてたの!?
漆黒の刀から神聖属性の魔力を放出する阿頼耶は、黒龍に向かって勢い良く振り抜いた。
「ギャオォォォォォォォォォォ!」
黒龍が悲鳴を上げ、少量の鮮血が宙を舞った……って、はぁ!?
嘘でしょ!?
アレだけ必死こいてやっと鱗に傷痕を付けたっていうのに、何であんな簡単に切り裂いているのよ!?
私が瞠目していると、岡崎君や紗菜の他にウィリアムさんや騎士の人たちも、まるで信じられないものを見るかのような目で阿頼耶を見ていた。
無理もないことだと思う。
例えるなら彼は木の棒で鋼鉄の壁を両断したようなものなのだから。呆気に取られるのも無理はない。
タンッと軽やかに黒龍から跳んだ彼はアロンダイトの柄を左手で掴み、振り子のように弧を描きながら黒龍の左目から強引に引き抜いた。
更に鮮血が舞い、怒り心頭の黒龍は阿頼耶に向かってその鋭い爪を振り翳すが、彼はまるで軽業師のように空中で体を捻って躱す。
地面に着地したと同時に彼はダッシュして私の方に向かい、両手に武器を持ったまま抱え上げる。
「ちょっ! 阿頼耶!?」
待って! さすがにお姫様抱っこは恥ずかしいし両手に剣を持っているから不安定なんだけど!?
私の心情なんてまるで察していない阿頼耶は紗菜の方へと移動していき、私は振り落とされないように彼の首に腕を回す。
うぅ。こんな状況でこんなことになるなんて……
思いがけない急接近に恥ずかしがっていると、さっきまで私がいた所に黒龍の爪による攻撃が降り注いだ。
き、気付かなかった。
あのままあそこにいたら私はズタズタになっていたわ。
「さすが最強の種族。そう易々とダメージを食らってはくれないか」
紗菜の近くまで来た彼はそう言いつつ私を下ろす。
「戦況は?」
彼が問うと、いつの間にかこちらに来ていた岡崎君が阿頼耶の左側に立って答える。
「芳しくないなぁ。騎士のヤツらと協力してどうにか足止めしようとしてはいるが、黒龍が強過ぎて徐々に押されている」
「それどころかむしろ遊んでいるわよ、あの黒龍」
じゃないと、未だに私たちの中で死傷者が出ていないことに説明が付かない。
相手はあの龍族よ。さすがに二、三人の怪我人が出ているはずだわ。
でもそうじゃないってことは、あの黒龍は手加減しているってことになる。
それを阿頼耶に伝えると、彼は「そうか」とどこか納得したような顔をした。
この状況は予想していたってことなのかしら?
「みんなの避難が完了するまでまだ少し時間がかかる。どうにか時間を稼ぐぞ」
「時間を稼ぐって、どうやって? 今でももう限界に近いんだよ?」
「別に倒す必要はないからな。足止めするだけなら、いくらでも手段はあるさ」
紗菜の疑問にそう返した阿頼耶は私にアロンダイトの柄を向ける。
「やれるよな、委員長?」
彼の短いその言葉に、私は彼がどうしてほしいのかを理解した。
……あぁ、なるほど。
久々に共闘しようってわけね。
良いわよ。やってやろうじゃない。
彼からアロンダイトを受け取り、私は彼の右側に立つ。
「数年ぶりのタッグだ。感覚は鈍っていないな?」
「誰に言ってんのよ。そっちこそ、遅れるんじゃないわよ?」
顔を見合わせてニヤリと笑みを浮かべた私たちは、同時に黒龍へと駆け出した。




