第34話 たとえ青臭い理想だとしても
年末なんで少し頑張りました。
今日と明日で更新します。
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佐々崎鏡花。
成績は椚優李と姫川紗菜ほどではないが優秀で、運動神経もそこそこ良い。泰然自若という言葉が似合うほどに、常に余裕を持った性格をしている少女だ。地球で通っていた高校では風紀委員を務めている。その仕事ぶりは目覚ましく、違反者を見付けては厳格に取り締まっていた。
勇者としてアストラルに召喚されてからもそれは変わらず、風紀委員としてクラス内の風紀を保とうと奮闘していた。街中で騒ぎを起こした者たちを取り押さえたり、如何わしい場所へ行った者たちを注意したりと、それはもう地球にいた頃よりも忙しく動いていた。
けれど、今ではその姿は影も形もない。
彼女がいるのは、このダンジョンの第十六階層にある安全区域の一つだ。彼女だけでなく、クラスメイトたちと騎士の人たちもここに集まっていた。どうやら彼らは一時的な避難場所としてここに集まったらしい。
実をいうと、佐々崎がここに迷い込んだのは偶然で、錯乱した状態で走り回っていたらたまたまここに辿り着いたのだ。ついでにいうと、同じグループメンバーである長瀬文乃と結城翔も同じような状況でここにいた。
ただ、その二人も恐慌状態に陥っており、真面に会話することもできない有り様だ。
三人とも同じように安全区域の端っこで、まるで自分の身を守るように体を丸めてしまっている。
だがそれも仕方のないことだろう。彼女らが出会ったのは全種族最強と称される龍族だ。その存在を目の前にして、威圧を真面に受けて、気を失わないだけマシだ。事実、クラスメイトたちの中には気絶してしまった者も少なくない。
もしかしたら、佐々崎たちからすれば、気絶してしまった方が楽だったかもしれない。
「何で……こんな……」
もう彼女に真面な判断力は残されていない。それどころか自身の内に閉じこもってしまい、周囲の声すら聞こえなくなっている。
(無理、よ……龍が相手、なんて……みんな……みんな、死んでしまうわ)
呼吸が浅く速くなり、上手くできなくなって息苦しくなってくる。徐々に手足や唇も痺れてきて、悪寒までしてきた。
(みんなを、地球に連れて帰るって、そう……決めていたのに、このままじゃ)
佐々崎は一つの理想を掲げていた。
それは『誰一人欠けることなく全員で地球に帰る』というもの。
死が身近に存在するアストラルで、しかも魔王を倒す使命を負っている彼女らの立場では、それは甘く、現実が見えていない、青臭い理想であった。けれど阿頼耶は否定しなかった。むしろ肯定して、理想を抱けと言った。
だから、これで良いのだと思い、その理想を実現するために頑張ってきた。
なのに、そんな思いや頑張りは塵芥に等しいと言わんばかりに黒龍が現れた。壁というにはあまりにも高く、強固過ぎる。これを超える術など、今の彼女たちにはない。
(みんな、死ぬ……ここで、何も、できずに……)
情けなく震わせる体に、ドンッ!!と強く鈍い衝撃が走った。
驚く佐々崎の目の前にいたのは阿頼耶だった。
彼が座り込んでいる佐々崎の胸倉を掴み上げ、そのまま背後の壁に背中を叩き付けたのだ。
「しっかりしろ、佐々崎さん!」
「ひっ!?」
いきなりのことに、佐々崎は怯えたような声を出した。
「全く。錯乱して走ったっていうのに、しっかり安全区域に逃げ込むなんて大したものだけど、お前はこんな時に何で蹲ったままでいるんだ?」
責めたわけじゃない。ただ単純に疑問を呈しただけの言葉だった。しかし佐々崎からしたら、まるで蹲っていることに問題があると言われているように聞こえた。
仕方ないじゃない、と佐々崎は思った。
だって相手はあの全種族最強の龍族で。
中位以上の龍を倒せる人は現在このアストラルには存在しなくて。
今の自分たちでは到底歯が立たなくて。
だから、これは仕方のないことなのだ。
「どうにも、できないじゃない」
乾いた唇を動かして、震える声で佐々崎は呟くように言う。
「相手は、あの龍族なのよ? 私たちが、敵う相手じゃない。なら安全区域でやり過ごせば、みんな助かるわ」
「いいや、このままだと全員死ぬ」
佐々崎の言葉は、自身を安心させるためにも言った言葉だった。ここなら安全だと、そう言い聞かせる言葉だった。だが、阿頼耶はそれを真っ向から否定した。
「何か勘違いしているみたいだが……龍族は魔物じゃない。だから、「安全区域に魔物は近寄らない」っていうダンジョンの条件は当てはまらないんだよ」
突き付けられた真実に、彼女は顔を青ざめさせる。
彼の言う通りだ。
魔物とそれ以外の種族の違いは、体内に魔石を持っているかどうかだ。
龍族は体内に魔石を持っていないため、魔物ではない。
だから、この安全区域にいたところで助かる見込みなんてゼロなのだ。
「分かっただろ。ここにいても死を待つだけだ。みんなを生かすためにも、すぐ行動に移さないといけないんだよ」
だからさっさと立て、と言外にそう言っているのを佐々崎は理解した。
ここから脱出するためには、第十階層の階層主の部屋にある帰還用の転移魔法陣を使う必要がある。けれど、脇目も振らず全力疾走で駆け抜けたとしても、あの黒龍から逃げ切ることなんてできない。第十階層に着く前に追い付かれてしまう。誰かが足止めをしなければならないが、クラスメイトたちはもちろんのこと、騎士たちも龍族を相手にすることを想定した装備ではないしそもそも人員が圧倒的に足りないため、長時間、黒龍を足止めすることなんてできない。
事実、今も修司たちや残った騎士たちは黒龍と戦っているが、徐々にこちらへと近付いているのだ。地響きや戦闘音が大きくなっていることから、ここにいる全員がそれを分かっていた。
それらのことをどうにか頭の中で整理して、佐々崎は首を横に振る。
「無理、無理よ。ここから転移魔法陣のある第十階層まで、どれだけあると思ってるの」
「あぁ、そうだな。普通に考えればあの黒龍から逃げ切ることなんてできない。あっという間に追い付かれて、あっけなく殺されるだろうな」
あっさりと肯定する彼は「それでも」と言葉を続けた。
「それでも、お前はみんなを地球に帰すって理想を掲げたんだろ」
「――っ」
反論できなかった彼女は言葉を詰まらせた。
この時、岡崎修司、椚優李、姫川紗菜の三人以外の、安全区域にいるクラスメイトたち全員(気絶していた者はすでに目覚めている)と騎士たちが、二人の異様な雰囲気を感じて注目していた。
片や、今にも泣き出してしまいそうなほど追い詰められた風紀委員。
片や、普段からは考えられないほど雰囲気が一変しているいじめられっ子。
注目するには充分だ。
その視線を感じながら、しかしそんなものは今どうでも良いとバッサリ斬り捨てて、目の前の佐々崎を見据えながら、彼はゆっくりと、優しく言い聞かせるように口を開く。
「立ち止まっても良い。後ろを振り返っても良い。躓いても良い。転んでも良い。けど、たとえ青臭い理想だとしても、それを貫くと決めたのなら何度でも立ち上がれ。絶対に後ろに下がるな。泥に塗れようと前へ進め。その理想を叶えるために使える手は全て使え。それとも、お前の理想は、その覚悟もない程度の惰弱なものなのか?」
挑戦とも受け取れる彼の言葉に、佐々崎は頭に血を上らせるわけじゃなく逆に悲痛な表情を浮かべて涙を流し、まるでその泣き顔を見られまいとするように片手で顔を覆った。
「そんなの、だって……なら、どうしろって言うのよ。私だって、私だって! みんなを死なせたくないわよ! 地球に帰したいわよ! けど相手はあの龍族なのよ!? 始めから勝負を仕掛けることすら馬鹿馬鹿しい相手に、一体何ができるって言うのよ! 私がどんな思いでこうしているのかも分からないくせに好き勝手言わないで!」
それくらいは想像できていた。
きっと彼女は、龍に対する恐怖心を抱えたまま考えたに違いない。
どうやったら龍から逃げ切れるか。
どうやったらダンジョンから脱出できるか。
それを考えて、そして無理だと結論を出してしまった。
理想と現実に板挟みにされて、身動きが取れなくなってしまったのだ。
「……もしも」
掴んでいた胸倉から手を離し、阿頼耶は少女の注目を引くようにそっと呟いた。
「もしもどうにかできる方法があるとしたら、どうする? 龍を倒すことはできなくとも、クラスメイトたち四十人を無事に逃がすことができる。そんな方法があるとしたら?」
その方法を詳しく説明することはできない。今は一分一秒を争う状況の真っ只中だ。わざわざ説明して、理解を得る時間なんて残されてはいない。
だから阿頼耶は端的に問うた。
もしもその方法があるならどうするのか? と。
だがそれは彼女の理想と反する行為でもある。風紀委員である彼女は自身の職務に忠実だった。大抵のことは自分一人で解決できたこともあって、彼女は自分で決めたことを他人に押し付けることを良しとしない。
何より、阿頼耶がどんな方法を使うのかなんて何一つ分かっていない。それが阿頼耶自身を危険に晒す方法じゃない、という保証なんてどこにもないのだ。それなのに、「みんなを地球に帰す」という理想を掲げている彼女が首を縦に振る確率なんて圧倒的に低い。
だから阿頼耶は祈った。お願いだから頷いてくれ、と。
彼の質問に対して、佐々崎は震える唇を動かす。
わずかに残されているかもしれない。明るい未来を想いながら。
「そんな方法があるなら、今すぐ使ってよ」
彼女の答えは“是”だった。
「私は、みんなを地球に帰したい。ただそれだけなのに、何でこんな目に合わなきゃいけないの! 私が何をしたって言うの! 何で龍なんて最強クラスの種族がこんな初心者用のダンジョンに出てくるのよ!」
胸の内を曝け出したことで、彼女の中にあった最後の堰が決壊したのだろう。彼女は涙を流しながら叫んだ。
「だから助けてよ! こんなどうしようもない絶望をどうにかできるなら、私の理想を守ってよぉぉぉぉ!!!!」
おそらくそれは、彼女がこれまで歩んだ人生の中で初めて口にした言葉だったに違いない。
それを口にした。その意味を噛み締めた阿頼耶は、ハッキリと宣言するように言った。
「承った」
黒龍の地響きが近付いて来る。
最強の種族を相手にした、命を懸けた撤退戦が始まる。




