第30話 悩める獅子連れの勇者
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時刻は深夜の三時半。
眠っていた僕――結城翔は時間通りに目を覚ました。寝惚けた目を擦って周囲を見渡すと、少し離れた所に佐々崎さんと長瀬さんが二人並んで寝ていた。
「……?」
そのことに僕は首を傾げる。
夕食を食べ終え、就寝しようとした僕たちは見張りの順番を決めた。このアストラルでは、旅の途中で就寝している時に魔物に襲われるなんてこともあるらしく、こうやって見張りを立てる必要があるからだ。
見張りは、雨霧君、佐々崎さん、長瀬さん、そして僕の順番だ。
本来なら雨霧君と佐々崎さんが寝てるはずなんだけど……もしかして二人とも寝過ごしたのかな?
ってなると、まさか雨霧君、ずっと一人で見張りを!?
その考えに至った僕は飛び起き、急いで雨霧君の元へと向かう。
少し歩いて道を曲がると、彼を見付けた。
岩陰に隠れるようにして様子を見ると、彼は腰に吊るした剣の柄に左手を置いて、周囲を警戒していた。
僕はまだ素人だけど、でもその素人目でも分かるくらい、今の彼には隙がない。
邪魔をしたら、マズいかな。
でも、ずっと見張りをしてたんだよね。
見張りを代わるためにも話しかけないと。
でも、何て声をかけたら良いんだろう?
どうするべきか悩んでいると、彼の方から声をかけられた。
「……そんな所に隠れてないでこっちに来たらどうだ、結城?」
「っ!?」
ず、ずっと僕に背中を向けてたのに、気付いてたの?
彼は、背中に目でも付いてるのかな。
恐る恐る岩陰から出て彼に近付く。
隣に立つと、彼は一度だけ僕を見てから視線を前へと戻した。
「どうしたんだ? まだ交代の時間にはなってないだろ」
「あ、えっと……目が覚めちゃって。それで、雨霧君の姿が見えなかったから」
「そうか」
短く答えた彼は、右手に持ったある物を口に運んで食す。
「あ、雨霧君。そ、その手に持ってる物は何?」
「ん? アルミラージの肉」
……何でそんな物を食べてるの?
「見張りしてる間に襲ってきてな。ちょうど腹も減ったから焼いて食ってたんだ。結城も食うか?」
「い、いや、遠慮しておくよ」
さすがに寝起きで脂っこい物は食べられないよ。
そうか、と彼は引っ込めてまたアルミラージの肉を頬張る。
「雨霧君は、その、ずっと見張りを?」
「あぁ。二人が気持ち良さそうに眠ってたからな。慣れない戦闘で疲れたんだろう」
だから起こすのも悪いと思って起こさなかった、ていうことかな。
「お前も、休んでいて良かったんだぞ?」
「えっと、でも……順番で見張るって、決めてたし」
決めたことなんだから、ちゃんとやらないと。
「そうか。だったら俺は休ませてもらうとするか。見張りよろしくな。とは言っても、あまり魔物は近付いて来ないし、来たとしてもアルミラージとかゴブリンとかトレントとかだからな。気軽に見張れば良いよ」
「そ、そっか。ありがとう」
「あぁ」
アルミラージの肉を一気に食べた雨霧君は【虚空庫の指輪】に骨を入れ、脂で汚れた手をハンカチで拭きながら立ち去る。そんな彼を僕は「あっ」と思わず呼び止めてしまった。
彼は立ち止まり、「どうした?」と言いそうな顔を向ける。
どうして呼び止めてしまったのか分からなかった。
分からず、何て言えば良いのかも定まらなくて、僕は顔を俯かせた。
それでも何かを言わなきゃいけなくて、僕は「何でもない」と口にしようとしたけど、でも思ったのとは違う言葉が出た。
「何で、雨霧君はそこまで戦えるの?」
質問の意味が分からなかったらしい。
雨霧君は怪訝な表情を浮かべた。
「僕は、全然強くない。クラスメイトたちのみんなが勇者のスキルを得て、僕はその中でも上位の【円卓の勇者】に連なる十三のスキルの一つをもらった。なのに、僕はその力を使いこなせてない。……こんなの、宝の持ち腐れだよ」
さすがに全員のスキルを知ってるわけじゃないけど、それでもみんなが自分より強くなっているのは分かる。
日頃の訓練でもそうだったけど、このダンジョンに来て、余計にそれを理解させられた。みんなが着実に魔物を倒していってるのに、僕はまだ真面に戦えていない。
ステータスに問題があるわけじゃないけど、魔物を相手にすると、どうしても体が固まる。魔物の、こっちを殺そうとしてくるあの気迫と形相。あれに晒されると、頭の中が真っ白になる。
だから、僕は雨霧君が理解できなかった。
僕たちの誰よりもステータス値が低いはずなのに。
スキルの数だって圧倒的に少ないのに。
クラスメイトたちの中で最弱の位置にいるから、心に余裕を持って戦えてるなんてことはないはずなのに。
なのにどうして。と僕は口にしようとしたけど、それを雨霧君は手で制した。
「すまないが、それよりも先にしないといけないことができたみたいだ」
「しないといけないこと?」
首を傾げて問い返すと、彼はある方向に指を差した。
そちらを見て、僕は思わず「ひっ」と喉がひくついた。
彼の指差す方向の先にいたのは、トカゲに似た人型の魔物――リザードマンだった。右手には曲刀を、左手には丸楯を装備していた。
「三体か。あの二人を起こさなくても問題はなさそうだな」
そう言いつつ、彼は剣を抜いた。
それと同時に、こちらに気付いたリザードマンが「ギャアギャア」と喚きながら一斉に襲い掛かって来た。
横薙ぎに振るってきた曲刀を、雨霧君は剣を斜めにすることで受け流す。
リザードマンは人間も腕力があって戦闘能力も優れてる。ステータス値が上であれば受け切ることもできるかもしれないけど、そうでないならあんな感じに受け流す方が良い。
今回のダンジョン探索で初めてリザードマンと戦った時に雨霧君が言ってた。
彼は剣の柄頭でリザードマンを殴り飛ばして距離を取り、その隙に魔術を展開する。
「【身体強化】」
身体能力が強化され、彼はリザードマンたちの元へ駆け出す。
「ぼ、僕も戦わないと」
雨霧君にばかり戦わせてたらいけない。
僕も戦わないと。そう思ってレオを召喚した。金色の毛並みを持つ獅子が召喚魔法陣から顕現し、僕を守るような位置取りに移動する。
腰に吊った小振りの剣を抜こうと手をかけて……僕はそこから明確なアクションに移せなかった。
動けず、雨霧君の戦いを見るだけになってしまって、僕はようやく悟った。
――怖い。
それを自覚した直後、全身に寒気が走った。
苦しい。上手く呼吸することができない。
ドッ、ドッ、ドッ、と動悸が激しくなる。
手足が震えて、力が入らない。
「ガウ?」
いつまでも命令してこないことを不思議に思ったのか、レオが僕の顔を覗き込むように見てくる。
それでも、僕は命令を出すことができない。
行け、とその一言が言えない。
「そっちに行ったぞ、結城!」
「っ!?」
雨霧君の言葉に、思考に埋没した意識が浮上する。
雨霧君が相手していたリザードマンの一体が、僕の方に向かってくる。レオが僕を助けようと跳びかかるけど、横薙ぎに振るわれたリザードマンの曲刀がレオに直撃して吹き飛ばされ、ごろごろと地面を転がった。
「レオ!?」
叫ぶけど、やっぱり体は動いてくれなくて、助けに行くことはできなかった。
リザードマンと目が合う。
縦に割れた瞳孔からは感情なんて読み取れなかったけど、その振り上げた曲刀をどうすのかは嫌でも分かった。
「う、うあ……あぁ」
嫌でも分かって、理解させられて、更に恐怖心が増長されて、体の震えは増して……そして曲刀の刃が振り下ろされた。
「わああぁぁぁぁ!!」
叫び声を上げて、頭を抱えて、目を閉じた。
けれど、想像していたような痛みがこない。代わりに聞こえたのは金属同士がぶつかり合うような音。恐る恐る目を開けると、信じられない光景が広がっていた。
「あま、ぎりくん」
奥でリザードマン二体を相手にしていたはずの雨霧君が、ロングソードで曲刀を受け止めていた。
一体、どうやってあの距離を一瞬で移動を……?
いや、そもそも他の二体のリザードマンは?
視線を奥の方に向けると、二体のリザードマンは地面に這いつくばっていた。
たぶん、すぐに動けないように強かに打ったんだ。
ギリギリ、と鍔迫り合いをする雨霧君。彼は横目で僕を見るけど、僕は戦うことができなかった後ろめたさで顔を俯かせた。
「“怖い”のか?」
突如放たれた彼の言葉に、心臓が跳ねた。
そんなわけないのに、心を読まれたのかと一瞬思って、顔を上げる。
彼の視線とぶつかった。その瞳は、僕の心にある恐怖心を見透かしているように見えた。けれど視線の先にいる彼の顔に失望の色はない。
代わりに、彼は小さく笑って言った。
「恐怖心を抱くことは重要だ。それは己に降りかかる危険を察知するために必要なものだからな。だから怖がることを恥じる必要はない。恐怖を捻じ伏せる必要もない。……正しく怖れて恐怖を飼い慣らせ。その上で剣を取れ。――それが夜月神明流の流儀だ」
それは優しい言葉じゃなかった。
怖くても立ち上がれと、そういう厳しい言葉だった。
けれど、心の内にある情けない感情を安易に否定するだけの、薄っぺらな言葉じゃなかった。
「どんなに凄い奴だって始まりがある。委員長が剣術を始めた時なんて、相手に打ち込むことさえ怖がって躊躇してたよ」
恐怖を抱く弱い心すら受け入れて肯定すると、そういう力を与える言葉だった。
気が付けば、いつの間にか不思議と僕の全身の震えは止まっていた。
そっか。僕だけじゃないんだ。
あの強い椚さんも、同じように恐怖して、それを乗り越えたんだ。乗り越える方法が、あるんだ。
そして多分、雨霧君も。
曲刀を弾いた雨霧君は回し蹴りでリザードマンを吹き飛ばす。
地面を転がったリザードマンは腹部を抑えながら立ち上がる。それと同時に、奥の二体のリザードマンも立ち上がった。
どことなく、その目は怒りで染まっているように見えた。
怖いけれど、もう怖いだけじゃない。
今も心臓は早鐘を売ってるけど、大丈夫。
僕は、一人じゃない。
「いくぞ、結城。手始めにアレを倒すことから始めよう」
「うん!」
腰の剣を抜いて、僕は雨霧君と共にリザードマンへと斬りかかっていったのだった。
次話は十月二十一日に更新する予定です。




