第3話 転移当日
2019/11/2に改定しました。
アレクシアの言った言葉を噛み砕き、咀嚼して、ようやく理解が及んだところで俺は吠えた。
「な、んで……どうしてっ!?」
「作為はありません。たまたま彼らが勇者としての素質を持ち合わせていて、たまたま彼らが集まっていた。運悪く、【勇者召喚の儀式】の条件に合致していたのです」
「……」
これは、あまりにもあんまりじゃないか。全ては偶然で、運が悪かったってだけで勇者として異世界に召喚されるなんて。七六億分の四〇の確率だぞ。どれだけ運が悪かったっていうんだ。
委員長、姫川さん、修司の三人が勇者として召喚されてしまうこと。せっかく立川たちと縁が切れると思ったのに、ぬか喜びさせられたこと。どうにかこうにか心の折り合いを付けたのに、それが全くの無駄だったこと。
それらのことが頭の中を駆け巡り、俺はあまりのことに目眩がしてたたらを踏んだ。
「私としても、全く関係のない地球から勇者を召喚することを良しとはしていません。しかし残念ながら、私には【勇者召喚の儀式】を止めることができないのです。精々が、地球の人々がアストラルに召喚されてもすぐに死ぬことがないよう恩恵を与える程度で」
悲痛な面持ちで語るアレクシアの言葉に俺は違和感を覚えた。
「どういうことなんですか? アナタはアストラルの創造神なんですよね? アストラルを造った神なんですよね? アストラルに限定するならアナタが世界の頂点のはずです。なら、神以下の矮小な存在が使う【勇者召喚の儀式】を防ぐことだって簡単なはずでしょう!」
「それは……言えません」
彼女は俯き加減で俺から顔を背ける。それだけで彼女が隠し事をしていることは分かった。一体何を隠しているのか、それを問い質そうと口を開いたが、声を発する前にいつの間にか俺の隣に移動していた『聖書の神』に肩に手を置かれて止められた。
「神と言ってもそこまで何でもできる存在じゃなくてね。僕らにはいろいろと制限があるんだ」
「制限?」
「僕らは絶大な力を持っている。それこそ、冗談抜きで自分たちの造った世界を壊してしまいかねないほどのね。だからむやみやたらと世界に干渉してはいけないんだ。実は今こうしてキミと会話していられるのだって、キミの両親との契約があったからに過ぎないんだ。本来なら、世界を渡るからと言ってその度に人々の前に現れたりはしない。異世界に渡る者の多くは神と会うことなく世界を渡る。それは【勇者召喚の儀式】であっても同様さ」
その制限に引っかかるから、【勇者召喚の儀式】を防ぐことができないっていうのか。
「僕の場合は地球の神だからアストラルの【勇者召喚の儀式】をブロックすることができないんだ。世界自体が異なるからね。アレクシアの場合は、聖戦以降何度も繰り返されている【勇者召喚の儀式】は厳密に言えばアレクシアが組み込んだ理じゃないから、死なないように恩恵を与えることはできても、【勇者召喚の儀式】自体をどうにかするような根本的な部分に干渉することはできないんだ」
理。つまりは世界のルールか。口振りからして、【勇者召喚の儀式】は何度も繰り返されているのだろう。今回は何回目になるのかは分からないが、『聖書の神』が言った言葉を改めて考えてみる。
聖戦以降に【勇者召喚の儀式】が繰り返されている。
勇者召喚というシステムを導入しているのなら、それは世界を造った当初からだと考えるのが自然だろう。そのシステムは世界を滅ぼそうとした『魔の者』との戦い以降に繰り返されるようになったということは、誰かが後付けしたということではないのか?
アレクシア、ではないだろう。彼女の反応から、それを是とするとは考えにくい。そうなると、彼女以外の誰かが行ったことになるのだが、果たしてそれは可能なのだろうか?
創造神たるアレクシアは、いわば世界の管理者だ。管理者を無視してシステムに無理やりプログラムを追加するようなものだ。他の者にできるとは思えない。聖戦の影響で出たバグみたいなものか? それともハッキングのようなもの?
「いろいろと疑問に思うのは当然だね。でも残念だけど、詳しく説明することはできないんだ」
「それも神の制限で?」
「そう思ってくれて構わないよ」
……そうなると、目の前にいる二柱から聞くことは叶わないだろう。それに、拘泥した所で問題が解決することもなさそうだ。正直、委員長、姫川さん、修司の三人が巻き込まれることについてはあれやこれやと文句を並べたいところだが。
あの三人もアストラルへ渡るというのなら、俺の今の状況についても説明した方が彼女たちも早く順応できるだろうか? ……いくら何でも信じてもらえないだろうなぁ。
「……俺が【勇者召喚の儀式】に巻き込まれて召喚されるということは、俺も勇者として召喚されるんですか?」
「いえ、異世界を渡るための召喚方式が【勇者召喚の儀式】だというだけで、キミは異世界人として召喚されます。そもそもキミは勇者に必要な素質は持っていませんから。なので、魔王討伐の使命もありませんから好きに生きて頂いて構いません」
言っている意味を理解しかねた。
「わざわざ異世界に転移させるんだから、俺はてっきり何かさせたいことがあるからだと思っていたんですが、違うんですか?」
「少し誤解があったようだね。キミの両親と交わした契約の代償はキミをアストラルへ転移させることであって、アストラルで何かをやってもらうことじゃないんだ。キミをアストラルへ転移させた時点で契約は満了するのさ。だからキミが気にしていた『立てた誓い』に関しても、それを貫く生き方をしてくれて全然構わないんだ」
それは俺にとってとてもありがたいことではあるけど。
「本当に向こうで俺にやらせたいことはないんですか?」
「えぇ。アストラルで好きに生きて頂いて構いません」
「じゃあ例えば、アストラルに転移した後に自力で地球に戻るとかは?」
戻るつもりはないし自力で戻れるかは分からないけど、一例として聞いておきたかった。
「全然構いませんよ。キミをアストラルに転移させた後のことは契約外なので、そこで元の世界に戻るなと言うつもりはありません」
なるほど。本当に好きにして良いみたいだ。けど契約外ということは、転移して以降何があってもフォローはしないということにもなる。むやみやたらと世界に干渉してはいけないのなら、それも仕方ないのかもしれない。
「こんな大仰なことをしておいて、何もないんですか」
「都合が良過ぎる。そう思うかい?」
まぁ正直。いくら両親が決めた契約とはいえ、感情的な部分を度外視すればデメリットらしいデメリットはないのだ。神がサポートしてくれないことを不満に思う者もいるかもしれないが、元々俺は神が何かをしてくれるとは思っていないタイプの人間なので、神からのバックアップがないからって落胆はしない。
これでも親切な方だろう。前提として、向こうからしたら俺に説明する義務はないんだ。それを厚意でやってくれているだけ。わざわざ夢の中にまで来て説明するなんて手の込んだことをした割に、望むことは何もないと言われたら嫌でも裏を読みたくなる。
説明してくれたことに関しては礼を言いたいけどね。
何だかんだで聞くタイミングを逃して話が進んでしまったけど、ここって夢の中だよな?
「まぁ、大仰とは言ってもキミの夢の中に来ただけなんだけどね。それでも簡単なことじゃないけど」
「それはまぁ……わざわざありがとうございます。というか、やっぱり夢の中という認識で良かったんですね」
「より正確に言うなら、夢と現実の狭間の世界――いわゆる精神世界なんだけど、夢の中って思ってくれても問題はないよ。僕らは神々が住まう神界からキミの精神にアクセスしているんだ。テレビ電話で話をしているようなものかな」
別世界からの会話か。さすが神。制限さえなければ何でもありだ。
「キミが疑うのも当然ですが、アストラルに行って何かをしてほしいわけじゃないのは事実です。何せ契約はキミをアストラルに転移させることで満了となるのですから。これ以上の干渉は契約違反となります。ですが、さすがに着の身着のまま転移させるのは気が引けます」
「だから、こちらの手違いで【勇者召喚の儀式】に巻き込まれて召喚されてしまうことのお詫びとして、キミには専用の武器を与えるよ」
「何だか無理やりこじつけていませんか?」
「「気のせい気のせい」」
絶対気のせいじゃないよな!?
滅茶苦茶怪しい反応を返してくるが、正直武器はありがたい。アストラルはゴブリンやオークが闊歩する世界だ。そんな所へ丸腰で行くなんて自殺行為でしかない。ある程度の不信感には目を瞑ってでも、有用なら貰っておいた方が良い。
そこまで考えたところで、俺の目の前に抜き身の日本刀が鞘と共に、宙に浮いた状態で現れた。
柄も鍔も刀身も鞘も漆黒で、長さからして打刀。闇夜を思わせるほど奥深く曇りのない刀身の波紋は直刃で造りは鎬造りという、実戦向けに打たれている。柄頭や鍔、縁にも装飾らしい装飾はなく、無駄を削ぎ落したような刀だ。
「神刀『極夜』。どの神話体系にも存在しない、神話級の力を持った武器です」
「さぁ、受け取りたまえ、阿頼耶君」
了承の意を込めて頷くと、極夜は自ら刀身を鞘へ納め、まるで侍るように俺の傍に移動した。
「ありがとうございます」
「いやいや。お礼はいいさ。これはあくまでお詫びなんだから。その極夜は普段は目に見えないけど、キミの魂と共にある。必要になったら召喚されるから安心してね」
「魂と?」
「本来なら適正がないとそんな荒業はできないんですけど、その極夜はキミの魂をサンプルに造り上げた一刀。つまり極夜はキミ自身であると言えるので、魂と同居させることができるのです」
「まっ、正確にはアレクシアの力の一部も入っているし、それでなくても阿頼耶君の魂をサンプルにしただけだから、阿頼耶君であって阿頼耶君ではないんだけどね。同質ではあっても同一ではないってことさ」
「双子みたいなものですか?」
双子――とりわけ一卵性双生児は全く同質の遺伝情報を持っているけど、かといって同一人物じゃない。ニュアンスとしては間違っていないはずだ。
「良い例えだね。その解釈で間違っていないよ。――あぁ、それと極夜はいわゆる『意思を持つ武器』でね。キミの魂から造られているということもあって、キミが強くなる度に極夜も強くなっていくよ」
……何だか、始めから俺に渡すために用意された武器みたいだ。やっぱり、何だかんだでこの極夜を渡す理由をこじつけている気がする。
まぁ良いけど。
「さて、これでやることは終わったね。名残惜しいけど、そろそろお別れだ」
『聖書の神』が言った途端、俺は強烈な眠気に襲われた。
何だ、これ? 夢の中で眠くなることってあるのか? もしかして、夢から醒める――つまり現実で目を覚まそうとしている?
「最後に謝罪を。キミの両親との契約とはいえ、何も知らないキミを私たちの都合でアストラルへ転移させてしまうこと、誠に申し訳ありません」
「できれば向こうの世界での生活が良いものになることを僕らは祈っているよ」
二柱の言葉を聞きつつ、俺は意識を手放した。
目が覚めると朝になっていて、窓から射し込む陽の光に思わず目を細める。寝起きなせいで頭がぼーっとする。あの夢の中(正確には精神世界?)での出来事が、本当に夢でしかないことで、転移だの勇者だの救世主だのの話は俺の頭の中で作られただけのものかと思ったけど、即座に否定する。
あれだけはっきりとした出来事が夢だとは思えない。それに俺の頭では到底思い浮かべられないような内容がいくつも出てきた。それをただの夢だと断言するのは少し無理がある。
ということは、今日俺は【勇者召喚の儀式】とやらに巻き込まれて異世界転移をするのか。気に入らないけど、仕方がない。
「はぁ」
重い重い溜め息を吐いて、俺は学校へ行く支度をした。
そういえば、今日中に転移するとは聞いていたけど、具体的にはどのタイミングで転移するのだろうか? クラスメイトたちも召喚されるという話だったし、学校がある時間帯だとは思うが……そのことも聞いておけば良かったな。
「「阿頼耶」」
うんうんと考えながら準備を済ませて一階へ降りると、すでに起きていた父さんと母さんに呼び止められた。振り返ると、二人とも何かを言おうとして、けど何も言えなくて。そんな、どう表現すれば良いのか分からない、何とも言えない表情をしていた。
この時、俺はどんな顔をしていたのだろう。分からないけど、それ以上顔を合わせることはできなかった。
そのまま顔を合わせていたら、きっと「何で俺が異世界に行かないといけないんだ」とか「勝手に決めるな」とか、いろいろと怒鳴り散らしてしまいそうだったから。
「……行ってきます」
だから、俺はどうにかそれだけ絞り出すように言って家を出た。
この時、逃げるように家を出たことを、俺は後に後悔することになる。
異世界に行くことになるのが分かったからといって、その一日に何か変化があるわけじゃない。いつものように授業を受け、いつものように立川たちに殴られて恐喝された。ただ、いつ転移するのかと気が気でなく、指先は変にぞわぞわした。嵐の前の静けさってこんな感じなんだろうか。授業なんて身に入らなかった。
そして今は放課後。担任の教師はまだ来ておらず、クラスメイトたちは教室内で好き勝手騒いでいた。いつ担任が来るか分からないからか、立川たちは俺から少し離れたところで話している。
「阿頼耶」
小説を黙々と読んで気を紛らわせていると、スポーツ系短髪イケメンの岡崎修司が話し掛けてきた。彼の方を向けば、その後ろには綺麗系ポニテ委員長の椚優李と、小動物系文芸部員の姫川紗菜もいた。
前々から思っていたけど、意外と三人って仲良いよな。一緒にいる所をよく見かけるし。幼馴染みなのは委員長、姫川さん、北条の三人だったはずなんだけどな。まぁ、幼馴染みだからっていつも一緒にいる理由はないんだけどさ。
委員長と姫川さんは休日も一緒にいるほど仲が良いけど。
その北条康太はというと、教室の中央辺りで女子生徒たちと会話に花を咲かせていた。
流行に合わせてセットされた髪に、端正な顔立ちは爽やかな印象を与える。成績優秀でスポーツ万能、教職員からの覚えもめでたい。女子生徒たちからの人気も高く、いつも周囲に女の子がいて、噂では読者モデルもしているのだとか。男が求めるものを全て持って生まれたような、そんな男だ。
何を話しているのかはさすがに聞こえないが、愛想良く笑ってテンポよく会話を盛り上げているんだろう。彼が何かを言う度に女子生徒たちが「きゃーきゃー」と黄色い声を上げている。
他の男子たち? 北条を見て悔しそうに歯軋りしているよ。
そんな彼らを見て思わず小さく息を吐くと、意識を修司たちへ向け直した。
「どうかしたか?」
読んでいた小説にしおりを挟みつつ聞く。
「今日、時間あるか? あるならちょっと付き合えよ」
わざわざ聞いてくるということは、よほど大事な用でもあるのだろうか? 相談に乗るのはやぶさかではないのだが、如何せん今日は転移当日だ。安易に「用事はない」と言って良いものかどうか。
「(予想はしていたけど、やっぱり気乗りしない感じね。今までのことを考えるとちょっとやそっとじゃ首を縦に振りそうにないわ)」
「(でもどうにかして連れ出さないと。こんな所じゃ目立ち過ぎてせっかく用意した誕生日プレゼントも落ち着いて渡せないよ)」
後ろで委員長と姫川さんが何か言っていた。よく聞こえなかったので聞き返そうとしたが、その瞬間に何の前触れもなく教室の床が光り出した。
「な、なんだ!?」
「何なの、これ!?」
理解を超えた出来事に驚くクラスメイトたちだが、だからこそ咄嗟に『教室から出る』という冷静な判断を出すことができずにいる。俺は俺で「あぁ、ついに来たか」と比較的落ち着いた状態で納得していた。
混乱する状況の中、俺は光の中心に視線を向ける。光は北条の足元を中心に放たれていて、そこには円輪の中に見たこともない文字と模様がびっしりと事細かに描かれた図形があった。魔法陣というヤツだろう。
アレクシアが言っていた【勇者召喚の儀式】とやらの魔法陣ということになるのか。
みんなその図形の存在に気付いたのか、今度は下を向いて魔法陣に気を取られている。その間にも光を放つ魔法陣は拡大していき、その大きさが教室全体を満たすほどまでになったところで、北条が我に返って叫ぶ。
「み、みんな! 今すぐ教室から出るんだ!」
だが悲しきかな。叫んだと同時に魔法陣は弾けるようにカッ! と光を増して俺たちの視界を白で埋め尽くした。
こうして、俺たち四一人は異世界に召喚された。