第23話 波乱の先触れ
セツナを見送った翌日。アストラルでの暦だと、土の月の七番という日だ。
地球とアストラルの一年の周期は同じで三百六十五日なのだが、読み方は少々異なっている。
一月は火の月。二月は炎の月。三月は水の月。四月は流の月。五月は風の月。六月は嵐の月。七月は土の月。八月は地の月。九月は電の月。十月は雷の月。十一月は氷の月。十二月は雪の月。
時間の読み方は変わらずで、時分秒だ。
つまり今日は地球でいうところの七月七日という、気温が高い季節だ。
現在時刻は午前八時半頃。俺――雨霧阿頼耶は自室で本を読んでいる。
内容はこの世界の一般常識や文字、魔術についてが主だが、今は【聖戦】についても調べている。今までは碌に調べていなかったが、エルダーリッチが消える前に気になることを言っていたからな。
『あの御方たちの……予言は、当たって、いたと……いうわけなのだな』
あの言葉が気になる。
予言とは一体何のことなのか。女神であるアレクシアが俺に与えた神刀【極夜】に聞けば何か分かるかと思ったんだが、その知識は与えられていないようで分からず仕舞いだった。
だからこうして調べているんだが、如何せん【聖戦】にまつわる書物は種類も量も多過ぎる。当時の聖戦関係者から口伝で聞いたものをまとめたであろう歴史書。それを大衆向けに美化された御伽噺。救世主たちそれぞれの伝記。それに英雄譚などなどだ。
その中でも俺は歴史書と伝記を中心的に読み漁っているのだが、書いてあることは「魔王が世界を滅ぼそうとして、それを救世主たちが防いだ」といった、どれも似たり寄ったりの内容で、しかも著者の考察ばかりで中身が薄い。何というか、大事なところがすっぽ抜けているというか、ピースの欠けたパズルを見ているような感じだ。
そのせいなのか、予言がどうのといったことは一切書かれていない。
とはいえ、今から五千年も前のことだ。事細かく正確に現在まで伝えられているというわけではないだろうから、漏れがあったとしても不思議ではないか。伝説や神話はどこかしらで歪むものでもあるし。
それに本で分かることなんてたかが知れている。ジッとしていて分かることなんてありはしない。知りたいなら実際に動かねば。世界を見て回れば、俺の両親についても詳しく知ることができるかもしれない。
息を吐いた俺は本を閉じて後ろを振り返る。
「それで、お前たちは何をしてるんだ?」
そこにいたのは、親友である岡崎修司と、幼い頃からの友人である椚優李と姫川紗菜がいた。
「何って、見て分かんない? チェスをしてるのよ」
「俺はその相手をしてるぜ」
「私は本を読んでまーす」
委員長と修司はテーブルにチェス盤を広げて対戦しており、姫川さんは山積みにされている本の山から適当に引っ張り出して読んでいた。
この世界には地球のようにテレビゲームのようなものなんてない。娯楽と言えば本、チェス、トランプくらいなもので、子供たちにいたっては外で追いかけっこするくらいだ。
「わざわざ俺の部屋でやらなくてもいいだろうに」
「何よ。ここ数日、私たちを避けてたアンタが悪いんじゃない。文句あんの?」
「文句がどうこう以前に四人もいたら狭いって言ってんだよ」
委員長のセリフに違和感があった。
ここ数日避けていたと彼女は言った。だが、そもそも俺はダンジョンに潜っていたため、避けるも何もないのだが、おそらくリリア姫が気を利かせてくれたのだろうと思う。魔術で俺の幻影を見せるとか、そういったことくらいはできるだろうしな。
俺がいない間、周囲の人たちを誤魔化すためにやってくれたんだろうが、今度姿を見掛けたら礼を言わないとな。
「それで、結果は修司の何連敗なんだ?」
「何で俺が負けることが前提なんだよぉ」
「じゃあ勝てたのか?」
「……勝ててねぇけどよぉ」
顔を逸らし、バツが悪そうに言う修司。
言い負かされて落ち込むくらいなら最初から認めてしまえば良いのに。
「お前の頭の悪さはみんな知ってるんだから、今更見栄なんか張るなよ」
「俺にだってプライドはあるんだからなぁ!?」
「はい。チェックメイトよ、岡崎。これで二十五連敗ね」
「ぬおぁぁ!?」
余所見をしている間に修司は負けてしまった。
連敗続きの彼は放っておくとして、俺は盤面を眺める。やはりというか、委員長の側の駒数が圧倒的に残っており、修司の方の駒数は少なく、結果は見るも無残なことになっていた。コテンパンである。
「委員長がチェスできるなんて知らなかったな。将棋なら昔、何回か対戦した記憶があるけど」
「私だってこっちの世界に来てから初めてやったから、チェスは初心者よ。でも大まかなゲームの流れは将棋と似たようなものだしね。駒の特性に注意すれば、すぐできるようになるわよ」
なかなか難しいことなんだけどな。
いくら将棋とチェスのゲームの流れ似通っているとはいえ、チェスにはアンパッサンやキャスリングなど特殊なルールがいくつかある。それをガッツリ盛り込んでゲームを進めるなんて初心者には無理だ。
それをあっさりやってしまう辺り、委員長の頭の良さが分かろうというものだ。
まったく。これだから頭の良い奴は。
「で、結局何で俺は負けたんだぁ?」
盤面を見ながら修司は眉間に皺を寄せる。
その理由は簡単だ。
「三十二手目で戦車を突出させただろ。アレのせいで陣形が崩れちまって、そこから巻き返せなくなったんだよ」
「……へ?」
俺の言葉に、修司は間抜けな声を出す。
「ちょ、ちょっと待て。お前、ずっと本を読んでたよな? しかも盤面に背を向けて」
「そうだな」
「それなのに、ゲームの状況が分かってたのか?」
「そうだな」
「本を読むのに集中してたのに?」
「ゲームをしてる時の二人の声やら駒を置く音を聞いて、その状況を予測すれば想像はできるだろ……って、何で鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしてんだ?」
そんなおかしなことを言っただろうか?
三人とも、まるで信じられないものを見るかのような目をしている。
「えっと、阿頼耶君。普通、そんなことできないよ?」
「目隠しチェスなんてものもあるけど、アレって駒の位置を読み上げることが前提になるから、アンタみたいに駒の位置を読み上げずに把握するなんて無理よ」
「どういう脳みそしてんだよ、お前は」
……はて。
何を言ってるんだろうな、コイツらは。
むしろこれくらいできないと、俺はお前らに追い付けないんだがな。
そう思っていると、委員長が呆れたように口を開いた。
「こんな馬鹿げたことができるなら、阿頼耶に指揮を執ってもらった方がいいかもしれないわね。盤面を見ずにゲームの状況を把握できるなら、戦場での戦況の把握も簡単でしょ?」
「そんなわけないだろ。ゲームは単純な駒での勝負だけど、戦場はいろんな思考が入り混じる。そんな戦況の把握なんて、経験のない俺にできるわけない。そもそも、俺の指示なんてアイツらが聞くわけないだろ」
言ってしまえば、俺にはクラスメイトたちからの人望がない。
理路整然と作戦内容を伝えて、人心を掌握できる話術があればそれなりの人望でも役には立つだろう。だが、現状の俺の立場でクラスメイトたちに何かを言っても「戯言だ」と聞く耳すら持たないに違いない。
そんな指揮官などお荷物でしかなく、役立たずだ。
「それに俺は誰かの上に立つのは性に合わないんだよ」
「じゃあ、誰が私たちの指揮を執るって言うのよ」
「対外的には北条だろうな。顔立ち、カリスマ性、人当たりとかを加味するとアイツが表立って動く方が良いだろう」
回答があるとは思っていなかったのだろう。
委員長は目を丸くしたが、すぐに表情を戻して俺に問う。
「対外的にって、どういうこと?」
この世界は封建制度が主流だ。女性が表立って活躍をすれば嫌な顔をする奴や軽く見る奴だって出てくる。そういったいざこざを回避するためにも、みんなを率いる御旗として北条を据えるのが一番良い。
そう説明すると納得したようで、委員長は「うん」と頷きを返した。
「そういうことね。じゃあ、対内的には誰をリーダーに?」
「委員長か、佐々崎さんのどちらかだろうな」
佐々崎さん。フルネームを佐々崎鏡花。地球では風紀委員をしていた女生徒であり、彼女も整った顔立ちをしている。
委員長と同じく吊り目だが、受ける印象は違う。委員長は勝気なイメージがあるが、佐々崎さんは冷静さという雰囲気を感じる。さしずめ、委員長がツンデレで、佐々崎さんがクールビューティといった感じか。
そしてそのリーダー性は文句なし。クラスをまとめる委員長の代理も務めることができるであろう手腕があると俺は睨んでいる。
「どうしてここでアイツの名前が出てくんのよ」
「おっとぉ? どうして当然のように人の胸倉を掴み上げてるのかな?」
こめかみに青筋を浮かべる委員長は俺の胸倉を掴み上げて、威圧感のある表情で俺を睨む。
委員長と佐々崎さんは仲が悪い。
敵対するほど悪い人物ではないと俺は認識しているんだが、委員長曰く「あの全てを見透かしたような訳知り顔がムカつく」らしい。
まぁ、仲が悪いと言っても委員長が一方的に嫌っていて、それを佐々崎さんが煽っているだけなのだが。
「そんな悪い奴じゃないんだから敵対しなくてもいいだろうに」
「あ?」
不機嫌そうな顔をして委員長は俺を睨む。
あ?って、ガラ悪いな。
女の子が言うようなセリフじゃないぞ。
「ムカつくのよ、あの女! 私より聡いし! いっつも余裕な態度を見せるし! ちょっと大人っぽいし! 体は細いし! その割に胸は大きいし!」
ほとんど妬みじゃないか。
「私だって……私だって、ちょっとくらい胸あるわよ」
言いつつも俺から手を放さない委員長は自分の胸元をみるが、ほとんど断崖絶壁であるため、寄せて上げたとしてもたかが知れているだろう。
「ちょっと優李ちゃん! 男の子がいる所でそんな話をしちゃ駄目だよ!」
「はっ!? そうだった! ちょっと! 二人ともガン見してないで目を逸らしなさいよ!」
おい。人の部屋で勝手にやったことなのに酷い言い草だな。
理不尽だ。
「委員長」
「な、何よ」
真顔で彼女を呼ぶと、委員長は緊張した面持ちで応える。
一息置いて、俺は彼女に言い放つ。
「いくら頑張ってもバストサイズがAだったら谷間はできないから諦めろ」
「真面目な顔で何を言ってるのよこの馬鹿! それにBはあるわよ!」
「嘘はいけないな、委員長。Aどころか、むしろA Aじゃないのか?」
「そこまでまな板じゃないわよ! これでもちゃんと育ってるんだから!」
「まな板って。何もそこまで鉄板の自虐ネタに走らなくても良いだろうに」
「ぐっ!? こ、この……! 黙りなさい!!」
顔を真っ赤にした委員長は俺を床に組み伏せ、そのままキャラメルクラッチを決める。
「これでも! ちゃんと! 育ってるんだから!」
事実かどうかは分からないが、言動からして涙ぐましいな。
仕方ない。ここは別の話題に変えるとしよう。
「ていうかお前のステータスに表示されている名前なに? ニックネーム?」
「本名よ! アンタ、委員長委員長言い過ぎて私の名前忘れたの!?」
ギリギリギリときっちり絞め技が決まっているが、俺の方がステータスは上になっているためか、全く苦しくない。レベルが上がってて良かった。ステータスが解放される前の値だったら、さすがに死にかけていただろう。
そう言えば、こんなやり取りも随分と久しぶりな気がする。
昔は良くこうやって委員長を茶化しては絞め技を決められて、それを姫川さんは苦笑しながら見てたっけ。
「……あの状態でどうして阿頼耶は平気なんだぁ?」
「いつものことだからね。慣れてるんだよ。昔から優李ちゃんと阿頼耶君はあんな感じでじゃれ合ってたよ?」
「……アレをいつものことで片付けられるお前らがスゲーわ」
引き攣った顔の修司に微笑みを返した姫川さんは俺の前で膝を折る。
ちょっと、姫川さん。長めのスカートだから中身が見えることはないんだが、男の前でそういうことをするのはやめてもらいたい。
「ねぇ、阿頼耶君。今日ってお昼は暇?」
「ん? まぁいつも通り本を読むだけだから暇だけど、何か用事か?」
「明日の準備のために王都でお買い物をしようと思ってて、ついて来てほしいの」
なるほど。つまりは荷物持ちをしろってことか。
「別にそれくらいなら構わないぞ」
返事を返し、ふと俺はあることが気になった。
「明日の準備って?」
「それはもちろん、ダンジョン探索の準備だよ? 阿頼耶君も参加のはずだよ。ね、優李ちゃん」
「えぇ。確か騎士団長が四十一人全員参加って言ってたからね。アンタも強制参加よ」
俺を締め上げたまま委員長は肯定するが、それはどうでもいい。
ただ、一言物申したい。
そういうことは先に言ってくれ!!
次話は七月三十一日更新予定です。
 




