第185話 潜む不和の足音
同時刻。優李たちに所から歩いて三十分ほど離れた位置では彼女たちと同じように戦闘訓練をしている集団があった。
集団のリーダーを務めているのは長いストレートの黒髪に一七歳とは思えない大人の女性のような雰囲気を出す少女――佐々崎鏡花だ。
「仲林君、そっちに行ったわよ!」
「了解!」
鏡花の指示に従い、同年代の男性と比べて些か身長が低めな眼鏡をかけた少年――仲林祐介は自らの持つ『忠義の勇者』の称号から召喚した聖剣『ガラティーン』を振るう。
鏡花の脇を抜けて襲い掛かってきたゴブリンの頭をガラティーンの刃がかち割り、呆気なく絶命するも返り血が顔の右側に付着する。そのせいで視界が半分遮られ、死角から飛び掛かってきていたコボルトへの対応が遅れた。
振り返ったのはいいものの剣を振るまではできず、振り下ろされたコボルトのナイフをどうにかガラティーンを楯にするようにして防ぐことしかできなかった。しかも無理な体勢で防御したため、飛び掛かられた勢いに負けて押し倒されてしまう。
「ぐっ」
「祐介!」
すると後方で待機していた、肩口で切り揃えた黒髪の少女――内村里沙が傍に浮いている白いデッサン人形に手を翳して動かせば、それに連動してコボルトが直立で動かなくなる。
一体何が起こっているのか分からない。そんな反応を示すコボルトを、祐介は腕に力を入れて弾くようにして無理やり上から退かせた。
地面を転がるコボルト。それに止めを刺すべく祐介は全力で立ち上がり、雄叫びを上げながらガラティーンを突き立てた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
荒く呼吸をする祐介がズルッとガラティーンを引き抜くと、腰が抜けたように地面に座った。
(手間取りはしたけど、とりあえず倒せたみたいね)
横目で祐介の状況を確認し鏡花は自身が相手をしていたゴブリンの心臓部分を突き刺す。すると彼女が刀身に纏わせていた勇者シリーズのユニークスキル【勇者氷結】の冷気によって凍り、ガラスを割るような音を立てて砕けた。
周囲にもう魔物がいないことを確認した鏡花はスキルを解除し、レイピアを鞘に納める。二人の様子を見るが、どういうわけか里沙は遠慮したように祐介に近寄ろうとしない。
(内村さん、なにをそんなに躊躇っているのかしら?)
そのことを不審に思いつつも、鏡花は祐介に言う。
「まだ注意力が散漫ね。目の前だけじゃなくて、周囲の状況も把握しておかないと今みたいなことになるわ」
「ごめん、佐々崎さん」
バツが悪そうに謝罪した祐介は眼鏡を外して付着した返り血を拭う。
(とはいえ、彼の動きがぎこちないのも仕方がないのよね)
自室から出て戦闘に復帰してしばらく経ったが、いまだにゴブリンやコボルト相手にギリギリの戦いをしている。ステータスレベルは一〇なので数値上では手古摺る相手ではないのだが、龍族のトラウマを乗り越えてもやはり恐怖心は根付いているので、いざ戦うとなると体の動きが鈍くなってしまうのだ。
(私も人のことは言えないけれどね。かなりマシになったけど、それでもまだ恐怖心は残っているのだから)
自身の手を見れば、わずかに震えていた。
(一戦ごとにこれじゃあね……早くどうにかしないと)
せめてクラスメイト全員が問題なく魔物を倒せるようにならなければ話にならない。
まだ引きこもっているクラスメイトのメンタルケア。個人での戦闘訓練。手段での連携。レベル上げ。魔王討伐を達成するためにクリアしなければならない課題は山盛りだ。
(今思えば、雨霧君は凄かったわね)
鏡花は阿頼耶が死ぬことになったダンジョン遠征の時のことを思い出す。
パーティを組んで挑んだダンジョン遠征。その時に鏡花はさして負担を感じなかったが、ここしばらくパーティのリーダーしてみたら当時よりも圧倒的に負担が大きかった。
自身の戦闘はもちろんのこと、敵の位置、敵の武器から攻撃手段の予想、その対処法、仲間の状況とフォロー。仲間をうっかり誤射しないための立ち位置の調整。これだけでも頭がパンクしそうだというのに、指揮をする立場にいる鏡花は状況に応じてメンバーに指示も出さなければならない。
本来あったはずの負担を今になって感じているのは、ダンジョン遠征の時は阿頼耶が上手く立ち回って鏡花のサポートをしていたからに他ならない。
そのありがたみをこんな形で知りたくなかった、と鏡花はつい溜め息を吐いてしまう。とはいえどれだけ後悔しても過去をやり直すことはできない。ならばやれるのは、今度どうするのかを考えることだけだ。
気持ちを切り替えた鏡花は祐介と里沙に視線を向ける。
(まずはこの二人が戦えるようにしないといけないわね)
祐介はまらしも、里沙はまだ戦えない。先ほどは咄嗟に祐介を助けはしたが、それまでの間はずっと棒立ち状態だった。
(こんな物言いはあまりしたくないけど、それだと足手纏いになってしまうのよね)
かといって戦いを強要してまた引きこもってしまっては本末転倒である。発破を掛けつつも負担を感じさせないように気遣うのが理想的だが、鏡花は心理カウンセラーではないので、この辺りの匙加減は中々に難しい。
(仲林君に任せた方が良いかしら? 彼なら内村さんのことを理解しているから上手くやれるでしょうし)
何せ彼女を部屋から連れ出したのだ。誰よりもお互いのことを知っている仲なのだから、そのまま祐介に任せた方が得策だ。
そう考える鏡花だが、同時に気掛かりもある。
先ほど祐介を助けた後、里沙は何かを躊躇って近寄らなかった。今もどこかぎこちなく会話をしている。祐介自身はそれに気付いている様子はない。それほど微々たるもの。同じ女性である鏡花だからこそ、その些細な変化に気付けた。
しかし確証があるわけではないので、鏡花はそれを勘違いだと片付けた。
(……気にし過ぎね。雨霧君が死んでから、どうにも神経質になっていけないわ。きっと迷惑を掛けた仲林君に対して申し訳なく思っているだけでしょう)
そう結論付けた鏡花は二人に言う。
「さぁ二人とも、一休みしたら訓練を再開しましょう」
近くに魔物をおらず、そもそも周囲には護衛の冒険者たちがいるが、それも今はまだ『魔窟の森』の中だ。他のことに意識を取られて良い場所ではない。
気になることは数知れず。しかしそれに一つ一つ丁寧に問題を解決していくほど、彼女たちに余裕はなかった。
その日の夜。入浴を済ませた祐介は自室に向かいながらひとり反省会をしていた。自身のステータスウィンドウを表示したまま、彼は渋面を浮かべてそれを眺める。
(全然ダメだったなぁ)
思い起こすのは今日の訓練での出来事。
魔物を倒すことはできたものの、不注意で返り血を浴びたことで視界不良になり、その隙を突かれるという失態を演じた。これは手痛い失敗だ。
(あーいう時って、どうすれば良いんだろう? 返り血を浴びないように立ち回るっていうのも、あまり現実的じゃない。あの時は隙を突かれたわけだから、どうにかして魔物の接近が分かれば……確か、【気配察知】っていうスキルがあったはず。それがあれば少しは改善できるか)
改善点は他にもある。彼の持つ勇者シリーズのユニークスキル【勇者陽光】は強化系のスキルなのだが、祐介はまだこのスキルを扱い切れていない。
陽光の名を持つように、このスキルの効果は太陽の状態と時間帯に左右される。晴天かつ正午の前後三時間以内だと各ステータス値が三倍、それ以外の時間帯かつ太陽が出ている状態だと二倍に強化されるが、太陽が出ていない状態だと発動しない。
制限はあるものの全てのステータス値が最高で三倍になるという強力なスキルではあるが、現在の祐介ではスキルが体に馴染んでいないので、一日に三分間しか使えないのだ。
(三分を越えたら俺の体がもたない。とはいえこれは魔物を倒してレベルを上げていけば俺の体も強化による負荷に耐えられるようになるから問題ない。強いて言えば強化倍率が最大で三倍なことか)
三倍でも充分に驚異的な強化なのだが、祐介が王城の図書室で調べてみると、過去に【勇者陽光】のスキルを使っていた異界勇者は五倍、十倍と強化倍率の上限を上げていったらしい。
(つまり、熟練度が上がればそれだけ強化倍率の上がるってことだ)
となればやることは変わらない。
(結局は、限界までスキルを使って熟練度を、魔物を討伐してレベルを上げていくしか方法はないか)
溜め息を吐いて風呂上がりの湯気で曇った眼鏡を拭いて掛け直すと、ちょうど通路の突き当たりを曲がった里沙の姿が目に入った。
(風呂上がりっぽかったけど、あんな所で何してんだ?)
彼女が曲がった先に彼女の自室はない。祐介の部屋がある方向でもないため、彼を訪ねに行ったわけでもなさそうだ。
(一体どこに……?)
気になった祐介は彼女の後を追おうとするが、それよりも先に背後から声を掛けられた。
「おやおや、勇者ユウスケ様ではありませんか」
一体いつからそこにいたのか、振り返ると長い黒髪に泥沼のように濁った目をした男性――シュナイゼル・セローが立っていた。
「こんな所で立ち竦んで、どうされたのですかな?」
「え? あー……いえ、何でもないです。シュナイゼルさんこそどうしたんですか? こんな時間なのにローブなんか着て」
すっかり夜の帳が下りた時間だというのに、どういうわけかシュナイゼルは豪華なローブを身に纏っており、これから休むような格好ではなかった。
「実はこれから仕事がありましてね。城内に設置してあるセキュリティ関連の魔術の点検をせねばならないのです」
「こんな時間にですか?」
「こんな時間だから、ですね。真っ昼間にセキュリティを切って点検するわけにもいきませんから」
確かに、とシュナイゼルの言葉に祐介は納得した。
緊急性の高い障害などが発生した時は別だが、多くのサービスではメンテナンス作業は大抵が夜間に行われる。サービス利用者の多い昼間だと影響が大きいため、最もサービス利用者が少ない夜間に行う方が都合が良いからだ。
なので、シュナイゼルがこんな時間にセキュリティ魔術の点検をするのは何も不思議なことではない。
「それはそうと、勇者ユウスケ様は今日の訓練は如何でしたかな?」
「芳しくないですね。どうにか魔物は倒せますが、まだまだ注意が散漫というか」
「であれば【気配察知】か【魔力感知】のスキルを獲得するか、魔術で補うのが良いでしょう」
スキルを取ることは視野に入れていたが、まさか魔術という選択肢があるとは思わなかった祐介は目を丸くした。
「そんな魔術があるんですか?」
「もちろんありますとも。例えばですね――」
と、祐介はシュナイゼルの説明を聞く。
その内容は興味深いものばかりで、ついつい祐介は話し込んでしまい、結局、里沙の後を追うことはできなかった。




