第184話 轟く名声、されど正体は知れず
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その頃、フェアファクス皇国から遠く離れたオクタンティス王国では、異界勇者たちが本格的に活動を再開していた。場所はフェアファクス皇国とオクタンティス王国を隔てる『魔窟の森』。そこで十数名ほどの一団が魔物を狩っていた。
一団の一人、斬り捨てられた大量のゴブリンやコボルトの死体の中心にいる、濡羽色の長い髪を赤いリボンでポニーテールにした少女――椚優李は聖剣『アロンダイト』を振って血のりを落として鞘に納めた。
概算で二十体近くを一人で倒した彼女に、少し離れた場所から見ていたウェーブした緑色の長髪の女性――カミラ・リンドヴルムが声を掛ける。
「さすが勇者様、この程度は準備運動にもならないわね」
「まぁ、このレベルの魔物に遅れは取りませんよ」
賞賛の言葉に優李はなんてことないように返した。
勇者と冒険者。この二人がともに行動しているのには理由がある。
今代の異界勇者は黒龍のトラウマのせいで大半がまだ引きこもっている状態だが、一部はトラウマを乗り越えている。しかし全員の復帰を待ってはいられないので、その一部の異界勇者の戦闘経験を積ませるためにオクタンティス王国側は護衛として冒険者を雇った。
とはいえ冒険者ギルドは国政に関与しないため、オクタンティス王国は個別で冒険者たちに依頼を出さねばならず、だがその手間を掛けても大半の冒険者には断られてしまった。
今も雇えているのは復帰した異界勇者と同人数程度で、異界勇者一人につき冒険者一人を護衛に付ける形を取っているため、今後も増やす必要がある。
ちなみに以前のように騎士を護衛に付かせなかったのは、以前のような団体での護衛ではなく個人での護衛となると国防的な観点から問題があるからだ。本来ならダンジョン遠征の時のパーティごとに騎士を一人付けて護衛させる方針だったのだが、その予定が崩れてしまったわけだ。
そういう諸々の事情が嚙み合った結果、優李にはカミラが護衛として配置されたのだ。
「おーい、優李ちゃーん!」
「そっちも終わったか?」
すると、ゆったりとしたローブに身を包んだ、セミロングに伸ばした黒橡色の髪を優李とお揃いのリボンでハーフアップにした少女――姫川紗菜と、長弓を持つ黒い短髪の少年――岡崎修司がやって来た。
その後ろにはツーブロックの黒髪にピアスをした男性剣士――ヘルマン・ニーズヘッグと女性冒険者もいる。
別の場所で戦闘をしていたはずだが、どうやらそれが終わったので合流するつもりらしい。
「えぇ。そっちも終わったみたいね」
近寄る二人にそう応えれば三人はそのまま話を始め、女性冒険者は近くの木に背中を預けて休む。
その二人の様子を横目で見つつ、カミラとヘルマンも状況のすり合わせのために話を進めるが、その瞳は龍族のそれではなく人間族によく似た青色だった。
普通なら【人化】スキルを使っても龍族特有の瞳孔が縦長になった金色の瞳はそのままなのだが、異界勇者の護衛をするに際して【変装】スキルで瞳の色を青色に変えて瞳孔も丸いものにしているので見た目は人間族にしか見えない。
暗殺者ともなれば暗殺術の他にも【変装】のスキルは必須だ。今回のような潜入には重宝するため、『灰色の闇』の全員がこのスキルを習得している。
「そんで、どうだった?」
「大丈夫よ、勇者ユウリ様は気付いた様子はないわ」
「こっちもだ。勇者シュウジ様も勇者サナ様も気付いちゃいねぇ」
そう言って二人は優李と修司と紗菜の胸元に視線を向ける。そこにあるのは銀製のプレートに小さなサファイアが嵌め込まれたネックレス――まだ阿頼耶がオクタンティス王国にいた頃、ダンジョン遠征の際に彼女たちにプレゼントしたタリスマンだ。
付与を施された魔道具の中でもお守りに分類される物がタリスマンと呼ばれるのだが、一般的な魔道具とは違ってアクセサリーに限られ、しかも付与スロットを全て消費してしまうばかりか、たった一度しか使えない使い捨ての代物だ。
使い捨てなのに値が張るが、それでもあるのとないのとでは随分と違うので冒険者は特に最後の命綱として装備していることが多い。
「キョウカ様、アヤノ様も気付いていない。カケル様はどう?」
「大丈夫だ。そっちも気付いちゃいなさそうだ」
そのタリスマンだが、三人の他にも佐々崎鏡花、結城翔、長瀬文乃に贈られたこれは実をいうと阿頼耶が直接渡した物とはすり替えられている。
阿頼耶が幼馴染みや親友を心配して、でもまだ表立って会いにはいけないため、せめてもと性能を上げたタリスマンをミオに用意してもらい、カミラとヘルマンにすり替えてもらったのだ。
とはいえ、いつもなら阿頼耶が術式を刻む品を用意してミオに付与してもらうのだが、アクセサリー関連になると錬金術ではなく彫金の分野になってしまうため、ミオに全て任せることになってしまったが。
「じゃあひとまず問題ないわね」
タリスマンが届いた直後、二人は早速すり替え作業を行った。
その時にはすでに勇者の護衛として雇用されていたのだが、王城に泊まっているわけではないので勇者たちの私室に忍び込むのは容易ではない。だから護衛の合間に隙を見てすり替えた。
凄腕の暗殺者であるこの二人にかかれば造作もない作業だったが、今代の異界勇者の近くにはすでに邪神教徒がいる可能性がある以上、細心の注意を払う必要があったので、かなり神経を使った。
だがその甲斐もあって、異界勇者はもちろんのこと、邪神教徒にもタリスマンがすり替えられたことに気付かれていない。もし気付いているのなら、何かしらアクションがあるはずだ。
二人は考える。
阿頼耶から受けた指示は「異界勇者と王国の動向を探り、異界勇者たちをできるだけ一ヶ所に留めること」だ。阿頼耶は異界勇者の一人と交わした約束を果たすためにも、全員欠けることなく地球に返そうとしている。
そのためには異界勇者たちの身の安全を確保する必要があるが、それは叶わない。いくら龍族といえども、たった二人で四〇人を守るには限界がある。【人化】している状態なら尚更だ。
正体を隠したまま異界勇者たちを守るとするなら、自分の身は自分で守れるよう鍛えるしかない。
一つ懸念があるとすれば、異界勇者たちの護衛で雇われた冒険者たちだ。冒険者の登録は基本的に誰でもできるため、邪神教徒が紛れ込んでいないとは言い切れない。故に紗菜の護衛をしているこの女性冒険者も邪神教徒なのではないかと二人は疑っている。
女性冒険者の名前はイゾルデ。
長い亜麻色の髪をポニーテールにし、腰に刺突用の両手剣――エストックを差した青い瞳の剣士だ。魔術は苦手なのか、左手首には【身体強化】の魔術が付与されたブレスレットの魔道具を嵌めている。
人数も多く時間も足りなかったため、二人が調べて分かったのはそれだけだった。邪神教徒ではない確証は得られなかったが、かといって怪しい点も見受けられない。些か不安要素が残るが、それが分かるまで何もせず手遅れになったら本末転倒だ。阿頼耶に顔向けできない。
もう少し休憩をしたらこの面子で集団戦の訓練をしよう。そう決めた時だった。
「そういえば二人は知っているかしら? 妖精王国アルフヘイムで救世主の息子が現れたんですって」
ちょっと聞き流せないセリフが聞こえてきた。
「救世主って、五〇〇〇年前にこの世界を救ったっていうあの救世主か?」
「その救世主の息子さんがアルフヘイムに現れたの?」
思わずカミラとヘルマンはパーティ間で使える念話で会話をする。
『ちょっとちょっと! マズいわよ! アルフヘイムの件、もう勇者たちにまで伝わっちゃってるんだけど!?』
『いくら仕方ない状況だったっつっても、これじゃあ正体がバレるのも時間の問題だろ!!』
念話では大困惑の二人だが、流石は一流の暗殺者といったところか。顔にも態度にも一切動揺を見せなかった。
にわかには信じられないといった表情をする紗菜と修司に、優李はプラプラと手を振って言葉を続ける。
「あくまでも噂よ、噂。今、冒険者の間じゃそういう噂が流れているらしいわ。なんでも、アルフヘイムで起こった『瘴精霊事件』を解決したんだとか」
「ふ~ん? でもおかしな話だね。何で今頃になって五〇〇〇前に活躍した救世主さんの息子さんが出てくるの?」
「言われてみれば、たしかに奇妙だな。本当に救世主の息子だっていうんなら、何で五〇〇〇年も間が開いて出てきたんだ?」
頭を悩ませるようにして議論を交わす三人に、カミラとヘルマンはどうやら正体はバレていないようだと内心で安堵した。
「さぁ? それは私にも分からないわ。聖剣『デュランダル』を扱う黒衣の少年だって話だけど、冒険者の間でも荒唐無稽な話として扱われているから、その人が本当に救世主の息子なのか確定していないのよ」
「どんな人なの? ほら、見た目とか」
「それが分からないのよね。今言った以上のことはさっぱり。情報統制でもされているのかしら?」
実際は情報統制なんてしていない。妖精女王ティターニアが公言していないこともあって、伝え聞いただけの者は一つも信じていないため、詳細な情報が伝わっていないのだ。
アルフヘイムに密偵を送っていたであろう各国の上層部はさすがにもっと詳しい情報を得ているだろうが、それでも情報の真偽を確かめるのに手間取っているだろう。
「そちらは何か知っていますか?」
ふと、優李がカミラ、ヘルマン、イゾルデの三人に問い掛けてきた。
「ん~。確かに最近、そういう噂を聞くわね。けどデタラメでしょ? ティターニア女王陛下だって公式に発表してないわけだし」
「そうね。もしも本物ならティターニア女王陛下が何か言うだろうし」
「信じてるヤツなんてほとんどいないんじゃねぇか?」
ポニーテールの毛先を指で弄びながら否定するイゾルデの言葉に二人が同意する。三人が同じ意見だったからか、優李たちは特に疑問を挟むことなく納得した。その様子にカミラとヘルマンは安堵しつつ「彼がこれ以上目立つような行動を控えてくれれば良いなぁ」と、無駄と思いながらも願ったのだった。




