第182話 魔国領ネノクニからの来訪者
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疑似『氾濫』というトラブルがあったものの、無事にヴァイオレット嬢の護衛依頼を終えてカルダヌスに戻ってきた俺――雨霧阿頼耶は、ギルドから自宅へと帰っているところだった。
護衛依頼の達成報告をするためにギルドに行ったのだが、案の定というか予想通りというか、ラ・ピュセル支部長に呼び出されて支部長室に直行。そのままお説教を食らって、ようやく解放されたのだ。
「にしても、二時間も説教しなくていいだろうに」
まぁ、俺が悪いから文句は言えないんだけど。それでも怒った支部長は怖かった。怒鳴るようなことはなかったけど、にっこり笑いながら静かに詰め寄るようにして説教するから、空恐ろしくて冷や冷やした。
『仕方のない状況だったのは分かっていマスヨ? けどね、他にもいろいろとやりようはあったと思うんデス。それなのに目立つようなやり方でハイナーガを倒しちゃって……ドミニク支部長とエクレストン公爵令嬢から問い合わせが来ているんデスカラネ? 大体、キミは――』
さすが元Sランク冒険者、今思い出しても身震いしそうだ。できる限り支部長は怒らせないようにしよう。自信ないけど。
それよりも、もっと大事なことがこの後にある。午後から何と来客があるのだが、その人物がちょっと問題だ。いや、問題というとちょっと語弊があるが、中々に気の休まらない立場の人が来るのだ。
それを知ったのは、カルダヌスに戻った直後のこと。
『お帰りなさいませ、お館様。早速で申し訳ありませんが、先触れが届いています』
『誰から?』
『その、対応した私もいまだに信じられないのですが、魔国領のネノクニからの使者です』
『……………………は?』
と、研修のために妖精王国アルフヘイムからやって来た近衛侍女の一人、絹妖種のラナンキュラス・ドロヴァンディが言ったのだ。
七つの国で形成された魔国領の一つであるネノクニは妖怪種の国で、今回そこから使者が来たというのだが、その使者がなんと魔王の娘らしい。
とんでもない大物に見間違いかと先触れの手紙を何度も読み返したが、事実が変わることはなかった。当然だけど。
来訪の理由、先代の魔王復活の件についてって書いてあったけど、これってあれだよな。ヤマトであった『百物語計画』のことだよな。陽輪陛下から聞いたのだろうか。ヤマトはネノクニの属国だし、報告していたとしても不思議ではない。
何はともあれ、魔王の娘さんとの対談だ。気を引き締めないと。
屋敷に戻れば対談の準備だ。
「この三人で会うんだよな?」
貴賓室にて、俺は一緒に待機しているセツナとクレハに訊いた。
セツナは頷いて、
「今回はあくまでも対談です。何かを交渉する場ではないので、イニシアチブを取る必要はありません。向こうも三人で来るとのことですし、同数の三対三がベストです」
この三人になったのも、まずパーティリーダーだから俺は確定で、セツナはサブリーダーだから、そしてクレハは龍国ドラグニアの姫だからだ。それなりの身分を持つ三人になったわけだ。
それなりの身分、となると椎奈も勇者という公的に強い影響力を持つ身分を持っているが、今回の相手は魔王の娘だ。勇者と対面した結果、どんな反応を示すのか予想ができない。下手をすれば敵対してしまうかもしれないので、候補から外した。
そうこうしているうちに対談の時間だ。
三人の妖怪がセリカに案内されて貴賓室に入室する。
「魔国領ネノクニから来ました、七大魔王第四席『総大将』玉藻前妖燈の娘、玉藻前燈依いいます。後ろのはウチの護衛兼側近の茨木童子木沙羅と鞍馬天狗俊臣です。どうぞよろしゅう頼んます」
日本の京都弁を思わせるイントネーションで挨拶を返してくる長い金髪の女性――燈依さんは赤いアイシャドウで彩られた目尻を下げて上品に笑って頭を下げた。
「ようこそおいでくださいました、ネノクニの皆様。Bランク冒険者パーティ『鴉羽』のリーダー、雨霧阿頼耶と言います。こちらはパーティメンバーのセツナとクレハです。どうぞ、お掛けください」
こちらも挨拶を返し、着席を促す。
外見はおよそ二〇代半ばに見えるが、長命種だから見掛け通りの年齢ではないだろうな。上物の着物を身に纏って九本の尾を揺らすその姿は魔族だからなのか、妖しげな雰囲気を醸し出している。
チラッと、俺は彼女の背後に立つ護衛の妖怪種二人に視線を向ける。
額から二本の角を生やし、東洋の甲冑に太刀を佩く女性が茨木童子木沙羅さん。こちらも燈依さん同様、ゾッとするような妖しい美しさを持っている。
もう一人の長く突き出た鼻に立派な白い髭を生やした、山伏の格好に羽扇を持つ老人が鞍馬天狗俊臣さん。穏やかながらも歴史の深さを感じさせる面持ちの老人だ。
名前から分かる通り、木沙羅さんが鬼の頭目として名高い酒呑童子の右腕と言われる茨木童子の系譜に連なる者で、俊臣さんがかつて地球で源義経に剣術を教えたとされる大天狗、鞍馬山僧正坊の別名を持つ鞍馬天狗の末裔だろう。
そして燈依さんは、平安時代後期に鳥羽上皇の寵愛を受けた天下一の美女であり国を傾けた妖狐の血族か。
九尾の妖狐、鬼、天狗。日本で語られる五大妖怪の内の三人と相対してすぐに分かった。
勝てない、たった一人にさえも。今この三人と対面しているのは俺とセツナとクレハの三人だが、仮に全員がいたとしても無理だっただろうな。それほどまでの圧倒的な力量差がある。
「そないに緊張せんといて。何も取って食おうなんて思うてへんから」
「失礼しました。何しろ、魔王の血縁者に会うのは初めてなものでして」
どうやらこちらの緊張が伝わってしまったらしい。からかうような燈依さんの言葉に恐縮する。
「まぁ、そやろなぁ。属国のヤマトを除けば、魔族は魔国領から出ることはほとんどあらへんから、どっかで見掛けることなんてないやろし。それが魔王の娘なら尚更かぁ」
確かに、ヤマトではちょくちょく妖怪を見掛けたけど、フェアファクス皇国やアルフヘイムじゃ全く見ないな。理由はやはり、世間的には『魔族は世界を滅亡に招いた魔王の一派』という認識だからか。
ヤマトで魔族と直に触れあった者なら認識を改めるだろうが、わざわざ会いに行こうとは思わないだろう。
しかも会えるのは妖怪のみで、妖怪が友好的だとしても他の魔族もそうであるという保証はない。
「まぁそれは置いといて~。早速本題に入ろか。先触れにも書いといたけど、ヤマトであったっちゅう事件について聞かせてくれへんやろか? 一応、陽輪陛下からも聞いとるけど、阿頼耶はんたちの視点からも聞きとおてなぁ」
「あ、はい。分かりました」
やっぱり陽輪陛下から聞いているのか。
ならありのままを伝えた方が良いだろうと判断し、俺はあの事件のことについて語った。燈依さんは話を聞いている間、何度も相槌を打ちはするものの驚く素振りはない。どちらかと言えば事前情報と照らし合わせて齟齬がないか確認している、といった様子だった。
「なるほどなぁ。妖怪の特性を利用した犯罪装置に、一〇〇体のホムンクルスを犠牲にして生み出す『人工勇者計画』と、伝説級魔道具所持者を殺した事件を怪談に見立てた『百物語計画』。何度聞いてもけったいな話やわぁ」
着物の袖で口元を隠しながら、燈依さんは嘆息を吐く。
「にわかには信じられへん話ばっかで頭がこんがらがりそうやわぁ。先代魔王の復活やなんて……まぁそれも防げたみたいやし、えかったわ。おおきにな、阿頼耶はん」
「いえいえ、そんな」
そんな感謝されても、正直困る。
あの時は結局、先代魔王を呼び出す魔術は発動してしまった。先代魔王が復活しなかったのは、ひとえに向こうが失敗したからだ。実際に俺が何かをしたわけじゃない。それなのに感謝されるのは、ちょっと居心地が悪い。
「そんで、悪いんやけど、もう一個確認してもええ?」
「何でしょう?」
「聖剣『デュランダル』を見せてもらえへんやろか? 陽輪陛下からも、阿頼耶はんからも事件のあらましは聞いた。二人してデュランダルのことを言及しとるんやからホンマなんやろうけど、さすがに事が事やろ? 言葉だけで鵜呑みにでけへん」
この提案はされるであろうことは予想していた。なので俺は『虚空庫の指輪』からデュランダルを取り出し、偽物でないことを示すために神聖属性の魔力を灯す。黄金色の光を発する魔力に三人は目を見開いて驚いたが、すぐに冷静さを取り戻した。
「なるほどなぁ。ホンマに救世主の息子はんなんやね」
「あまり大っぴらに公言しないでくださいね」
デュランダルを『虚空庫の指輪』に収めて言うと、燈依さんは小首を傾げた。
「どして? 公表したらええやん。救世主の息子やったら、この世界のほとんどの者が言うこと聞くで? それこそ王様やって顎で使える」
「権力とか特権に興味はありませんよ。あれば確かに便利な時もありますけど、あまり目立ちたくないですし」
「ヤマトの事件で大立ち回りしたくせして、今更なに言うてはるん?」
それはそうなんだけどさ。助けるために動いた結果として目立ってしまったのだから仕方ないだろ。不可抗力だ。
「まぁ、先輩はそういう人ですからね」
「誰かを助けるとなれば、自分のことなど全て後回しにしてしまいますのもねぇ」
ちょっとお二人さん。そんな呆れたような感じで言わないでもらえます?
「ふ~ん? なんやおもろい人やね、阿頼耶はんは」
まじまじと俺を見る燈依さん。しかしその視線は品定めするようなものではなく、興味深いものを見るようなそれだった。
「阿頼耶はんがどんな人間なんか、ちょっとだけ分かった気ィするわ。……ま、それはそれとして先代魔王の復活を止めてくれたお礼をせなあかんな。なんか欲しい物とかある? ウチの裁量で決められる範囲でなら、お願い聞いたるよ?」
「欲しい物、ですか」
ふむ、と顎に手を当てて思案する。
魔王の娘の裁量で叶えられるとなると、多少は無茶なこともいけそうだ。まぁさすがにそんなことはしないけど。とはいえどうしたものか。ネノクニの特産を知らないから、何を要望するか悩むところだ。
チラッとセツナに視線を向ける。視線に気付いた彼女はきょとんとした顔で小首を傾げる。
――うん。せっかくの機会だし、アレを頼んでみよう。
「では、魔族の魔術をセツナに教えてあげてもらえませんか?」
「魔族の魔術を?」
全く予想外の言葉だったらしい。燈依さんは虚を突かれたように目を丸くした。




