第179話 氾濫防衛戦、開始
防衛作戦が決行された。
冒険者や騎士の他にも魔術師ギルドや錬金術師ギルドのような戦える者たちも参加することになり、迎撃のためにドミニク支部長が立てた作戦に従って準備を進めている。参加者たちはそれぞれで所属が違うため命令系統は異なるが、『氾濫』では魔物との戦闘経験が豊富な冒険者側の指示が優先される決まりになっているからである。作戦を立てたのがドミニク支部長だから、というのも理由の一つだ。
ちなみに、ヴァイオレットのバンブーフィールド商会のような商業ギルドは物資の手配をすることで支援している。
ドミニク支部長が立てた作戦の下に行われている防衛戦の概要はこうだ。
魔物の大群はガルスの西南西からやって来るため、ガルスの外周壁から五キロ離れた位置にAからBランク相当の者たちで構成された第一陣、Cランク以下の第二陣、補給や治療のための第三陣が展開。
この三重の防御陣形で迫り来る魔物の大群を抑え、その間に都市防衛結界の魔道具を発動させる。無理に殲滅する必要はない。あくまでも結界が展開されるまでの時間稼ぎであり、結界が展開されれば徐々に後退して結界の内側に避難すればいい。
それだけなのだが、
(その時間稼ぎが辛過ぎる!!)
苦悶の表情を浮かべながら、エリノアは両手を動かす。
その動きと連動して、彼女の指先から伸びる魔力でできた糸――魔糸と繋がった人形が眼前に迫る鹿の魔物を両断した。
『燃え盛る女騎士』。女騎士の名の通り、炎を纏った剣を持つ女性騎士の姿を模した魔法人形だ。他にも彼女の背後には移動のためにメイド服を着た魔法人形『付き従う侍女』も控えている。
建国より存在する三大公爵家の一つで『魔』を司るエクレストン公爵家は代々優秀な魔術師を輩出している家柄だ。
魔力量と扱える魔術の数は少ないもののエリノアもその例に漏れず、魔力操作技術の高さと魔術に対する知識の深さから今年の水の月に魔術学園を次席で卒業した優秀な魔術師である。
本来ならば公爵令嬢である彼女はここではなくガルスにある屋敷か、いたとしても作戦を指揮するためにドミニク支部長たち指揮官クラスが詰めている天幕にいるべきだ。にも拘わらず彼女は戦場、しかも第一陣にいる。
というのも、確かに彼女は貴族の令嬢だが、魔術的な処理を施された人形の魔道具――魔法人形を操る人形師でもあり、魔術師ギルド『トラディショナル・テラー』に所属するBランク魔術師でもあるからだ。
魔術学園在学中は学生という身分もあってギルドに所属することはなかったが、セツナと同じように論文や研究結果の発表はしていた。このやり方は学生たちが分かりやすく実績を積むために行うポピュラーなやり方であるため、セツナやエリノアのみならず、魔術学園に通っている優秀な生徒は大抵やっている方法だ。
生まれつき足が悪い彼女は『政略結婚が難しい以上、令嬢としての務めは果たせない』と早々に判断し、在学中の間に実績を重ね、魔術学園を卒業すると同時に『トラディショナル・テラー』に正式加入。今までの実績もあってすぐさまBランク魔術師となった。
そして今回、疑似『氾濫』に対処すべく『トラディショナル・テラー』も協力要請を受けたため、Bランク魔術師として参加することになり、第一陣に配置されたというわけである。
もちろん彼女の家族は反対したのだが、
『お父様もお兄様も、状況を見てから物を言ってくださいませ。今はそんな生温いことを言っている場合ではないでしょう? 生きるか死ぬかの瀬戸際なのです。皆が必死になって戦うというのに、戦える私が一人屋敷で座して待つなど、どうしてできましょうか。……というか心配なのは私よりもお二人です。お父様はもう年齢も年齢ですし、お兄様は私よりも弱いのに戦場などに出たら死んでしまいますわよ?』
『『責任者の一人として行くから戦場には出ないんだよっ!』』
とニコニコ笑顔で反論して強行した。
そうして数名のBランク相当の実力を持つ騎士と共に前線に出た彼女はBランク魔術師の肩書に相応しい戦果を挙げていた。
少し離れた位置では、隣領のカルダヌスから応援に合流したBランク冒険者パーティ『鴉羽』の全員とその仲間である『灰色の闇』に、作戦を聞いても無理だと判断して逃げ出した一割の冒険者たちと入れ替わるようにして遠征から戻って来たAランク冒険者パーティ『スティンガー・ホーク』たちも戦っている。
彼らも奮闘しているが、如何せん魔物の数が多い。倒しても倒しても一向に減る気配がない。まるで先の見えないフルマラソンをやらされているような状況に、エリノアは歯噛みする。
(前線を維持するためにも、もっと手数を増やしたい……けど……!)
現在、彼女が操っている魔法人形の数は戦闘用と移動用の二体だけ。魔力を増幅して魔糸の本数を増やす機能を持つ『人形師の籠手』を使えばさらに三体操ることができるが、それは人形劇レベルでの話。実戦レベルとなると脳の処理が追い付かないので二体が限界なのだ。
(あと一体、戦闘に回せれば楽になるけど……移動のためにも『付き従う侍女』は残しておかないと、いざという時に回避行動が取れない)
移動手段を失って他の者たちの迷惑になってはいけないと、エリノアは忙しなく魔糸を操り、『燃え盛る女騎士』で魔物を倒していく。
だがやはり、数の暴力は圧倒的だ。手間取っていたイノシシの牙と尻尾に非常に長い二本の角を持つ牡牛に似た魔物――エアレーをようやく倒したと思ったら、その一瞬の隙を突かれて『燃え盛る女騎士』の横を三体の骸骨槍兵が通り抜けて迫ってきた。
「――ッ!?」
咄嗟にエリノアは『付き従う侍女』を操って防御するが、戦闘用ではない魔法人形では耐久値が足りない。錆び付いた三本の槍によって貫かれ、壊されてしまった。
バランスを崩して車椅子から転げ落ちたエリノアは逃げようとするが、極端に筋力が弱いせいで立つことはおろか這うために体を押すことすらできない足のせいで満足に動けなかった。
いくらBランク魔術師といえども使える魔術が少ない彼女に、骸骨槍兵を倒す手段は残されていない。
周囲で魔物の相手で手が離せない同伴の騎士たちも、エリノア本人も、最悪の結末が脳裏に過ぎった。が、すかさずエリノアを庇うようにして割って入る人物が三人いた。
一体は黄金色の魔力が迸るオレンジ色の一閃によって両断され、もう一体は鋭く煌めく黒い軌跡によって幾重にも斬り刻まれ、最後の一体は正確無比な魔弾によって魔石を撃ち抜かれた。
「あ、アナタ方は」
割って入ったのは、剣を振りやすいように丈を短くしたマントをはためかせるリナに、神刀『極夜』を肩に担ぐ阿頼耶とフードを目深に被って特殊な魔道具で正体を隠しているセツナだ。
「エリノアさん、大丈夫ですか!?」
慌てたようにセツナはエリノアに駆け寄った。
二人の関係性を知っている阿頼耶は彼女の行動に疑問を抱かなかったが、当のエリノアは駆け寄って来た人物がセツナだとは気付いていないのでどうしてそこまで慌てているのか分からず、「は、はい」と戸惑いながらも答えた。
「あ~、良かったです。もう、同伴している騎士と離れたら駄目じゃないですか」
咎めるような声には些か違和感があった。不自然に変換されていて、元の声が判別できない。姿にしてもそうだ。まるでブラインドで阻まれているかのように、目の前にいるのに靄がかってその姿を正しく認識できない。
「アナタは確か……応援で合流した『鴉羽』の」
「はい。サブリーダーをしている者です。姿をハッキリと晒せない非礼はご容赦を。……怪我はなさそうですね」
正体がバレることを危惧してガルスに来なかった彼女がどうしてここにいるのか。疑似『氾濫』という非常事態だからというのもあるが、新しく装備している魔道具によるところが大きい。
『黒影花のブローチ』という、セツナがアルフヘイムの魔道具店で見付けた魔道具で、新月の夜以外では黒い影となって触れることもできない幻惑作用のある稀少な花を結晶化させたものを素材に使われており、【認識阻害】よりも強力な【幻惑】の効果を持っている。
この魔道具を装着した者は周囲から認識されなくなり、声も元のものとは別のものに変換される他、効果を適応させる相手も選択できるという優れ物だ。性能が性能なだけに値が張ったが、これのおかげでセツナは安心してガルスに訪れることができたのだ。
「あ、はい。おかげさまで命拾いしました。ありがとうございます」
「いいえ、どういたしまして。けど、移動手段がなくなってしまいましたね」
「え、えぇ。そうですね」
ぎこちない笑みを浮かべて頷くのも仕方ない。
何しろこうして会話をしている間にも、阿頼耶とリナの二人が協力して魔物を悉く斬り伏せているのだ。
「骸骨槍兵を一撃か。強力な聖剣を持っているんだな」
「私の『陽の祓魔』は対魔族・死霊に特化した退魔の聖剣だからね。効果はバツグンだよっ。まぁそれ以外だと三等級程度にまで性能が下がっちゃうのがネックだけど」
「随分とピーキーな性能だな」
「でしょ? 普段は死霊系以外の魔物とは戦わないから問題ないんだけどさ。こういう時ってフベンだよねー」
しかも会話をしながら、片手間に。
聖地巡礼を行う聖職者はそれなりの戦闘力がなければあちこち旅をすることなんてできないので、リナがある程度の実力は持っていても不思議ではない。ただ、阿頼耶に関しては彼本人の口からBランクと聞いていた。
(その言葉に嘘はないでしょうね。わざわざ下のランクで偽る必要性はないもの。けど、Aランク指定のグリフォンを退けたから、本当の実力はAランク相当なんだろうとは思っていた。……でも、だからって)
黒髪に黒い瞳という分かりやすい特徴から阿頼耶が異世界人であることは一目で分かったエリノアは、『驚異的なレベルアップに評価が追い付かず、実力とランクが一致しないのは異世界人にはよくあること』という実情を知っていたので、彼もそうだろうと思っていた。
しかし、彼のみならず『鴉羽』メンバー全員が『スティンガー・ホーク』の面々と同等の動きを見せて次から次へと魔物を倒している。
(全員がAランク相当だなんて、一体誰が想像できるっていうのよ!!)
有名になっているのが普通なのに全くの無名という、あまりにも異常な事実に唖然としていると、セツナがエリノアに何かを差し出した。
「どうぞ」
「これは……ブレスレット、ですか?」
渡されたのは細いチェーンに三日月のモチーフが付けられたブレスレットだ。
「【低重力化】の効果が付与されたものです。装着者にかかる重力を軽減しますから、これならエリノアさんでも自分の足で歩くことができますよ」
「よ、よろしいのですか? これほどの物を頂いても」
「もちろんです。考案した先輩……えっと、リーダーや作製したミオちゃんにも許可もらいましたから」
そういうことならとエリノアはブレスレットを腕に巻いて魔力を流してみれば、ふわりと僅かな浮遊感が体を包み、驚くほど体が軽くなった。
(【低重力化】……なるほど。たしかにこれなら自分の体を支えられない私の足でも立つことができるわね)
重力操作系は土属性に分類される魔術だ。相手に数倍の過重力をかけるものが大半だが、その反対にすることも可能で、今の彼女は月と同等――つまり通常の六分の一の重力下で行動することができるというわけである。
「問題ないみたいですね。今のうちに態勢を整えてください……と、言いたいところですが、そうもいかなさそうですね」
「え?」
迂遠な言い回しをするセツナに疑問を返しつつ彼女の見ている方へ視線を向ければ、エリノアは喉が干上がったような声を出した。広がる魔物の群れ、その奥に一際大きな魔物が見えたのだ。
「あ、アレって……ハイナーガですか?」
「みたいですね。なるほど、話に聞いていたAランクの魔物はアレのことですか」
群れを挟んだ向こう側にいるにも拘わらずその姿を目視で確認できるほどの巨体にエリノアとリナの二人は慄いたが、阿頼耶とセツナの二人は落ち着いた様子でハイナーガを見ていた。
「先輩」
セツナが声を掛ければ、阿頼耶は魔物を倒しながら「あぁ」と同意の声を返す。
「気付いたか?」
「はい、【鷹の目】スキルで見えました。あのハイナーガ、周囲にいる魔物を食べています」
「襲ってくるハイナーガに追い立てられて、疑似『氾濫』が起こったってところか」
なんにせよ、あのハイナーガを倒せば残りはBランク以下の魔物だけだ。一気に戦況が好転するのは確かだろう。戦うとすれば『スティンガー・ホーク』か『鴉羽』のどちらかだ。それ以外の者たちではAランクのハイナーガを相手にすることはできない。
そして『スティンガー・ホーク』がいる位置よりも『鴉羽』のいる位置の方が近い。
「行くぞ!」
「はい! リナさん、エリノアさんをお願いしますね」
即座に判断を下し、阿頼耶とセツナの二人は目にも止まらぬ速さで駆け出して行った。呼び止める暇もない。あっという間に声が届かないほど距離が開いてしまった速力に呆気に取られた。
「阿頼耶さんたち、ハイナーガを相手にするつもりなのかな?」
「どうやらそのようですわね」
呑気に喋るのも束の間。二人の走る勢いで吹き飛ばされた魔物の群れがすぐさま襲い掛かってきたため、エリノアたちはその対応に追われることになるのだった。




