第175話 幼馴染みはバイオレンス皇女
同日の十三時頃。
フェアファクス皇国皇都ロイシュネリアにある護国騎士団本部の騎士団長執務室に、第八部隊所属の騎士である金髪のツンツン頭が特徴的なクラウドはいた。
ビシッと背筋を伸ばす模範的な立ち姿だが、その顔は緊張一色だ。それもそのはず。彼がいる場所も、彼の目の前にいる人物も、本来ならクラウドのような一介の騎士がいていい場所でも、気軽に会えるような人物でもないのだから。
「確認だが、お前は先の違法奴隷事件を解決した『鴉羽』という冒険者パーティと第八部隊との連絡要員のためにカルダヌスに残った。その後、妖精王国アルフヘイムに行く『鴉羽』に同行。そこで起こった瘴精霊事件を経て氷精霊と契約を交わし、魔術騎士になった。そうだな?」
鋭い視線で問うてきたのはクラウドより上等な生地とデザインで作られた騎士服に身を包んだ、スッと鼻筋が通った男性だ。歴戦の猛者を思わせる威圧感と威厳を放つ、煙草が似合いそうな渋い顔のナイスミドルの名前はデイヴィッド・フランク・アッシュフィールド。
二つの団で構成されたフェアファクス皇国騎士団の一つ、護国騎士団の団長の地位にいる人物だ。
その整った顔立ちと護国騎士団団長という地位に見合う剣術の腕前に侯爵家当主という肩書から、社交界ではもっぱら妙齢の貴族夫人や令嬢たちから黄色い声を集めることでも有名である。
「は、はい! そうであります!!」
目を合わせることもできない。視線を天井に向けた状態でクラウドは肯定する。その様子に一瞥したデイヴィッドは一つ息を吐く。
「にわかには信じられんな。火や水といった属性系ならまだしも【精霊魔術】……しかも水の上位精霊である氷精霊と契約を交わすとは」
眉間に皺を寄せた仏頂面なため誤解されやすいが、これは何も平民であるクラウドを蔑んで言ったわけではない。
魔術系スキルは種族によって獲得できるスキルの傾向が大きく異なる。人間族なら火や水などの属性系の魔術。【付与魔術】なら獣人族。そして【精霊魔術】なら妖精族だ。
もちろん、傾向が異なるというだけで獲得できないわけではない。人間族でも【精霊魔術】のスキルを獲得することはできる。しかし、今まで魔術系スキルを使える兆候などなかったのに、いきなり【精霊魔術】のスキルを獲得するなど、そう簡単に信じられるものではない。
だから彼の上司である第八部隊隊長のクレイグ・ユアン・フィッツジェラルドから報告を受けても、鵜呑みにはしなかった。嘘か真か、どちらであろうと証拠がなければ判断できない。
そして、その真偽はすぐに確認できる。
「その精霊を顕現させろ」
「わ、分かりました。……出てこい、ライム」
呼べば、クラウドの顔の真横に現れた小さな氷の塊がパリンと音を鳴らして砕け散り、そこからキラキラと光に照らされて反射するダイヤモンドダストを纏うようにして、氷精霊のライムが姿を見せた。
「呼んだんだナー?」
ひんやりとした冷気が執務室に漂い、声に応じて姿を見せたライムにデイヴィッドは僅かに目を剥く。しかしすぐにいつもの仏頂面に戻った。
「なるほど。たしかに契約しているようだ。プロフィールを更新する必要があるから、帰る前に人事に寄って手続きをするように。職業変更に伴い、配属替えもあり得るからそのつもりでいろ。下がってよし」
「はっ! 失礼します!」
執務室から出れば、クラウドは緊張の糸を解すように息を吐いた。
「大丈夫なんだナー?」
「あぁ、大丈夫。ちょっと緊張しただけだから。ひとまず、これで団長には信じてもらえたかな」
「じゃあこのまま人事? とやらの所に行くんだナー?」
「あぁ。それに早く行かないとあの人に見付かって……」
「誰に見付かるって?」
「ぎゃあああああッ!?」
突然のライム以外の声に驚いて情けない叫び声を上げる。
ドッ、ドッ、ドッ、と高鳴る胸を抑えて恐る恐る後ろを振り返れば、クラウドは思わず『げっ』と声を漏らしそうになった。
そこには、白いリボンでサイドテールにした綺麗な金髪に色鮮やかな青い瞳、ドレスと鎧を組み合わせたドレスアーマーに身を包んだ幼い見た目の可憐な少女がいた。何故だかクラウドのことを睨み付けており、大層不機嫌そうだ。
「さ、さささサニー第二皇女殿下!?」
サニー・マライア・エム・フェアファクス。
フェアファクス皇国の第二皇女であり、護国騎士団第四部隊の隊長である。身長が一四三センチほどという、女子中学生ほどの見た目をしているが、これでもセツナより年上の一九歳だ。
隊長を勤めるだけあってステータスレベルはクラウドの倍の六〇台と高く、今は持っていないが大剣を使って戦うこととドレスアーマー姿から『剛剣の姫騎士』との呼び名で周辺国に知れ渡っている。
「お、お久しぶりです、サニー殿下」
「えぇ、久しぶりね、クラウド」
本来なら騎士の敬礼をするところだが、相手は皇女であるため臣下の礼を取るクラウド。そんな彼を見るサニーは腕を組んだ状態で、ふんっと鼻を鳴らす。
実はこの二人、平民と皇女というこれ以上にないほど身分差があるが、幼い頃から交流のある幼馴染みだ。小さい頃にお忍びで街に出た時にちょっとした事件に巻き込まれ、そこでクラウドと出会った。
それからずっと関係が続いている。なので、クラウドは彼女の人柄をよく知っている。
(ヤバい! ヤバいヤバいヤバい!!)
知っているから、内心かなり焦っていた。
このサニー、『剛剣の姫騎士』と名高いが、その一方で皇女とは思えないほどの気性の荒さと口の悪さから、身内から裏で『ツンギレ幼女』、『ロリ騎士』、『ヤンキー皇女』、『ゴロツキ姫』と呼ばれていたりする。
その被害を幼馴染みであるクラウドは一番被っており、任務で遠征している時ならまだしも、本部にいる時はどうしてすぐに見付かって訓練場に連れて行かれてタコ殴りにされるのだ。しかも休日返上で。
(だからさっさと人事に行きたかったのにぃ!! 何でこの人こうも早く俺のこと見付けんの!?)
全力で逃げ出したい気持ちで一杯になるクラウドを余所に、サニーは視線を彼の傍にいるライムに向けた。
「氷精霊と契約したって話は聞いていたけど、本当だったようね。……ちょうどいいわ。どれほどのものか試してあげるから、訓練場に行くわよ」
「えぇ!! い、今からですか!?」
「なに、文句でもあんの?」
「い、いや~、その……文句というか何というか、俺、これから人事の方に行かないといけなくって、それにまだ任務が残っているので早くカルダヌスに戻る必要が――」
「来い、命令」
「……」
封殺するように言われ、沈黙する。
命令、と言われては騎士と言えど平民でしかないクラウドに逆らうことなどできない。顔を引きつらせながら訓練場に向かうことになった。
「私は悲しいわ、クラウド」
護国騎士団本部の訓練場にて、サニーは嘆かわしそうに首を横に振る。
「精霊と契約して魔術騎士になったと聞いたから期待していたのに」
ひゅんひゅんと、何かが風を切る音がする。サニーが自分用に特注で作らせた、刀身の部分が自身の肩の位置まである木製の大剣を手慰みに振り回しているのだ。
「それが何だ、この体たらくはぁぁ!!!!」
叫んだ彼女の視線の先には、ボロ雑巾のようになって地面に倒れ伏すクラウドがいた。訓練場に着いてすぐに手合わせを開始したのだが、手合わせなんて言葉だけ。サニーによる一方的な暴力だった。
「いつまでも寝てんじゃねーよ!」
「ぐっ!」
腹部に一撃蹴りを入れれば、クラウドが呻き声を上げる。
「ねぇ、クラウド? せっかく魔術騎士になったっていうのに、単純な氷結しか使ってこないってどういうことなの? まさかだけど、鍛錬をサボっていたの? 魔術騎士になっただけで胡坐をかいて、努力を怠ったわけ?」
(怠ったわけじゃ……ただ、学ぶ時間が、なかっただけで……)
クラウドは妖精王国アルフヘイムでの一件の後すぐに皇都へと向かったため、【精霊魔術】を学ぶ時間もなく、それ以前に師事する伝手もないので、学びようがなかったのだ。
が、サニーにとってはそんなの知ったことではない。氷精霊と契約した魔術騎士なのに【精霊魔術】を満足に使うことができていない。サニーにとってはその事実が全てだ。
「おい、答えろよクソがッ! このゴミ虫ッ! 私より強くなるっつったのはテメェだろーが! んな腑抜けを幼馴染みに持った覚えはねぇぞ!!」
勢い良くクラウドの顔の真横に木剣が突き立てられるが、ピクリとも動かない。ライムが心配そうに彼の周囲を漂うだけ。
「なぁ、どうしてまだそうやって這いつくばっているわけ? もう限界なの? ……そんなわけないよねぇ?」
サニーはクラウドの胸倉を掴んで無理やり立ち上がらせる。だが身長差があるため、ほとんど膝立ちのような状態だ。全身ボロボロ。木剣で打ち据えられたのか、顔も腫れたり青あざができたりしている。
「う……うぅ」
「テメェには才能がない。それでも英雄に憧れて、騎士になりたい、強くなりたいっつったんだろ。才能がないならないなりに、死ぬ気で努力するしかねぇだろーが! 一人が足引っ張ったら他の奴らが迷惑するんだよ!」
サニーはレベル六〇台のステータス値に物を言わせて、あろうことかクラウドを片腕で力任せにぶん投げた。地面に倒れた状態で荒く呼吸しながらクラウドは思案する。
(今日は、また一段と機嫌が悪いなぁ。二年前から、サニー殿下はずっと機嫌が悪い。……いや、それは他の殿下たちも同じか)
サニーたち皇族の兄弟姉妹の関係はかなり良い。
第一皇子も第二皇子も第一皇女も第二皇女のサニーもそれぞれ突出した才能を持っているが、驕ることなく、その才能をひけらかして他の兄弟姉妹たちを蔑むことなく、妬みも嫉みもしない。
セツナが魔術学園に入学する際にその優秀さから四年分も飛び級した時は『さすが自分たちの妹だ』と絶賛したほどだ。普通なら皇位争いに発展するものなのだが、珍しいことに兄弟姉妹愛が強い。
だからだろう。
二年前に兄姉たちが溺愛しているセツナが呪われた時からというもの、サニーはあからさまに苛立っている。他の皇子や皇女も似たようなものだ。
(セツナ殿下が戻って来てくれたら、少しはサニー殿下の機嫌も戻るだろうけど)
どういうわけかまだ戻るつもりはなさそうだから望みは薄そうだ。
「おら、さっさと立てよ。私が直々に鍛えてやる。別部隊なのにわざわざこうして鍛えてあげているんだから私は優しいわよね? そうだって言えよ」
「は、はい」
「物分かりの良い幼馴染みを持って私は幸せよ。そうよね? 賛成だったら頷け」
どうにか頷き、痛む体に鞭打って立ち上がる。
(今日はもう人事に行けそうにないか。……骨折くらいで済むといいなぁ)
結局、サニーの兄たちが止めに来るまで訓練は続けられたのだった。




