第171話 迷子の子狐
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「へっくしょん!」
「……大きい、くしゃみ」
「風邪ですか、兄上様?」
フェアファクス皇国スルピキウス公爵領ガルスの街中を歩く俺――雨霧阿頼耶は盛大にくしゃみをした。
「かなぁ?」
風邪を引くような生活はしてないはずだけど。セリカが仲間になってからは、彼女がちゃんと栄養バランスを考えたご飯を用意してくれているから。
もしかしたら誰かが噂をしているのかも?
「お気を付け下さいませ、雨霧様」
「お気遣いありがとうございます、エリノア嬢」
あの後、助けたエリノア嬢から聞いたところによると、どうやら最近スルピキウス公爵領では密猟者による被害が急増しているらしい。それを解決するためにエリノア嬢はエクレストン家の私兵を率いて捕縛しようと動いていたのだが、逃げる密猟者たちを追っているうちにグリフォンの巣に踏み入ってしまい、戦闘に発展。あわや全滅、となりかけたところに俺たちが現れたとのこと。
「今思えば、密猟者たちはあそこにグリフォンの巣があることを知っていたのでしょう。わざと誘い込むことで私たちの注意を逸らし、その隙に逃げる。まんまとしてやられました」
頬に手を当てて困ったように息を吐くエリノア嬢の上品な仕草は、実に貴族の御令嬢然としている。
「やっぱり、再び捕縛に向かうんですか?」
「はい、今回は下手を打って取り逃がしてしまったので。とはいえこちらも消耗していますので、休息を取って準備を整えてからになりますが。……あぁ、私たちはこちらの道なのでここまでですね」
話をしているうちに彼女の住まう屋敷へ続く道に差し掛かったため、ここでエリノア嬢とは別れることになる。メイド服を着た等身大の人形に自分が座る車椅子を押させている彼女は、後日にまた会う約束を交わして屋敷の方へと立ち去って行った。
……はて? あっちは公爵邸がある方角ではなかったような?
「あの子、公爵邸には住んでいないの」
俺の疑問を読み取ったわけではないだろうに、ヴァイオレット嬢はエリノア嬢の後ろ姿を見ながらポツリと呟いた。
その彼女に促され、俺たちはヴァイオレット嬢を先頭に歩みを進める。向かっている先は彼女が用意してくれた宿だ。
「セツナ殿下から聞いていると思うけど、あの子は生まれた時から足が悪いせいで公爵家じゃ肩身の狭い思いをしてきたの」
「……理不尽な目に遭っていたのか?」
「まぁ、いろいろとね。年齢の近い令息や令嬢たちの一部は心無い陰口を言っていたわ」
一五歳のデビュタント以降、エリノア嬢は車椅子に乗りながらも何度か社交界に参加したが、必ずこれ見よがしに嘲笑の的にされたらしい。
ヴァイオレット嬢はその場面を実際に見たのだろう。苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
どうにかしたかったに違いない。けれどバンブーフィールド商会の会頭といえど、ヴァイオレット嬢も同じ三大公爵家だ。貴族特有の思惑や政治や派閥などで動けなかったのだろう。利害で行動する商人ではあるが、友達を想う情は持っているから。
「幸運なのは、エクレストン公爵や公爵夫人、それに彼女のお兄様はちゃんと愛していらっしゃったことね。でも、彼女にとってはそれがかえって苦しかったみたいで『婚約を結ぶこともままならないのに家に置いてもらうのは心苦しい』って言って、魔術学園の卒業を機に魔術師ギルドに入って、公爵邸を出たの」
セツナから聞いた話だが、貴族の令嬢にとって他家に嫁ぐのは半ば義務のようなもので、恋愛結婚できる可能性なんて無いに等しいらしい。
けれどエリノア嬢は足が不自由なせいでその義務も満足に果たせない。そのことを気にして家を出る決意を固めたのだろう。幸いと言って良いのか、彼女は魔術師として優秀であったため、魔術師ギルドに所属して生計を立てられるから屋敷から出て生活するのも難しくはなった。
とはいえ、エリノア嬢のご家族もそのまま何もせずに『はいそうですか』と送り出す真似はしなかったようで、『同じガルス内に住むこと』、『週に一度は顔を見せること』、『何人か使用人を連れていくこと』などいくつか条件を出した上で望みを叶えたのだとか。
「足の治療はしなかったのか? 回復系の魔術なら治りそうな気もするけど」
「先天性のものって『患っている状態が完治している状態』って見做されるらしいから回復魔術でも治らないのよ。他にも部位欠損だったり傷口に強力な魔力が纏っていたりしても治らないし」
「いくら魔術でも、そう都合良くはいかないってことか」
セツナからは優しく接してあげてほしいって言われたけど、かといって俺にできることはあまりありそうにないな。
少々乱暴に後頭部を掻くと、グイッとコートの裾を引っ張られる感覚がした。何かに引っ掛けたかと思って視線を向けると、ミオがコートを握り締めていた。だが彼女は何故か俺の方ではなく視線を余所に向けている。
「どうしたんだ、ミオ?」
「……あれ」
指差した方に視線を動かせば、そこには小さな女の子がいた。年齢は……四歳か五歳くらいか。キツネの耳と尻尾からして獣人族の人狐種だな。
痛んだ金髪を一つに結んでいる彼女は、瞳に涙を溜めながら何やら不安そうにしている。
「あら? あの子、迷子かしら?」
ヴァイオレット嬢も気付いたらしく、少女に近付くと怖がらせないように屈んで目線を合わせた。
「どうしたの? 迷子?」
「ふえ……う、あ……」
いきなり話しかけられて驚いた少女はビクッと肩を揺らすと溜めた涙をポロポロと流して、
「う、うぅ……うわーーーーん!!」
大泣きした。ギャン泣きだ。
「ど、どどどどうしたの!? 私、何かしちゃった!?」
何事かと周囲の注目が集まるが、ヴァイオレット嬢は気にしている余裕はない。どうにかして泣き止んでもらおうとしているが、全然泣き止まずあたふたしている。
「まったく、何しているんだか」
一つ息を吐いてミオに視線を向けると、彼女は頷きを返して少女の前でその姿を子猫へと変えた。一部の獣人族だけが使える変化系ユニークスキル【獣化】だ。そのまま少女の足に体を擦り付けて『にゃあ』と鳴けば、いきなり起きた目の前の出来事に少女はポカンとした表情で泣き止む。
「ネコ、ちゃん?」
声に応じるように再びミオが泣けば、少女は恐る恐る手を伸ばして触れる。嫌がられないことを確認した少女は嬉しそうに顔を輝かせてミオを抱き上げた。
泣き止んだようで良かった。ミオは抱きしめられているせいで苦しそうにしているけど……すまないミオ、少しの間だけ辛抱してくれ。
喜色を浮かべる顔を見て、ヴァイオレット嬢は安堵したように息を吐いた。
「キミ、名前は何て言うんだ?」
怖がらせないように、できる限り柔らかい声を意識して問い掛けると、少女は声を弾ませて答える。
「リーシェ!」
「そうか。リーシェは、ここには一人で来たのかな?」
「ううん。シスターと一緒に来たの」
シスター、っていうと教会関係者か。
「シスターはどこに行ったんだ?」
「分かんない。八百屋さんでお野菜を見ていたんだけど……いつの間にか一人だったの」
近くにリーシェの言うような八百屋は見当たらない。おそらく何かに気を取られてシスターとはぐれてしまったんだろうな。教会関係者のシスターとこの子がどう繋がるのかは分からないが、一緒に来たというのならきっと今頃大慌てで探しているに違いない。
しょんぼりと眉を下げたリーシェの頭に手を置く。
「一緒に探そうか」
「いいの!?」
ぱぁ! と嬉しそうにリーシェは顔を輝かせた。笑顔で頷いて肩車をしてあげると、さらに嬉しそうにはしゃいだ。その間にヴァイオレット嬢はマリーさんに指示を出し、『クアッド・スカイ』を先に宿へ案内させた。
マリーさんたちと一旦分かれて、リーシェがいたという八百屋を探した。が、肩車をしていたのが功を奏したんだろう、思ったよりも早く見付けることができた。
「あ、シスター!」
っと、同時にシスターも見付けたらしい。
降ろしてとせがむ彼女を降ろしてやれば、抱えていたミオを離して一直線に駆けていく。その先を見れば、そこには『リーシェ!』と驚きと安堵の声を上げる、四〇代中頃に見える修道服姿の女性がいた。
その女性がリーシェの言っていたシスターか。……おや? シスターだけじゃなく、リーシェより少し年上の男女が三人ほどいるな。シスターと二人きりじゃなくて、五人で来ていたのか。
「勝手にどこかに行っては駄目じゃない。心配したのよ」
「ごめんなさい、シスター」
抱き付いて謝るリーシェを抱き締め返したシスターは、向かって来る俺たちに気付いた。
「皆様がリーシェを見付けてくれたのですね。私はアマンダと言います」
腰に抱き着かれた状態のまま、シスター=アマンダはフードに隠れた金髪を揺らして深々と頭を下げた。
「リーシェをわざわざここまで連れて来てくださって、本当にありがとうございます。領都とはいえ、人攫いもいますから。もしも攫われたりしたらどうしようと思っていたのです」
シスター=アマンダが言うには、どうやらこの子たちは教会に併設されている孤児院の子供たちらしい。今日は食材の買い出しのために子供たちと一緒に来ていたのだが、ちょっと目を離した隙にリーシェがいなくなったのだとか。
「探しに行きたかったのですが、他の子供たちを放っておくこともできず。ならば一度孤児院に戻ってから探しに行こうかと思っていたところで」
「俺たちが来た、というわけですか」
チラッと子供たちに視線を向ける。年長と思わしき十二歳くらいの少年にリーシェは叱られていた。だがそこに険悪なものはなく、彼女のことを心配して言っている温かい雰囲気がある。
表情も明るいし、体付きもしっかりしている。親はいないが、教会のシスターたちは子供たちに沢山の愛情を注いでいるのだろう。見ただけでそれが良く分かる。
「次は逸れないように気を付けてくださいね。では俺たちはこれで」
リーシェも無事に合流できたので踵を返して来た道を戻ろう……としたところで何故かリーシェが落ち込んだ表情でこちらを見上げていた。
「どうした、リーシェ?」
「お兄ちゃんたち、行っちゃうの?」
「……えぇっと」
これは、困ったな。思った以上に懐かれてしまったぞ。そんな顔をされたら『ここでお別れだ』って言えないじゃないか。
「あの、よろしければ孤児院にお越しくださいませんか? この子もこう言っていることですし、大したおもてなしもできませんがお礼もしたいので」
むっ。シスター=アマンダにも誘われてしまった。
いよいよ断りにくくなってしまってどうしたものかと悩んでいるとクレハが言う。
「特に断る理由もございませんでしょう。せっかくですし、お受けしてもよろしいのでなくて?」
「私も構わないわ。マリーたちも時間がかかるだろうことは予想できているでしょうし、今日は私の方の仕事もないしね」
クレハもヴァイオレット嬢も乗り気か。
「分かりました。お言葉に甘えさせてもらいます」
そんなわけで、俺たちは孤児院へ向かうことになった。
……気付けば、いつの間にかエストはどこかへ消えていた。




