第170話 森都を散策しよう
滞在が決まったが、そうするとセリカとセツナは一気に暇になってしまう。ひとまず滞在先としてアザレアが用意してくれた宿に荷物を置いたが、ずっと宿で過ごすのも不健康だろうという結論に至ってパウルとルーカスを伴って森都を散策することにした。
しかし、ここで奇妙なことが起こり始めた。
「あっ! もしかしてセリカ・ファルネーゼさんじゃないですか!?」
「え? え、えぇ。そうですけど」
「わぁ! こちらに戻って来られたんですね! 里帰りですか? あ、これ、ウチの畑で取れたリンゴです! よろしければどうぞ!」
「あ、はい。えぇっと、ありがとうございます?」
どういうわけか果物屋の女性店主から果物をもらい、
「ファルネーゼさんだ!」
「本当!? あ、ファルネーゼさん!!」
「「ファンです! 握手してください!!」」
小さな子供たちに握手を求められ、
「これはこれは、ファルネーゼ殿。ご機嫌麗しゅう」
高齢の金髪妖種には恭しく挨拶をされた。
セリカは何がどうなっているのか分からず、頭の中が疑問で埋め尽くされる。以前までセリカは半森妖種だからという理由だけで虐げられていたというのに、この変わりようは一体どういうことなのだろうか。
隣にいるセツナ共々、首を捻って頭を悩ませたが、パウルとルーカスが聞き込みをすることで疑問はすぐに氷解した。
「アッハッハッー☆ まーさか『瘴精霊事件』がアルフヘイムで本や劇になってるなんてな!」
どうにもあの事件を題材にして本が出版され、劇まで公演されているらしい。
かの『救世主の息子』が虐げられてきた半森妖種を救った話なんて人気になるに決まっている、とアルフヘイム在住の小説家や演出家が張り切って作り上げたのだ。今ではアルフヘイムで最も人気な娯楽作品にまでなっており、本は続巻の発売が決まり、劇も続巻を元にしたものの準備が進んでいるとか。
四人で森都でも一番大きな本屋に並んでいた本を軽く読んでみたが、中々どうして面白かった。
(ところどころ脚色されているけど、大まかな流れは事実と変わりないわね)
「ふふふっ。先輩、随分と有名になりましたね。せっかくですし買っていきましょう」
面白おかしそうに笑ったセツナは意気揚々と鼻歌を歌いながら真っ先に阿頼耶が主人公となった本を手に取って、さらに他にも良さそうな本がないかと店内を物色し始める。その姿を見たセリカは小さく息を吐いた。
(これ、ご主人様が知ったら悶絶するんじゃないかしら?)
頭を抱える阿頼耶の姿が容易に想像できたセリカだったが、彼女もちゃっかり確保していた。知られたら良い顔をしないだろうことは承知の上だが、それはそれ、これはこれである。彼女だって好きな人が題材となった本は欲しい。
(ふふふっ、暇な時間にゆっくり読みましょうか)
顔には出さないが内心はウッキウキであった。彼女も本を見て周っていることだし、とセリカもセツナの後を追うようにして店内を歩く。
(メイドの仕事はダンデライオン伯父様の無茶振りで何度もやらされたことがあるから問題ないにしても、それを誰かに教えるなんて初めてだから、それに関する本があれば良いんだけれど)
棚に並んでいる本を見て、『ゴブリンでもできる「教える」教科書』や『できる人の仕事指導術』または『人が育つ教える技術』など、教育指導に関する本を手に取ってはパラパラと中身を確認して、自分に合ったものをどんどん選んで小脇に抱えていく。
セツナは『魔道の申し子』らしく魔導書が数冊選んでいた。セリカは指導に関する本の他にメイドの仕事関係のものもいくつか選んでいくと、ふと視界に気になるものが映った。素通りしかけた視線を戻し、本棚に差し込まれた本を引き抜いて表紙に書かれたタイトルを見てみれば、
ご主人様を喜ばせる100の方法。
「これは……」
雷が落ちたような衝撃がセリカの全身を駆け巡ったような気がした。目を見開いたこと以外はすまし顔なセリカだが、内心ではかなり動揺している。
(な、何この素敵な本は!? こんな本まであるなんて!?)
これはかなり有益な本ではないだろうか。内容如何によっては阿頼耶に喜んでもらえるかもしれないとなれば、買わない手はない。
セリカの様子が気になったセツナが小首を傾げるが、彼女はそのまま中身を流し読みする。
(『主人に喜んでもらうには、まず主人が何に喜ぶのかを考えなければならない。至極当然の事のようだが、これができている者は少ない。その多くは自分がしたいようにして、かえって迷惑をかけてしまうことが多い。大切なのは、主人が満足すること。ここを念頭に置かねば本末転倒である』、か。たしかに重要なのはご主人様が心から喜んでくれるかどうかよね)
では阿頼耶が喜ぶことはなんだろうと考えれば真っ先に浮かぶのは『誰かを助けること』だが、こんなので喜ばせるなんて無理だ。
(となると、他は刀剣関係かしら。ご主人様って、刀や剣を振るのも造るのも集めるのも好きそうなのよね。何もすることがない日なんて、ずっと『極夜』を振り続けているし)
休みの日くらいはゆっくりしてほしいのに、と内心でぼやくが、セリカもセリカで休日返上でメイドの仕事をしているのでどっちもどっちだ。
(『音楽やアロマ、マッサージなどで癒すのも効果的』。龍族特有の隔絶した回復力を持つご主人様にマッサージで体を解す行為に効果があるとは思えないけど、音楽やアロマは精神的な回復に繋がりそうだからアリね)
考えに耽るセリカに疑問を抱きつつも、セツナは目の前の本棚から適当に目に付いたものを引き抜いてパラパラと捲る。その様子を見ていたパウルとルーカスはお互いに顔を見合わせて肩を竦めた。
見守ることにしたらしい。
(『ご主人様を喜ばせる100の方法』は三部構成。初級者編は掃除や洗濯といった身の回りのお世話、中級者編はマッサージのような個人の技術を活かしたもの。じゃあ上級者編はどんなものになるんだろう?)
もう買って自宅で読めばいいのに、彼女は好奇心のままに開いた。
(えっと……『まずはお風呂を用意し、主人に入浴を勧めましょう。この時、わざとタオルだけ渡し忘れること。主人がお風呂に入ってしばらくしてからタイミングを見計らってタオルを持って行く――ふりをしてそのままお風呂場に入ります』……? 『主人は戸惑うでしょうが構うことはありません。自分の体を石鹸で泡まみれにしたら、そのまま体で主人の体を洗いましょう』!? な、ななな何ですかこのご奉仕は!!!??? まさかこんな方法があったなんて!!!!)
目をキラキラさせて読み進めるセリカだったが、ふと思った。
(あれ? でもこれって、ある程度胸が大きくないと意味がないような……?)
一度セツナの胸を見た後、自身の胸に視線を落とす。
ペッターン☆
「……はぁ」
「あの……人の胸を見て露骨に落ち込まないでくださいよ」
「すいません。その……種族柄、仕方ないとは思うのですが、ご主人様もやはり大きい方が好みなのかと思ったら、つい」
彼女の言いたいことが分かったのか、セツナは『あー』と気の毒そうな声を漏らす。
「そういえば、森妖種や半森妖種は胸が薄いのが特徴でしたね」
「暗森妖種なら、もっと肉感的な体型になったのですが……くっ、人間族とのハーフなのですから胸くらいは大きくなってもいいのにッ」
拳を握り締めて、物凄く悔しそうである。
「まぁ、男の人って大きい胸の人が好きみたいですから。先輩もたまに視線が私の胸にいくことがあるので、興味はあるでしょうけど。……メイド服のスカート丈を短くして足を見せて誘惑するのはどうですか?」
「ご主人様が『ミニスカのメイド服は邪道だ』と」
「……先輩って普通にみえて変態さんなところがありますよね」
彼がこの場にいれば『誤解だ!』と全力で否定していただろうが、残念ながら彼はここにいない。
「うーん。セリカさんはハーフなわけですし、大きくなる可能性はないわけじゃないと思いますよ。豆乳を飲んでみたらどうですか?」
「豆乳を? 胸を大きくするのに効果があるのですか?」
「はい。以前読んだ、異世界人が記したとされる本に書いてあったんです。あとは……揉むのも良いってありましたね。せっかくですし、先輩にやってもらうのも良いかもしれないですね」
「ご主人様を喜ばせたくて胸を大きくしたいのに、そのご主人様に胸を大きくするお手伝いをして頂くのは本末転倒ではありませんか?」
そもそも異性に胸を揉まれることに抵抗はないのだろうか。
どんどん積み上げられていく『阿頼耶巨乳好き説』に、パウルとルーカスの二人はここにいない阿頼耶に対して同情の念を送るのだった。




