第167話 バスルーム・パニック!
その日の夜。
一日の疲れを落とすべく、俺は風呂に向かっていた。
『鴉羽』の屋敷にある浴場は豪邸に相応しい広さがあり、それこそ十人近くは余裕で入ることができる大浴場だ。だからか、ウチの女性メンバーはたまに全員で入ったりする。仲良いね、ホント。
服を脱いで風呂場に入り、浴槽に浸かる前に体を洗おうとボトルに視線を向けると、スッと横合いからボトルが差し込まれた。
「どうぞ、先輩」
「あぁ、ありがとう」
お礼を言ってボトルを受け取ってから……俺は首を傾げた。
今、聞こえるはずのない声が聞こえなかったか??
「せ、セツナ!? 何でここに!?」
何故か隣には長い黄金色の髪に大空を思わせる奥深く澄んだ青色の瞳をした少女――セツナ・アルレット・エル・フェアファクスがいた。
風呂場だから当然だが、全裸の彼女は申し訳程度に体の前にタオルを持って大事な部分だけをギリギリ隠している状態だ。
あ、すごい。意外にも大きいから押し潰されて深い谷間ができている……じゃなくてっ! いや何で!? おかしいって! 全員の入浴時間はあらかた把握しているから、今は誰も入っていないはずなのに何でいるの!?
「もちろん、先輩が入ったのを見計らって忍び込みました!」
「自信満々に言うことじゃないよな!?」
ここしばらく大人しいと思ったら! 俺が油断するタイミングを待っていたのかっ!
「あ、ちなみに他のみんなもいますよ?」
「!?」
まさかの発言に出入り口を見れば、ミオ、クレハ、セリカ、椎奈の四人が体にタオルを巻いて立っていた。ミオは相変わらず無表情、クレハは楽しそうにクスクス笑い、セリカは気まずそうに苦笑を浮かべ、椎奈に至っては恥ずかしそうに顔を俯かせている。
おいコラ何でいるわけ!?
「私が誘いました」
「お前の仕業か!」
そして何で誘いに乗ったぁ! 誰一人止めなかったのか!?
四人に視線を向けて目で訴えかけると、全員がこちらに近付きながら揃って言う。
「……別に、良いかなって」
「特に拒むようなものでもありませんわ」
「メイドですからお世話をするのは当然です」
「は、恥ずかしいけど……所有者君なら、良いよ」
マジかよ、味方なんていなかった!? 全員で俺の理性を抹殺しに来ている!? こんなところで結託するなよ!!
「ほらほら、先輩。観念して一緒に入りましょう?」
待って! せめてちゃんとタイルを巻いてくれ! 綺麗な桃色の突起が見え掛けているから!!
マズい。これは非常にマズい! このままだとなし崩し的に一緒に入らないといけなくなる! 正直、嬉しくないわけではないが、俺には刺激が強過ぎて風呂でゆっくりするどころじゃなくなる!
即座に俺は判断を下す。
迫り来る女体を躱し、一気に風呂場から離脱すべくドアノブに手を掛けたが、途端にバチィ! と弾かれてしまった。
「なっ!?」
「ふっふっふっ。無駄ですよ、先輩。すでにこのお風呂場は【反射する光牢】と【蜂巣の円蓋】で覆っていますから脱出は不可能です」
ドヤ顔で何言ってんだコイツは! 瘴精霊戦の時に使った二重結界をこんな所で使うとか馬鹿じゃねぇの!?
……いや待て。そもそもどうしてセツナはここで魔術を使えているんだ?
魔術は詠唱と魔法陣の他に発動に必要な媒体――発動体を持っていないと使えない。今のセツナは発動体としての機能もある聖銃『サンダラー』も魔法銃『コメット』も持っていないから使えないはずなのに……って、コイツっ! よく見れば右手の人差し指に発動体の指輪を付けてやがる!!
「おまっ! わざわざこんなことのために発動体まで付けて来たのか!」
「すぐに逃げるだろうなって分かっていましたからねっ! 先輩をこの場に引き留めるためなら、これくらいはやりますよ! 言っておきますけど力ずくで破ろうとしても無駄ですよ、先輩が攻撃する箇所を集中的に調整して防ぎますから!」
「才能の無駄遣いっ!!」
叫んだところで魔道の申し子に魔術で勝てるわけもないし、それ以前に発動体を持っていないから魔術を使うこともできない。
いや、龍の膂力で殴れば結界をぶち破ることはできるだろうけど、周囲に被害を出さないで結界だけを壊すなんて器用な真似はまだできないから、力技で壊すと屋敷自体が吹っ飛んでしまう。
結局、押し切られるかたちで一緒に風呂に入ることになった。
「……ふぁっ……あぁっ……」
湯船に浸かると共に聞こえるこの色っぽい声は果たして誰のものか。一瞬で理性が焼き切れてしまいそうだ。
「気持ち良いですね、先輩」
「……そうだな」
もう心頭滅却するしかなかった。
右側を見れば当たり前のようにセツナが隣に座っている。白い肌は上気してほのかに朱が入っていて、湯船に浸からないように長い髪をまとめているから普段は見えないうなじが晒されている。そのせいで何だか見てはいけないものを見ている気分にさせられ、得も言われぬ色気があった。
「人間状態でも疲れは取れますが……やはりそろそろ一度【人化】を解いて羽を伸ばしたいですわね」
左側に視線を向ければそこにいるのは素鼠色の髪と瞳孔が縦に割れた金眼をした龍族――クレハ・オルトルート・クセニア・バハムートだ。セツナと同じように長い髪をまとめてはいるが、普段から彼女は三つ編み一本結びにしてうなじは見ているからセツナほどの衝撃はない。
だが、首筋から流れた水滴が鎖骨を伝って彼女のメロンのように大きな胸の谷間に吸い込まれるのを見て思わずゴクリと生唾を呑み込んでしまう。
「……ん」
どうにか視線を切って前方を向くと、胡桃色の猫耳が視界に入る。ミオだ。小柄な彼女は俺を背もたれにした状態で、組んだ足の上に座っていた。時折りピクピク動く猫耳はもちろんのこと、白くて小さな肩も庇護欲をくすぐるし、直接肌が触れているお尻も意識してしまってドキドキする。
「そろそろ髪を切った方が良いかもしれませんね」
そう言って後ろから俺の髪を触るのは、浴槽の縁に腰を掛けている翡翠色の髪と目をした半森妖種のセリカ・ファルネーゼだ。女の子の大事な部分を隠すために巻かれたタオルから延びる足は綺麗に揃えて斜めに傾けていた。ただでさえ引き締まりつつも女性的な柔らかさを主張する美脚が、より艶めかしく見える。
くそう、どこに視線を向けても美少女美女美人の裸体が目に入るッ。全方位、隙なし。何て恐ろしい布陣なんだ! 確実に俺の理性を殺しに来ている!!
……ちなみに、椎奈は一人分ほど離れた位置で口元まで湯船に顔を浸けてこっちを遠慮がちに見ている。恥ずかしいんだろうが、だったら一緒になって突入しなければ良いのに。
「先輩は明日からスルピキウス公爵領でしたっけ?」
「え!? あ、あぁ。そうだよ。ヴァイオレット令嬢の護衛で行くんだ」
いきなり声を掛けられて思わず驚きながらもどうにか答える。
支部長の所で椎奈たちの冒険者登録を終えた後、早速支部長が護衛依頼を一つ見繕ってくれたのだ。どうやら商会の仕事の関係でヴァイオレット令嬢は隣の領地にまで行かなければならないらしく、その道中の護衛が今回の依頼となる。
「そうですか。……むぅ。他の領地ならまだしも、スルピキウス公爵領だと私は行けません」
不満そうにするセツナ。スルピキウス公爵領は、ヴァレンタイン家と同じくフェアファクス皇国の建国の時から仕えている三大公爵家の一つでエクレストン家が治めている領地で、そこにはセツナと交友があるエクレストン公爵家の御令嬢もいる。
妖精王国アルフヘイムの一件で二年間表舞台に立たなかった彼女が活動を再開していることは各国の重鎮たちに知れ渡っただろうが、だからといって積極的に表立って行動できないセツナは正体がバレるリスクが高いスルピキウス公爵領に行くことができないのだ。
「今回同行するのは誰なんですか?」
「わたくしとミオちゃんですわね。セリカさんはアルフヘイムに行く用事がございますし、椎奈さん、テオドールさん、テレジアさんはお留守番ですもの」
「ん? セリカはアルフヘイムに行くのか?」
初耳だ。どんな用事があるのだろうか?
「エコーを通じて連絡がありまして。どうやらこの前の精霊祭でスカウトした新人の近衛侍女たちをこちらで受け入れてほしいそうです」
エコーとはセリカが『精霊の愛し子』に覚醒してから新たに契約した精霊たちの一体で、木精霊という樹木に宿り山彦を起こすとされる精霊だ。その伝承から主に伝達を得意としている。
「アルフヘイムでは精霊祭の武闘大会で優秀な成績を残した者は近衛侍女もしくは妖精兵団からスカウトされます。これを受諾した者は近衛侍女だと受け入れ可能な組織・団体で、妖精兵団だと兵団内で一定期間の研修を受けることになります。今回、その受け入れ先に『鴉羽』が選ばれたようですね。……お嫌でしたか?」
「いや、受け入れ自体は別に構わない。何せ『生ける伝説』のティターニア女王からの受け入れ要請だ。さすがに断れないし、こっちの世界の人たちからしたら名誉なことなんだろ?」
「はい。むしろ『是非ウチで受け入れさせて下さい』と申し出が世界中からあるくらいですので」
なら尚のこと断る理由はないな。
屋敷だけじゃなく工房も増えたから、新人とはいえ管理のためにも人手は必要だからな。今はセリカが契約した精霊たちで回しているが、これで少しはセリカの負担が減るだろう。
まぁ、一時的な派遣だから正式に使用人を雇って根本的な部分を解決しないといけないけど。
「ところでそろそろ出て行ってほしいんだけど?」
「嫌です♪」
「……嫌」
「嫌ですわ」
「嫌でございます」
「……嫌、かな」
そっかぁ。嫌かぁ。……俺の理性、持つかな?




