第19話 黄金(こがね)の叫び
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ボロボロになって瀕死の重傷を負った先輩を見て、私は酷く後悔しました。
骸骨兵たちによって何度も剣を突き刺された先輩。
彼は血塗れという言葉では足りないほど真っ赤に染まっていて、周囲は血だまりというよりも血の海と表現した方が適切な惨状になっていました。
ここまでの怪我になると、もう【治癒】の魔術では受け付けません。【大治癒】か、それが無理なら今すぐ医学的な治療をしないといけません。
何で、こんなことになったのでしょう。
私が、いけないんでしょうか。
私が、ギルドの掲示板で先輩に「助けて」と叫ばなかったら、こうはならなかったんでしょうか。
「ごめんなさい、先輩」
先輩を背中に庇いつつ、私はほとんど無意識で口にしていました。
「私の事情に巻き込んじゃって。私の我が儘のせいでそこまでボロボロにしてしまって。ごめんなさい」
救われたいと望んだ結果がこれなのだと突き付けてくる冷たい現実に、耐えられなくて出た言葉かもしれません。
「でも、もう良いんです。私にかかった呪いのことは、もう良いんです。充分です。先輩は充分頑張ってくれました。何度もボロボロになって、他人事なのに必死になってくれて、私は充分救われました。だから、もう、充分なんです」
嘘じゃありません。
私のために必死になってくれたことは、本当に感謝しています。
でも、だからこそ償わないといけないんです。
「残りの魔力全部使って、エルダーリッチに特攻を仕掛けます。残りは四分の三ですが、エルダーリッチを倒すくらいはできるはずです」
今の状態で無理に魔力を引き出そうとすれば、脆弱な人間の肉体じゃズタズタになるでしょう。けど、そうでもしないとエルダーリッチまで届きません。
先輩を死なせたくない。この命を以って償わないといけない。そう思って骸骨兵たちを迎え撃とうとしましたが、その時に背後から甲高い音と同時に強力な魔力反応を感じました。
「な、なに!?」
そちらを向くと、私と先輩の間に一振りの剣が召喚されていました。柄と鍔、鞘が漆黒の、ただひたすらに黒い剣。おそらくは刀と呼ばれる物でしょう。フェアファクス皇国の更に東にある島国ヤマトで作られる刀剣が確かあのような形をしていたはずです。
意匠はシンプルで凝ったデザインではありませんが、その威圧感は異常でした。目にすることすら畏れ多いと思わせるような、それでいて思わず傅いてしまいそうな、そんな畏敬の念を抱かせる存在感を放っていました。
アレは……ただの人間が扱える武器じゃありません。
勇者や英雄のような一握りの選ばれた人間にしか使えないような代物です。
そんなものを平然と手にしているなんて……先輩、アナタは一体何者なんですか?
武器の存在感に戦慄していましたが、ふと先輩の体に変化が起きていることに気付きました。先輩が負っていた数多の傷がスーッと、まるで初めから怪我なんてしていなかったかのように消えていったのです。
回復、している?
ですが先輩はHPを自動で回復させる【自然治癒】スキルも持っていなかったし、治癒系の魔術も使えなかったはずです。
なのにどうして回復しているのでしょう?
彼のステータスを見れば何か分かるかと思って【鑑定】スキルで確認しようとしましたが、どういうわけか抵抗されて確認できません。
深まる謎に頭を悩ませていると先輩は慣れた手付きで刀を抜きます。刀身も真っ黒で曇りはなく、夜の闇のように吸い込まれそうな奥深さがありました。
腰の剣帯では大きさが合わないと判断したみたいで、先輩は鞘を地面に突き刺して――姿を消しました。
「――っ!?」
頬を撫でる風に、背後で骸骨兵を斬り伏せる音。
驚いて振り返ると、先輩が私の背後に迫っていた骸骨兵を斬って倒していました。続いて先輩は中級の土属性魔術【堅固なる城壁】を唱えます。天井に届きそうなほどの高さのある堅牢な土の壁が隆起し、骸骨兵たちと私たちを分断しました。
とんでもない量の魔力が込められています。
私の魔力総量の、軽く二倍くらいは使ってるでしょうか。
これだったら、しばらくの間は骸骨兵たちが来ることはないでしょう。
けれど、先輩って土属性魔術は使えなかったはずですが……。
「せ、先輩?」
「……取り消せ」
恐る恐る彼を呼ぶと、少し不機嫌そうな声音が返ってきました。
取り消せって、一体何のことを言っているんですか?
疑問に思っていると、先輩はこちらを振り向いて言葉を続けました。
「もう良いわけないだろ。充分なわけないだろ。お前はまだ救われてない。まだ呪いは解けていない。それなのに、何で諦めようとしてるんだ」
………………。
…………。
……。
「だって、仕方ないじゃないですか」
本当は、私は誰かに縋っちゃいけなかったんです。
分かっていたんです。
誰かに助けを求めたら多かれ少なかれ、その人に迷惑をかけることになるって。
私にかかった呪いが牙を向けるかもしれないって。
分かっていたのに、私は助けを求めてしまったんです。
「最初から、先輩が命を懸ける理由なんてなかったんです。これは私の問題で、私がどうにかしなくちゃいけないこと。先輩にかけてしまった呪いを解くためにも、これ以上被害を出さないためにも、私はここで死ぬべきなんです」
私は、家族が忌避の目で見られることになるって理解していたのに、不様にも生き恥を晒してる恥晒しで。
自害してしまえば被害が拡大することもなく全てに決着が付くというのにそれもできない臆病者で。
会ったばかりの先輩を巻き込んで命の危機に晒したどうしようもない愚か者で。
そんな資格なんてないクセに助けを求めてしまった勘違い女で。
呪われているクセに先輩に恋をしてしまった身の程知らずで。
だから縋っちゃいけないんです。
頼っちゃいけないんです。
これは報いなんです。
呪われた女が、身に余る願いを抱いたせいで死ぬ。
これはそういう物語で、こういう結末なんです。
救いを諦めることで、清算しないといけないんです。
「私は、許されない人間なんですよ」
そう思って言った私の言葉に、先輩は「気に食わない」と言わんばかりの形相を浮かべました。
「んなわけあるかぁぁぁぁ!!!!!!!!」
ビリビリビリビリッ!とまるで大気を震わせるような怒声に、私は目を丸くしました。
「死ぬべき? 許されない? ふざけるな! そんなの誰が決めた! 誰だって救われたいんだよ! 誰だって助けてもらいたいんだよ! それは誰だって抱く感情で、誰にだって叫ぶ権利のあるものだ!」
激しい“熱”を持った先輩の言葉の一つ一つが、鋭利な刃物のように私の心に突き刺さります。
「もう良いだとか、充分だとか、そんな気持ちの悪い諦めを並べて自分の気持ちを誤魔化すな! 誰かのためにを言い訳にして自分の死を正当化するな!」
ギシッ、と私の中の理性が軋みを上げました。
「誰かに救いを求める理由なんて「助けてほしい」って気持ちだけで充分だろうが!」
先輩の言葉を聞くたびに理性の軋みは増していきます。
「その考えは正しいのかもしれない。その覚悟は尊いのかもしれない。その決断を英断と言うのかもしれない」
もう、やめてください。
もう何も言わないでください。
「けどそれが赤黒い結末に繋がるっていうなら、それは正しいだけで救いがない。正しさがあっても優しさがなかったら、結局は何も救えないんだよ」
これ以上はもう、耐え切れない。
「そんなの言われなくても分かってますよっ!!」
軋みを上げていた理性は弾け、そして感情が……振り切れました。
「けれど仕方ないじゃないですか! どうしようもないじゃないですか! こうでもしないと先輩が死んじゃうんですよ! 回復したからって! 新しい武器を手にしたからって! 簡単に倒せるわけじゃないんです! そこまで世の中は甘くないんですよ! 優しくないんですよ!」
こんなこと、言うつもりなんてなかった。
だけど言葉は止まってくれない。
自分で自分の感情を制御できない。
頭では言っちゃいけないって分かってるのに、心は走り続けます。
「きっとまた先輩はボロボロになっちゃいます! また死にかけます! 私のせいで先輩が死ぬなんて間違ってます! 性能を把握してない武器の力に頼るなんて綱渡りするよりは! 私の“死”と引き換えにした方が確実じゃないですか! 確実に掴める未来を選択する方が合理的じゃないですか!」
感情のままに、私は自分の気持ちを叩き付けました。
「赤黒かろうが何だろうが! 結果的に救われる命があるんだからそれで良いじゃないですか!」
「それでもお前は諦め切れなかった」
先輩の言葉に、思わず喉がヒクつきます。
一瞬だけ、思考が途切れて頭の中が真っ白になりました。
「だから、フェアファクス皇国からここまで来たんだろ。だから、わざわざダンジョンに潜ったんだろ。だから二年間、ただただ耐え続けてきたんだろ」
「……っ」
言葉に、詰まります。
何で……どうしてですか。
その場にいたわけじゃないのに。
私の過去の全てを知ってるわけじゃないのに。
まだたった数日の付き合いでしかないのに。
何で、何でこの人は……ここまで的確に人の心を言い当ててくるんですかっ!?
「良いのか、本当に? ここまで耐えて、ここまで来て、あと少しだっていうのにこんな所で諦めてしまって、本当に良いのか? お前はそれで満足なのか?」
「……」
そんなわけ、ないじゃないですか。
この時が来るのを、二年も待ったんですよ。
やっと呪いが解けるって。
やっとみんなの名前を思い出せるって。
そう思って、ここまで来たんです。
それなのにここで水の泡になるなんて、そんなの認めたくなんてないですよ!
私だって、諦めたくないですよっ!
満足なんて……できるわけないじゃないですかっ!
いつの間にか私は、グッと手を握り締めていました。
「俺がどうにかする」
ハッキリと、宣言するように告げます。
「例えどんなに無茶なことでも、例えどんなに困難なことでも、俺が必ず成し遂げる。ありとあらゆる手を使って、お前の呪いを解いてみせる。お前に襲い掛かる理不尽を、俺が斬り伏せてみせる」
どうして、そんなことが言えるんですか?
先輩が一番被害を被ってるじゃないですか。
どうしようもないくらい、ズタボロにされたじゃないですか。
戦力差は嫌って程自覚したはずじゃないですか。
それなのに、どこにそんな自信があるっていうんですか。
……嗚呼、けれど。
だから、なんでしょうか。
先輩に助けを求めたのは……もしかしたらと、そう思ったからじゃないんでしょうか。
「だから言えよ、セツナ・アルレット・エル・フェアファクス。あの時、ギルドの掲示板の前で叫んだ、あの言葉をもう一度」
しばらく私は、何も言えませんでした。
何も言えず、考えて、迷って、悩んで。
胸が苦しくなりました。
心が張り裂けそうでした。
けれど、それが私の本音だったのかもしれません。
「……け、て」
気付けば私の頬に、温かな滴が伝っていました。
「……たす、けてよ」
上手く思考が働きません。
頭の中はぐちゃぐちゃで、真面に理屈を組み立てることができません。
「もう私には方法を選んでいる余裕なんてない。私程度の魔術銃士じゃ、命を懸けでもしないとエルダーリッチを倒し切ることなんてできない。結局世界は残酷で、冷酷で、救いなんてない。神様に祈ったって、都合の良い奇跡なんて起きない。……それでも!」
心の中は色々な感情が遠慮なく荒れ狂って、単純な喜怒哀楽では表現できない、混沌とした感情の奔流は止まりません。
「それでも不可能を可能にするっていうなら! 私の気持ちも覚悟も全否定するっていうなら! 奇跡を起こすっていうなら!」
手伝ってもらっているクセに自分勝手なことばかり言っていると自覚しながら、剥き出しの感情のまま叫びました。
「私を助けてっっっ!!!!」
◇◆◇
顔をくしゃくしゃにして大粒の涙を流すその少女を、雨霧阿頼耶は目を優しく細めて受け止めた。
初めから彼女は救いを求めていた。
けれど、冷たい現実ばかり突き付けてくる世界のシステムを前に、自ら救いを手放してしまった。
自分は死ぬべきだと彼女は言った。
自分は許されないと彼女は言った。
だけど阿頼耶はそうは思わない。
何故なら、一番の被害者はセツナだからだ。
彼女を呪ったのは実地研修で遭遇した悪魔だ。
彼女は呪われたくて呪われたわけじゃない。
それなのに彼女が死ななければならないなんて、そんなのは筋が通らない。
少女は叫んだ。
自身の覚悟を捻じ曲げて。
ありったけの勇気を振り絞って。
最後の最後に「助けて」と叫んだ。
ならばもう余計な言葉はいらない。
どうしようもない理不尽を前にただ泣くことしかできなくなった、ただの女の子の叫びに準じれば良い。
涙に濡れる少女の目を見て、彼はただ一言告げる。
「承った」
そして少年の刀に“意味”が宿った。
 




