第14話 救済の下準備は整った
翌日、午前一〇時頃。
漆黒の髪と目を持つ少年――雨霧阿頼耶はとあるビルの一室を見据えていた。そこは紗菜たち姫川家を始めとした多くの人たちを苦しめている借金取りたちがいるビルだ。阿頼耶がいるのは道路を挟んだ向かい側のビルで、そこから賃金業者たちがいるフロアを監視していた。
窓から賃金業者たちの姿を見ている阿頼耶の傍には、型落ちのタワーパソコンが置いてあり、それには三脚に設置された何やら見慣れない機械が接続されていた。
「それじゃ、レーザー盗聴を始めようか。サンドリヨン、解析の方は任せた。解析結果の音声は随時再生してくれ」
『Sure。任せてちょーだい』
傍らに置いたスマートフォンに向かって言えば、アッシュブロンドの美女が快諾した。
レーザー盗聴とは、窓に見えない光線を当ててガラスの微弱な振動を読み取ることで室内の音声を検出する代物だ。
これを使えば、いちいち建物に侵入して盗聴装置を設置する必要もバッテリー交換をするために何度も潜入する手間もいらない。付け加えて言うなら意外とその辺にある家電やオモチャを分解すれば材料が手に入るので数百円単位で作成可能だったりする。精度はそれほど高くはないが。
阿頼耶は男性にしては弱く女性にしては強い程度の筋力しかないので荒事は基本的に苦手だが、こういう『技術』がものをいう場面に於いては一定以上の成果を叩き出すので、こういったものを作り上げるなど訳無い。彼の傍にあるタワーパソコンだって、ジャンクパーツから組み上げたものだ。
薄く開いた窓からレーザーを照射すれば、スマートフォンのスピーカー越しに相手側のやり取りが聞こえてきた。
『おい、例の姫川んとこの一家はまだ見付からねぇのか』
『へい。方々を探し回ってはいるんですが、足跡が途絶えちまって……』
『チッ。オヤジにも報告しなきゃなんねぇってのに……しゃーねぇ。とりあえず他の債務者から取り立てろ。しばらくはそれで持たせるぞ』
『へい。分かりやした』
ふむ、と阿頼耶はこめかみの辺りを指先で軽く叩く。
「無許可で開業した賃金業者が暴力団を雇っているのかと思ったけど、これは暴力団が金融業を立ち上げて不法に取り立てをしているって感じかな」
『Perhaps。金貸しは暴力団の主な活動の一つだし、不思議なことじゃないわね』
暴力団の主な活動は、風俗店などからの上納金、パチンコ店のような民営賭博場での用心棒としての暴力行為、政治家や新興宗教などの裏取引や裏工作、他にも密売、密漁、芸能活動がある。
紗菜が売られようとされたのも、この芸能活動に該当する。
「サンドリヨン、連中の誰にでも良いから決め打ちの文章を送り付けてくれ」
反応はすぐにあった。
『若頭、オヤジから「データを更新するから例のタブレットをオンラインにしろ」って連絡がありました』
当然ながらあの下っ端のような男にメールを送り付けたのは阿頼耶たちである。
彼らの目的は、あの賃金業者に扮した暴力団が所有しているノートサイズのタブレットだ。あのタブレットの中にはサンドリヨンが手に入れた顧客名簿の他にも、違法賭博や密売などの情報も入っており、今回はその違法賭博が行われている場所を知るためにタブレットに侵入したかった。
だが事はそう簡単に運ぶものではなく、あのタブレットはいつもオフライン状態になっており、不規則かつ短時間のみ通信している始末。これではさしものサンドリヨンであっても狙って侵入することは難しい。
なので、周りにいる人間のスマートフォンに侵入することにした。いくら肝心のタブレットが堅牢でも、部下たちのスマートフォンはザルだ。いくらでも外から汚染できる。
タブレットがオンラインになったのを確認して、サンドリヨンは即座にデータの吸い出しを始める。
『Anyway。まさか組織犯罪対策部が違法賭博場の摘発に協力するなら手を貸すなんて言うとは思わなかったわ』
そもそも何故あのタブレットの中にある違法賭博場の位置情報を知りたかったのかというと、白峰雪乃の事件の際に警察が調べた結果、彼女の所属していた事務所が所持していた依頼リストにある、この暴力団を含めた犯罪者たちが唯一集まるのがその違法賭博場だからだ。
その違法賭博場も警察が情報を入手した時には拠点を移されたため、これまでずっと摘発できなかった。
白峰の事件でその手掛かりを掴んだので、組織犯罪対策部はこの千載一遇のチャンスを逃したくなかったのだ。
「いくら市民を守る警察といえどボランティアじゃないからな。パトリシアの事件の時の借りがあるっていっても、分かりやすいメリットがないとアイツらも動けないさ」
再生されているレーザー盗聴の音声の邪魔にならないようにスマートフォンの画面にふきだしのように表示される文字列に阿頼耶は音声入力で返事をする。
「まぁ何はともあれ、俺としては今日から夏休みで助かったかな。そうじゃなかったら紗菜の学校への誤魔化しやら何やらで余計な手間が増えるところだった」
『Hey。その誤魔化しをするのは私であってキミじゃないでしょ』
ぶつ切りな調子で書き込まれた文字列に阿頼耶は肩をすくめるばかりだ。
「さて、そろそろデータは集まったんじゃないか?」
『Sure。違法賭博場の位置情報はGetしたわ』
「だ、そうです。これで準備は整いましたね、真壁さん?」
言った言葉はサンドリヨンではなく、彼の後方にいる三人の人物の内の一人に向けられたものだった。
一人は、短髪に髭を生やした大柄な男性――警視庁刑事部捜査一課の刑事の日野拓馬。二人目は綺麗に整えられた髪に細い銀縁眼鏡の理知的な印象を与える女性――主に知能犯と呼ばれる詐欺や通貨偽装、脱税といった経済犯罪を担当する警視庁刑事部捜査二課の刑事の荻野静香。
そして最後が、柔道家のような日野とは違ってボクサーのような印象を与えるがっちりとした体躯を持った強面の男性――警視庁組織犯罪対策部第一課第七対策係係長の真壁史郎。
日野刑事は三年前に起こった愛莉の事件で知り合ったが、残りの二人はパトリシア・ミラーの事件で知り合った人物だ。
今回の案件は詐欺と暴力団が関わっているので二課と組織犯罪対策部が介入してくるのは分かるが、本来ならば殺人事件といった凶悪事件を取り扱う一課に出る幕などない。それでもこうして出張っているのは、日野刑事が白峰の事件解決に動いたからだ。
さすがにそれを無視して、白峰雪乃の事件から派生した事柄を対処するわけにはいかない。いいや、彼らの上に配属された管理官が己の手柄を優先する人物であったならば、まるっきり無視されていただろう。
しかし幸運にも配属された管理官はそういった不正を毛嫌いする性質だった。
キャリア組としては極めて珍しい人物であるが、現場にいる者たちにとっては幸運なことだ。自分たちをただの駒として見ない。誠実に、事件の解決に尽力する。だからこそ、初期で関わっていた日野刑事も管轄が違うというのに関わることができるのだから。
余談だが、この事件に阿頼耶が関わっていることを管理官は知らない。
日野刑事が現場の者以外への公表を控えているからだ。
考えてみてほしい。もしも、警察内部ではなく外部の人間が事件解決に貢献したとしたら? しかもそれが年端もいかない男子中学生だとしたら?
普通ならば絶対に介入を許さない。日野刑事たちがそれを黙認しているのは、彼を拘わらせた方が早く事件が解決すると知っているからだ。だが管理官はそれを知らない。説明に時間を割くよりかは黙っていた方が良いと判断した結果だった。
「それは良いんだが」
と、口を開いたのは日野刑事だった。彼は怪訝な顔をして阿頼耶に問い掛ける。
「お前の方の準備は整っているのか?」
「それなら問題ない。プロから指導を受けて、お墨付きをもらったから」
「おいおい。習い始めたのは白峰雪乃の事件の終盤くらいだったろ? まだ数日しか経ってないってのにもう習得したっていうのか?」
「中々厳しい指導だったよ」
何気ない調子で言っているが、これはどんでもないことだ。
彼が習ったのはいわゆるイカサマの技術だ。今後の作戦のために阿頼耶はプロの指導のもと習うことになったのだが、人の心理を突いて騙す技術をたった数日で習得してしまうなど思わなかった荻野刑事と真壁刑事は驚く。
唖然とした表情で阿頼耶を見る荻野刑事と真壁刑事だったが、二人とは違って日野刑事とサンドリヨンはあまり驚いていなかった。
(まぁ、コイツは『誰かを助ける』って局面になると尋常じゃないくらいの才覚を発揮するからな。特に理不尽に晒された者の心を察する理解力は顕著だ)
誰かのためじゃないとその真価を発揮できない。それでいて自らの行いを『誰かのため』だなんて言い訳に使ったりしない。
彼がそういった類の人間だということは、『あの事件』から今日までの三年間ずっと彼を見続けてきた日野刑事は理解していた。
「なら大方の準備は整ったな。修正した計画通り、今夜決行だ」
日野刑事の言葉に、この場にいる全員が頷きを返した。




