第11話 日常の終わりを告げる篠突く雨
地面に叩き付けるような激しく振る大雨の日、当たり前の日常なんてものは何の前触れもなく壊れてしまうことを姫川紗菜は初めて知った。
自宅のリビングにて、紗菜と両親は黒いスーツとサングラスを掛けた強面の男性たちと向かい合って座っている。
「拓凪さんよぉ。何度も言ってんだろ? この契約書に書いてある通り、借金はアンタが払わないといけないんだよ」
「そんな、でも……こんな額は到底払えない」
紗菜の父――拓凪は黒スーツの男性たちから渡された契約書を見て震える。
事の始まりは紗菜の父親である拓凪が、友人の借金の連帯保証人になったことだった。
元々は連帯保証人になんてなりたくなかった拓凪であったが、相当に困っている友人を見過ごすことができず連帯保証人になった。友人がきちんと借金を返済していれば連帯保証人になってもさして問題はなかったのだが、その友人は借金を返せなくなって行方を晦ませてしまったのだ。
そうなれば借金取りは拓凪の所へ取り立てに来るのが必定だ。
拓凪たち姫川家の前に現れた、明らかに堅気の人間とは思えない威圧感のある借金取りたちから告げられた額は、そこそこ裕福な姫川家でもすぐに用立てることはできないもので全員が驚愕した。
両親が友人の連帯保証人になったことで一家離散した、なんて話はニュースやドキュメンタリー番組を見れば、なくはない話だとは思う。けれどそれは画面の向こう側の出来事で、まさか自分がそうなるとは誰が想像できようか。紗菜は愕然とする。
「払えねぇなら仕方ねぇな。じゃあ、そこの嬢ちゃんに体で払ってもらおうか」
契約書をひったくった男性たちのリーダーらしき、顔に傷がある大男がそう言った。さしもの紗菜とて、それがどういう意味を孕んでいるのかは分かった。思わず『ひっ!』と怯えた声を上げると、すかさず母の沙織が庇うように紗菜を抱き締めた。
「それだけはどうか! お金は必ず用意しますから!」
「お願いです! あと数日待ってください!」
父と母が頭を下げて懇願するが、リーダーの大男は聞く耳を持たない。
「んな甘ぇことがまかり通るかよ。返済期限はとっくに過ぎてんだ。無理やりにでも連れて行くぞ」
「分かりやした、アニキ」
リーダーの男の言葉を受けて舎弟たちが紗菜に歩み寄ろうとする。しかしそれをただ見ているだけの拓凪と紗織ではない。話し合いが成立しないのであれば強硬手段に出るしかない。
二人は強面の男たちにタックルした。
「なっ! お前ら!!」
「何しやがる!!」
強面たちが声を荒げる。紗菜もいきなりのことに驚くが、両親は叫んだ。
「紗菜、早く逃げなさい!」
「今のうちに!!」
「えっ!? で、でも……!!」
狼狽えて狼狽するが両親の『早く!!』との声に弾かれて、紗菜は家から飛び出した。
「あ、くそっ!」
「待て!」
背中に男たちの声が突き刺さるも、紗菜は止まらない。グッと歯を食い締めて、彼女は大雨の中を駆け抜けた。
走った。
走って、走って、走って。
とにかくがむしゃらになって走った。
「ハァ……ハァ……ハァ……!!」
そうしてとあるビル同士の間にある路地裏へと身を滑らせた彼女は、ビルの壁に背中を預けて激しく息を乱し、肩を大きく上下させる。胸に手を当てて呼吸を整えていると、チラリと大通りの方を覗き見る。
「いたか?」
「いや、いねぇ。あのクソガキ、どこに行きやがった」
「相手は一四、五の小娘だ。そんな遠くには行けねぇ。もういっぺん探すぞ!」
スーツを着ているが決してサラリーマンや証券マンには見えない男たちが紗菜を探し回っていた。
路地裏へと急に方向を変えたのが功を奏したらしい。向こうはこちらに気付いている様子はない。彼女が小柄だったのも幸いした。彼女の小さな体ならば、丸まればすぐそばの室外機の影に隠れることができ、大通りからでは完全に死角になって見えなくなるのだ。
(あの人たち、さっきウチにいた人たちだ。そんな、もう追ってきたの? じゃあ、お父さんたちは……)
紗菜の両親は彼女だけでもと借金取りたちに抵抗した。それなのにその借金取りたちはほとんど間を置かずに追いかけてきている。さすがに殺されはしていないだろうが、それでも身動きができない程度に痛め付けられているかもしれない。
(お父さん、お母さん……)
せっかく落ち着かせた心臓が、今度は走り回った以上に早鐘を打つ。二人が心配で堪らなく、今すぐにでも戻りたい気持ちに駆られる紗菜だったが、ふと聞こえてきたニュースの音声が彼女の意識を内から外へと戻した。
『さて本日のニュースウェークエンドですが、最近人気が再熱した、女優の白峰雪乃さんの特集です』
『ここ数年ほど人気は低迷していた彼女。その人気が再熱した理由に迫ります』
街頭モニターに流れるニュース映像に視線を向ければ、画面左上に表示された時刻は二一時を過ぎていた。一度大きく深呼吸をした彼女は勢い良く両頬を叩く。
「……自棄になっちゃダメ。今戻っても、せっかく私を逃がしてくれたお父さんとお母さんの気持ちを無駄にしちゃう」
自分に言い聞かせるように言う紗菜は思案する。
いつまでも同じ場所に留まっていては借金取りたちに見付かるが、不用心に大通りを歩いても同じこと。そうでなくても中学生がこんな時間に出歩いていると警察に補導されてしまう。
(ううん、でも……その方が良いのかな。私が補導されたら借金取りたちのことも知ることになる)
ただ気になる点としては、借金の問題が民事になるのか刑事になるのかだ。法律に詳しくない紗菜には判断しかねる。刑事であるなら介入できるが、警察は民事不介入だ。もしも民事だと判断されれば、紗菜の行動は水の泡となってしまう。故にその辺りの判断が付かないうちは迂闊な行動はできない。
(私……どうしたら……)
大通りに出れば借金取りたちに見付かる可能性が高まり、仮に見付からず交番に駆け込んだとしても警察が動いてくれる保証はない。何か他にもっと確実な手はないかと必死に考えていると、ポンと紗菜の肩に誰かが手を置いた。
「きゃああああああああああああ!!??」
「ごぶぁっ!?」
息を殺して身を隠している状態で虚を突かれたが故だった。
ビックゥゥ!! と肩を震わせた彼女は反射的に振り返って拳を放った。身を屈めている状態でも相手にダメージがったようなのは、ヒットしたのが鳩尾の辺りだったからだろう。
地面に蹲って呻いている相手を見れば追撃の必要なんてないのは分かろうものだが、パニック状態の紗菜にそこまで考える余裕はない。相手に馬乗りになった紗菜はギュッと目を瞑って、それはもう無我夢中で拳を振り下ろした。
「わぁ! わぁああ!! わぁああああ!!!!」
「おふっ! ぶっ! がっ! ちょ! まっ! 待て! ストップ! ストップだ、紗菜! 俺だって、阿頼耶だ!」
「……ふぇ?」
ようやく、紗菜は拳を止めて閉じていた目蓋を開ける。下を見てみれば……何だか見覚えのある黒髪の少年がボッコボコになっていた。
「えっと……何しているの、阿頼耶君?」
「人をフルボッコにしておいて最初に言うセリフがそれか!」
男よりは弱く女よりは強いくらいの筋力しかないとはいえ、自分よりも小柄な女の子相手に一方的に殴られたからか、彼は両手で顔を覆ってメソメソしてしまった。
「もう、何でも良いから退いてくれ」
言われてからようやく、彼女は自分が男の上に馬乗りになっていることに気付いた。いくら何でもはしたない格好に、羞恥で顔を赤く染める彼女はおずおずと彼から降りる。
「えっと……阿頼耶君、どうしてここに?」
「お前を探しに来たんだ」
「私を探しに? どうして?」
「借金問題」
服の汚れを払いながら告げられた一言に、紗菜はギュッと心臓を鷲掴みにされた感覚に襲われた。
何故、どうして、そのことを知っているのだ。自分だって父親が連帯保証人になったことを知ったのはついさっきだったというのに。
「な、んで……」
「紗菜の両親――拓凪さんと紗織さんなら大丈夫だ。借金取りたちとの騒ぎに近所の人が警察に通報したみたいで、すぐに警察が来たから。今は俺の両親が保護しているよ」
彼女の疑問なんてそっちのけで、阿頼耶は事実を紡いだ。わけが分からず目を白黒させる紗菜を余所に、阿頼耶はさらに進める。
「さすがにここから俺の家までは距離があるか。道中で見付かると面倒だし……ここからだとあの人の家が近い、か。しょうがない、問題を片付けてすぐはちょっと心苦しいけど、あの人に頼ろう」
紗菜にではなく、確認するように言う彼はスマートフォンを取り出してどこかに電話をかけ始めた。一体誰にかけているのかと疑問に思っていると、彼の口から出た名前に目を剥いた。
「あ、もしもし、白峰さん? ちょっと頼みたいことがあるんですけど、これからそっちに行って良いですか?」
それは、ここ最近になって人気が再熱した女優の名前だった。
更新が遅くなって申し訳ありません。
ちょっと仕事の方が忙しくて、しばらくは二週間に一度の更新になるかと思います。
読者の皆様には大変ご迷惑をお掛けして大変心苦しいのですが、どうかご容赦下さい。m(_ _)m




