第163話 ゲーム式図上演習
九月七日。
阿頼耶たちが拠点としているカルダヌスに戻ったちょうどその日、クサントス中央大陸オクタンティス王国王都アルバ。その王城の広々とした食堂の一角で、【勇者聖杯】のスキルを持つ『聖杯の勇者』姫川紗菜はテーブルの上に並べられたものを見て圧倒されていた。
並べられているのはホールのイチゴショートケーキ、スコーン、ドーナツ、マドレーヌなどなどスイーツの山。紗菜はこれを全て一人で作った張本人に向けて問い掛ける。
「これどうしたの、優李ちゃん?」
「ムシャクシャしてやった。後悔はしてないわ」
テーブルを挟んで対面の席に座る、濡羽色の長髪を赤くて細いリボンでポニーテールにした長身の少女、椚優李は頬杖を着いた状態で答えた。
悪びれる様子はない。反省の色ゼロである。
聞けば、半ば無理やりダンジョンでの阿頼耶殺害の犯人の捜索を打ち切られたことで不満が募り、溜まりに溜まったストレスを発散させるために食堂の厨房を借りて作ったらしい。
「その結果、こんなに大量生産したと。理由は分かったけど、この致死量のカロリーどうするの?」
「……さぁ?」
「……」
ストレス発散のためなのだから仕方ないのかもしれないが、考え無しな親友の行動に紗菜は指先でこめかみの辺りをグリグリする。
「まぁ食べ切れるから良いけど」
姫川紗菜は健啖家だ。一人で二人前を食べるのが基本で、時には一〇人前だってぺろりと平らげることもあるので、これくらいの量など問題にならない。それに優李は料理上手で、和洋中なんでもござれだ。このスイーツの山もきっと美味しいだろうと、紗菜はちょっと期待に胸を躍らせている。
さてどれから手を付けようかと吟味していると、
「これはまた凄い量ね」
どこか気品を感じる声に、二人は同じ方向に視線を向ける。見知った顔がいた。クラスメイトが六人、彼女たちの所にやって来ていた。
その中で二人に声を掛けたのは、地球で紗菜たちが通っていた高校で風紀委員を務めていた佐々崎鏡花だった。
彼女の他には【勇者必中】のスキルを持つ『悲恋の勇者』の岡崎修司、【勇者使役】のスキルを持つ『獅子連れの勇者』の結城翔、【勇者慧眼】のスキルを持つ長瀬文乃、それと男女が一名ずつだ。
その全員がテーブルにあるスイーツに顔を引きつらせている。いつも泰然自若としている鏡花は苦笑程度に留まっていたが。
「優李ちゃんが作り過ぎちゃったんだって。みんなも食べる?」
「せっかくだし、もらうか」
「そうね。さすがに紗菜さん一人じゃ食べ切れないでしょうし」
「ん? これくらいなら私一人でも食べ切れるよ?」
全然問題ないと告げる紗菜に二本の三つ編みを揺らす文乃は呆れたように言う。
「紗菜ちゃん、そこは嘘でも全部食べ切れないっていうところだと思うよ?」
「えぇ~? 文乃ちゃん、知らないの? 男の人っていっぱい食べてくれた方が嬉しいらしいよ。ねぇ、結城君?」
「え? ぼ、僕に同意を求められても……そこは人によるんじゃないかな?」
ともあれ全員が思い思いの席に座る。優李が席を移動し、一列には紗菜と優李と修司と鏡花が、その対面に文乃と翔と男女の二名が座る形になった。
優李が厨房の奥からティーポットと人数分のティーカップを持ってきて、全員に行き渡ったところで洋菓子を口に運んでいく。食べながら雑談していくが、全員は王城内で生活しているので改めて話すようなものはそう多くない。自然と近況報告に近いものになった。
「そっちは六人で連携訓練でもしていたの?」
「私と文乃さんと翔君はね。祐介君とララさんは復帰してまだ間もないから、まずはリハビリを兼ねて岡崎君とそれぞれ一対一での戦闘訓練をしてもらっただけよ」
紗菜の質問に答えた鏡花は二人の男女に視線を向ける。
最低限だけ整えた野暮ったい髪に同じ歳の男性と比べても低めの背丈に黒縁眼鏡と、少々地味な印象が強い少年の名前は仲林祐介。【勇者陽光】のスキルを持つ『忠義の勇者』の称号持ちで、一三人いる円卓の勇者の一人だ。聖剣『ガラティーン』の使い手でもある。
立川隼人たちから『地味眼鏡』と馬鹿にされるくらいには周囲から下に見られる傾向があるものの、実は同じクラスに恋人がおり、本人は知らないがその地味さが返って『一途で浮気の心配がない』と女性陣から高い評価をもらっていたりする。
もう一人はウェーブした長髪に耳のピアス、ミニスカートに胸元を大きく開けて強調した谷間(というか黒い下着が見えている)と細い鎖のネックレスといった、祐介とは真逆の派手な少女だった。
沢田ララという名前のその少女の顔立ちは東洋の印象が強いが、薄い茶髪と青い瞳に小麦色の肌など日本人離れした特徴をしている。髪を染めたりカラーコンタクトを入れたり肌を焼いているわけではない。名前からも分かる通り、彼女は日本人の父とフィリピン人の母親を持つハーフなのだ。
彼女は円卓の勇者ではないが、魔術や遠距離攻撃の命中率や回避率といった『確率』を上げることができる【勇者博打】という、強化支援職向きのスキルを持っている。
「いつまでも部屋にこもってはいられないからな」
「これ以上、メーワクかけらんないしね」
二人は申し訳なさそうに言う。
この二人も他のクラスメイトたちと同様にずっと自室に引きこもっていたのだが、鏡花たちの説得の甲斐あって、数日ほど前に部屋から出てきたのだ。昨日までは王城の中を散歩したり戦闘訓練の風景を見学したりするに留めていたのだが、今日は思い切って訓練に参加したのである。
「なら、これ使ってみる?」
紗菜は優李がいるのとは反対側の椅子の上に置いてあったカードの束をテーブルの上に移動させた。カードには火の玉や風の刃といったデフォルメされた魔術のイラストが描かれており、カードの下半分ほどには消費魔力量や攻撃力など、まるでカードゲームのようだ。
鏡花は首を傾げて紗菜に問う。
「これは何なの?」
「お手製のカードゲームだよ。魔術の戦いって、属性の相性だったり等級だったり効果だったりを考えないといけないでしょ? その場で適した魔術を即座に展開することが求められるわけだけど、だからって実戦形式で覚えるのは危ないし、座学にも限界がある」
魔術の戦闘は先の読み合いだ。
一四の属性に四つの等級に様々な効果。相手が手練れであれば複数の属性を使ってくることだってある。強力な魔術で一気に決着をつけるか。複数の魔術で堅実に布石を打っていくか。相手は次にどんな手を使ってくるか。相手の魔術に対してどんな魔術で対抗するか。
それを素早く判断する必要がある。
これはそのための教材だ。
「だったらゲーム形式でやればモチベーションも上がるんじゃないかなって思って、優李ちゃんと一緒に作ってみたの」
と言っても優李は消費魔力量だったり攻撃力だったりといった数値を考えたくらいで、絵柄やカード化にする作業は紗菜が自分でやった。趣味で創作活動をして某同人誌即売会にまで本を出している彼女ならばこれくらいは手慣れたものだ。
「ゲームに置き換えて覚えさせようなんて、考えたことも無かったわ」
「机に齧り付いたって覚えられないなら覚えられるようにアプローチを変えなきゃ。こういったゲーム形式の方が人間は楽しみながら覚えることができるからね」
「紗菜さんの成績が毎回学年トップな理由が分かったような気がするわ」
ひとまず試しにとやってみることになり、まずは鏡花と修司が対戦を始めた。最初は考案者である紗菜からレクチャーを受けつつ対戦をしていたのだが、
「岡崎君の魔術カード【流水】を私の魔術カード【火球】で防御。こっちのターンで山札からカードを引いて、経験値カードを使ってスキルレベルをアップ。中級魔術が使えるようになったし、火は水に強いから等級的にも相性的にもこっちが有利になって防御魔術を突破。さらに岡崎君本人に直接攻撃で大ダメージ!!」
「ぎゃああ!?」
容赦なく鏡花にフルボッコにされてライフがゼロになった修司が絶叫した。
ターン制や経験値カードなど、実際の魔術戦とはやや勝手が違うが、魔術の相性や効果などから状況を有利に運ぶ方法を学ぶにはちょうど良さそうだ、と対戦を眺めていた紗菜は満足そうにする。
(まだ全部の魔術を網羅しているわけじゃないから不足分は追加しなきゃだけど、ゲーム自体は問題なさそうかな。……ただ、何で岡崎君はこんな一方的に惨敗しているんだろう? そこまでカードの中身に偏りなんてないはずだけど……素で弱いのかな? たしか前にも優李ちゃんとチェスで勝負をした時に負けてなかったっけ?)
小首を傾げて考える素振りを見せる彼女だったが、当の対戦相手である鏡花は少々呆れていた。
「弱いわねぇ、岡崎君。ゲームは苦手なの?」
「ぐ、偶然だ偶然! たまたま運が悪かっただけだ!」
「はぁ……。実戦でも同じことを言えるのかしら」
やれやれと困った顔で息を吐く鏡花。要望に応えてカードセットを交換して紗菜、優李、文乃、翔、祐介とも戦ってみるが、
「チャックだよ」
「なっ!」
「王手ね」
「ちょっ!!」
「わ、私の勝ち」
「まっ!?」
「えっと、ごめんね」
「ぐふぅ!?」
「はい、岡崎の負け」
「……ッッッ!!!???」
もう、全員からボッコボコだった。もちろん彼らは不正も何もしていない。単純に修司が弱過ぎるだけで、もはや可哀想になってくるレベルだ。目尻に涙が浮かんでいるのはきっと気のせいではない。
「沢田! 最後はお前だ! 最後くらいは勝ってやる!」
「そんなこと言っておきながら、どーせ負けるんでしょ」
「うっせーよ。んなのやってみないと分からねぇだろ! ていうか一回くらい勝たないと情けなさ過ぎる!!」
諦めない精神は立派だが、さてその気概が結果に現れるかどうか。
「ま、良いわ。かかっておいで。揉んでアゲル」
挑発的に指先をちょいちょいと動かせば当然修司はそれに乗る。肩をすくめた祐介は席を譲って少し離れた場所に移動した。空いているスペース的に紗菜と優李の近くだ。
「じゃあ始めるよ。準備は良いね? せーの、どんっ」
審判役として紗菜が言うと、二人は同時にカードを出す。
「【水球】。うげっ、負けてるー」
「【土球】。うっし、等級は同じだけど相性は勝ってるっ」
幸先良いと修司はガッツポーズで喜ぶ。反対にララは嘆いていたが、かといって慌てはしない。相手のライフを全部削るのがルールで、大体最初に出せるのは初級の低コストの魔術カードなので、あまり初手は重視されないからだ。
その後もカードを引いたり並べたりと戦いを繰り広げていく二人を注視しつつも、審判役の紗菜は近くの祐介を見て数日前のことを思い出す。
(まさか部屋から出てきて早々に謝りに来たのはビックリしたなぁ。自分の恋人が阿頼耶君のことを見下していたからって、何も彼が謝りに来ることなんてなかったのに)
鏡花たちの説得のおかげで部屋の外に出られるようになった彼だが、実はそのまますぐに紗菜と優李と修司のところに行って頭を下げたのだ。
理由は、彼が交際している恋人が阿頼耶を見下し、あまつさえ加害していたことだ。
阿頼耶に対する態度という観点になるが、紗菜から見てクラスの女性陣は大まかに三つのグループに別れていた。紗菜や優李や鏡花といった中立組、文乃やララのような傍観組、そして祐介の恋人がいた加害組だ。
女性陣の半分ほどがこの加害組で、スクールカーストの上位や中位であり、北条に対して熱を上げていた者たちでもある。
そのイジメ組に自分の恋人が入っており、程度の差はあれ加担していたから祐介は紗菜たちに対して罪悪感を抱いていた。
実は部屋から出ることができなかったのもそういった気持ちが起因しており、それ故に彼は真っ先に三人に謝罪したのだ。
(彼も彼で何度も忠告していたわけだし、別に何とも思ってなかったんだけどな。まぁ正直、彼の彼女さん――内村さんには文句は山ほどあるけど)
祐介としてもただ黙っていたわけではない。どちらかと言えば傍観組に分類されるタイプの彼は、それでも内村が阿頼耶に対して理不尽な態度を取っていることを良しとはせず、何度もやめるように言ったのだが聞いてはもらなかった。
紗菜も内村を含めたイジメ組に注意はしていたのだが、クラスの女性陣の半分ほど――つまり一〇人ほどがいたため、紗菜たち数人が何を言っても数的なアドバンテージで優越感を持って冗長したイジメ組たちはまったく態度を改めようとはしなかったのだ。
(私たちだって阿頼耶君に何かをしてあげられたわけじゃないからね。それなのに彼女さんにずっと注意してきた仲林君を責めるのはちょっと違うし)
なので祐介に対して特に悪感情は持っていない。立川や谷たちといったイジメ組からは距離を置いているが、祐介やララのような中立組や傍観組ならば、頼まれれば手伝うくらいはやぶさかではない気持ちでいる。
(部屋から出てすぐの頃はやつれていたけど、今はしっかり食べているみたいだから血行も良くなっているみたい。でも、まだちょっと疲れてそう。目の下にクマもあるし。戦闘訓練のせい、ってわけじゃなさそうだね。……そう言えば彼、北条君に言って内村さんの説得は変わってもらったんだっけ)
鏡花たちのみならず北条もクラスメイトたちを部屋から出すべく説得を続けてきたのだが、内村に限っては今では祐介が毎日、彼女の所に赴いて説得をしているらしい。目の下のクマはそれが原因か。
「仲林君」
「ん? なに、姫川さん?」
「早く内村さんが部屋から出てくると良いね」
「??」
どうして唐突にそんなことを言ってきたのか分からなったのだろう。顔に疑問の色を浮かべた彼はその言葉の真意を確かめようとしたが、
「【大いなる火炎】で直接攻撃して岡崎のライフはゼロ! あーしの勝ちぃ!」
「ぐわー!! また負けたああ!?」
修司は叫んでカードの束を放り出した。
案の定というか何というか、予想通りの結果過ぎてみんな何とも言えない顔をしたのだった。




