第161話 無償の愛を抱く天なる監視者
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それは阿頼耶たちが封印の『要』から立ち去ったすぐ後のことだった。
「不思議な少年でしたね、フェイティア様」
フェイティアが司る『運命』を象徴する歯車の隙間からぞろぞろと出てきた神々の一柱、エアリーボブの銀髪が特徴的な中級神の女性――『恋愛神』ラヴィニアがそう話しかけた。
「そうだな。死ぬ運命にあったホムンクルスたちを救ったのもそうだが、どうにも彼奴は一〇〇万分の一以下の極低確率を引き当てることができるようだ」
彼がそれを可能としているのは、長らく救済に身を投じてきたからだろう。
救うまでの道筋を立ててトラブルがあればその時に対応するというやり方は、傍から見ればアドリブの連続だ。しかしそれでも結果を出しているのは、それだけ膨大な経験を蓄え、頭の中から即座に引き出して有効活用しているからに過ぎない。
英雄のような奇跡を何度も起こしているが、それは安易な奇跡などではない。地道な努力と経験の積み重ねによって成された偉業だ。
「アレクシア様が彼に加護をお与えになったのも、多くの者を救ってきた実績を認めてのことなのでしょうか?」
「さてな。さすがの我にもアレクシア様のお考えは分からぬよ。だが理由はどうであれ、結果としてここの封印の『要』の術式は修復された。これは喜ばしいことだ。この分だと他の二つの『要』も修復されるであろうから、しばらくは骨を休めることができるやもしれんな」
「それは、彼の『運命』をご覧になられたのですか?」
フェイティアの閉じられた目蓋の奥にある瞳は特別製で、あらゆる運命を見据えるばかりか決定付けるとさえ言われている。だから常に目蓋を閉じており、そして閉じた状態でも運命を覗き見ることくらいはできる。
ラヴィニアはその権能を使って阿頼耶の運命を視たのかと思って訊ねたのだが、フェイティアは否定した。
「いいや、『すでに辿った運命』はまだしも、アレクシア様の加護の影響で『これから辿る運命』までは視れなんだ」
「では?」
「実際にここに辿り着いたのだ。であれば他の『要』に辿り着く可能性は充分にある。……まぁ、ただの勘に過ぎぬ」
フェイティアは自嘲気味に肩をすくめる。
勘とは言っても、それは『運命』を司る最高神フェイティアの勘だ。根拠のない言葉だと一蹴することはできないほどの説得力がある。となれば、いずれ彼はその言葉の通りに『要』に辿り着くだろうとラヴィニアは思った。
「さて、貴様らも準備をすると良い」
「準備、ですか?」
「術式が修復されてせっかく余裕が生まれたのだ。貴様らもたまには休暇が必要であろう?」
言葉の意味が分からなかったラヴィニアだったが、すぐに合点がいった。
「もしや、人界に現界してもよろしいのですか!?」
「さすがに全員を一度にというわけにはいかぬから交代制になるがな。……今まで封印を維持してきたのだ。これくらいの報酬は与えても良かろう」
「あ、ありがとうございます!」
深々と頭を下げたラヴィニアは早速他の神々と一緒になって自分の身体の用意を始めた。
神族はその気になれば自らの力で世界を滅ぼすことだってできてしまう。そうしてしまわないようにさまざまな制限で雁字搦めにされており、自由を楽しむこともできない。
阿頼耶たちのいるようなアストラルや地球といった世界――人界に現界するために神体が必要なのも、力を大幅に抑制して人界に無用な影響を与えないようにするための制限の一つだ。
聖戦よりも前の時代では神族はよく神体を使って人界に降りていたのだが、聖戦のせいでそれどころではなくなり、今では人界に現界する神なんていない。
だから言ってしまえば、今の神は総じて退屈しているのだ。故に彼女たちのはしゃぎようも仕方ないと言える。
ラヴィニアたちの様子を見てわずかに笑みを浮かべたフェイティアは気を取り直して何もない空間に向けて言う。
「そこにいるのであろう? 出てくるが良い」
すると、その言葉に応じるように白銀色に輝く光の粒子が舞った。キラキラと輝く光の粒子が一点に集束すると、光は弾けて一人の少女が姿を現す。
ショートヘアの銀髪と同色の瞳。ノースリーブのシャツにショートパンツといった服装に、両手と両足にはそれぞれ銀の装甲が装着されている。髪型や服装から活発的な印象を与える少女は、フェイティアの前で片膝を突いていた。
「御前を拝謁する栄誉を賜り、恐悦至極に存じます、フェイティア様」
真正面から見据えた阿頼耶とも、地面に額を擦り付けて平伏していたセツナたちともまた違う。跪いて頭を垂れて、王に傅く臣下の如く少女はそう告げた。
神族と天族は完全な縦割り社会の種族だ。上が『こうだ』と命じれば『否や』は言えない。それほど上の言葉は絶対だ。
種族内でもそうだが、天使種であれ戦乙女種であれ天族は神の使いでもあるため、神族からの命令にも絶対服従である。
だから銀髪ショートヘアの少女がフェイティアに対して片膝を突いているのも当然で、これが正しい神族と天族の関係なのである。
「面を上げよ」
言葉の通りに少女が顔を上げれば、どういうわけかフェイティアは少々呆れたように息を吐く。
「いくつものスキルと魔術を併用してわざわざ姿を消し、雨霧阿頼耶を守り続けるなど随分と奇妙なことをしておるな。姿を隠さぬ方が守りやすいだろうに」
そう。彼女こそが、何度も阿頼耶を危機的状況から助けてきた白銀の少女だ。
阿頼耶たちをここに招いた時にフェイティアはこの天族の存在に気付いていた。さらに言えば『運命を視る権能』を使って『すでに辿った運命』を視たことで、この白銀の少女が何度も阿頼耶の手助けをしているのも知ったのだ。
そしてさらに過去を視れば、
「……ふむ。なるほど、あの神から『雨霧阿頼耶の監視』を命じられたわけか」
フェイティアの言葉にピクリと肩を揺らす。
何も全ての神が封印の『要』となっているわけではない。アレクシアを始めとした『天空神』、『大地母神』、『大海神』のように神界に留まっている神々もいる。むしろ封印の『要』となっているのは神族全体で見れば一部でしかない。
白銀の少女に命令を出したのも、その残留組の神というわけだ。
「やはり隠せませんね」
動揺は一瞬。すぐさま持ち直した白銀の少女はフェイティアの言葉を肯定する。
「仰る通りにございます。私はたしかに『雨霧阿頼耶の監視』を命じられましたが、彼を守っているのは私の意思です」
「監視役ということは手出しをしてはならぬはずだが……あぁ、だからこそ姿を隠して陰ながら助力しているのか。表立って行動しなければいくらでも言い訳はできると」
姿を隠しているので向こうに素性は知られていないから問題ない、なんていうのは屁理屈で実際にはかなりアウト寄りのグレーゾーンだ。彼女に命じた神に知られたらどうなることか。
だが、そうまでしてこの白銀の少女は阿頼耶に肩入れしている。
「貴様の過去を視ればそうするのも分からなくもないがな。それでもよくやるものだ」
「そうでしょうか?」
フェイティアの言葉に白銀の少女は小首を傾げる。異を唱えているわけではない。彼女自身はそれほど不可解なことをしているとは思っていないので、純粋に疑問に感じての言葉だった。
「姿を隠したままでは彼奴は自分を助けてくれている誰かがいるとは分かっていても、貴様という個人に助けられていることまでは分からん。貴様自身が報われることはないというのに」
「彼を守るだけならば、わざわざ姿を晒す必要もありませんから」
一度だけ、白銀の少女はダンジョンの中だからと『魔窟の鍾乳洞』の第三〇階層にて阿頼耶の目の前に姿を現している。だがそれも白銀の燐光を纏った状態で、今のようにきちんと顔を出したわけではない。
あくまでも正体は秘匿したまま。その状態では、阿頼耶も明確に個人を認識することはできない。姿を見せなければ、阿頼耶を助けてきたのが目の前の少女だということは分からないままだ。普通ならば少しでも意識してほしいと思って名乗り出るところだろう。
しかしそのことを指摘されても、白銀の少女は笑顔を浮かべて『必要ない』と断言した。
「くっくっくっ。そうか」
迷いのない言葉。これにはフェイティアもくつくつ笑う。阿頼耶たちを招いた時もそうだったが、五〇〇〇年も封印の『要』の外に出ることができずにいたから刺激に飢えているのかもしれない。誰かと話すことで浮かれているようだ。
「それもまた愛の形、か。ラヴィニアが聞けば嬉々として興奮するであろうな」
何せラヴィニアは『恋愛』を司る神なのだ。この手の話題には目がない。一頻り笑った後、フェイティアは思い出したように白銀の少女に提案する。
「……あぁ、そうだ。一つ頼まれてくれるか?」
「? はい、何でしょう?」
「他の神と一緒に、我の神体も彼奴に届けてほしいのだ。こっそりと、バレぬようにな」
「……もしかして私を呼んだのはそのためなんですか?」
外に出ることもできないのにラヴィニアたちに神体を用意させていたのは何故だろうと思っていたら、自分にその運搬をさせる腹積もりだったのか。どうやら退屈だったのはフェイティアもらしい。
さすがに顔に出すことはできない白銀の少女は、心の中で呆れたように溜め息を吐いたのだった。
封印の『要』から去ると、白銀の少女は阿頼耶のいる皇居内の大宴会場へと向かった。正面の扉から入って通路を通って、なんて普通の方法ではない。壁をすり抜けて歩みを進めていく。
道中では警備に当たっている御剣衆もいたが、目と鼻の先を通っているにも拘わらずその全員が彼女に気付くことはない。
いくつものスキルを使って姿はおろか音も匂いも気配も消して、念を入れて霊体化することで物理的な存在も消しているからだ。これでは超一流の暗殺者であるクレハでも、あるいは霊体を視る力を持つ霊媒体質の持ち主であっても気付けない。
そこに在るのに、そこにいない。
そんな状態の彼女が大宴会場に入れば、黒髪の少年がいろんな人に声を掛けられているのが見えた。何だか酒に酔ったパートナーのセツナに絡まれているが、うんざりしたような表情をしていてもどこか楽しそうにしている。
「ふふっ」
目の前に広がる光景に、白銀の少女は自然と幸せそうな笑みを零した。最愛の人が温かい幸福の中にいるなんて何と幸せなことだろうか、と白銀の少女は心が温かいもので満たされていくのを実感する。
「『どうしようもない理不尽を前にただ泣くことしかできない誰かを救う』、か」
ぽつりと、白銀の少女は黒髪の少年が立てた誓いを口にする。
「良ーよ。キミがその道を歩きたいっていうなら、私が手伝ったげる」
手伝う、と言ってもむやみやたらと手を貸すわけではない。むしろ彼女はここぞという場面でしか阿頼耶を手助けしていない。
「一から一〇まで手伝うことが、キミの幸せに繋がるとは限らないしね」
他人から与えられた答えに信念は宿らないように、最初から障害物を退けた道を歩くのでは意味がない。それは結局、敷かれたレールの上を歩いているだけに過ぎず、仮に成功を収めたとしても得られるものはない。迷いながら選び、悩みながら歩き、苦しみながらも己の力で掴み取るからこそ尊いのだ。
そう考えるからこそ、白銀の少女は必要以上に干渉しない。たとえその歩く道のりが険しかろうとも、歩きやすいように舗装なんてしない。その険しさも含めて、きっと彼にとって価値のあることだからだ。
だから彼女の役割は、本当に彼ではどうしようもない時に、彼の命に危機が迫った時に、手助けをするだけだ。
「フェイティア様は『報われることはない』って言っていたけど、でも、そんなの分かり切ったことだし。報われるかどうかなんて、私は別にどーだって良ーし」
心の底からそう思っているのだろう。語る彼女の表情に負の感情はなかった。
彼女の幸せの定義は、他者からすれば理解できないものかもしれない。しかし愛や幸せの形なんて人それぞれで、十人十色の形がある。決まった答えがある数学とは違うのだ。一つの型に嵌めることなんてできはしない。
だから他の人がどうかなんて、報われるか報われないかなんて、白銀の少女にとってはどうでもいいし、些末な問題だ。
「彼が幸せそうに笑ってくれているだけで、私は充分に幸せだし」
白銀の少女は彼を愛しているけれど、彼から愛されなくても一向に構わない。
何故なら。
雨霧阿頼耶が幸せであることが、彼女にとって何物にも代えがたい幸福なのだから。




