第160話 その在り方は魂に根付く誓い
俺たちの所にやって来たのは『剣聖』夜月千鶴と『六煌刃』の梨花に『モルタザカ』のアイシャだった。各勢力を代表して来たのかと思ったがヤマト側がいない。見れば、『天下五剣』や咲耶姫は陽輪陛下と一緒だった。
その陽輪陛下は梓豪陛下とサイード陛下と共に何やら話し合いをしている。各国のトップが顔を突き合わせているわけだし、何かの条約だったり契約だったりの話をしているのかも。
こんな場でしなくてもとは思うが、ヴァイオレット令嬢いわく『お酒の場で商談が決まるなんて珍しくもない』らしいからな。
となると、三人は抜けてこっちに来たのかな。
「一体何をなさっているのですか?」
間近で攻防を繰り広げる俺とセツナの姿が奇妙に映ったらしい。アイシャが呆れたように言う。口調が以前と違って丁寧なものに変わっているが、俺が救世主の息子だと分かってからこんな感じになってしまった。
俺は普段通りで構わないのだが、そうもいかないらしい。同じ理由で他の人たちも丁寧な口調になったし。普段と変わらないのは、異世界人である千鶴さんや他と違って『付与の巫女姫』という少し特殊な立場にいる梨花だけだ。
「いや、セツナがまだ飲もうとしていて……これはもう諦めるべきか? 明日になって彼女の記憶が飛んでいるかどうか確認するのも面白いかも?」
「御子息は考え方がサディストだな」
俺の発言を聞いて梨花はケラケラと笑い、三人は空いている席に座った。そのタイミングでアイシャが口を開く。
「明日の朝にはもうヤマトを発つんですよね?」
「あぁ。元々この国には椎奈の抱えていた問題をどうにかするために来ただけだから。それも解決したことだしな」
水だけだとバレるので清酒を水割りにしてセツナに渡しつつ答える。
「そうですか。……御子息にこんなこと言うのは不敬なりますが、本当のことを言うと初めて会った時から御子息のことは気に入らないんです」
会った時から、っていうことは今もってことか。
「冒険者だから仕方ないのかもしれませんけど、自由気ままな生き方に納得ができないんです。冒険者である御子息たちなら自由に動けるからと私たちと足並みを揃えないなんて、何て自分勝手な人なんだろうと、ずっと思っていました」
彼女が言っているのは、ゲノム・サイエンスに強襲を掛ける直前で俺たちに協力しろと言ってきた時のことだな。あの時、俺は梓豪陛下からの申し出を公的機関である彼らでは問題があるからと断った。
アイシャは、理屈の上では理解していても心情的には納得していないのだろう。
「当然だな。俺のやり方や生き方は組織人としては機能しないことは理解しているよ」
「ですが、事件が解決して改めて分かりました。私と御子息では、ただ大切にしているものが違っただけ。私が『モルタザカ』を大切にしているように、御子息は『個人の想い』を大切にしていた。御子息は御子息で、事件解決のために動いていた。だからあの時、ナディアさんがマリアムの進言を通さなかった理由を代弁できた。御子息のような在り方も間違ってはいないのだと、今はそう思います」
納得できないからと真っ向から否定するのではなく、ありのままを受け止める。そうすることができるようになったのだと、アイシャは語る。
「そう言っても、やはり根本的な部分で御子息と私は相容れませんけど」
「それで良いさ。何も同じ考え方・生き方をしないといけないわけじゃないんだから」
俺の言葉に彼女はフッと笑みを浮かべて、
「御子息はナディアさんの心を守ってくれました。そのことは、本当に感謝しています。ナディアさんは死んでしまいましたけど、あの人の行いは間違いなんかじゃなかったと、胸を張っていけます」
「その気持ちはオレたちやヤマトの連中も同じさ」
と、アイシャの言葉に続いたのはカシスオレンジを飲む梨花だ。粗暴な口調のわりに意外と可愛らしいものを飲んでいるな。
「御子息のおかげで、オレたちは劉帆を止めることができて、ヤマト側は陽輪陛下を取り戻せた。結果として『天下五剣』は五人から二人に減っちまったけど、それでも感謝しているだろうさ」
「感謝なんて。俺たちは俺たちの目的を果たそうとしただけで……ん? 『天下五剣』が五人から二人に? そう言えば、安心院さんの姿が見えないけど、彼はどうしたんだ?」
言われてから気付いたが、『天下五剣』の出席者は古手川さんと朝比奈さんだけで、安心院さんの姿がどこにもなかった。俺の疑問に梨花が少し言いにくそうにしてから、
「あー、実はあいつ、『天下五剣』を辞めちまったんだよ」
「え!? そうなのか!?」
「どうにも今回の一件に責任を感じているらしくてな」
今回の犯人は安心院さんの幼馴染みもいたということもあり、二人の心の闇を察せなかったことを悔やみ、責任を取るという意味でも、また精神的に鍛え直すためにも『天下五剣』の地位とその証である『鬼丸国綱』を返還してそのまま旅に出てしまったのだとか。
行動力があるというか何というか。決断からの実行が早い人だな。
「じゃあ、『天下五剣』は新しく選び直すのか?」
「さぁな。『数珠丸恒次』と『大典太光世』に関しては選び直すんじゃねぇか? 今回の事件をきっかけに資格は剥奪されただろうし。ただ、『鬼丸国綱』はまだ小太郎を主として認めているようだから、そっちはそのまま席を空けておくだろ。霊刀の使い手なんて、そう簡単に見付かるもんでもねぇし」
「……そうか」
安心院さんが『天下五剣』を辞めたのは残念だけど、帰る場所があるならいつかきっと安心院さんは『天下五剣』に戻るだろう。修行を終えて胸を張れるようになれば、きっと。
「咲耶姫も今回の一件で思うところがあるらしゅうてな。母親を助けたいって思いよっても何もできんかったことを後悔しとるんじゃと」
と、今度は千鶴さんが枝豆を食べながら言う。
「そうなんですか? でも、それは仕方ないんじゃ? 咲耶姫はまだ小さいんですし、そんなことを求めるのは酷でしょう」
「それじゃってもできることはあったんじゃなぁかって考えとるんよ。ウチは桜小路家と交流があるけんある程度事情は知っとるんじゃけど、咲耶姫は勉強嫌いでな、いっつも逃げよんよ。じゃけどきちんと学んどりゃあ、何かしら知恵を回すことはできとったんじゃないんか。そう思って反省しとって、今後は真面目に勉強する言うて意気込んどる。今も陽輪にべったり張り付いとんのも、外交を間近で学ぶためじゃ」
「そういうことですか」
「ま、父親の宗次郎殿もこれで一安心するじゃろ。あいつ、どうしたら娘が真面目に勉強するんかいろいろと苦心しとったみたいじゃしな」
「なるほど、古手川さんも苦労して……ん?」
あまりにも自然に言うものだからそのまま流しそうになったが、ちょっと待て。
「咲耶姫の父親って古手川さんだったんですか!?」
「ん? あぁ、ほーか。知らんのんか。ヤマトじゃあ慣例として皇になるヤツは御剣衆で最も強いヤツと婚姻を結ぶことになっとるけん、『天下五剣』トップの宗次郎殿が陽輪の旦那なんよ。形式は政略結婚じゃけど、それでもお互いのことは好き合っとるけどな」
あ、あぁ。そうなんだ。お互いに恋愛感情があるのは幸いだ。冷たい家庭環境ではなさそうで安心した。まぁ、あの三人の様子を見れば一目瞭然ではあるけど。
「そういやぁ、『六煌刃』の方はどうなん? 魔槍使いの馬劉帆を失ったんじゃけん、新しいメンバーを補充せんにゃいけんじゃろ。軍部から魔槍を使えるヤツを探すん?」
「軍部から新しいメンバーを探すのはそうだけど、実は魔槍『ゲイ・ジャルグ』と『ゲイ・ボー』はミオの物になったんだよ」
「それは私も初耳ですね」
アイシャの言葉に同意するように、セツナと椎奈も興味津々とミオに視線を向ける。
「本当なのか、ミオ?」
膝の上のミオを見れば、彼女は俺を見上げるようにして『……ん』と短く肯定した。
「魔槍を回収しようとしたら、めちゃくちゃ拒絶されてな。『ゲイ・ジャルグ』と『ゲイ・ボー』に気に入られたみたいで、ミオにしか持つことができなくなっちまったんだ。だから新メンバーを探すにも、魔槍抜きでやることになる」
ちゃっかり魔槍を横取りしてしまったことに申し訳なく思っていると、それを察した梨花がひらひらと手を振る。
「気にすんな。元々、あの魔槍は劉帆が『六煌刃』になるきっかけになっただけの物だ。『天下五剣』と違って『六煌刃』になるために必要な条件ってわけじゃねぇ。こっちとしても、すでに使い手がいる魔槍を回収したって旨みはないから、手放したって問題ねぇんだ。まぁ、本当は使い手になったミオは『六煌刃』にスカウトしてぇところなんだが」
「……私の居場所は、お師匠様の所だけ」
「当の本人がこれなわけ。無理やり連れて行くわけにもいかねぇし、そうまでしてスカウトしたいとも思わねぇ。そもそもそこまでするほどのことでもねぇしさ」
そうは言っても、『六煌刃』の戦力低下を招いたのはちょっと忍びない。
「なら代わりに、強力な魔法槍をそっちに提供するよ」
「そりゃあありがてぇけど、良いのか?」
「さすがに魔槍レベルは無理だし、今すぐってわけじゃないけど、それでもいいなら」
「充分だ。なら、よろしく頼むわ」
「じゃあ、商談成立ってことで」
あぁ。なるほど、ヴァイオレット令嬢の言った通りだな。こういう感じで、酒の席で商談が決まるわけか。
小難しい話をしつつ、しかし基本的には取り留めのない雑談に花を咲かせていく。するとSランク冒険者がいるからかというのもあるのだろう、次第に話の内容は俺と千鶴さんが戦った時のものになった。
「今思い出してもよく死ななかったなって思いますよ。ステータスが低下していたっていうのに、こっちは全然決定打を与えられなかったんですから」
「そりゃあウチは『剣聖』を名乗っとるわけじゃしな。Sランク冒険者として、そう簡単に負けちゃらんわ。まぁ、まさか相手がウチの門下の者とは思わんかったけどの。……気になっとったんじゃけど、お前、皆伝までは使えるみたいじゃけど極伝は使えんのん?」
「江戸の大火事の際に焼失して、使える人が少なかったこともあって伝承が途絶えたらしいです。極伝なるものが存在することは分かっているんですが、今では初伝から皆伝までしか伝わっていないんですよ。そもそも、極伝は秘伝中の秘伝。印可状も貰っていないどころか六年前に夜月神明流を辞めた俺にその資格はありません」
「ほーなんか。ウチがまだおった時代から六〇〇年近くも経っとるとはいえ、嘆かわしいの」
渋面を浮かべた黒髪ショートの女侍は何故かテーブルの上に並べられている食器を退けてスペースを作り、『虚空庫の指輪』から和紙と筆を取り出して何かを書き始めた。
おそらく現代の日本人でも読める人は少ないであろう崩れた書体で書き切ると短冊状に折り畳んでから別の和紙で包み、さらに『虚空庫の指輪』から和紙の束を太めの紐で閉じた和本を取り出して両方とも俺に差し出した。
「印可状と極伝の指南書。お前にやるわ」
「なっ!? い、良いんですか? 俺は夜月神明流を辞めたんですよ?」
「その口振りじゃと、破門になったわけじゃないんじゃろ? 夜月神明流の技はしっかり身に付いとるし、実力についても前に戦った時に『印可』を与えるだけのもんを持っとるんは確認できとるしな。何よりウチが認めとるんじゃけぇ問題なぁわ」
しばし悩んだけど、そういうことならと受け取ることにした。
「こっちの世界で新しく弟子は取っとらんけん、夜月神明流を使えるんはウチとお前だけじゃけど……案外、他にも門下の者がこっちに転移しとったりするんかね?」
「……」
現にこうして転移してきた俺がいるから出た何気ない一言だったのだろう。
けれど、脳裏に濡羽色の髪を細くて赤いリボンでポニーテールにした少女――椚優李の顔が浮かぶが、俺はその名を口にすることはできなかった。
その後、俺たちの会話を聞いていたアイシャが梨花を羨ましがって武器を融通してくれとせがんできたり、セツナとクレハと椎奈が飲み比べを始めたりして大変だったが、騒がしくも楽しく宴は続いた。
ややあって、時計の針が頂点を指して日付が変わった頃。
少し前までの大騒ぎとは打って変わって、今は静寂に包まれている。途中で水を挟んだからか、起きているのは俺だけで他は全員酔い潰れて眠ってしまったのだ。
テーブルに突っ伏したり床に寝そべったりしている人たちを踏まないように気を付けて避けながら窓際へと移動する。焼酎が入ったグラスを片手に窓の近くの壁に寄り掛かって夜空を見上げれば、綺麗な満月が輝いていた。
「……」
満月の夜は、あの日のことを思い出す。
俺があの子に『どうしようもない理不尽を前にただ泣くことしかできない誰かを救う』という誓いを立てた、六年前のあの夜のことを。
「今日、『運命神』フェイティアに会っていろいろと話をしたんだけどさ。帰り際に忠告されたよ」
みんなが眠りにつき、誰一人として聞いている者がいない静かな大宴会場に、中性的な顔立ちが特徴的なあの子に向けた言葉が響く。
「『今回、邪神を封印する「要」の術式が修復されたことは確実に察知される。邪神の復活を目論んで封印を解こうとしている邪神教徒は黙ってはいない。充分に気を付けよ』だとさ」
その通りだと思った。今回の俺たちの行動はまるっきり妨害だ。偶然の結果とはいえ、邪神教徒側からすれば面白いものじゃない。封印の『要』の術式を直せる不穏分子は排除しようと動き出すだろう。
本当はこちらから打って出るのが一番楽なんだけど、五〇〇〇年もの長きに渡って世間からその姿を晦ましてきただけあって、手掛かりは皆無だ。身を守るために一番良い方法は籠城ではなく足取りを完全に消すこと。その点では邪神教徒は非常に優秀だ。
こうなると待ち構えて迎撃するしかない。さすがに表立って行動はしないだろうけど、でも、だからこそ注意が必要だ。気付かないうちに危機的状況に陥る、なんてことがないようにしないと。
ただ、まぁ。
「そうだとしても関係ない」
酒の入ったグラスを軽く振ってみれば、カランと氷のぶつかる音が鳴る。わざわざ口にしなくても良いことを喋っているのは、やはり酔っているからか。それともあの夜の誓いを再確認するためか。
「俺は俺の立てた誓いに従って行動するだけ。その道のりの先に立ちはだかるっていうのなら、誰であろうと全力で叩き潰すまでだ。今も昔も、これからも」
そうして、俺はもう会うことはできないあの子の名をそっと口ずさんだ。
「そうだろ? なぁ……愛莉」




