第155話 淡青(たんせい)の悔い
『人工勇者計画』実験体四一七号、『禁獄の勇者』椎奈は、朦朧とした頭でその光景を見ていた。
自身を『核』として召喚された腐屍悪鬼は四散したが、その肉片は急速に再結集した。人の形なんてしていない。一つの肉塊となっていて、魔物とも呼べない『それ』は筋繊維を寄り合わせた束をいくつも作り、四方に伸ばした。
骸骨将軍、炎獅子、サンドワーム、多数の骸骨騎士の全てを、まるで蛇のようにガパッと大口を開けて丸呑みにしてしまう。
(取り込んで、いる? まさか……自身の存在を、保つ、ために?)
一目で分かった。まだ消滅していないことに椎奈は驚く。
筋繊維の一つが椎奈に向かってきた。避けなければという思いはあったが、体が言うことを聞いてくれない。同じように大口を開けて呑み込もうとするが、その寸前で阿頼耶がその大きな足で弾いた。
(阿頼耶、君?)
顔を上げれば、夜の闇のように黒い龍は覆い被さるようにして巨体の下に椎奈と陽輪陛下を入れ、次から次へと襲い掛かる筋繊維から二人を守っていた。
(私のことも、守ってくれるの? キミたちを、裏切ったのに)
自分は彼らを裏切った。
自分は彼らを騙した。
それらしいことを口にしておきながら、未来へ進む歩みを止めた。
間違った理想を掲げて、自分の都合に巻き込んだ。
それでも、彼は当然のことのように守った。
「――っ」
淡青色の女性は、胸の内に得も言われぬ感情が広がっていくのを感じた。
「クソッ! 伝説級魔道具も全部取り込まれた!」
「椎奈さんと陽輪陛下は絶対に守ってくださいよ、先輩! 『核』と『触媒』だった二人をまた取り込んでも、『百物語』という要素が崩れた以上は腐屍悪鬼が再召喚されることはないですけど、二人がどうなるか分かりません!!」
「分かっている! だから一気に片を付ける!! 【龍の咆哮】で灰も残さず焼き尽くすから、巻き込まれないように三大国の面々を下がらせろ!!」
これにはさすがにセツナも顔を引きつらせた。
龍の吐く炎には龍力が使用されているのだが、魔術に使われる魔力と比べるとその密度が違う。上級の火属性魔術でも拮抗することなく打ち破られるほどで、例えるならガスバーナーとマッチの火くらいの差がある。そんな高火力の一撃を食らえば、彼の言うように灰すら残らない。輻射熱だけでセツナたちは死んでしまう。
ミオとクレハとセリカは三大国の精鋭たちを回収して下がり、セツナは椎奈と陽輪陛下がいる阿頼耶の足の間に体を滑り込ませて安全を確保する。それを確認して彼は準備を始めるが、そこで不測の事態が起きた。
「なっ!?」
阿頼耶の完全龍化が解けたのだ。
これには椎奈も驚いた。何の制限もないのかと思っていたが、そうではなかった。彼は元は人間族だった。だから完全人化は長時間維持することができるが、完全龍化はそう長く維持することはできない。訓練を積めば維持する時間も伸びるが、現状では三分ほどで強制的に解除されてしまう。
好機と捉えたのか、筋繊維が阿頼耶、セツナ、椎奈、陽輪陛下に殺到し、それを阿頼耶とセツナが迎撃する。
二人の姿を見て、椎奈は這いつくばっている自分が恥ずかしくなった。
(紛い物とはいえ、勇者だっていうのに、情けない)
彼は自分たちを救うと言った。誰一人失うことなく、全員が生きていられるようにすると、その手段があるのだと、彼はそう言った。
(彼は……『鴉羽』の人たちは、私たちのことを諦めていない。私たちはとっくに、諦めたっていうのに。……彼らの方が、よっぽど勇者だよ)
その方法にどれだけ実現性があるのかは分からない。仮に理論として成り立っていたとしても、成功する確率はきっと低い。けれど彼らは諦めないだろう。何度でも立ち上がるだろう。そう思わせるだけの熱意があった。
例え0.1%以下の低い確率であろうとも、そこにわずかでも可能性があるのなら諦めない。救いの道を手放さない。どれだけ惨めであろうとも、どれだけ情けなかろうとも、何度でも立ち上がって救いの可能性を掴み取る。
(ううん、違う。諦めないからこそ、そのわずかな可能性を掴めるんだ)
それこそが、勇者や英雄と呼ばれる者の素質であった。だから、その熱意が諦めていた椎奈の心に火をつけたのは自然なことだった。
気付けば、椎奈は這いつくばった状態のまま虚空から真っ白な鎖をいくつも射出していた。
彼女が持つ勇者シリーズの弱体化系ユニークスキル【勇者禁獄】の鎖が阿頼耶とセツナを通り過ぎて、二人に迫っていた筋繊維どころか肉塊自体も雁字搦めにした。
「「椎奈(さん)?」」
「わ、私は、間違えていた」
驚いた二人が振り返れば、彼女はおどおどとした喋り方で呟いた。
「ずっとずっと……ま、間違え続けて、きた。せ、責任を取る必要がある。生き残る術は、ない。だ、だったらせめて、これ以上の犠牲が、出ないようにするのが……一番だって思って、いた」
だから死ぬことを選んだ。『成功例』である自分たちが死ぬことで計画を破綻させれば確実な犠牲を無くすことになると、そう信じていた。
でも違った。そうじゃなかった。
「そ、そうやって言い訳して……死ぬことを、選んで、抗うことから、逃げ続けて、きた」
自分たちがしなければならなかったのは、もっと別のことだった。
「私たちは、立ち向かわなきゃ、いけなかった。……よ、より良い未来を掴み取る、ために……がむしゃらになって、足掻かなきゃ、いけなかった」
勇者は立ち上がる。自らの体に鎖を巻き付けて無理やりにだが、それでもしっかりと、現状の困難に立ち向かうために立ち上がった。
もう間違えない。二度と過ちを繰り返さない。
造り出された女性は、生まれて始めて自身が何者であるかを口にする。
「私は『禁獄の勇者』椎奈! 人の手により生み出された人工勇者! 紛い物だけど、勇気をもって逆境に立ち向かう者! 私はもう逃げない! 私の責務を、本当の意味で果たす!」
だから! と彼女は言葉を続ける。黒髪の少年に向けて、今度こそ正しく定義付けてその一言を投げ掛ける。
「私を助けて!!」
それは、すでに告げられたものと同じ言葉。
けれど、込められた意味がまるで違う一言。
そこにはもう、破滅への道を突き進んでいく女性の姿はない。
困難を打ち破り偉業を成す勇気ある者の姿が、そこに在った。
造られたから、実験体だから何だというのだ。
道具なんかではない。
素材なんかではない。
そんな言葉で収められるほど、人の命は安くない。
彼女はこうして此処にいる。たしかに生きている。理不尽を覆してほしいと、まだ生きていたいと願う、当たり前の『個』を持って存在している。
『人工勇者計画』だの『百物語計画』だの、そんなもののために使い潰されていい理由なんて、どこにも有りはしない。
改めて自らを勇者と名乗った女性は言った。
小綺麗な博愛を並べて『自死』を選ぶのではなく、みっともなくとも逆境を打ち砕くために手を貸せと。
それは、つまり。
これからの先の未来を思い描いた言葉だ。
ならば今こそ言おう。
「承った」
自己犠牲なんかではない。
彼女自身が救われるための言葉なら、いくらでも力を貸してやると、そう意味を込めて。
そして。
椎奈の【勇者禁獄】によって拘束された肉塊は抵抗も虚しく、テレジアが撒いた『死臭の香』を一瞬で浄化してしまうほど純度を高めた神聖属性の魔力を放った阿頼耶とセツナによって跡形もなく消滅したのだった。




