第153話 どんな理由があったとしても
ズズン! という地響きが大地を揺さ振った。
黒で統一されたコート型の『夜天の鴉』を身に纏う黒髪黒眼の少年――雨霧阿頼耶は横目で震源に視線を向けると、いくつかの建物が倒壊するのが見えた。わずかに紫電が舞っているのも確認できる。
(アレはミオの【紫電清霜】か。セリカの方も終わったようだし、あっちの戦闘も終息しそうだな)
差し当たりそちらは問題ないだろうと、セツナと共に彼女が作った【魔力障壁】を足場にして空中を動き回りながら高速で腐屍悪鬼に攻撃しつつ、強化系レアスキル【並列思考】によって思考力が上がった頭でそう判断する。
(だが、こっちはそうもいかないか)
阿頼耶は視線を動かして、自分たちに程近い場所に向ける。そこではアイシャ・ターヒルを始めとした『モルタザカ』の三人が、裏切り者のマリアム・モフセンが使役する合成獣と骸骨騎士と戦っていた。クレハも参戦しているが、どうにも旗色が悪い。
というのも、阿頼耶とセツナが相手をしている腐屍悪鬼が時折り、クレハたちに向かって攻撃しているのだ。
阿頼耶とセツナが聖武具を使って抑え込もうとしてはいるものの、合成獣と骸骨騎士が腐屍悪鬼の体を登って加勢され、聖武具で攻撃しても再生され、さらには三倍ものレベル差がある。
完全に抑えることは難しい。
「善之助、十蔵、劉帆、みんなやられてしまったのね」
左右と背後に魔物を三体侍らせているマリアムは寂寥感のある声で言い、脱落してしまった同胞を悼んでいた。同じ目的を持って行動していたというのもあって、仲間意識があったらしい。
「『百物語計画』も失敗に終わった以上、勇者システムを破壊することはできない。けど、諦めないわ。私だけでも、目的を果たす!」
ビシッ! と調教用の鞭を地面に打ち付けると、左右にいた魔物が吠えた。それを合図に、周囲に蔓延る合成獣と骸骨騎士の群れによる攻撃の勢いが増した。
彼女のような並みの召喚師は一度に使役できる召喚獣の数には限りがある。五体も使役できれば充分優秀だ。三桁を超える数を使役できるのは、【召喚魔術】に特化した『召喚の巫女姫』のリリア・メルキュール・オクタンティスくらいなものだ。
ではどうしてマリアムは『召喚の巫女姫』でもないのに、これほどの数の魔物を支配下に置くことができているのか。
左右にいる二体の魔物が答えだ。
一体は骸骨騎士よりも凝った意匠の鎧を装備しているスケルトン――骸骨将軍。
もう一体は火の粉を蓄えたたてがみに炎を纏った巨躯の赤いライオン――炎獅子。
骸骨将軍は骸骨騎士の上位に位置する魔物だが、実を言うと単体での戦闘能力は骸骨騎士と然程変わらない。
しかし『将軍』の名の付く魔物には指揮系スキルを保有しているので、個の強さよりも集団を統率するのが厄介だという理由からAランク指定になっている。
炎獅子は単純に個としての力が強く、Aランクには届かないまでもそれに準ずる力を持っている。今は合成獣たちを威圧して上下関係を形成することで統率していた。
背後にいる魔物と腐屍悪鬼を合わせると実際には四体の魔物を操っているのだが、両サイドの魔物によって現実には三桁単位の戦力を動かしていることになる。
(上手いやり方だ。召喚魔術を扱い慣れている)
敵ではあるが、そこは素直に称賛する。
とはいえ、このままというわけにもいかない。戦闘が終わったらしき『天下五剣』や『六煌刃』はすぐに戦線復帰はできないだろう。この状況でアイシャたちの体力に限界が訪れてしまったら、戦闘はさらに厳しいものになる。
腐屍悪鬼自体もどうにかしなければならないので、戦いの流れをどうにかするためにもせめて敵の総数が半分くらいに減ってほしいところだ。
「……?」
そんなことを考えている時だった。巨大な腐屍悪鬼を相手に飛び回っているから気付くのが遅れたが、地表の辺りで何やら紫色の煙が広範囲に散布されているのが見えた。
(目晦ましのスモーク? 催涙ガス? はたまた毒ガス?)
可能性を列挙するが、【鑑定】で確認するとそのどれでもないことが分かった。そして【鑑定】によって視界に情報が表示されている中、空気よりも重い煙の発生源に不審な影を捉えた。
上位種の一つである『魔人』を示す浅紫色の長髪と瞳。
紫のカーネーションと黒い羽根で飾られた、唾広の魔女帽子。
谷間を強調するように胸元が大きく開いたロングワンピース。
丈の長いマントの裏側に取り付けられた無数のカラフルな薬品の入った試験管。
ネックレスやブレスレットといった、魔術的な補助の役割を持つ装飾品。
まさしく絵本の中の魔女を思わせる格好をした、どこか気だるげで面倒臭そうな雰囲気を出しているダウナー系の美女。辺り一面に立ち込める紫色の煙を、口に咥える煙管から吹かせる彼女の名前は、
「テレジア《キルケ》エアハルト!?」
テオドールが死力を尽くしてでも助けたかった魔女その人だ。
「クソッ! テオドールが逃がしたのね!」
すぐに事態を把握したマリアムが歯噛みして叫ぶが、その動きがピタリと止まった。『モルタザカ』の三名や共に戦っているクレハはおろか、腐屍悪鬼に攻撃を続けている阿頼耶とセツナも思わず目を見張る。
戦場を闊歩する合成獣たちが紫色の煙を吸って苦しんだ途端、次々と分裂して合成前の姿に戻っていったのだ。
「な、何で!? 一体何が!?」
「見ての通りさ」
と、狼狽えるマリアムに向かって初めて魔女の女性が口を開いた。
「急ピッチで仕上げた薬を使って、合成された動物どもを元の姿に戻しただけ。まぁ、強制的に戻しているから反動で例外なく気絶しているがね」
何てことないように言ったテレジアの言葉に、マリアムはわなわなと震える。
「そんな……だって、この合成獣たちはアナタの力で作ったもので……」
「おいおい、アタシは『秘薬の魔女』の名と力を受け継いだ選定者なんだけど。たかだか掠め取った程度の力で作った合成獣を、アタシが元に戻せないわけがないだろう?」
考えてみれば至極当然の話だ。元々は彼女の力、しかもその上澄みで作った合成獣だ。本来の力の使い手である彼女の手にかかれば、合成獣を元に戻すことなど造作もない。
「『秘薬の魔女』を舐めるなよ、お嬢ちゃん?」
挑発的な言葉にマリアムが顔を歪めるが、知ったことかと言わんばかりに視線を外した彼女は阿頼耶に向かって言葉を投げ掛ける。
「テオから話は聞いた。礼を言いたいところだけど、今は状況が状況。こっちはどうにかするから、そっちは任せて構わないな?」
「もちろんだ」
始めからこの腐屍悪鬼はこちらが受け持つつもりだった。彼女の提案は願ってもないことなので阿頼耶は快諾した。
返答に満足したらしい。テレジアは即座に行動に移す。
彼女は煙管の羅宇と呼ばれる煙を通すための管から雁首を取り外すと、マントの裏側に固定してある試験をいくつか取り出して羅宇の中に薬液を流し入れた。
どうやら普通の煙管ではなさそうだ。
煙管の雁首を付け直して、まるでカクテルのように振ってから再び煙を吐いた。効能が上書きされる。合成獣を分離させる紫色の煙から、腐りかけの果実のようなどこか甘さの残る香りがする白い煙に切り替わると、腐屍悪鬼の体を這い上がっていたり、『モルタザカ』たちやクレハを襲っていたりしていた骸骨騎士が揃ってテレジアへと矛先を変えた。
「なっ!? いきなりどうして……ちょ、言うことを聞きなさい!!」
マリアムが鞭を打って傍に侍る骸骨将軍に命令を出すが、骸骨騎士たちは全く言うことを聞かない。全ての個体が狂ったようにテレジアに襲い掛かる。完全に制御を失っていた。
「無駄だ」
骸骨騎士たちの攻撃を躱しながらテレジアは言う。
「今アタシが焚いているのは『死臭の香』だ。死体の臭いに引き寄せられて羽虫が群がるように、『死』の因子を強調することで同じ属性にいるアンデッドを引き寄せているのさ。これは本能や習性に起因するものだから、命令したくらいじゃあ制御なんてできやしない」
骸骨将軍のようにきちんと召喚魔術の支配下にあれば話はまた違った。けれど骸骨騎士は間接的に操っているだけでマリアムの召喚魔術の支配下にいるわけではない。本能を刺激されたら抗うことなどできないのだ。
テレジアは回避から攻撃に転じる。マントからさらに別の試験管を取り出してコルクの蓋を親指で弾くと、一気に呷って飲み干した。すると一瞬で彼女の右腕がゴリラのそれに変貌した。
妖艶な体には不釣り合いな剛腕を振るって骸骨騎士たちを粉砕していく。
そう言えば、と阿頼耶は思い出す。
(テレジアさんは『秘薬の魔女』の力を使って自分の体を変化させて戦うってテオドールが言っていたっけ)
クレハも骸骨騎士たちの掃討に参戦した。これで全体の負担が一気に減った。『モルタザカ』の三名も本命を相手に戦うことができる。彼女たちはマリアムに向かって駆け出した。
「くっ!」
骸骨騎士たちの制御を取り戻すことは不可能だと判断したマリアムは命令を変更。自身の周囲に侍る三体の魔物に迎撃させる。骸骨将軍と炎獅子、そして目も鼻もなく円周上に鋭い牙が並んだ、ミミズのような体をした魔物――サンドワームが突進した。
『モルタザカ』の三名はそれぞれで対応する。徐々に、だが確実に潮目が変わった。それが分かったマリアムは苛立たしそうに悪態を吐く。
「クソが!」
彼女の苛立ちに触発されたように、骸骨将軍、炎獅子、サンドワームの攻撃の勢いが増した。
それは腐屍悪鬼にしても同じで、口を大きく開けるとそこからバシュッと何かを射出した。反射的に阿頼耶とセツナが回避すると、射出されたものは射線上にいた数体の骸骨騎士を絡めて地面に張り付けた。
粘着質なそれの正体は蜘蛛の糸だった。
(被弾した骸骨騎士が抜け出せる様子がない。かなり強力な粘着性があるみたいだが、それだけだ。何かしら特殊な効果を持っているわけじゃない)
次は連続で蜘蛛の糸が射出された。それほど速くはないので躱すのは簡単だが、躱した分だけ戦場に撒き散らされる。今は骸骨騎士にだけ当たるようにしているが、いずれは味方に当たる。
加えて腐屍悪鬼は腰回りの地面に両手を付いている。蜘蛛の糸を当てるために上体を支えているというのもあるが、大穴から這い出ようとしているのだ。こんな巨体が好き勝手に闊歩されたら面倒だ。阿頼耶とセツナは攻撃から拘束へ切り替える。
「セツナ!」
「はい!」
腐屍悪鬼から距離を取った二人は魔術を行使する。阿頼耶は気力低下の効果がある鋼色の糸――中級の暗黒属性魔術【虚脱の鋼糸】で、セツナは浄化作用のある黄金色の鎖――中級の神聖属性魔術【聖浄の縛鎖】で腐屍悪鬼をその場に縛り付けた。
しばらくはこれで持つだろう。その間に打開策を立てなければ。
暗黒属性と神聖属性の魔術で行動を制限しているにも拘わらず、物凄い力で脱しようとする腐屍悪鬼を二人で抑え込んでいると、アイシャとマリアムの声が聞こえた。
距離を取った際に二人のいる方に近付いてしまったらしい。
「私は勇者システムを破壊しないといけないの! 邪魔をするな!」
「邪魔するに決まっているでしょ!」
炎獅子と戦う彼女は鋭利な爪や牙を二振りのシャムシールでどうにか逸らしながら、
「何で、どうしてナディアさんを殺したの!? アナタもナディアさんに救われたくせに!! 内乱の被害で村を焼かれてアナタを引き取ったのがナディアさんだったんじゃないの!? アナタ、昔、私にそう言ったじゃない!! アレは嘘だったの!?」
「その内乱が原因よ!」
彼女にとってもその話はタブーだったのか、マリアムは逆鱗に触れられたように怒りを露わにする。
「三〇年前! まだ私が小さかった頃に第七王子が起こした内乱の余波で私の村は無くなった!」
ジャウハラ連邦王国はいくつかの国が集まって成り立っている国家だが、傭兵国家として有名なジャウハラ国が大元になっている。そのいくつかの国からそれぞれ妃を娶るという形を取っているのだが、生まれた第七王子が王位を狙って反乱を起こした。
その被害は大規模で、当時まだ幼かったマリアムがいた村も被害にあった一つだ。
内乱に巻き込まれ、村を無くして唯一の生き残りとなったマリアムは、ジャウハラ連邦王国がまだ傭兵国家だった頃から存在していた傭兵部隊、後の連邦王国軍となる『モルタザカ』に属していた部隊員の一人のナディア・ムフタールに拾われたのだ。
だが、
「『貫穿の勇者』のアフマドは知っているわよね?」
「内乱を終わらせたっていう、あの?」
もちろんアイシャは知っている。五年ほど前に老衰ですでに死去しているが、内乱を終息に導いたとして国民から絶大な支持を得ていた老人の勇者だ。
「私の村は、アイツの攻撃で全員死んだのよ!」
なっ!? と、アイシャたち『モルタザカ』は驚愕する。思わず武器を振る腕の動きを止めてしまった彼女たちは、それぞれが相手をしていた魔物に組み伏せられる。
「第七王子が率いる反乱軍とアフマドが戦うと聞いて私たちは村から避難している最中だった。でも、その時にアフマドが攻撃を始めたのよ! 私は一番後ろにいたから難を逃れたけど、そのせいで村のみんなは死んだ!」
おそらくは誤射だったのだろう。『貫穿の勇者』も、進んで殺そうとしたわけではないはずだ。不幸な事故だったに違いない。しかしそれでもマリアムは許せなかった。
「勇者のくせに何の罪もない民間人を殺した! なのに誰も彼もがアイツを称賛する! あのクソジジイも、そのことを忘れたようにのうのうと生きて天寿を全うしやがった! 大好きだった両親も! 仲の良かった友達も! 親切にしてくれた大人たちも! みんな死んだのに、アフマドが殺したのに、紙の上の数字扱いをした!」
どれもこれも、アイシャたちの知らないことだった。真偽のほどは分からない。けれど、この局面で虚偽を語るとも思えない。決して表には出ることのない裏の真実が暴かれていく。
「告発しても誰も取り合わなかった! ナディアでさえ、動いてくれなかった!」
勇者の影響力を考えれば、一介の戦士がどれだけ糾弾したところで誰も真面に取り合わないのは明白だ。しかも物的証拠は何もなく、マリアムの証言だけ。狂言と断じられるのがオチだ。
「勇者ってだけで全ての行いが正当化される! 実際に被害を出したのに!! その全ては成果で無かったことにされる!! そんな馬鹿げた話がある!?」
我慢ならなかったマリアムは、具体的な行動に出た。
「だから『勇者システム』を壊そうと思ったのよ!」
立て続けに語られた真実に返す言葉がないのか、炎獅子の前足で踏まれて身動きが取れないアイシャは閉口する。
代わりに、近くで聞いていた阿頼耶が口を開いた。
「言いたいことはそれで終わりか?」
マリアムの言い分に腹を立てているらしく、彼の声には怒りが孕んでいた。
「アンタが『勇者システム』を壊したい理由は分かった。たしかに特別な存在だからって全ての行いが正当化されるのは間違っている。こういう時に『少数の犠牲』なんて言うのは、自分自身や自分の親類縁者がその少数に入ったことがないヤツらばかりだからな。正直、俺個人としても『勇者システム』を壊したい気持ちは分かる」
阿頼耶も、大切な幼馴染みたちや親友を無理やりこちらの世界に召喚した原因となった『勇者システム』には思うところがある。だから彼女の『勇者システム』を壊したいという気持ちには共感できた。
しかし、だ。
「だったらどうして、お前は何の関係もない人たちを巻き込んだんだ?」
一瞬、マリアムは何を言われたのか分からなかった。
「な、にを……」
「犯罪装置にされた妖怪種たち、殺されて武器を奪われた伝説級魔道具の所有者たち。その全員が、そうされるだけの理由があったとでも言うのか?」
ハッとアイシャたちが弾かれるようにして顔を上げた。
「そんなわけない。中には一般人だっていた。お前の言う『何の罪もない民間人』が、お前のせいで不幸な目に遭ったんだよ」
何かを言おうとして、しかしマリアムは口をパクパクさせるだけで何も言えない。
「清廉潔白であれとは言わない。だが、巻き込まれて不幸な目に遭ったから『勇者システム』を破壊したいというのなら、お前は絶対に他人を巻き込んじゃいけなかったんだ。それなのに恩人すらも裏切っておいて、偉そうなことを言うな。ナディアさんが動かなかったのだって、確実な証拠がない状態で糾弾なんてしたらお前が不敬罪で処断されかねないからじゃないのか」
「……っ」
「大望のためなら仕方ないと他人を巻き込んで不幸にした時点でお前は……お前が何よりも嫌った“怪物”と何一つ変わらないんだよ」
「い、言わせておけば!」
言い返せなかった時点でマリアムの正当性は破綻している。それが分かっているのかいないのか。破れかぶれに彼女は調教用の鞭を打ち鳴らす。命令の対象は腐屍悪鬼だ。
腐った巨体を震わせて腐屍悪鬼は拘束から逃れようともがくと、口を大きく開けた。また蜘蛛の糸を吐こうとしているのが分かった阿頼耶は、敢えて拘束を緩めた。限定的に行動の自由を得た腐屍悪鬼が蜘蛛の糸を吐く。
しかし、阿頼耶はただ拘束を緩めたわけではない。微妙にその方向を変えて調整していた。狙いはもちろん阿頼耶やセツナでもなければ、マリアムでもない。アイシャの上に乗っていた炎獅子だった。
勢いが強かったのだろう。蜘蛛の糸に巻き込まれた炎獅子はアイシャの上から弾き飛ばされ、地面に張り付けられた。となれば、当然アイシャは体の自由を得る。
「っ!?」
アイシャは弾丸のように駆け出してマリアムに肉薄する。鞭を振って迎撃しようとするが、アイシャのシャムシールによって弾かれて宙を舞った。目の前にまで接近して、アイシャは告げる。
「勇者を恨む気持ちは分かる。『勇者システム』を破壊しようって思うのも当然でしょうね」
肉親も、友達も、親しい人も殺された。それを見ていることしかできず、殺した犯人も勇者だからという理由で裁けなかった。彼女の抱えた苦しみは想像を絶する。アイシャも、それを十全に理解できるとは思わない。
代わりに、アイシャは後悔していた。
もしもマリアムの苦しみに気付いていたら、十全に理解できずとも、苦しみを分かち合うことはできたかもしれない。
もしもマリアムの口から抱えているものを聞くことができていれば、恩人に手を掛けるなんて真似をさせることもなかったかもしれない。
そういった思いが、アイシャの顔を苦しそうに歪ませる。
「だからって、受けた恩を仇で返して良いわけないでしょうがッ!!」
全てを押し込み、眦に涙を浮かべて振り下ろしたアイシャの刃は、マリアムの体を斜めに斬って捨てた。




