第150話 一〇〇の恐怖で現れるもの
アスラン《サンジェルマン》イドリスが殺された。
この事実を認識するのに、数秒という短いながらも実戦では致命的な隙となる時間を要した。
ザクロのように頭を潰されたアスランは床に倒れ、頭部と貫かれた心臓から大量に血を流している。
即死だ。
伝説だとサンジェルマン伯爵は不老不死の秘薬を飲んだことで、二〇〇〇年から四〇〇〇年生きていたとされる。
その力を受け継いだ選定者である以上、アスランも不老不死となっているはずなんだが、伝説にある不死性を持っていなかったのか、それとも不死性を有していても脳と心臓を破壊されたら復活できないのか。
いずれにせよ、アスランの命は絶えた。回復するような兆候は見られない。
頭を破壊したマリアム・モフセンは右手を振って鞭を手元に引き寄せて回収し、心臓を一突きにした馬劉帆は一振りして『ゲイ・ボー』に付着した血を払った。
ここに来て、流れが分からなくなった。
俺はてっきり、この四人はアスランの仲間で、彼が打ち出す計画のために暗躍してきたのだと思っていた。なのに三大国を裏切るばかりか、アスランさえも裏切った。分からない。この四人は、どういう立ち位置にいるんだ?
マリアムが自分に近付いて来た合成獣を優しく撫でる。アスランが死んだことで統率が失われるはずなんだが、どうやらマリアムが契約を横取りしているようだ。
「ヤマト、ヤン獣王国、ジャウハラ連邦王国に拠点を構えるゲノム・サイエンスは、建国のために様々な事件を起こしてきた。私たちもスパイとして事件を起こし、暗躍してきた」
警戒を強めながら、抱えていた椎奈を下ろして後ろへ下がらせると、マリアムの言葉に続くようにして馬劉帆と小野寺善之助と御子柴十蔵が順に語る。
「だが、俺たちは始めからアスラン《サンジェルマン》イドリスが掲げる建国なんてどうでも良かったんだ」
「俺らの目的は別にあんだよ。そのためにゲノム・サイエンスに潜り込んで利用させてもらったわけだ」
「そして準備は整った。もはやアスランもゲノム・サイエンスも用済みなのだ」
この四人は何かしら目的があった。そのためにゲノム・サイエンスに協力して数々の事件を起こし、元々所属していた組織を裏切るばかりか、潜伏先のゲノム・サイエンスまでも裏切ったってことなのか!
「させない」
情の欠片もない四人の行いに、俺は極夜の柄を強く握り締めた。
「お前たちの目的が何なのかは知らない。けど、裏切っちゃいけない人をことごとく裏切ってきたお前たちの目的を果たさせるわけにはいかない」
「ハッ! なら止めてみなよ!」
マリアムは魔法陣を展開して呪文を唱え始める。魔法陣から現れたのは、ナディアさんが持っていた『ミョルニル』を始めとした伝説級魔道具が九七個。そして、両手両足を縛られて拘束されている桜小路陽輪陛下だ。予想外の召喚に彼女は驚いた表情をしている。
下階にある保管庫から召喚したのか。
しかし、それだけに留まらない。どういうわけか、マリアムの召喚魔法陣が椎奈の足元にまで展開されたのだ。
「「「「「!?」」」」」
すぐ傍にいた俺はもちろんのこと、各々の武器を構えていた『鴉羽』の面々やテオドールと咲耶姫も一様に驚愕の表情を浮かべる。
嫌な予感がした。
即座に俺は椎奈を魔法陣の外へ出すべく手を伸ばしたが、その手が彼女に触れる前に魔法陣から膨大な魔力が吹き荒れて、俺たちのみならず三大国の精鋭たちまでも吹き飛ばしてしまった。
それぞれが空中で体勢を整えて床に着地するが(重量級のテオドールは床を滑るようにして後退していた)、その間にも準備は進められていた。
吹き荒れる魔力のせいで動けないでいる椎奈の周りには保管庫から召喚された九七個の魔道具と陽輪陛下が、わずかに発光して浮遊している。
何故か俺は、それがまるで蝋燭のようだと錯覚した。
「お前らが実験体四一七号を連れて来てくれて助かったぜ」
召喚のための呪文を唱えるマリアムに代わり、兜のない鎧武者姿の小野寺が言った。
「俺らの目的を達成するには実験体四一七号が必要だからな」
「何だって?」
どういうことだ? 何で、ここで椎奈が出てくる?
同じことを思っているのか、椎奈本人も困惑していた。
「『百物語計画』」
陣羽織をはためかせる御子柴が口にしたのは、俺たちが読んだ実験記録には記されていなかった計画名。
「妖怪種を攫ってその特性を利用して様々な事件を起こしたのも、伝説級魔道具の所持者たちを殺して回収して来たのも、アスランに『人工勇者計画』を推し進めさせていたのも、全てはこのため」
「一〇〇の事件を集約し、人工勇者を反転させて依代にすることで先代の七大魔王第四席『戦鬼』羅門を復活させる。不自然に生まれた勇者を使って、あり得ない形で魔王を顕現させることで、クソッタレな『勇者システム』に重大なエラーを起こして破壊する! これこそ俺たちがゲノム・サイエンスに潜り込んでいた理由! そのための『百物語計画』なのさ!!」
獰猛な笑みを湛えて劉帆が声高に宣言するのと同じくして、マリアムの詠唱が終わりを迎える。
「“来たれ! かつてその名を轟かせた七大魔王の四の席に座した者! 鈴鹿山に棲みし悪鬼! 一〇〇の怖れを糧にその姿を示せ!”」
直後、視界が闇で染まり、召喚による不可視の衝撃によって俺たちの体は地上へと押し上げられた。
体を叩くような重い慣性の力を受けて、三大国の精鋭たちが空けた穴から飛び出た後に訪れたのは、ふわりとした浮遊感だ。
周囲を見れば、地下二階分なんて優に超えて、地上五階分の高さまで打ち上げられている。俺たち『鴉羽』もそうだが、『天下五剣』と『六煌刃』と『モルタザカ』たちも同じように宙を舞っていた。
全員がレベル一〇〇を越えているとはいえ、【軽業】のスキルを持っている俺たちならまだしも、テオドールのように身軽さに自身のない者では着地に難儀する。
セツナが三大国の精鋭たち全員を対象に、衝撃緩和と速度軽減と姿勢制御の魔術を行使した。彼女は異なる属性魔術の同時展開だってこなす。同じ魔術を一一個ほど同時に展開するなど、魔道の申し子である彼女なら造作もない。
彼らの足元に魔法陣が展開されて無事に地上へ着地したが、三大国の精鋭たちやテオドールがセツナの魔術の力量に驚く暇なんてなかった。
俺たちの意識は、出てきた大穴に向けられていた。
そこには大きな人の形をした存在がいた。
長い黒髪を裂くように額からは鋭利な二本角が生えている。元は白だったんだろうが、着ている着物はほとんどが赤黒く染まっていた。周囲に撒き散らされる、鼻を突くような腐敗臭も酷い。
それもそのはず。人の形をしている『それ』は、かろうじて女性だと分かるほど体全体がドロドロに腐っていたのだ。
そのせいで獣人族である『六煌刃』たちは鼻が利きすぎるため、強烈な腐敗臭に顔をしかめている。ミオもわずかに眉間に皺を寄せていた。
体を腐肉で包まれた、見上げるほど巨大な悪鬼。それが、大穴から上半身だけを晒して這い出ていたのだ。
「オォ……オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
元がどうだったのかさえ判然としない崩れた顔をしている悪鬼は、まるで恨みを吐き出すかのように雄叫びを上げた。ビリビリビリッッ!!!! と大気を震わせるような雄叫びに俺たちは思わず手で顔を守るようにして防御体勢を取る。
……『百物語計画』、か。
たしか百物語は、一〇〇の怪談を語り終えると青行燈という鬼女の妖怪が現れるんだったか。日本伝統の怪談会のスタイルだけど、そのわりには起源は不明なんだとか。
それを応用して召喚したといったところか。
先代の七大魔王第四席『戦鬼』羅門は妖怪種の大嶽丸という鬼だったという話だし、鬼という共通項で紐付けしたのだろう。
一〇〇の事件を怪談に見立て、陽輪陛下の持つ三種の神器を合わせた一〇〇個の伝説級魔道具と陽輪陛下自身を触媒にし、人工勇者である椎奈を依代にすることで召喚した。
だが、そう上手くはいかなかったらしい。【鑑定】で確認すれば、腐屍悪鬼と表示されていて、魔物化していた。
召喚魔術の術式に不備でもあったのか、それとも何か不足している要素でもあったのか。それは分からないが、とにもかくにも先代魔王の復活は成されなかったわけだ。
魔王ではない点では安心したが、【鑑定】で分かった腐屍悪鬼のステータスレベルは三五五。一人当たりステータスレベルが八〇〇近くもある魔王ほどではないにせよ、気を抜いたら死ぬ。
腐屍悪鬼が動いた。
狙った理由は、一番動きが鈍いからか。ゴッ! と空気を押し出すような勢いで腐屍悪鬼の右の手のひらがテオドールに迫る。驚くテオドールは突然のことで防御が間に合わない。
すぐさまテオドールの前に立ち、聖剣状態の極夜で腐屍悪鬼の右手を受け止める。すると腐屍悪鬼は甲高い悲鳴を上げて手を引き戻した。
アンデッド系の魔物にとって神聖属性は天敵だ。極夜に触れた手は焼けただれている。効力は確かなようだが、しかし焼け跡は消えてしまった。
回復? いや、再生か。
レベル差もあるから、極夜だけだと少し心許ないかもしれない。
俺は『虚空庫の指輪』から聖剣『デュランダル』を取り出す。別の大陸とはいえ、聖戦時代を生きたティターニア女王の影響力は大きいのだろう。デュランダルを見て周囲が息を飲んだが、説明する暇はないので俺はデュランダルの刀身に神聖属性の魔力を灯した。
視線を上げれば腐屍悪鬼の両肩に乗っていたマリアムたち四人組が降りるところだった。地下にいた合成獣と骸骨騎士も、腐屍悪鬼と大穴の隙間からぞろぞろと這い出ていた。
「テオドール、お前は地下に戻れ」
「何を言っておる! このようなものが召喚された以上、見過ごすことなどできるわけがなかろう!?」
テオドールが目の前の危険性を訴えるが、聞く耳なんて持たない。初級の闇属性魔術【影鞭】を唱えてテオドールを縛り上げる。
「お前が第一に考えなきゃいけないことはなんだ? テレジア《キルケ》エアハルトを救い出すことだろ。優先順位を間違えるな」
それでも異を唱えようとしていたので、俺は有無を言わさず【影鞭】を操って彼を大穴へと放り投げる。それと同じタイミングでマリアムが指示を出したようで、合成獣と骸骨騎士たちが襲い掛かってきた。
合成獣と骸骨騎士の頭上を越えて大穴へと落ちるテオドール。すると、そんな彼を追うようにして『灰色の闇』の一人が大穴へと跳び下りていった。
「クレハ?」
「メンバーを一人サポートに付けましたわ。地下にはまだ合成獣と骸骨騎士がいますから、迅速に地下三階の保管庫に向かうためにも人手は必要ではなくて?」
襲い掛かる合成獣と骸骨騎士を迎撃しつつ問い掛ければ、スカーフとフードで顔のほとんどを隠しているクレハの言葉に、そういうことかと納得する。
クレハがナイフを放って合成獣の両目を潰し、その隙に『ロビン・フッドの弓』で脳天に矢を射ってとどめを刺したセリカが不思議そうに訊ねてきた。
「しかしよろしかったのですか、ご主人様? 彼の防御力はおそらく私たちの中でもトップです。いてくれれば心強いと思いますが」
「テオドールにはテオドールの目的がある。仕方ないさ」
利害の一致からこれまで行動を共にしていたが、俺たちが優先すべきものとテオドールが優先すべきものは違う。協力関係にあるからといって、その辺りを間違えてはいけない。
ともあれ、あの腐屍悪鬼はここで倒さないといけない。近くには帝都があることも考えると、ここが最終防衛ラインになる。
視線を向け合うと、ミオ、クレハ、セリカは三大国の精鋭たちにも襲い掛かっている合成獣と骸骨騎士の群れを相手するために散開し、『灰色の闇』の残り二人は咲耶姫を守るために戦場から離れる。
腐屍悪鬼を狩るのは、もちろん聖武具の使い手である俺とセツナだ。
後ろ腰のホルスターから聖銃『サンダラー』を抜き、神聖属性の魔力を灯す。聖武具を手に、俺とセツナは腐屍悪鬼に攻撃を仕掛けた。
◇◆◇
雨霧阿頼耶によって大穴へと投げ込まれた純血の巨人族――テオドール・クロイツァーは落下の衝撃でクラクラする頭を振っていた。
「彼奴め。切迫した状況だったとはいえ、もう少し丁寧にできんのか」
苦言が出るが、それも当然なくらい阿頼耶の扱いは雑だった。
グルルッ、と呻き声がした。見遣れば、多数の合成獣が円形になってテオドールを囲んでおり、その外周には骸骨騎士がいる。
落下してきたことに驚いて様子見をしているらしいが、合成の過程で凶暴性を引き上げられているようだ。すぐさまテオドールに飛び掛かってきた。
迎撃すべく右肩に懸架した大剣を抜こうとするも、それよりも先に合成獣たちは頭上より飛来してきた、クレハと同じように口元をスカーフで覆い、フードを目深に被って個人を特定できないようにしている暗殺者によって切り裂かれた。
「っ!?」
舞う合成獣の鮮血に目を剥くテオドール。
「クレハ様の命により、助力する」
両手にナイフを持つ暗殺者の男がそう告げる。クレハというのが阿頼耶の仲間の暗殺者であることはテオドールにも分かっている。その仲間がここに来たということはつまり、
(優先順位を間違えるなと言っておきながら、こちらに戦力を割いてくれるということか。お人好しな少年だ)
厳しい言葉を言いながらもこちらを気遣うその心にテオドールは感謝の念が尽きない。
ふと、テオドールは頭上の大穴に視線を向ける。
(彼奴、ティターニア女王陛下が保管していたはずの聖剣『デュランダル』を使っておったな。ということは、彼奴は『大帝』アドルファス様と『聖騎士』ミシェル・ローラン様の息子殿なのか)
デュランダルが二人の救世主の息子でないと封印を解くことができないというのは広く認知されていることだ。そのため、デュランダルを扱うということは二人の息子であることを示しているに他ならない。
(デュランダルの封印が解かれたという話はまだ伝わっておらんが……各国の上層部にはすでに伝わっておるのだろうな)
他国に間者を放つのは当たり前のことなので、どの国の上層部もすでに通信用魔道具なりを使って一報は得ているだろう。
ただ、阿頼耶がデュランダルの封印を解いてからまだ九日しか経っていないので、大陸を越えてとなると一般市民にまで伝わるのはまだ先になる。テオドールが知らないのも無理はない。
とはいえ、それも時間の問題だろうが。
(まさか、かの救世主の息子殿に会えるとは思わなんだ)
長生きはするものだな、と思いつつテオドールは手を貸してくれる暗殺者を伴って、合成獣と骸骨騎士を蹴散らしながら地下三階の保管庫へと向かった。




