第149話 裏切りの凶行
天井が崩れた瞬間、俺は目の前にいた椎奈を、咲耶姫は傍にいたクレハが抱え、全員でその場を飛び退いた。
凍て付いた銀世界の実験場へと雪崩れ込んできたのは二つの勢力。
一方は、『天下五剣』と『六煌刃』と『モルタザカ』の、東方三大国が誇る計一四人の精鋭たち。全員が傷付き、疲弊している。サポートに回ってもらっていたクレハ配下の『灰色の闇』の三人もいたはずだが、それでも苦戦を強いられたか。
もう一方は、サンジェルマン伯爵の力を受け継いだ錬金術師系選定者であるアスラン《サンジェルマン》イドリスと、彼が率いる合成獣と骸骨騎士の軍勢。アスランと共に地上へ赴いた助手の姿が見えないとなると、三大国の精鋭たちによって倒されたようだ。
夜月神明流の開祖の夜月千鶴の姿はない。というのも、三大国の精鋭がこちらに来る以上は戦力の配分を考えると、彼女が三大国の重鎮たちを守るために帝都に残る必要があったかららしい。本来なら咲耶姫も帝都で待機していなければならなかったんだが。
「チッ」
忌々しそうに舌打ちをしたのは、豪奢な金属質の杖を手に持ち、合成獣と骸骨騎士の軍勢を周囲に侍らせて三大国の精鋭たちを牽制する白衣を着た老爺のアスランだ。彼は俺たちの姿を認めると、あからさまに不愉快そうな顔をした。
「テオドール、実験体四一七号。貴様ら、裏切りおったな。こんな深部にまで侵入させよって。しかも実験体四一七号。貴様、何だその体たらくは。まさか、負けたのではないだろうな?」
怒気を滲ませる言葉に椎奈は答えなかったが、その沈黙がアスランの問いを肯定していた。
「何てことだ。まさか儂の人工勇者がそんな小僧に負けるとは。……これでは全てが台無しではないか!」
人工勇者という単語と、それを椎奈に向けた言葉で三大国の精鋭たちは椎奈が人工勇者であることを察したようで、ギョッと目をみはった。
「半世紀も掛けて生み出した人工勇者が無名の戦士に倒されるとは……想定していた勇者の実力に遠く及ばない。人工的に勇者を生み出すなど、土台無理な話だったか。建国が遠のいてしまった。別の方法を模索せねば」
人工勇者は失敗に終わった。そう結論を出しても建国は諦めず別の手段で達成するつもりか。それがどういった手段かは分からないが、これまでの実験からして碌なものではないのは明白だ。
「ともあれ、まずは貴様らを始末することが先決か。実験体四一七号とテオドール共々、まとめて廃棄処分してやる」
「やれるとでも思ってるのか?」
アスランに反論したのは『天下五剣』筆頭の古手川宗次郎さんだ。彼は『童子切安綱』を構えた状態でアスランを見据えて言う。
「お前らは終わりだ。ゲノム・サイエンスが密かに保有していた戦力は俺たちで大幅に削いだ。残った戦力とここにいる合成獣と骸骨騎士で巻き返せるわけないだろ」
古手川さんの言う通りだ。
ここにゲノム・サイエンスが違法に保有した戦力がやって来ないことからみて、こちらに迎えるほどの戦力が残っていないということだ。そんな残り少ない戦力で、一人当たりAランク冒険者相当の実力者が一四人に、俺たち『鴉羽』とテオドールと椎奈もいる状況で巻き返すのは難しい。
戦闘系の選定者ならまだしも、錬金術師系選定者で戦闘が得意ではないアスランならば尚のことだ。
誰がどう見ても明らかに劣勢の状況。だが、それでも年老いた錬金術師は動揺一つ見せなかった。
「ふん。これだから頭の足らん連中は嫌いなのだ。そんなことが分からずに廃棄処分すると言ったとでも思ったのか? 愚物め。分かった上で言ったということは、それができるだけの算段があるということだ!」
バッ! とアスランは片手を上げる。それを合図に動く影があった。小野寺善之助、御子柴十蔵、マリアム・モフセン、馬劉帆の四人だ。彼らは『天下五剣』、咲耶姫、『六煌刃』、『モルタザカ』をまとめて狙う。
狙われた全員が驚愕に顔を歪める。予想外の人物による攻撃に反応が遅れたが、彼らが傷を負うことはない。その前に、それぞれに配していた暗殺者装束を身に纏った『灰色の闇』の三人と咲耶姫の傍にいたクレハが割って入ることでその凶刃を防いでみせた。
ガキィィンッッ!! と重い金属音が鳴り響き、舌打ち混じりに四人は即座に離れる。
アスランの隣に立つ彼らに警戒心はまるでない。始めからこういう関係だったと、無言で告げていた。
突如自分たちに刃を向けた明確な裏切り行為に、三大国の精鋭たちは驚きを隠せないでいる。動揺がないのは、あらかじめそうだろうと予想を立てていた俺たちくらいなものだ。咲耶姫にしても、俺たちから予想を聞いていたので、どちらかというと驚いているというよりは悲しそうな顔をしていた。
「やっぱり、お前たちが内通者だったか。即位式の襲撃を成功させるために警備にわざと穴を空けたのも、ナディアさんを殺したのも、お前たちの仕業だな?」
「な、何を言っているの! マリアムが内通者だなんて、そんな……!? あ、あり得ない! だって、彼女も私たちと同じようにナディアさんに救われたのよ!?」
「そうだ! 善之助と十蔵は僕と一緒に御剣衆に入った幼馴染みでもあるんだぞ! 二人のことは、僕が一番よく分かっている! 一体、何の証拠があってそんなことを言っているんだ!」
食って掛かってきたのは二振りのシャムシールを手に持つ踊り子のような格好をした褐色肌に金髪の少女のアイシャ・ターヒルと、『鬼丸国綱』を持つ詰襟シャツの上から着物を着た眼鏡の美丈夫の安心院小太郎だった。
俺の言葉を受け入れることができないのだろうが、実際に彼らはあの四人から攻撃をされた。そのことが何よりの証拠である。だからか。言葉とは裏腹に狼狽えており、強く否定もできていない。
それはこの二人に限った話ではなく、他の『天下五剣』、『六煌刃』、『モルタザカ』のメンバーも程度に差はあれ動揺していた。
「何を思ってそう判断したの?」
対する裏切り者の四人は、彼らを一顧だにしない。知ったことかと言わんばかりにマリアムが俺に視線を向けて訊ねてくる。
「こっちの攻撃が防がれた以上、内通者が私たちであることに確証を持っていたってことでしょ? だから攻撃を防ぐことができた。でも、どうして分かったの? 内通者がいるってことに気付いたとしても、私たちに繋がるような証拠は残さなかったはずだけど」
「不自然な点はいくつかあった。例えば、ナディアさんが死んで悲しんでいた時」
「それの何が不自然だっていうの?」
「アンタの悲しみ方は教科書通り過ぎたんだよ。かつて自分を助けてくれた恩人が殺されたなら、もっと心が引き裂かれるものだ。死体を抱えて姿をくらまそうとしたり、近付く相手を手当たり次第に犯人呼ばわりしたり、暴れ回ったりしてもおかしくない。……それこそ、アイシャさんたちが俺を犯人呼ばわりしたようにな」
マリアムは悲しみながらも周りに当たり散らすことはせず、犯人自身にその怒りをぶつけるべきだと冷静に他の『モルタザカ』のメンバーを宥めていた。人間味がないくらいに、理想的な悲しみ方だったのだ。
不自然な箇所は他にもある。
「ナディアさんは心臓を一突きにされ、肩から腰にかけて袈裟で斬られて真っ二つにされていた。古手川さんの話だと、そんな凄惨な死に方をしたっていうのに、ナディアさんの遺体には防御創がなく、心臓は背後から刺されて貫通していたらしい」
これはナディアさんが殺害された現場から皇居へ移動する時に彼から聞いたことだ。
「つまり、ナディアさんは警戒するまでもない相手と会っていて、警戒心が緩んだ時に心臓を背後から刺されたことになる。おそらく、マリアムがナディアさんの所に赴いて、油断した隙に一緒に警備をしていた劉帆が魔槍で刺したんだろ」
現場で劉帆が重傷で見付かったのは、疑いの目を自分から逸らすためだろう。
「じゃ、じゃあ裏切り者はその二人ってことだろ? 善之助と十蔵は関係ないじゃないか!」
絶望に染まった顔をする『六煌刃』と『モルタザカ』のメンバー。安心院さんは幼馴染みを庇いたいがために食い下がってくるが、俺は頭を振る。
残念ながら、小野寺善之助と御子柴十蔵を内通者だと疑う理由はあるんだ。
「大典太光世はその効力から、雀が近付くと急死するという逸話がある。殺害現場に雀の死骸がいくつか転がっていたことから察するに、ナディアさんを真っ二つにしたのはその所持者である御子柴十蔵だ」
そしてもう一人の内通者、小野寺善之助を疑った理由は、
「即位式が襲撃された時にステータス低下の呪いを掛けられたという話だったけど、それを解呪できなかったのも怪しい。確かに神聖属性の魔力だけで上級の暗黒属性魔術を祓うことはできない。けど、魔除けの守り刀とも称される破邪顕正の刀である数珠丸恒次ならできたはずだ」
それをしなかったのは、呪いを解いてしまえばせっかく上級の暗黒属性魔術でステータスを低下させたのが無駄になり、さらに警備体制が強化されてしまうからだ。
俺の説明を聞き終えると、安心院さんは絶句したように言葉を失ってしまった。
パチパチパチパチ、と心が締め付けられるような悲しい空気には似つかわしくない拍手の音が聞こえた。
「お見事。大した推理力ね。よく見ているわ。大当たりよ」
嗜虐的な笑みでマリアムは拍手喝采する。見れば、馬劉帆、小野寺善之助、御子柴十蔵の三人も楽しそうに笑みを浮かべていた。すでにその凶刃を振りかざしたからか、隠す気も取り繕う気もないようだ。
「もう良いだろう」
と、そこでアスランが割って入った。
「不意打ちは失敗に終わったが、見ての通りだ。これで形勢は逆転した」
こちらはテオドールと椎奈を含めた俺たち『鴉羽』と『天下五剣』の三人、『六煌刃』の四人に『モルタザカ』の三人を合わせた計一七人。
向こうは選定者のアスラン《サンジェルマン》イドリス、召喚師のマリアム・モフセン、魔槍使いの馬劉帆、聖剣と同じく神聖属性の力を有する霊刀の所持者である『数珠丸恒次』の小野寺善之助と『大典太光世』の御子柴十蔵、そして合成獣と骸骨騎士が多数。
数的には向こうが有利だが、合成獣と骸骨騎士に関しては然程強いわけではないので総合的な戦力はほぼ互角。形勢逆転と言い切るには至っていない。
にも拘わらず言い切ったのは、三大国の精鋭たちのコンディションのことを指摘しているからだ。仲間だと信じていた者たちからの容赦のない裏切りにあった彼らの胸中は察して余りある。
裏切られた直後の心理状態で、普段のように万全の状態で戦えるわけがない。大なり小なり迷いが生じる。そして迷いは刃を鈍らせる。彼らほどの手練れなら指摘するまでもなく理解しているようで、アスランの言葉に反論できなかった。
「さぁやれ! 我らの往く手を阻む邪魔者どもを始末するんだ!」
「邪魔者はアナタもですよ、アスランさん」
「は?」
疑問の声を発した直後だった。空気を裂くような鋭い音を奏でるマリアムの鞭がアスランの頭蓋を弾き、劉帆の『ゲイ・ボー』がその心臓を穿ったのだった。




