第148話 たとえ憎まれようとも
猛烈な勢いで『海魔烏賊の触鎖』が俺に殺到する。努めて冷静になる俺は彼女から視線を逸らすことなく横に躱して駆けた。
回避した鎖は防災用隔壁にぶつかるが、破壊されることはなかった。どうやら勇者の戦闘力にも耐え切れるほどの強度で作られているようだ。
隔壁の向こうではミオが物理的な、セツナが魔術的な鍵を開けているところだろうが、この分だと鍵の方もかなり強固と見るべきだ。開錠には時間がかかるだろう。
「それまでは一人で戦わないといけないな」
実験場内を駆けながら小さく呟いて椎奈を見る。
大きく開いた左右の袖口からそれぞれ五本、計一〇本の鎖を出していた。クラーケンという、イカの魔物の名を冠しているのに今まで一本ずつしか出していなかったことを不思議に思っていたが……それだけ本気、ということか。
椎奈が左手をこちらに向けると、深い青色の鎖が四本ほど射出された。
一本目を側転で避け、着地の瞬間に迫ってきた二本目と三本目を極夜で打ち払い、四本目を軽く跳んで躱す。床に刺さった四本目を足場にして疾駆するも、椎奈は慌てない。今度は右手側の鎖で攻撃してきたので、それも極夜で弾いて椎奈の間合いに入る。
極夜を振るうが、残った左右一本ずつの鎖で受け止められてしまった。
「チッ」
鎖による中距離攻撃が得意なのかと思ったら、近距離攻撃にも対応できるのか。
「――【氷柱の牙】」
魔法陣が展開され、彼女が中級の氷属性魔術の術式名を唱えると鋭利な氷柱が空中にいくつも生成され、一斉に俺に向かって襲い掛かってきた。跳んで躱して、バックステップで後退する。
「――【氷の剣山】」
「――【影の剣山】」
間合いを開けて仕切り直そうとしたが、それを許さないかのように椎奈は【氷柱の牙】を解除して初級の氷属性魔術に切り替えた。床が凍て付き、俺を追い掛けるように太い棘のような氷が次々と生えてきたので、俺は影の棘でそれを迎撃した。
影と氷がぶつかり合い、影は霧散して消えて氷は砕けて相殺される。
「――【凍て付く矢】」
斬り込もうとしたが鎖で阻害され、次は上級の氷の矢が襲い掛かってきた。
よほど扱い慣れているのか、魔術を発動するまでのタイムラグが短い!
【凍て付く矢】は着弾点から凍結させてしまうので、安易に打ち払うと極夜の刀身も凍ってしまう。
「――【大地の突撃槍】」
なので、初級の土属性魔術を囮に使う。
放たれた土の槍が氷の矢を迎撃し、瞬時に凍り付いて床に落下した。だが直後に『海魔烏賊の触鎖』が迫っていた。
氷の矢を隠れ蓑にしたのかっ。
絶妙なタイミングで来た鎖を、体を回転させることでギリギリ躱す。回りながら極夜の刀身に魔力を込め、振り向き様に【飛剣】を放った。
「っ!?」
驚く椎奈は『海魔烏賊の触鎖』を鞭のようにしならせて【飛剣】を弾いた。でもこれは想定通り。彼女を殺さず動けないようにするには、足を狙うべきか。
判断を下した俺は龍と人の割合を二対八から三対七に変更。一気に椎奈に肉薄し、床すれすれを滑り込むようにして足を狙って極夜を振り抜いたが、俺の攻撃は空振りに終わってしまった。
俺の攻撃を察知した椎奈が『海魔烏賊の触鎖』を四本床に打ち込んで自らの体を持ち上げてしまったからだ。
体勢を立て直して椎奈を見上げる。かなり高い。刀の間合いの外だ。槍でも届かないだろう。
「ふざけているの?」
俺を見下ろす椎奈は苛立ちを含んだ声を放った。
「さっきの攻撃、私を殺すものじゃなかった。言ったよね? 私たちに残された時間は少ない。これ以上の犠牲者を出さないためにも、私は死ぬ必要があるって。……もっと本気になってよ」
自身の体を支える四本以外の六本の鎖に、椎奈は水を纏わせた。『海魔烏賊の触鎖』の持つ【水属性】の効果だろうが、ただ水を纏わせただけじゃない。まるでドリルのように回転している。
ギュンッと削岩機のような六本の鎖が猛烈な速度で放たれるが、俺はそれを躱す。今までは床に突き刺さる程度だったが、今度は鎖の通った軌跡を描くように床が抉られた。
後ろへと流れた鎖が方向転換して追撃してきた。それらを夜月神明流歩法術初伝【夜歩き】でステップを踏んで躱していき、一本を極夜で軌道を逸らす。水のドリルが付加されているせいか、攻撃が重い。
「このっ」
攻撃を防いだことで飛び散る水が顔にかかるのも厭わず、俺は極夜を押し込んで鎖を弾き返す。構え直して攻撃に転じようとしたところで、不意に胃が蠕動し、全身が痺れを発した。
「っ!? ゲホッ、ゴホッ!」
たまらず体をくの字に折り曲げて咳き込むと、血が滲んでいた。
何だ、これ? 何がどうなって……?
『報告。椎奈様の弱体化系レアスキル【麻痺の猛毒液】により【麻痺】と【猛毒】の状態異常になりました』
麻痺と猛毒? そんなのいつの間に……まさか、さっきの鎖に纏わせた水。あれはただの【水属性】によるものじゃなくて、【麻痺の猛毒液】だったってことなのか!
「クソッ」
強い。分かっていたことだけど、勇者だけあってそれに見合う強さを持っている。一〇本の鎖と魔術による間断のない攻撃もそうだし、こちらから攻めても簡単に防御してしまう。それに加えて弱体化系スキルも織り交ぜてくる。
内向的な性格をしているから見誤っていた。普段からおどおどしているせいで頼りなさそうに見えるが、今まで勇者として活動してきただけはある。性格に似合わずガンガン攻めてくるじゃないか。
こちらも本気でやらないとやられてしまう。けど、だからって彼女を殺すわけにはいかない。
――コモンスキル【雷耐性】がレアスキル【麻痺耐性】に進化しました。
――コモンスキル【毒耐性】がレアスキル【猛毒耐性】に進化しました。
打開策を考えていると、久々にアレクシアのアナウンスが聞こえてきた。おそらく強化系ユニークスキルである【龍の栄光】が適応してくれたのだろう。苦しさと痺れがなくなって楽になったのはありがたいが、あまり手放しで喜べない。
コモンスキルからレアスキルに進化したということは、【毒耐性】や【雷耐性】では防げないほど危険だったということなのだから。
状態異常から復活して平気そうにしている俺を見て、椎奈は訝しげに眉をひそめた。
「スキルが効いていない? おかしいな。大抵の魔物ならすぐに死ぬんだけど……なら、これはどう?」
言うや否や、今後は霧が散布された。弱体化系レアスキル【宿酔の濃霧】だと分かったが、こんな閉鎖的な空間じゃ逃げ場がない!
あっという間に逃げ場を失って霧を吸い込んだ瞬間、ぐらりと視界が揺れた。平衡感覚が狂い、地面に手を付く。加えて強烈な眠気が襲ってきた。
――レアスキル【酩酊耐性】を獲得しました。
――レアスキル【睡眠耐性】を獲得しました。
が、これもすぐに治まった。スキルの獲得、ということはスキル獲得難易度低下の効果を持つ【創造神の加護】が働いたか。極夜が報告するよりも早い対応速度だ。
弱体化系スキルがレジストされたことを察知した椎奈は、次から次へと所持している弱体化系スキルを放ってきた。
だがレアスキル【病焔の沼地】に落とされて【衰弱】と【熱傷】の状態異常になっても、
――レアスキル【衰弱耐性】を獲得しました。
――レアスキル【炎熱耐性】を獲得しました。
エクストラスキル【三重の束縛】の紐で絡め取られて【拘束】と【呪縛】と【脱力】の状態異常になっても、
――レアスキル【拘束耐性】を獲得しました。
――レアスキル【呪縛耐性】を獲得しました。
――レアスキル【脱力耐性】を獲得しました。
どんどん耐性系レアスキルを獲得していき、エクストラスキルにすら対応していく。
「凄い。効果が効いているかと思ったら次の瞬間には平気な顔をしている。……さすが異世界人だね」
俺が強くなればそれだけ椎奈の目的に近付くからか。彼女は対応されて徐々に打つ手を失っているはずなのに、むしろ満足そうな顔をしていた。
「その調子で私たちを助けて。――【海王の激流】」
『海魔烏賊の触鎖』を手元に引き寄せた彼女は手のひらをかざし、真下に中級の水属性魔術の魔法陣を展開する。そこから大量の水が噴き出し、荒れ狂う激流が津波となって実験場全体に広がった。
津波の威力は馬鹿にならない。たかが膝よりも低い三〇センチ程度の高さでも歩くことが困難になり、五〇センチだと成人男性だって流されてしまう。一〇〇センチともなれば立つこともできなくなる。
俺も龍の割合を増やして強化しているとはいえ、不意を突かれてしまっては成す術がない。対応する前に俺は呆気なく波に呑まれてしまった。
体が波に攫われるが、どうにか極夜を床に突き刺すことで流されるのを防ぐ。けど水の勢いは激しくて体勢を立て直せない! このままじゃ格好の的だ! 自滅覚悟だけど、仕方ない!
「――【勇猛なる火炎】!」
中級の火属性魔術【大いなる火炎】の強化版である上級の火属性魔術を激流に打ち込む。直後、凄まじい爆発が俺と椎奈に襲い掛かった。衝撃で俺と椎奈と吹き飛ばされ、実験場の壁へ強かに背中と頭を打ち付けた。
ガハッ! と肺から息が強制的に排出されて咳き込むが、痛む体に鞭を打って極夜を杖代わりにしてどうにか立ち上がる。
水蒸気爆発。
水が高温の物質に接触することで急激に気化し、高温・高圧の水蒸気になることで発生する爆発現象なのだが、それを俺は【勇猛なる火炎】を【海王の激流】にぶつけることで再現したというわけだ。
目論見通り【海王の激流】から逃れることはできたが、少々やり過ぎたかもしれない。頭から血が出ているし、すぐに対処したとはいえ一度は弱体化系スキルを食らっているからちょっとダメージを受けすぎた。
龍の回復力で傷自体はすぐにふさがるだろうけど、さすがに無くなった血やスタミナまでは元に戻らない。【疲労回復】という光属性魔術を使えばスタミナを回復することもできるが、残念ながら俺は光属性の適性はないので使えない。
スキルはスタミナを消耗する。しかもコモン、レア、エクストラ、ユニークと等級が上がればそれだけ威力や性能は強力なものになるが、その分だけ消耗も激しくなる。椎奈の弱体化系スキルに対処するためにいくつものレアスキルを獲得して状態異常を防ぎ、ユニークスキル【龍の栄光】でスキルを進化もさせた。
いくら龍族の馬鹿げたスタミナがあろうとも、こうも立て続けにスキルを使わされたらすぐにスタミナ切れになってしまう。
まぁ、それはレアスキルとエクストラスキルを連発している向こうも同じはずなんだけど。
わずかに息を切らせながら顔を上げて見渡すが、蔓延する高温の水蒸気のせいで状況を確認できない。
「――【凍て付く荒波】」
椎奈の声の直後に実験場内の温度が急激に低下した。
雪崩のように吹き荒ぶ冷気によってパキパキパキッと凝結する音が響き渡る。極寒の冷気で限られた範囲を凍らせる【凍て付く荒波】による影響か。立ち込めていた水蒸気は晴れ、床も壁も天井も凍り付いてしまった。
あちこちには天井と床を繋げるように氷柱までできる始末だ。おそらくは視界不良状態での奇襲を警戒しての行動なのだろうが、上級の範囲攻撃魔術で一掃するなんてな。あっという間に銀世界と化してしまった。
――レアスキル【氷冷耐性】を獲得しました。
――【炎熱耐性】と【氷冷耐性】の獲得を確認。エクストラスキル【熱変動耐性】へ統合進化しました。
上級の氷属性魔術の影響で体が震えて手もかじかんでいたが、獲得した耐性系エクストラスキルが作用して体温が戻って手のかじかみも治まった。
チリッと、うなじの辺りが焼けるような感覚がした。
上を見上げれば、いつの間にか椎奈がこちらに向かって高く跳躍しており、一〇本の鎖を編み込んで作った四角い楯を思いっきり叩き付けて来た。極夜で防ぐとズンッと思い衝撃が全身に降り掛かる。
さっきの水蒸気爆発。あれもこうやって楯を作ることで衝撃を防いだのか!
「ほらほら。私たちを助けてくれるんでしょ? なら、早く私たちを殺してよ。それでみんなが助かるんだから」
みんなと言いつつも、その中に自分たちを入れていない彼女の言葉が俺の胸を射抜く。破滅への道を突き進んでいく彼女たちに俺は奥歯を噛み締めた。
考えろ! 思考を止めるな!
彼女たちは、勇者シリーズのユニークスキルのせいで命を食われ続けている状態だ。培養槽にいる九九人のホムンクルスたちは霊的パスを切断して改めて調整すれば寿命は復活するけど、残りの寿命で調整が間に合うかは不明だ。
椎奈の場合は霊的パスを切断した瞬間にスキルに食い潰されるし、椎奈自身が極めてイレギュラーなホムンクルスだから、スキルを剥がすことができたとしても他のホムンクルスたちと同じように調整して寿命が戻る保証はない。
そもそもスキルを剥がす方法も分かっていない。
これらの問題をクリアしないと彼女たちは生き延びることができない。
何か方法を考えない、と…………あれ? 待てよ? 彼女は、期限付きではあるが霊的パスを繋げて生命力を賄うことで存命している。つまり生命力を賄うものがあれば生きていられるということ。なら、その生命力に変換できる力さえあれば……そう、例えばアレとか……。
思考はそこで途切れた。
突如、床スレスレの虚空から現れた白い鎖が俺の足に巻き付き、乱暴に振り回されて床に叩き付けられたからだ。
「ぐっ!」
何とか受け身は取ったが、苦悶の声が漏れる。全身に痛みが走る中、同時に俺の頭へ精神を揺さぶるような何かが流れ込んできた。一度経験したことがある。これは、バルムンクに精神攻撃された時と同じもの。つまりは怨念の状態異常か。
クソッと衝動的に頭を振るが、当然そんなことでは頭に響く怨嗟の念を払拭できるわけがない。
俺の足から離れる白い鎖のジャラジャラと鳴る音が随分と遠く感じる。深い青色じゃないから『海魔烏賊の触鎖』じゃない。アレは一体何なんだ?
浮かんだ疑問には、自らの周囲に両袖から出した深い青色の鎖と虚空から出した白い鎖をのたくらせるように漂わせている椎奈が答えた。
「【勇者禁獄】。封印・束縛・拘束・制限といった弱体化系に特化したこの勇者シリーズのスキルは獲得者によって十字架、釘、杭、手錠、箱、縄など様々な形で顕現する。私の場合は鎖だね。……魔術とは違って弱体化系や強化系スキルは一度に複数のスキルを一人の相手にかけることはできないっていうのに、複数の効果を待つレアスキルやエクストラスキルにも対処してくるから焦っちゃった。何でそんなに早く耐性系スキルを獲得できるの? それも異世界人だから? これもすぐに対処しちゃうのかな?」
銀世界と化した実験場で悠然と佇むその姿は、まるで氷の女王だ。
「まぁそれでも構わないよね。対処できるなら、それはそれで。……でも、さすがに怨念の状態異常はすぐに対処できないみたいだね」
彼女の言うように、怨念に対する耐性系スキルはまだ獲得できていない。時間が経てば獲得できるだろうが、こうも頭の中で叫ばれていては戦いに集中できない。
理不尽に嘆く声が頭に響く。
怨念には様々な種類があり、その多くは被術者に最も効果のある対象の行いを追及する『責め苦』だが、中には術者の感情を起因としたものもある。これはきっと彼女たちの声だ。彼女たちの感情が、ひしひしと伝わってくる。
あぁ、でも……これってつまり。
「何で、笑っているの?」
気付かないうちに笑みを浮かべていたらしい。彼女は怪訝な表情で訊ねてきた。
何で笑っているのかって? そんなの決まっている。
「良かった、って思ったからさ」
「良かった?」
バルムンクの時のように頭に響く声を精神力で捻じ伏せる。呪いを受けてなお立ち上がる俺を見て、彼女は目を丸くしていた。
「俺の頭に響いてくる怨嗟の声は、実験に苦しんでいて、ゲノム・サイエンスを憎んでいて、死ぬことを嘆き悲しんでいる」
「それが、何だって言うの」
狼狽える椎奈に俺はフッと笑みを浮かべる。気力がみなぎるのを自覚する。
「つまりそれって、本当はもっと生きていたいってことだろ」
「ッッッ!!!???」
実験に苦しんでいるのは、分かる。ゲノム・サイエンスを憎んでいるのも、理解できる。
でも、犠牲を出さないため死ぬことに納得しているのなら、死ぬことを嘆き悲しんだりはしない。
嘆き悲しんでいるということは、死ぬことに納得なんてしていない。本当はもっと生きていたいと望んでいるということだ。
口では何だかんだ言っても、心までは誤魔化せなかった。彼女たち自身にとっても無自覚だった、心の奥底で本当に願っていた望みが、怨念という形になって表出したというわけだ。
だから良かったと思ったのだ。諦め切れていないと分かったから。
瞠目する椎奈を尻目に、俺はひっそりと『“我が手に勝利をもたらせ”――【極夜】』と唱えて極夜を聖剣状態にする。刀身から溢れ出す黄金色の魔力に圧倒されたのか、それとも図星を突かれて動揺したのか。彼女は後退る。
「ち、違う! そんなんじゃない! 私たちは本当に死ぬことを望んでいるの!」
ここにきて、彼女は目に見えて感情を露わにする。
「生きたかったのも、本当の望みだったってことだろ」
「違う! 違う違う違う違う違う!! 違うッッ!!!!」
認めたくないのだろう。これでもかと首を横に振って俺の言葉を否定する。
「死ぬことを望んでいるのに、本当は生きたいなんて……そんな優柔不断な真似なんてしていない! 私たちは覚悟を決めたの! 実験を止めるために死ぬって! 成功例になってしまった私たちの責任を取るって! 現実として実験を止めるには私を殺すしかない! それ以外に方法なんてない! だから……だから早く私を殺してよッッッ!!!!!!」
叫びながら『海魔烏賊の触鎖』と【勇者禁獄】の鎖で攻撃してくる椎奈。縦横無尽に攻めてくる鎖たちだが、これまでの洗練さがない。心を乱している何よりの証だ。
極夜で簡単に打ち払う。
きっと彼女たちは何度も悩み抜いた上で死ぬ覚悟を決めたのだろう。俺の行いは、そんな彼女たちの決心を踏みにじることに他ならない。
恨まれることになるだろう。
でも、たとえ憎まれようとも、俺はお前を殺さない。生きていたいと思っていたのが分かったのなら、なおさら。
極夜を振り上げると、彼女は鎖を操って楯を作り出して防御を固めた。『海魔烏賊の触鎖』だけではなく【勇者禁獄】も使っているから強度はさらに増しているだろう。集中を高め、一息に極夜を振り下ろした。
夜月神明流剣術奥伝――【上弦の月】。
初伝【一刀輝夜】をさらに極めた断頭刃の如き上段からの振り下ろしが、椎奈の鎖をことごとく破壊する。断たれた鎖の破片が飛び散り、瞠目する椎奈の顔が目に入る。わずかに生まれた隙。俺は振り下ろした極夜を持ち替えて、返す刀で彼女の腹部を峰打ちした。
「かっ……!」
クリーンヒットだった。
打撃によって今にも意識を失いそうなのだろう。震える手を伸ばしてきた彼女は俺の肩を掴むが力が入っていない。繋ぎ止めていた意識もそう長くは続かなかった。ズルッと俺の肩から手は滑り落ち、床に倒れた椎奈は気を失った。
――レアスキル【怨念耐性】を獲得しました。
耐性スキルを獲得したのは、その直後だった。
椎奈が目を覚ましたのはそれから数分後だった。ようやく隔壁のロックを解除してきたセツナたちとも合流して椎奈の様子を窺う。
「何で、殺してくれないの」
目覚めの第一声がそれだった。当然か。彼女は死ぬことを望んでいたんだから。
「殺せるわけがないだろ。死にたいじゃなくて、死ぬしかない。それしか道がないって言っているヤツは殺せない。本当は生きたいって望んでいるっていうのに」
否定の言葉はなかった。
床にハの字で座っている彼女は視線を逸らして苦々しい顔を浮かべる。一度気絶したことで落ち着いたようで、生きたいと望んでいることを暗に認めていた。
膝を突いて目線を合わせた俺は言う。
「だからさ。仕方ないなんて言って自分の命を諦めないでくれ」
「でも……」
椎奈は下唇を噛み締める。一度認めたことで生への渇望が沸き起こっているのか、死にたくないのに死ぬしかない。そんな悔しさが滲んでいる。
「その命、俺に預けてくれないか?」
「え?」
驚いたように振り返る彼女は、その淡青色の瞳で俺を見る。
「俺に考えがある。きっとこの方法なら、お前たち全員を救うことができる。普通の人間族と同じだけ生きることができる」
アレが伝説の通りならやれるはずだ。椎奈も、九九人のホムンクルスたちも救うことができる。
「そんな、方法が? そんな都合の良い、夢みたいな方法が……本当に、あるの?」
「あぁ、それは……」
その方法を口にしようとした時だった。
直後に実験場の天井が轟音を立てて崩れ、そこから『天下五剣』と『六煌刃』と『モルタザカ』、そしてゲノム・サイエンスのギルドマスターであるアスラン《サンジェルマン》イドリスと合成獣と骸骨騎士の軍勢が雪崩れ込んできたのだ。




