第143話 密談と処断
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人々は眠りにつき、静寂が支配する夜の時間。
帝都の一等地にある、帝都でもトップの人気を誇る宿でもほとんどの部屋の明かりは落とされているが、薄暗い明かりの灯る部屋があった。官僚や高官、華族のようなやんごとなき身分の人物が主に利用する高級宿の一室にいるのは五人の男女だ。
五人の内の一人は即位式を襲撃し、仲間を見捨てて逃走した男性魔術師だった。
夜月千鶴からの追撃から逃れてゲノム・サイエンスに舞い戻った彼だが、この四人の男女に呼び出されたのだ。理由はもちろん、即位式襲撃を失敗した件についてだ。
四人の男女から見下ろされる形で床に座らされている彼は顔を真っ青にしてガタガタと震えている。
「やってくれたわね」
四人の中で唯一の女性が両手足を組んで高級そうな椅子の背もたれに体重を預けて言うと、男性魔術師はビクッと体を強張らせた。
「せっかくこっちが警備に穴を開けて、桜小路陽輪を誘拐しやすくしたっていうのに。肝心の実働部隊のアナタがミスをしちゃ意味がないじゃない」
「しかも自分はさっさと逃げやがるしよ」
「部下が捕まったのも手痛いな。あそこからこちらの情報が漏れる恐れがある」
「かと言って強化された今の警備状況で下手に口封じをすれば俺たちが怪しまれる。失態だな」
追従するように、残り三人の男性も口々に言う。呆れるような声音に、男性魔術師は身の危険が迫っていることを実感する。
「ま、待って! 待ってください!」
何かアクションを起こさないと命がない。焦燥感から男性魔術師は俯いていた顔を上げて弁明する。
「た、たしかに私は失敗しました。しかし! それもこれもあのSランク冒険者や途中から現れた暗殺者がいたせいです! あいつらがいなければ私は任務を完遂できた!」
「「「「……」」」」
「ですがもうあの暗殺者どもはいない! 三大国から手を引いた! 今なら、今ならまだ間に合います! 次こそは桜小路陽輪を捕まえて『三種の神器』を奪取してみせます! ですから今一度! 今一度私にチャンスを!!」
「「「「……はぁ」」」」
冷めた溜め息が、あった。
まるで長年連れ添ったはずの夫婦が別れる決意を固めた時に漏らすような、圧倒的な失望の溜め息だ。
「ここまで馬鹿とは思わなかったな。今ならまだ間に合うだって? 自分のミスをさも俺たちのせいみたいに言うんだな」
「たしかにあの暗殺者どもは手を引いたが、まだ夜月千鶴の問題が残っている。これをどう解決するつもりだ?」
「どうにかできるとでも思っているのか? おいおい、どれだけ頭の中がお花畑なんだ?」
気だるそうな、どうでもいいと言わんばかりの言葉に男性魔術師は頭が真っ白になる。う、あ……と言葉を失う彼に女性は心底うんざりしたように言う。
「これくらいで反論できなくなるとか……所詮は三下ってわけね」
「な、何を……」
「次がある。そう思っている時点で甘いってことよ」
パチンと女性が指を鳴らすと、薄暗い部屋の奥で何かが蠢いた。
いつからそこにいたのか、女性の背後には大きさが五メートルはある体をミミズのようにのたくらせる『何か』がいる。女性の背中越しに鎌首をもたげる『それ』には目も鼻もない。ただ円周上に鋭い牙が並んでいて、低い唸り声を上げながら空腹を示すように唾液を垂らしていた。
男性魔術師の顔が恐怖に染まる。ボタボタと垂れ落ちる唾液が顔にかかるが、心が竦んで体が動かない。拭うことすらできず、視線を離せない。
「あ、あぁ……」
「アンタはしくじった。そして役立たずはいらない。この子のエサになるのがお似合いよ」
女性の言葉の直後、男性魔術師は頭から丸呑みにされた。
「で、どうするんだ?」
バキボキと骨を砕いて咀嚼する音を出す自身のペットを見る女性に向けて男性が問い掛ける。
「下手を打った駒は始末した。だが、現実問題として『三種の神器』の奪取には失敗した」
「それだけじゃない。こちらの手駒が八人、向こうの手に落ちてしまっている」
「奥歯に仕込んでいた自害用の毒も除去されたしな」
「どうにかしなきゃ。……こっちの情報はまだ漏れていないのよね?」
「今のところ尋問に耐えているみてぇだからな。今日の尋問じゃ、何も喋ってねぇよ。まぁそれも時間の問題だろうけどな。自白効果のある魔術やスキルを使われることはないにしろ、そう長く尋問に耐えるなんて無理だろうからな」
下手をすれば精神を崩壊させる危険性を孕んでいるということもあり、人道的見地から精神に作用する魔術やスキルの使用は厳しく制限されている。そのため、自白の魔術やスキルが使われることは非常に稀だ。
だから彼らは普通に尋問を行うだろうち予想してはいるが、司法取引などの抜け道などもあるため、情報が漏れるのは時間の問題だと考えている。
確認の意味を含めて、女性は言葉にする。
「今進めている計画には、触媒となる強力な力を持つ伝説級魔道具が必要よ。それも大量にね。そのために所持者たちを皆殺しにしてきた。成功率を上げるためにも、桜小路陽輪が持つ『三種の神器』は何としても奪取しないといけないわ」
「そうだな。一〇〇の事件を起こし、条件は満たした。後は安定化させればいい。そのための伝説級魔道具だ。まぁ、継承の関係でスキルって形で『三種の神器』と桜小路陽輪は結び付いているから切り離す作業はしないとならないが」
「必要なのは伝説級魔道具であって桜小路陽輪ではない。いざとなれば一緒に取り込んでしまえばいい」
「つっても、素体がいないことには話にならねぇだろ。計画はアイツを基点に組まれている。アイツの動向は? クサントス中央大陸に渡ったんだろ? そこからどうなったんだ?」
男性魔術師を食べ終わって擦り寄ってくるペットの体を撫でながら女性は頷きを返す。
「送っていた召喚師からの連絡は途絶えたわ。おそらく返り討ちにあったんでしょうね。本拠地から逃げ出した時でさえ、かなり疲弊していたはずなんだけど」
「造られたとはいえ、さすがは勇者といったところか。思った以上に粘る」
本当は阿頼耶が介入して刺客の召喚師を退けたのだが、その事実を彼らに知る術はない。勇者だからということで納得した四人は唸る。
「追加の刺客は? どうするんだ?」
「もちろん送るつもりだわ。今、その編成を考えているところよ。早く編成して送り込まないと」
「そうだな。ここからクサントス中央大陸までは二週間かかる。すでに送った刺客が返り討ちにあったのであれば、足跡を辿るところから始めなくてはならない」
あまり悠長にはしていられない。うかうかしていると三大国はこちらに手を伸ばしてくる。その前に何かしら手を打つ必要がある。
「そこで考えがあるんだけど、彼らを本拠地へ招くっていうのはどうかしら?」
「何だと?」
耳を疑うような発言に三人は眉をひそめるが、むやみやたらと騒いだりしない。静かに女性へ続きを促す。
「三大国はすでに伝説級魔道具所持者殺害事件の犯人がゲノム・サイエンスであることを掴んでいるわ」
「テオドールの野郎が逃がしてやがったからな」
忌々しそうに男性は舌打ちをした。
彼らのところにまで手が及び出したのは、テオドール・クロイツァーが現場に居合わせた被害者たちを内密に逃がし、保護された彼らが犯人はゲノム・サイエンスであると証言したからだ。
そのせいで計画はいくらか前倒しをする羽目になり、本当ならば高い地位にいて手を出しづらい桜小路陽輪はもっと準備を整えてからにするつもりだったのだが、予定を変更して即位式に『三種の神器』を狙うことになったのだ。
即位式襲撃後に罰を与える予定だったのだが、それも不可能だ。彼らはすでに巨人の騎士は死亡したと報告を受けている。
「ヤツのせいで面倒な事態になったが、勿体ない気もするな。せっかく『魔女』テレジア・エアハルトを捕まえて、貴重な純血の巨人族を戦力に組み込んだというのに」
「仕方ない。相手があの『剣聖』夜月千鶴では生き残ることはできない。むしろ、アレだけの被害で収まっただけでも僥倖。下手をすれば戦いの余波で本拠地にも被害が及んだかもしれん」
そう考えればテオドールはよくやった方だと四人は考えるが、真実は違う。阿頼耶が千鶴に頼んで報告を誤魔化しているのでテオドールは生きている。
だが戦闘のあった小高い山も激しい戦闘で禿山になったという事実もあって、あれでは生きている方がおかしいと彼らは疑問に思わなかった。
「何にせよ、向こうがこちらに疑惑を向けているのは事実。だったら、いっそのことこちらのテリトリーに招き入れるのも手よ」
「ふむ。ヤツらを誘き寄せ、油断したところを討ち取るというわけか。テレジア・エアハルトの力を利用して用意した戦力もある。悪くないな」
「となると、誘き寄せるためのエサがいる」
「向こうが、守りに徹するよりも打って出た方が良いと思わせるのがベストか? そういう決断を促すような情報を流すなり、状況を作るなりすれば」
下手なやり方では三大国は守りに入ってしまう。ただでさえ今でも呪いの件が尾を引いて守りに徹して、しかもゲノム・サイエンス側の襲撃者を捕らえているから尋問の結果待ちの状態だ。彼らを積極的に動かすには、今すぐ動かないと手遅れになるくらいの事態にしなければならない。
では具体的に何をどうすれば良いのか。
言い出しっぺの女性は言う。
「今ここには三大国の重鎮たちが来ている。それぞれで大きな被害を出せば、さすがの彼らも守勢ではいられないんじゃない?」
反対意見はない。具体的に話を詰めて、四人は行動を開始した。
そして。
ジャウハラ連邦王国が擁する戦闘部隊『モルタザカ』のリーダーにして聖鎚『ミョルニル』の使い手であるナディア・ムフタールが……遺体となって発見された。




