第142話 疑惑
「待ってくれ」
部屋から出て木目調の廊下を歩いていると背後から声を掛けられた。振り返ると、全員ではないが『天下五剣』と『モルタザカ』の数名が俺たちを追い掛けて来ていた。
「今回のこと、改めて礼を言うぜ。ありがとうよ」
何の用だろうと疑問に思っていると、無精髭に着流しの上から羽織を着た男性――古手川宗次郎が頭を下げた。
「アタシらからも礼を言うよ」
『モルタザカ』のリーダー、腰に小さなハンマーを提げた筋肉質な体付きをした女性――ナディア・ムフタールも頭を下げてきたが、正直俺は困惑した。
「礼はすでに陽輪陛下からいただきましたが?」
「護衛である俺たちからも言いたかったのさ。本来なら俺たちがやらなきゃなんねぇことをやってくれたんだからな」
言い換えれば彼らの役割を横から掻っ攫ったことになるのだが、どうやらそういったことは気にしていないらしい。とはいえ、彼らの背後にいる部下たちはそうでもないようだけど。
「おい、小太郎と善之助も」
「マリアム、アイシャ。アンタらもボーっとしてんじゃないよ」
言われて頭を下げたのは、数珠丸恒次の所持者であるオールバックにした頭に兜のない鎧武者姿の小野寺善之助と、腰に調教用の鞭を吊るしたマリアム・モフセンの二人だけだった。
安心院小太郎と、二振りのシャムシールを両腰に装備した少女のアイシャ・ターヒルは気に入らないと言わんばかりに憮然としている。
「調子に乗るなよ」
そして出てきたのは恨み言だった。
「たまたまの偶然で良い気になるな! 僕たちだけでやれたんだ! 後からしゃしゃり出てデカい顔をして! 呪いさえなければどうとでもなっていたんだ! それなのに……!」
呪いさえなければ。それはそうなのかもしれない。
でも、だからこそ襲撃してきた魔術師たちは上級の暗黒属性魔術を封入した魔水晶を準備してきた。そして護衛たちはまんまとしてやられた。事実として、彼らは自分たちだけでは守り切れなかった。
上級の暗黒属性魔術なんてものを封入した魔水晶なんて簡単に用意できないだろうから、もう呪いの心配はしなくていいとしても、また別の手段で襲撃してくるかもしれない。
こうでなければ、そうでなければ。そう言って自らの不備を棚上げして自分にとって都合の良いことにしか目を向けないようでは、守りたい者なんて守れない。全部失ってから後悔したって遅いんだ。
食って掛かる安心院さんだが、頭では理解しているらしい。悔しそうな顔をして俺を睨み付ける彼は『クソッ』と悪態を吐いて立ち去って行く。
「私も、アナタのことは認めない」
立ち去る安心院さんの後ろ姿を見ていると、ターヒルさんがそう言った。
「アナタたちの助力がなければ大事になっていた。それは分かっている。けど、だからってこちらの領分に踏み入って良い理由にはならない!」
安心院さんほどではないが、それでも不機嫌そうな顔をした彼女はそう言い捨てて、安心院さんと同じ方向へと歩いて行ってしまった。二人とも、自らの護衛対象がいる先ほどの部屋へと戻ったのかもしれない。
……何だか想像以上に嫌われているな。
「小太郎は俺が様子を見る」
「私はアイシャを」
安心院さんとターヒルさんをフォローするために、小野寺さんとモフセンさんは立ち去った二人の後を追って行った。その時に小野寺さんは俺に笑みを向け、モフセンさんは手を振っていた。
こちらの二人には気に入られたのかな?
「すまねぇな。小太郎は御剣衆の中でも特に規則やら規律にうるさいヤツでな」
「アイシャも似たようなもんさね。『モルタザカ』であることに誇りを持っているから、越権行為をされたと思って腹を立ててんだろうね」
「別に気にしていませんよ。たまたまの偶然で、領分に踏み込んだのは事実ですからね」
あの程度の罵倒にいちいち腹を立てても疲れるだけだ。あの二人の言葉も、ただの八つ当たりだからな。あの二人の敵愾心なんて、今まで出会った悪党たちに比べればまだまだ可愛げがある。
「それはそうと、千鶴殿からチラッと聞いたぜ。お前さん、彼女と戦って善戦したんだってな。千鶴殿が『見込みのある子だ』って嬉しそうに褒めていたぜ」
「それは本当かい!? Sランク冒険者と善戦するたぁ、やるじゃないか! 顔に似合わず強いんだねぇ!」
盛り上がる二人だが、俺は首を傾げた。
善戦、したのかな? かなりギリギリだったと思うけど。けどまぁ、開祖である千鶴さんに褒められたっていうのは、純粋に嬉しいものがある。
「千鶴さんのステータスが下がっていたからこそですよ。万全の状態なら、俺は一瞬で首を落とされていたでしょう」
「それでもだ。ステータスが下がったからって渡り合えるほど、Sランク冒険者は甘くねぇ。同じことをしろって言われても、俺には無理だな。ナディアはどうだ?」
「同意見さね。アタシは『ミョルニル』を持っている分、優勢だろうけど、それでもSランク冒険者を相手に戦いたくはないねぇ」
う、う~ん。二人の言うことは間違ってはいないんだろうけど、だからってここまで絶賛されるとこそばゆくなる。
「過大評価ですよ」
どうにかそれだけ言うと、二人は楽しそうに笑みを浮かべた。
「実力はあるのにそれに驕らねぇ、か。面白い野郎だ。千鶴殿との戦闘について詳しく聞きてぇ。今回の件が終わったら、ゆっくり酒でも酌み交わそうじゃねぇの」
「お、良いね。アタシも混ぜな。……あ、そう言えば何歳なんだ?」
「えっと、一七歳ですけど」
「なら問題ないな! 決まりだ! もちろん、お仲間も呼ぶと良い!」
……何だか今回の件が終わったら一緒に酒を飲むことになってしまった。断るのは、さすがに角が立つかな。
「分かりました。パーティメンバーにもどうするか聞かないといけませんが、出席しても問題ないようでしたら、一緒に連れてきます」
たぶんこれ、俺だけでも行かないと駄目なんだろうな。
溜め息を吐く俺とは対照的に、古手川さんとムフタールさんは満足そうに笑っている。
「っと、あまり引き止めるもんでもねぇな。俺たちはここでお暇させてもらおうか」
「そうだねぇ。他にも話したそうな人がいるみたいだし」
言われて二人の視線の先に目を向けると、今度は『六煌刃』がやって来た。それじゃあと言い残して古手川さんとムフタールさんは立ち去り、それと入れ替わって『六煌刃』が二人、俺たちに近寄る。
「話は終わったか?」
と、何だか強気で粗暴な男口調で話しかけて来たのは『六煌刃』のリーダーにして『付与の巫女姫』である、長い癖毛をツーサイドアップにした人狼種の楊梨花だ。
その後ろには背中に赤い長槍と黄色い短槍を背負った人虎種の馬劉帆がいる。
「えぇ、まぁ。それで、そちらは何のご用で?」
「あん? そりゃあもちろん、礼を言いに来たに決まってんだろ?」
アンタたちもか。ていうかお礼を言いに来たってわりには態度がデカいな。
「別に良いですよ、お礼なんて。俺たちは俺たちの目的のためにやったことですから」
「いや、それもなんだけどよ。別件でも礼が言いたくてさ」
はて? 別件とは何のことだろうか。他に彼女たちからお礼を言われるようなことをした覚えはないんだが。
「カルダヌスの前領主が起こした違法奴隷の件についてだよ。オレたちの同胞を解放するために、雨霧阿頼耶っていう冒険者が率いる『鴉羽』ってパーティが尽力してくれたって話は聞いてんだ」
あぁ、アレのことか。
あの件、公にはフェアファクス皇国護国騎士団第八部隊の手柄になっているはずだが、あの事件の関係者やフェアファクス皇国の皇王なんかは真実を知っている。森妖種も被害に遭った関係で妖精王国アルフヘイムの女王、ティターニア陛下にも真実が伝わっていたので、同じ理由で彼女たちも真実を知っているようだ。
けれどセツナのことは言及されていないことから察するに、彼女のことは伝わっていないみたいだ。ということは、皇族側も知らないとみて良いな。
「そうでしたか。被害に遭った人たちは?」
俺が関わった時点で被害に遭っていた獣人族たちはミオと関係があるルーク村の人たちだけで、彼らはすでに自分たちの村に帰っている。それ以前に被害に遭った人たちは第八部隊の人たちが探し回っているはずだけど。
「順調に解放されているぜ。希望者はオレらの国で保護している。まだショックは抜けてないのも何人かいるが、少しずつ社会復帰しているよ」
「そうですか。それは良かった」
第八部隊所属の騎士であるクラウドを通じて状況は聞いていたが、実際に受け入れ先のヤン獣王国側から話を聞くことができて安心した。
「解放に乗り出している第八部隊の話だと、まだ被害者はいるみてぇだけどな。けどそれも残りわずかなんだと。……っと、あまり長話はできねぇからこの辺にしとくか」
どうやら違法奴隷たちのことを伝えるために抜け出してきたらしく、すぐに戻らなければならないようだ。楊さんは残念そうにしながらも会話を切り上げにかかる。
「本当はもっと話をしてぇんだけどよ。……あぁ、そう言えばさっき『天下五剣』の宗次郎と『モルタザカ』のナディアと酒を飲むって話をしてたな。オレも混ぜろよ」
「え? 楊さんもですか?」
「歳も近そうなんだから敬語じゃなくてタメ口で話せよ、うすら寒くなる。呼び方も梨花で良いぜ。オレも阿頼耶って呼ぶからよ。で? どうすんだ? まさかあの二人とは飲めてオレとは飲めねぇなんて言わねぇよな?」
言い分が完全に面倒臭い絡み方をするおっさんのそれだ。しかも犬歯を覗かせて獰猛な笑みを浮かべているから威嚇しているようなものだし。
まったく。古手川さんといいムフタールさんといい、集団のトップはもれなく酒好きっていう法則でもあるのか?
「分かったよ。ただし、古手川さんとムフタールさんから了承を得てくれ」
「なら決まりだ。楽しみにしてるぜ?」
何だかすでに決定事項になっているらしい。
にんまりと意地の悪そうな笑みを浮かべ、梨花は馬さんを引き連れて行った。
「何だか随分と気に入られたみたいですね、先輩」
「だなぁ。何でかは分からないけど。で、お前は飲み会に参加するわけ?」
「もちろんです。先輩が誘惑されるのを防がないと。普段からあんな水着みたいに露出の激しい格好をしているなんて危険過ぎます。……むしろ私もああいう格好をすれば良いんでしょうか?」
「その危機感は見当違いだし、たぶん『モルタザカ』の人たちの格好はそういう文化なだけだと思う」
皇居を出て宿泊している宿へと向かう。外はもう真っ暗だが、ガス灯のような形をした街灯の魔道具が歩道を照らしている。本物のガス灯は爆発の危険性や硫黄臭やアンモニア臭が発生することもあるのだが、これは魔石を燃料としているのでそういった心配はない。
細かいデザインは違うが、カルダヌスにも似たような街灯が設置されている。
「それで先輩、どうして陽輪陛下の申し出を断ったんですか?」
あの街灯も点灯夫が一つずつ点火しているのかなと考えていると、右側に並んで歩いているセツナが覗き込むようにして訊ねてきた。視線を向ければ背後にいるクレハも似たような疑問を抱いた顔をしている。
クレハ配下の『灰色の闇』の三人はいつの間にかいなくなっていた。暗殺者らしく姿を隠して、いつでも動けるように近くで待機しているのだろう。
「三大国を股にかける巨大組織を相手取るのは生半可なことじゃありません。規模が大きくなればそれだけ全体を把握するのは難しくなりますけど、椎奈さんやテオドールさんを助けるためにも戦力は多い方が良いです。デメリットを考慮しても、メリットの方が大きいように思いますけど?」
「まぁ、そうなんだけどな」
煮え切らない反応に、セツナとクレハは互いに顔を見合わせて首を傾げた。
「クレハ、襲撃者たちは無傷の状態で目的地の儀式場前まで来ていたんだよな?」
「えぇ。万全の状態でしたわ」
「じゃあセツナ、実際に皇居内を見て警備状況はどんな感じだった?」
「かなりの数の御剣衆の方がいました。即位式だからか、厳重な警備体制でしたね」
二人の答えに頷きを返して肯定しつつ、
「変だとは思わないか? あれほど厳重な警備体制の中、襲撃してきた九人の魔術師たちはどうして無傷のまま目的地まで辿り着けたんだ? 影の中を移動する闇属性魔術を使っていたとしても限度がある。どこかで誰かに気付かれるだろ」
「……誰かがわざと警備に穴を開けていたってことですか?」
俺が言いたいことを要約したセツナだが、信じられないと言いたげな顔をしている。当然か。俺が言っているのはつまり、彼らの中に内通者がいるってことなんだから。
「他にも、呪いを解除できなかったことも不可解だ。あそこには『天下五剣』の五人と『モルタザカ』のムフタールさんを合わせれば六人の聖武具の使い手がいた」
「あら。ですが彼らは魔術が不得手だと聞いておりますわ。中級以下ならば聖武具が放つ神聖属性の魔力をただぶつけるだけで解呪できるでしょうが、魔術が不得意な彼らでは上級の暗黒属性魔術を解呪するなんてできません。彼らがお手上げ状態になったのも当然なのではなくて?」
「その通り。でも、あの中に一人だけ、それを可能にする聖武具を持っているヤツがいた。そいつなら、神聖属性の魔力をぶつけただけでも解呪はできたはずなんだ。……まぁ、それだけで内通者だと断言できるわけじゃないんだけど。内通者が一人だけという保証もないし」
今のところ『天下五剣』の五人、『六煌刃』の六人、『モルタザカ』は五人いたかな? その計一六人が疑惑の内通者となる。
その中でもさらに怪しいのが、童子切安綱を持つ古手川宗次郎、鬼丸国綱を持つ安心院小太郎、三日月宗近を持つ朝比奈雅、数珠丸恒次を持つ小野寺善之助、大典太光世を持つ御子柴十蔵、ミョルニルを持つナディア・ムフタールの六人だ。
ちなみに馬劉帆さんが背負っていた二本の槍は『ゲイ・ジャルグ』と『ゲイ・ボー』と呼ばれるもので、あれは魔槍――つまり魔武具なので除外される。
「怪しいのは『天下五剣』の安心院小太郎と『モルタザカ』のアイシャ・ターヒルでしょうか? あのお二人は先輩を目の敵にしていました。ルールにうるさい、組織に誇りを持っているという話でしたが、それが本当は計画を邪魔された恨みから来るものだとしたら、納得できます」
「あら、そんな分かりやすい態度を取るでしょうか? 自分は無害だと主張するためにも、好意的な態度を取るのではなくて? わたくしとしては、特に好意的な態度を取っていた『天下五剣』の古手川宗次郎と小野寺善之助、『六煌刃』の楊梨花、『モルタザカ』のナディア・ムフタールとマリアム・モフセンが怪しいと思うのですが」
予想するが、決定打がないのでセツナとクレハは悩ましげに唸る。
さすがに一国の主が裏切り者ということはないだろうけど、その配下たちはさてどうなのか。それを確定させるためにも『敵は案外、近くにいるかもしれない』と、忠告の意味も込めて全員の反応を窺った。
だがほとんどがあの場ではすぐに意味を理解できず首を傾げていて、反応を示した数人は何かを考えるような仕草をしたり、険しい顔付きになったり、わずかに眉が動いたりとまちまちで、断定には至らなかった。
「まぁそういうわけで、手を結ぶにはあちら側に疑惑が多過ぎるから陽輪陛下の申し出は断ったんだ」
内通者が誰なのかは分からない。全員が怪しいというだけ。そして、どれだけ疑惑があっても怪しいというだけでは捕まえることはできない。
すぐに取って返すことはないだろう。再度の襲撃はあるだろうが、体制を整えるためにも数日のインターバルは置くはず。せめて三大国の王たちが警備を固めて備えてくれたら良いんだけど。
そう祈るばかりだ。




